第100話 未発表の芸術家、ヘンリー・ダーガー<前編>
なんと、この雑学エッセイも、今回で100回目!
今年の2月から約1日おきで、偶数日更新、もう半年もやってたんですねえ……読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございます!
100回目記念として、以前からガッツリ書いてみたかった、ヘンリー・ダーガーについて、取り上げてみようと思います。
ここのような小説投稿サイトにコツコツ書いて発表している皆さんは、やっぱり「書いたからには、誰かに見てほしい、読んで評価してほしい」という“衝動”を持っていると思うのです。
(あわよくば、自分の書いた文章で、小遣い稼ぎをしたり、職業になればいいな、とか夢を抱きながら)
一生「誰にも見せない作品」を書き続けることは、できますか?
発表するつもりのない小説を生涯に渡って書き続け、死後にそれが発見され、世間から評価された人物。
それが、ヘンリー・ダーガーです。
1892年、アメリカに生まれたヘンリーは、教育熱心な父から読み書きを習い、小学生に上がる前には、既に新聞を読み、読解力に優れていた少年でした。小学校の学年を飛び級したという話も残っています。
ただ、その人生は壮絶です。
幼い頃に母親が病死、そして8歳の時には父親が体調を崩し、ヘンリー少年は施設に預けられます。
小学校では教師と論争するほど知的能力が高かったヘンリーですが、施設では周囲とうまく馴染めず、問題児のレッテルを貼られた挙句に、精神薄弱児施設の方へと移されます。
(後で語った話では、移った施設で虐待に近い扱いを受け、地獄のような毎日だったようです)
15歳の時に、入院していた父が亡くなったと聞かされたヘンリーは、ショックで施設から脱走。
その後、職も住居も転々としますが、1922年、ヘンリーが30歳の時に、独身者用の下宿を間借りしました。
そこからは、病院の清掃員として、同じ仕事を40年以上続けます。
70歳を過ぎて老人ホームに移るまで、40年間、質素で狭い下宿部屋で生活しました。
大家のネイサン・ラーナーとは世間話をしたり、ごくたまに食事を共にすることもあったようですが、ヘンリーの私生活は謎に満ちていました。
友人も恋人も作らず、生涯独身で、孤独でした。
他人を自分の部屋に招き入れることがなかったので、中で何をしているのか、趣味は何なのか、大家や、同じ下宿の住人たちは、誰も知らなかったのです。
身なりはホームレスのようにみすぼらしく、服装はいつも決まった「汚れた軍用コート」。
壊れた眼鏡に、絆創膏を貼って直して使っていました。
ごみ捨て場からごみを漁っている姿も目撃されており、人付き合いは悪く、大家のネイサンのもとに「あいつを追い出してほしい」と苦情が寄せられることも一度や二度ではありませんでしたが、そのたびにネイサンは「そっとしておこう」と窘めたそうです。
ヘンリーは81歳の時、老人ホームで生涯を終えました。
大家のネイサンに、「私の部屋に置いてあるものは、すべて処分してほしい。あなたに任せた」と言い残します。
ネイサンがヘンリーの部屋を片付けるためにドアを開けると、床が見えないほどの大量の新聞紙、雑誌、ごみの山でした。
整理していくうちに、大きな旅行鞄の中にしまってあった、15冊の本と、3冊の画集を見つけます。
それは、ヘンリーが誰にも明かさなかった、秘密のライフワークでした。
原稿用紙換算で1万5千枚を超える文量を、コツコツと書き続け、自分で製本した、長い長い「小説」と、その世界観を説明する図解だったのです。
次回に続く。
(ボリューム多めになっちゃったので、前編・後編に分割します)
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