7月10日

 一晩寝て起きれば何か思い出す…なんて都合のいい事はなかった。


 …ま、そりゃそうだよな。


 今日も朝からセミの鳴き声がうるさい。そのせいで思っていたより早く起きてしまった。昨日はあのあと、ばあちゃんと顔を合わせないようにしてずっと部屋で過ごしていた。初対面ではないんだろうけど、こっちにとっては初対面同様の人に泣かれてすぐに別の話をしたり、いろいろ聞いて追い打ちをかけるような事なんてできなかった。


 さて一晩経ったし、これの話でもしてみるか。


 昨日見つけたそれを持って部屋を出た。




 部屋に戻ったのはいいものの、大量にある本と少し古そうなパソコンくらいしか暇を潰せそうなものがなかった。パソコンは使えるかどうかわからない。と、いう理由で本を読む事にした。


 本棚には、背表紙の文字が薄くなっていてタイトルがわからない本もあれば、割と新しそうな本も置いてある。その中から適当にとった本を読んでみると、予想外におもしろくて暇つぶしにはもってこいだった。


 宇宙を舞台にしたSFもの。一冊読んでみると、物語はこれで終わらずに続きがあることがわかり、本棚には似たような名前を数冊見つけた。続けて読んでいく。


 …結構面白いな。これ、いつのなんだろ?


 巻末のページを開いてみると『2008年12月1日発行』と書いてあった。


「うわ、古っ!」


 あまりの古さに思わず声が出ていた。でも、すぐに違う事が気になった。


 ん?どうして古いって思ったんだ?今は何年なんだっけ?


 室内を見渡してカレンダーを見つけた。でも、何年かは書いていないタイプだ。これではわからない。


 もう一度本に視線を落とす。本は日焼けしていて、表紙は薄くなった黒色のなかに白い図形が描いてある。おそらく宇宙戦艦だろう。本自体から察するに年季が入っているのはわかる。単に見た目に引っ張られて『古い』と思っただけだろうか。それとも、この家にずっと居たのなら以前にも読んでいるだろう、その経験からそう思ったんだろうか。まぁ、考えたところで答えが出るわけなく、とりあえず続きを読み始めたらハマってしまった。そのせいで晩御飯は一人で食べる事になってしまったけどちょうど良かった。




 昨日のばあちゃんの泣き顔が浮かんでくる。それを頭の隅にやって声をかけた。


「おはよう」


 朝食の準備をしていた手を止めて、申し訳なさそうな表情でこちらを向いた。頭の隅にやった泣き顔がすぐにでてきてしまった。


「おはよう。昨日はあんなとこ見せてごめんな。不安にさせたくなくて、普通に見えるようにしてたんだけど失敗だったな」


「俺を思ってだったって事なんでしょ?」


 昨日のはもちろん、今の表情も見ていたくない。


「だったらもういいよ。あ、昨日の晩御飯もおいしかった」

「ありがとう」


 ばあちゃんの表情も声のトーンも『いつも通り』に戻った。それに合わせたかのようにユキが足元に寄ってきた。朝ごはんが欲しいんだろうか。そんな姿も『いつも通り』だと思った。


「その本なら、前に読んだ事あるな」


 話のネタになればと見せたみたけど、まさか読んでいたとは。ばあちゃんが読むようなジャンルではないと思っていた。


「似たようなのが何冊もあっただろ?全部亮に読ませられたんだわ」

「俺に?あの量を?」

「確か、昔やってた映画の原作だったかな。映画を見た後に気になったみたいで、どんどん集めて読んでたぞ」

「昔の・・。だから古い本だったのか。内容は覚えてるの?」


 そう聞くと、ほんの一瞬、昨日のような表情が見えたような気がした。


「難しい言葉がいっぱいでよく覚えてないな」

「それならいいんだ。ネタバレされても困るしね」

「まぁ、記憶が戻ればわかっちゃうんだけど。あ、わりいな」


 …今のは冗談なのか?顔は笑ってるように見えるけど。なんとなく、口が悪そうな気もするし本気なのかもしれない。


「い、いいけど」


 近くで餌を食べていたユキは満足したのか、部屋を出ていった。


「そうだ。本の続きも気になるんだけどさ、少し散歩に出てみようかって思ってるんだ」

「今日も暑くなるぞ?」

「だよね。だから、近所を少しだけ」

「それならいいんじゃないか」

「でさ、暑い中で申し訳ないんだけど、一緒に散歩してくれると助かるんだ。ほら、迷ったら困るし」

「……いいよ」


 少し考えたように見えたけど、ばあちゃんも言ったとおり、朝から暑そうだからだろう。熱中症に気をつけないといけない。


「5分位歩いたところに公園がある。そこまで行ってみるか」

「ありがとう」



「にゃー」


 玄関で靴を探しているとユキの鳴き声が聞こえた。声の方へ振り返るともう一度「にゃー」と近づいてきた。


「なんだ、お前も一緒に行きたいのか?」


 靴を履いて抱きかかえたまま外に出ようとすると、少し低い声で「にゃー」と鳴いて、腕からするりと抜け出ていってしまった。猫も暑さは嫌だということだろうか。

 

 玄関のドアを開けてみると、思っていた以上の日差しに思わず目を瞑ってしまった。眩しさに堪えて少し目を開けて一歩足を出してみると、突然の目眩に思わずしゃがみ込んだ。


「亮!大丈夫か?」


 すぐ後ろにばあちゃんがいた。心配そうな顔をしているのがわかる。


「一瞬くらっとしたけど、大丈夫。結構眩しかったからさ」


 そう言って立ち上がってはみたものの、まだくらくらしている。目眩は徐々にひどくなってきて真っ直ぐ立っていられない。それだけではなく、動悸もして息苦しくなってきた。もう一度その場でしゃがんでみるが治まる気配はない。


 なんだよ、これ…。


 徐々に視界が狭くなっていって、目の前が真っ暗になった。



 目を覚ましてみると、体の上にいたであろうユキがぴょんと跳んで着地するところだった。


「やっと起きたかい。まだ具合悪いか?」


 ばあちゃんが麦茶を飲めと言わんばかりに置いた。喉がカラカラになっていたから「大丈夫」と一気に飲み干すとばあちゃんが続けた。


「今朝、散歩に行こうとしてたのは覚えてるか?」

「うん、覚えてる。でも、玄関をでたらくらっときて・・そのまま倒れちゃったんでしょ?」

「そうだな」


 出る寸前まで普通だったのに。


「ごめん。ここまで重かったでしょ?」

「重かったけど、隣の人に手伝ってもらったからなんとかなった」

「そっか。じゃあ、後でお礼を言いに行かないと」

「・・亮」


 まっすぐ俺の目を見ている。


「うん?」

「言おうか言わないかと迷ってたんだけど、前にも倒れた事があるんだよ」

「前にも?」

「うん。それも一度だけじゃない。何度もあったんだ。今日みたいに外に出ようして倒れたり、倒れなくても具合はずっと悪かったり。あと、外に出たあとで倒れた事もある」

「え」

「記憶なくなったばかりだし、どうなるかわかんなかったから言わなかったんだ。でも、そんな事も体は覚えてるんだな…」

「じゃ、じゃあ、ずっと外には出れないって事?」

「わかんない。何も起きなくて、普通に出れた事もあったし」

「そんな状態だったんなら、記憶の事も含めてだけど病院には行ってたんだよね?」

「行ける範囲でな。出れた時に行ったり、倒れた時には救急車で運んで診てもらった事もあるよ。…ただ、今まで何回も検査したけど原因は何もわかってない。記憶がなくなってる事と関係あるのかもわからない」

「マジか……」

「最初は精神的なものだろうって言われて療養してたんだけどね。でも、ずっと治らないんだ。もうどうしたらいいのかわかんないんだよ」

「それに今まで付き合ってきたばあちゃんもキツイよな…」

「まぁ…慣れるしかなかったよ」


 それだけ言うと、いや、それ以上何も言えないのかもしれない。ばあちゃんが部屋を出ていった。後を追うようにユキも「にゃー」と鳴いて出ていった。


 ……慣れたりなんかできないよな。してないよな。


 頭の中に、昨日のばあちゃんの泣き顔がまた浮かんできた。

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