第123話 「湯船」はなぜ「船」なの?
一日のシメは、熱いシャワーもいいけれど、やっぱり肩まで熱いお湯に浸かって、疲れを取りたい……バスタブになみなみと揺れる湯を見ながら、ふと思いました。
バスタブのことを日本語で「湯船」というけれど、なんで 「船」 がつくんだろう?
「浴槽」とかなら、字面も理解できるんだけど。
江戸時代、銭湯や共同浴場のない地域には、お湯を積んだ船が川縁にやってきて、庶民はそこでお風呂に入ることができたようです。
つまり、移動式の風呂 「湯船」という船が、 実際にあったわけです。
その名残……ではあるんですが、 「ゆぶね」 という“ひらがな”表記の言葉自体は、 平安時代の書物にも既に登場しており、発音に字を当てはめて意味を持たせたのが「湯船」 のようです。
ちなみに、「風呂」の語源は、諸説ありますが 、「
熱い蒸気で、温度と湿度を上げた密室で、汗をかくためにその「室」に入る……現代でいうところのサウナです。
「むろ」 が変化して「ふろ」という発音に変わり、「風呂」という当て字で、「お風呂」 になりました。
肩までお湯に浸かる「風呂」よりも、サウナで汗をかいてさっぱりする「蒸し風呂」の方が、歴史が古いらしいです。
江戸時代の公衆浴場は、ペリーが黒船で来日した時の記録 「日本遠征記」 の中でも記されていますが、熱気と蒸気を逃がさないために窓もなく、入口も小さめの狭い空間。電気もないため、照らすのはロウソクの灯だけ。照明がわずかしかない洞窟風呂のようなイメージでした。
当時は男女別々のお風呂という文化はなく、混浴が当たり前。
薄暗い場所、裸の男女……ってことは 「男女の出会いの場所」 みたいな役割を果たしていたのか!?
オイオイ、子供には聞かせられないタイプの話かーっ!?
俺、タイムマシンが発明されたらこの時代に行こうっと!
も、もちろん純粋な学術的興味だよ!
さて、薄暗い空間で裸の男女が……というのは公序良俗に反するということで、 江戸後期の幕府老中である松平定信は、寛政の改革 (1787年~1793年) で男女の混浴を厳しく禁止しました。
ですが、昔から続いた文化がすぐに廃れるはずもなく、 「湯浴み着」 などの文化もありつつ、現在でも一部の温泉で混浴文化は残っております。
すみません松平様。
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