第122話  「カラオケ」 は略語

 防音設備のある部屋で、気兼ねなく大声を出してマイクで好きな歌を歌う、ストレス発散できる「カラオケ」。


 日本で発明され、世界に広まった、偉大な文化です。


 一般的な歌謡曲などは、伴奏オーケストラと、人間の声による歌唱部分、2つの要素で成り立っていますが、人間の声の部分を取り除いて、伴奏だけにしたバージョン……つまり、声の部分が無く 「空っぽ」 にしたものに「伴奏」を残した曲が、空+オーケストラ、空・オケで「カラオケ」というわけです。


 1951年。 「歌のない歌謡曲」というラジオ番組で、 人気の曲の「オフボーカル版」 を流していました。

 

 1967年頃、根岸重一さんという人が「歌のない歌謡曲」を録音した素材を使って、ジュークボックスの原型を作ります。


 この時点で、放送業界では「カラオケ」という言葉が既に誕生し、使われていたそうです。

 (対義語として、歌唱している人の背後で、生演奏で伴奏をつけることを「生オケ」と呼びました)


 そして1968年に浜崎巖さんという人が、さらにそれを発展させて小型版を開発します。


 大阪の井上大祐氏は、工業高校の電気科出身で、卒業後は就職して仕事をしながら、好きな音楽で仲間とバンド活動をしていました。

 そして、前者の二人の 「カラオケ」 を整理し、1971年にカラオケ第1号 「エイトジューク」を開発します。

 

 スナックなどのお店に置く、レンタル専用の機械でした。

「カラオケ」は人気を得て、 あちこちで売れ、これがヒットして、 井上氏が権利関係をまとめ、 「カラオケの発明者」となります。


 世界中に「伴奏を耳にしながら、歌は自分で歌う=カラオケ文化」が広まり、「カラオケ」 の井上氏の知名度は国際的となりました。


  ドイツや中国で招待され 「カラオケの発明者」として講演を行ったり、 1999年、 アメリカの週刊誌「タイム」において、「今世紀最も影響のあったアジアの20人」 の中で、 日本人では昭和天皇や黒澤明監督と並んで、井上氏の名前も取り上げられました。

 他にはガンジーや毛沢東というラインナップにおいて、カラオケの発明者が名前を連ねているというのは、それだけ世界中でカラオケが愛されているという証拠なのでしょう。


 現在では、アメリカの著作権利局に 「KARAOKE」 は登録され、 法的に権利は守られていますので、類似した装置を作ることはできません。


 ちなみに、中国語でもカラオケは 「カラオケ」という発音で通じるのですが、「オケ」の部分はアルファベットの「OK」 と書きます。

 発音を優先したゆえの当て字。

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