第五話(03) 影、忍び寄る


 * * *



 僕が図書室に着くと、そこに班員の姿はなくて、たった一人、井伊だけがテーブルに突っ伏して寝ていた。


「井伊、これ、どういうこと?」


 見た様子、掃除されたようには思えないし、テーブルにあるのは井伊の荷物だけ。


「井伊、井伊ってば」


 揺するものの、井伊は起きない。


「起きてって」

「――んにゃーお!」


 ようやく起きたかと思えば、猫みたいな声を上げて、井伊は跳び上がった。辺りを見回して、僕を見る。頬にがっつりあとがついてる……数分寝てた、という感じじゃない。


「うわぁ、ふわぁ……おー、キューおっそ」

「……他のみんなは?」

「抜け駆けマンはお掃除頑張って反省して~だって」


 みんなそんなに夜中に目堂さんと散歩したいの?

 行った場所って、狼男が住んでたなんて噂のある、ぼろぼろの館だよ?

 しかも帰りに警察に補導されて?

 僕は呆れながらも、掃除道具を手にすれば仕事を始めた。少なくとも井伊は残ってくれている。寝てたけど。でも一人でやる訳じゃないから、それはよかった。

 二人で掃き掃除を進める。井伊は箒で、小さなゴミをころころ転がしていた。


「あの館、結局何にもなかったね~狼男、もしかしたらいるかな~って、思ったのに」

「まあ……狼男って、本当にいるわけないし」


 ――吸血鬼がいるんだから、狼男がいてもおかしくないし、そもそも狼男本人の手記があったんだけど。


「んでもさぁ、狼男じゃなくても、なんか本当にいたら、どうする?」


 と、井伊は床の溝にはまってしまった埃を、箒の先で突きながら、不意に聞いてくる。


「もし何かいたら……何がしたい?」

「何したいって……」


 仲間探しに必死になっているのは、僕じゃなくて目堂さんだ。

 でも僕も、仲間がいるかは、気になる……。


「……案外近くにそういうのがいたら、どうする?」


 がしがし溝のごみをかき出しながら、井伊は続けた。その言葉に僕はちょっと眉をひそめる。


 実際、近くにメドゥーサの末裔がいたのだから驚きだ。案外近くに、似たような人はいた。

 けれども、井伊がそんなことを言い出すのは、なんだが嫌な感じがした。

 案外近くにいるんだよなぁ、ここに吸血鬼の末裔がいるみたいに。


「ゲームのやりすぎだよ……あの館、ホラーゲームっぽかったけど――」


 とにかく、普通の人間に、存在を知られてはいけない。


 そう思いながら、ちりとりにごみを入れている時だった。僕のスクールバッグの中から、音楽が鳴り始めた。図書室では少しやかましい着信音。


『もしもし! キューくん?』


 通話ボタンを押せば、目堂さんの――どこか切羽詰まったような声が。


「目堂さん、どうし――」

『捕まっちゃったぁ!』


 ――え?

 何に? どういうこと? 捕まるって?


『騙されちゃったの! あの賀茂の嘘吐きに!』

「目堂さん? 待って、ちゃんと話して……」

『助けて!』


 その叫び声は、僕の頭の中を揺らして。

 全身が冷えていくような感覚があった。


『なんかね、狩人? とか言ってるの! ちょっとやばい感じがする!』

「目堂さん、いまどこにいるの!」

『あの館の近くの――』


 ――そこで通話は、ぷつんと切れた。僕は慌ててかけ直すものの、もう目堂さんは出てくれない。


 『狩人』って、言った?

 『狩人』――狼男の手記にもあった。

 心臓の音が、やかましい。


 ……いやでも、目堂さん「賀茂の嘘吐き」とも言ってた……。

 ……賀茂さん?


「どうしたの?」


 僕が突っ立ったままでいたからだと思う、井伊が心配そうに顔を覗き込んできた。それで、我に返る。

 ――目堂さんは「助けて」って言っていた!


「――ご、ごめん、井伊。僕……目堂さんのところに行かなきゃ! なんか……良くないことが起きてるみたいで……」


 賀茂さんの名前が出てきて『狩人』という言葉も出てきた、まったくわからない。

 でももし『狩人』がいるのなら……それはきっと、目堂さんの正体がばれた、ということじゃないだろうか。

 狼男は『狩人』に怯えていた。多分『狩人』とは……名前の通りの存在。


 僕は箒を投げ出し、スクールバッグを手にした。でも、目堂さんはいまどこに?


「目堂っち? なんかあったの?」


 すると、井伊が、


「目堂っちなら……さっき賀茂さんと帰ってったぞぉ、廃ビル行くって! そういうの好きなんだねぇ、目堂っち!」

「ほ、本当に!」


 廃ビル。それもあの館の近く――数はそんなに多くはないはずだ。古いビルは取り壊しが進んでいたはずだから。

 よかった、井伊が耳にしてくれていて!


 でも、ちょっと待って?


「井伊……それ、いつ聞いたの?」

「えっ? さっき」

「……おかしくない?」


 だって、冷静に考えてみて。

 目堂さんと賀茂さんより先に、僕が教室を出た。そしてすぐに図書室に向かった。

 井伊はそこで寝ていた。


 ……それじゃあ井伊は、いったいどこで目堂さんと賀茂さんを見たんだ?

 なんで廃ビルに行ったって知ってるんだ?

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