第五話(12) 本当の僕のこと


 * * *



 なんだかすごく、気分がよかった。

 ――でもそれは、家に着くまで。


 どうしてか、僕は自分の家のドアを開けるのに、どきどきしてしまった。

 だって今日は『狩人』なんて奴に絡まれて大変だったし、僕は……いろいろやったから。

 ナイフ曲げたり。蝙蝠になったり。

 いつもなら絶対にしない、吸血鬼っぽいことを、してしまった――。


 ……深呼吸をして、家に入る。何もなかったフリをすればいい。何もなかったフリをすれば。


「おかえり、きゅうた……久太郎! どうしたの、その格好!」


 ところが、母さんがキッチンから出てくるや否や、そう声を上げた。父さんは早く帰ってきていたらしい。母さんの声を聞いて僕を見て、まるで目を疑ったかのように、自分の前髪をどけて改めて僕を見る。


 言われて僕は気付いた。僕の制服は汚れまみれだった。瓦礫の白色がいっぱいついている。

 まずい。


「な、なんでもない……」


 普通のフリをしなきゃ。慌てて僕は、自室に向かう。

 でも、自分の部屋のドアを開ける前に、そこで止まってしまう。


 ……何やってるんだろう、僕は。

 目堂さんにあんなこと言って……自分は自分でいい、なんて。

 そんなこと言って、これはなんてザマだろう。


 僕だって、僕でありたかった。

 いつも「なんでもない」「普通の息子でいる」ことは、大変だった。

 だって、それは、僕じゃない。


 ――僕は、悪い吸血鬼と、一緒じゃない。

 僕は、僕だ。

 外には、居場所ができた。目堂さんに出会えたから。

 でも内での問題は――僕自身でどうにかしなくちゃいけない問題だ。

 僕に、問題があるのだから。


 僕は僕。悪い吸血鬼は、悪い吸血鬼。


「久太郎」


 声をかけられて顔を上げれば、母さんが廊下に出ていた。父さんも出てくる。

 僕は。


「……あ」


 僕は、逃げなかった。


「ともっ、友達と、遊んで……」


 目はそらしてしまったけれども。


「……黙ってた、けど……学校で、その、メドゥーサの末裔の子と、友達に、なったんだ――蛇が一匹、髪の毛に混じって生えてるんだ」


 目堂さんの顔を思い出すと、まるで背中を押されているかのように、急に僕は喋りやすくなった。


「女の子で、すごくかわいい子で、一緒にいて楽しくて……」


 目堂さんは、一緒にいて楽しいから。

 目堂さんのそばが、僕が僕でいられる居場所だったから。

 ――家でも、そうありたい。


「それで、あっ、今日……僕、なんか……蝙蝠の、群れ? に変身できた……」


 賀茂さんのことはさすがに言えないけれども、蝙蝠に変身したことも、思い切って、言ってみる――吸血鬼としての、僕の一面。僕の一部。僕の真実。

 母さんと父さんは、何も言わなかった。二人して口を開けて僕を見ていた。


 言ってやったぞ!

 ……と思えたのも束の間、不意に、怒られるんじゃないかという不安が、ふつふつ湧いてくる。

 吸血鬼であることを人に知られてはいけないのに、そのためになるべく大人しくしていなくちゃいけないのに、なんで蝙蝠に変身したことを、自慢げに言っちゃったんだろう。

 でも。


「――す、すごいじゃないか!」


 廊下に響いたのは、父さんの、すごく嬉しそうな声だった。慌てて僕の前までやってきて、僕の肩を掴む。


「蝙蝠に変身できたのかっ? それ、叔父さんもできないことだぞ! まさかお前にはできるなんて……! すごい、すごいぞっ! 羨ましい!」


 ――僕は思わず、瞬きをしてしまった。

 褒められるなんて、思ってもいなかったのだ。


「メドゥーサの子がいたのね! しかもお友達になったの!」


 母さんも僕の前にやってきて、


「ああよかった……久太郎、もしかして吸血鬼だからって、一人ぼっちになってるんじゃないかと思って……でもよかった。そう、仲間のお友達ができたのね。ああほかにもいたのね……本当に、よかった」

「――母さん、そういえば久太郎のトマトジュース、いまのままじゃ一日分、足りないんじゃないのか? 久太郎は、蝙蝠に変身できるくらいに血が濃いんだ、飢えちゃったならかわいそうだ」

「ええ、増やしましょう! ……久太郎、トマトジュース、足りてないわよね?」


 尋ねられたから、僕はゆっくり頷いた。なんだか足りないかもとは、前から思っていた。

 すると、母さんと父さんはまたはしゃぐように。


「ごめんね、足りないって気付いてあげられなくて……それじゃあ今度から、多めに買っておくからね!」

「それにしても蝙蝠に変身できるなんて、いいなぁ~! 父さんも変身したいよ、変身して出勤したい! 満員電車地獄だから!」

「――トマトジュース、いままで言わなかったから僕が悪いし、父さん、変身で出勤しようとしたら日光に焼かれちゃうよ……」


 僕はいつの間にか、笑っていた。

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