第三話(02) 保健室の優等生


 * * *



 ――ここは。

 ここは保健室だ。そしてよく寝ているベッド。


 起き上がれば、薄い仕切りカーテンの向こう、人影が机に向かっていた。先生じゃない。


「……目堂さん?」

「――キューくん、倒れた時も間違えてたね」


 倒れた僕を見下ろしていた、あの女の子の声だった。慌ててカーテンを払えば、彼女がいた。


 ――賀茂栄玖かもえく。一年生の時、同じクラスだった女の子だ。焦げ茶色のボブカットがふんわり揺れる。眼鏡の向こうにある瞳は茶色だけれども、よく見ると緑がかっているようにも見えて、宝石みたい。小柄だけれども、ぴしっとしているから、身長があるように見える――賀茂さんは、きっちりしているのだ。制服にはしわ一つ見当たらず、なんだかいい洗剤の匂いがしそうな気がした。


 久しぶりに、賀茂さんを見たような気がした。二年生になってクラスが別になってから、全く見なかった。


「ご、ごめん、賀茂さん……」

「それより大丈夫? また貧血? だってね」

「う、うん……大丈夫、ありがとう」


 賀茂さんと話すのが久しぶりで、僕は少し言葉に詰まってしまう。一年生の時、特に仲が良かったわけではないけれども、賀茂さんは「クラスの中で話すことが多い人」に分類される人だった。


 賀茂さんは、僕が戸惑っているのがおかしいのか、口元を手で隠しながら笑った。小動物みたいに見えた。


「傘をとっていった人、いたでしょう? あの人達、私のクラスの人なの……怒っておいたから、安心してね」

「そんな……ことまで」

「風紀委員だもの、ああいう人には、ちゃんとしてもらわないと……」

「賀茂さん……やっぱり真面目だね」


 そう、賀茂さんはすごく真面目で、正義感の強い子だった。クラスをまとめるのだって、率先してやるし、それだけではなく、勉強だってできるし、勉強以外のこともなんでもできちゃうから、先生によく頼まれ事をされていたっけ。

 僕は賀茂さんが机の上に何か広げていることに、気付く。カラフルな何かが印刷されたものだ。


「何をしてるの?」

「校内に貼り出すチラシをね、整理してるの……先生に言われてね……あっ」


 二年生になっても、また色々頼まれてるんだ――と思った矢先。

 チラシを数えようとしていた賀茂さんは、指をぱっと離した。少し遅れて、指先の肌色に、深紅がぷっくり浮かび上がる。紙で切ってしまったらしい。


 ――どきりと、した。僕はまだ、回復しきっていない。

 けれど、抑えこむ。固唾を呑んで、一度目をそらして、それから賀茂さんに向き直って。


「あっ、あっ、保健室に……ってここ保健室だ、先生、は?」

「先生はいま職員室に行っちゃったの。私、キューくんの様子を見に来て、その時にちょっとここをお願いって言われてね……ええと、絆創膏はここだったかな」

「勝手に使っていいの?」

「いまは私がここを任されています~」


 賀茂さんは戸棚を漁って、絆創膏を見つけ出した。無事に指先に巻けば、僕に終わったよ、と見せてきた……よかった。

 それにしても、賀茂さんを切ったのは、何のチラシかと机を見れば。


『魔法使いのマジックショー! 本物の魔法使いがやって来る!』


 マジシャンのような、魔法使いのような、簡単に言ってしまえば「怪しい」おじさんが写っている。周りを飛び回っているのは炎や蝶や花、それからシャボン玉に稲妻……。

 混沌。何これ。


「ほら、大型ショッピングモール、あるじゃない? あそこでやるんだって」

「……そのチラシを、なんで学校に」

「でも、とっても楽しそうじゃない? こういうのって、あんまりないでしょう?」


 確かに、この街にそういったものはあんまりなかった。僕も少し、興味がある……僕だって、こういうものをちょっと見てみたいとは思う。


「賀茂さんは行くの?」


 意外にも、賀茂さんは目をきらきらさせていた。真面目だから、あんまり興味がなさそうに思えたけれど。

 しかし賀茂さんは、頭を緩く横に振った。


「私は……行けない。勉強しなくちゃいけないから」

「そ、そっか……」


 その後、僕は何を言ったらいいかわからなくなってしまった。言葉を探して、白いシーツを掴む。


 静寂は、激しく開けられたドアによって破られる。


「キューくん! トマトジュースもしかして足りないのっ?」

「め、目堂さん……!」


 乱暴にドアを開けて飛び込んできたのは、目堂さんだった。僕は慌てて手をばたばた動かす。目堂さんに驚いたわけじゃない。トマトジュースと僕について、あまり人に知られたくないのだ。なんでトマトジュースなのって……。


「そういえば、貧血にはトマトジュースがいいって聞いたことあるなぁ……」


 でも、賀茂さんは、そう呟いた。よかった。そう、僕は貧血。吸血鬼だから血の代わりにトマトジュースを飲んでいるわけじゃない。


 大体、トマトジュースが血の代わりになるなんて、おかしな話じゃないか――いや、先祖が代用として使えないかと飲み始めたことによって、僕達はトマトジュースを代用できる身体になったんだけど。


「保健室では静かにしなくちゃだめですよ。目堂さん」


 賀茂さんは我に返って溜息を吐いた。目堂さんもはっとして、


「はーい、えっと……風紀委員の人よね? 確か……」

「賀茂です。賀茂栄玖。二年A組の」

「あたし、二年C組の目堂早織! って、名前知ってたみたいね?」


 それから目堂さんは、気が緩んで蛇が出そうになったのかもしれない、小さく咳払いをして、いつもの微笑みを浮かべた。


「ええと……隣の席の影山くんの様子を、見に来たんです……キューくん、二時間目、平気?」

「あっ……うん。ごめんね、心配かけて」

「私も、そろそろ先生戻ってくるだろうから、そうしたら教室に戻らなきゃ……キューくん、気をつけてね」


 賀茂さんは広げていたチラシをまとめ始める。それで、目堂さんは気付いたのだろう。


「あら? このチラシ……へえ……」


 ――ぐいと僕の腕を引っ張れば、目堂さんは保健室を出て廊下の隅で立ち止まる。


「――見た? 見た見た見た? 『本物』の魔法使いだって! 『本物』の!」


 ……まさか、本当に『本物』が来ると思ってないよね?

 子供じゃあるまいし。あれ、煽り文句だからね?

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