第五話(04) 怪物の目を甘く見るな
――嫌な予感がして、僕はそっと井伊から距離を取る。
まさか。いや、でも……信じられないけど……。
「もしかして……『狩人』……」
いやそんなわけない。
そんなわけないって、信じたいけど。でも。
「なんだぁ、それ? 聞いたって言うのは本当だぞ? 廊下歩いてる奴らが言ってた!」
井伊は首を傾げている。
――でも。
「井伊さ、時々僕……お前のこと、妙だなって、思うことがあったんだ」
そう、いま思い返せば。
「井伊ってさ……その時その場にいないのに、なんでか知ってるってこと、あるよね」
僕は静かに身構える。そう、そうなのだ。
「いまのこととか」
廊下を歩いている人の話を聞いたって、それは嘘だ。井伊は熟睡してたじゃないか。頬にあとをつけるくらいに。
「……僕と目堂さんが校庭で会ってた時だって」
そう、あの時だって。僕が目堂さんから怪異調査帳を預かった、あの時だって。
井伊はあの時、校庭にいたって言ったけど。
「あの時、井伊は校庭にいなかったよ――僕は、すごく目がいいんだ」
思い返せば、あの場に井伊はいなかった。いたら僕が気付いているはずだった。
校庭のどこに誰がいるか、僕の目は遠くまで見えるから。
「キュー? あの~ちょっとぉ?」
井伊が一歩踏み出す。
――次の瞬間、僕は井伊に飛びかかった。倒したのなら、その背中に乗って両手を取り押さえる。
このくらい、僕には簡単だった。
「わ、わ、わ、待って! 待って!」
「グルなのか? 賀茂さん、と……」
「グルじゃないよぉ!」
「じゃあ、なんで!」
おかしい。おかしいのだ、井伊は。明らかに。いままで一つも疑うことはなかったけれど。
「あ~……」
井伊はもがかなかった。そっちの方が、ありがたかった……力の入れ過ぎで、ぽきっといったらどうしようという不安が、じわじわ湧いてきていた。
自分でも思っていた以上に、力があったから。
「例えば」
――それは、妙に淡々とした声だった。
「例えば、他の生物と精神を入れ替える能力がある、と言ったのなら、どう思う?」
僕が取り押さえている何かは、急に。
「憑依、と言った方がわかりやすいかもしれない。実際は違うが」
「井伊……?」
「それにより、他の生物の目や耳から情報を入手していたのだったら……おかしくはないだろう?」
井伊の声だけど、いつもの声じゃない。
井伊は笑っていなかった。神妙な顔は、なんだか不気味に見えた。
「お前……何者……なんなの……」
井伊じゃない。僕はとっさに、井伊から離れた。
井伊は何もしてこなかった。ただゆっくり立ち上がって、制服についた埃を払っていた。
僕は……怖くて箒を拾った。両手で握る。
もしも敵であるのなら、目堂さんの居場所を聞かなくちゃいけない。
ところが、僕のスマホがまた鳴って。画面に映っているのは、目堂さんの名前。
「目堂さん!」
『キューくん! このクソ女ちょっと――』
慌てて通話に出れば、目堂さんの怒ったような声が聞こえた。シャーッ、と蛇の威嚇の声も聞こえた。けれども、ぶつんと切れてしまう。僕はスマホを落としそうになった。
目堂さんは。目堂さんはいまどうなっているの?
「――いつか『狩人』が動く気はしていた」
普段の井伊からは考えられない、やたら落ち着いて悟ったような声が、真横から聞こえてくる。
「しかし思ったよりも大胆だった。魔女に嫌がらせをして追い払ったかと思えば、今度は拉致か……」
気付けば井伊は隣にいて、僕は腰を抜かしかけた。
「――んまぁ? とにかく廃ビルに急ごうぜぇ! あ、場所わかるよぉ、猫で話聞いてたしぃ、この街の生物がどのように動いているかは全て把握済なのでぇ! お掃除さよなら~!」
不意に井伊は元に戻ったかと思えば、スクールバッグを肩にかけ、箒も片付けず図書室を飛び出す。
僕は少しの間、まるで幻を見ていたかのような気持ちで、ぼうっとしていた。
「ま、待って、井伊! お前、お前何者なんだよ!」
やがて井伊を追って図書室を出る。
……井伊が悪い奴ではないんじゃないか、と思ったのは。
あいつのバッグで、いくつものマスコットが無邪気に揺れていたからだった。ゲームやアニメのキャラの、マスコット。井伊の好きなもの。
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