第187話 初見じゃ読めない名字について

 自分の名字よりも、カッコイイ名字に憧れることがあります。


 その中でも、初見じゃ読めない「難読姓」を調べると面白いです。


 天敵のタカがいないから、小鳥たちは安心して遊ぶことができる、だから「小鳥遊たかなし」さんとか。


 月を隠す山がなかったら、里からはっきり月を見ることができる、だから「月見里やまなし」さんとか。


 旧暦の四月一日に、防寒のために着物に詰めていた綿を抜いたことから「四月一日わたぬき」さんとか。


 一、二、三と数えていくと「一」は「二」の前だから、「一」と書いて「にのまえ」さんの読み方を知った時は、驚きました。


 昔は、立派な家柄では「自分の名字」を持っていましたが、一般の人たちは下の名前だけで呼び合っており、「平民のくせに名字なんて持つな!」という縛りがあったのですね。名字があって名乗ることができる、というだけで「特権階級の証明」だったわけです。

 

 明治時代に入り、平民でも名字を名乗っていいですよ、と明治政府から「許可令」が出ます。

 これにより、士族や華族などの立派な家柄じゃない人でも名字を持つことができる、と国が認めたのですが、届出を行う一般庶民は少なく、普及しませんでした。

 戸籍登録・整理によって全国民の把握をしようとしたわけですが、失敗に終わったのです。


 登録が普及しないため、明治政府は名字の登録・使用を「義務」としました。

 庶民も必ず名字を使い、名字が無い人や分からない人は新しくつけなさい、という命令です。

 

 住んでいる地名や、地形や風景、職業などから、庶民は自分で考えた名字を登録しました。


 自分で名字を考え、登録できる人は、まだ良かったのですが。

 明治時代の初めは、識字率は今ほど高くありません。

 庶民全員が「文字を読んだり、書いたりできる」わけではなかったと思われます。

 義務教育が制定され、全国民が学校に行って、文字の読み書きを学ぶのが当たり前になるのは、昭和になってから。


 国からいきなり「名字を自分で考えてつけろ」と言われても、文字も書けない、読めない人たちは、どうしたのか。

 地主や、寺の住職に「名字を考えてくれ」と集団で頼んだそうです。


 数人だったら、ちゃんとひとりひとり考えて、

「山と田に囲まれた場所に住んでいるんだな。よし、山田と名乗れ」

「そっちのお前は木に囲まれた村から来たのか。木村と名乗れ」

 と、住んでいる場所にちなんだ名字を与えることもできたでしょう。


 だけど、毎日、何十人、何百人と名字を考えていて……最初のクオリティが維持できるでしょうか?


 たとえば、あなたが小学校の先生だとして。

 子供たちから「ひとりひとり、ぼくたちに違うニックネームを考えて!」と頼まれて、最初は個性に合わせたニックネームを考えていくのが楽しいかもしれませんが、ひとクラス全員とか、あるいは全校生徒の分とかだったら……途中から「申し訳ないけど、どうでもいいや! もうテキトーにつけちゃえ!」って投げやりになってしまいそうです。


 そんな風に推測していくと……大勢の人から「名字を考えて!」と頼まれた地主や住職は、数をこなすうちに疲れ、気分転換として命名にも「遊び」を入れていったのでは。


 それが難読姓のルーツなのではないか……と、勝手に考えています。

 私の個人的な想像にすぎないので、実際に難読姓で苦労されている人を揶揄する意図はありませんよ。

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