第101話 未発表の芸術家、ヘンリー・ダーガー<後編>
身寄りのない下宿人が残した奇妙な代物。それは、膨大な量の小説。
普通の大家なら、捨ててしまう「ごみ」だと判断したかもしれませんが、幸運にも、大家のネイサン・ラーナーは写真家・デザイナーという面を持っていました。それゆえに、ヘンリーの残したものを「芸術品」だと判断します。
ヘンリーの「遺作」を発表すると、孤独な男が遺したファンタジー世界に、人々は大いに関心を持ったのです。
ヘンリー・ダーガーが下宿で40年間、いえ、そこの下宿に住み始める前から執筆活動は始めていたらしいので、40年以上もの間、コツコツと書き続けたのは、『非現実の王国で』という小説でした。
正確なタイトルは『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語』。
内容は、子供奴隷制度が存在する「グランデリニア」という軍事国家を舞台に、ヴィヴィアン・ガールズという7人の少女たちが戦う、いわゆる「戦闘美少女」もののファンタジー戦記です。
仲間が容赦なく殺されたりする唐突な残虐シーンがあったり、時には、ヘンリー・ダーガー自身が作中に登場して、登場人物と会話を交わすなどメタな描写もあったり、そういう概要や設定を聞くだけでも「えっ、なんか面白そう!」という気もしますが、残念ながらその「多すぎる文量」がネックとなって、外国語への翻訳はされておらず、原語である英語での出版物もありません。
(ただ、ヘンリー・ダーガーの生涯に迫ったドキュメンタリー映画の中で、そのおおまかなストーリーは紹介されています)
近年でも「アウトサイダー・アート」として、さらに再評価されているヘンリー・ダーガーの作品。
人付き合いもしない孤独な男が、誰にも公開しない、自分の中だけの「もうひとつの世界」を小説として延々と書き続ける……それは、どんな気持ちだったのだろう、とヘンリー・ダーガーの人生に想いを馳せると、どうも感傷的な気分になります。
「小説」とは何か。
「創作」という行為は、何なのか。
発表しなければ、「自己表現」とは異なるのか。
人に見せて批評や感想をもらう「意味」とは。
そんなことを考え始めると、ぐるぐると思考の沼にはまり込んだりして。
もしも、ヘンリー・ダーガーの時代に、ここのような「小説投稿サイト」があったら、作品を発表して、その独特な世界観に人気が集まり、ランキング上位が固定位置となって、脚光を浴び、出版化されたりしたのでしょうか?
それとも……やはり、「誰にも明かさない、秘密の趣味」として、自分の中だけで完結し、密かに執筆していたのでしょうか?
逆に、もしも自分が、「インターネットのない時代」に生まれ、小説を発表する場所がどこにも無いまま、それでも「書きたいこと」「書きたいという衝動」があったとしたら……それでも自分は、書くのだろうか? 書き続けるのだろうか?
ヘンリー・ダーガーのように、一生、それができるだろうか?
自問自答して、深く考えてしまうのです……。
うん、それでも、きっと、書くのかもしれないなあ……やっぱり、好きだもんなあ、とか、そんなことも思ったりして。
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