第68話 グラハム・ベルは電話を置かない
電話の発明者としてその名前が知られる、イギリスのグラハム・ベル。
現在でも、電磁波や音の単位「デシベル」などに名前を残しています。
フルネームは、アレクサンダー・グラハム・ベルで、親しい人には「アレック」と呼ばれていたそうで。
さてこのアレックさん(親しくないのに呼んじゃった)、幼い頃から他人の声真似や腹話術が得意で、聴覚障害のあった母親のために手話を覚えたり、「音や声、コミュニケーション」などに強い興味があったらしく、それが将来の発明のきっかけ、ライフワークとなっていったのでしょう。
アレックさんは大学教授となり、電話を発明。
特許を取得する時には、イライシャ・グレイという発明家も似たような発明で特許申請をしており、バチバチに裁判で争った結果、アレックさんが勝利。
イライシャ・グレイは敗北し「電話の発明者」として名前を残せませんでした。
(ですが、このグレイさんも現在のシンセサイザーの元祖である「電気信号を音に変換する楽器」を発明しています。けっこーすごい人)
電話を発明した当時、1876年にアメリカに留学中だった日本人官僚の伊沢修二と金子堅太郎は、発明の噂を聞きつけて、アレックさんの住居を訪問しています。
記録によると「その家はボストン北部にある中流以下の住宅街にあり、思わず尻込みするほどの貧しい雰囲気で、屋根裏にあったベルの部屋も飾り気ひとつない殺風景なものだった」そうです。
質素な生活の中で、発明や研究に没頭していたのでしょうか。
実用化に向けてスポンサーを探していたアレックさんは「外国人が興味を持ってくれたこと」に喜び、二人の日本人に離れた部屋で電話機の通話デモンストレーションを行わせています。
顔が見えない相手の声が、そのまま聞こえることに、二人は大層驚いたとか。
アレックさんは、電話を発明したほか、金属探知機の発明や、船や航空の分野での研究にも貢献しています。聴覚障碍者の支援のため、聾学校での教育にも従事しました。
まだ幼かったヘレン・ケラーとも知り合っています。意外なリンク。
自分の部屋には、氷にファンで風を当てて室内の空気を冷やす、クーラーのような装置を作ったり、音声を記録するために磁気媒体に残す方法(テープレコーダーやフロッピーディスクみたいな)も作っていますが、「大したことじゃないや」と特許を取るに至っていません。
また、自分で「電話よりも重大な発明」「この原理の発見こそ、自身では最大の発明」と誇っていたのが、「ソーラーフォン」。
電波による音声通信ではなく、光のビームを使った通信装置で、現在で言うところの「光通信システム」の先駆けを完成させています。
ただ、あまりにも早く特許を取り過ぎて、この原理が広く使われる前に、特許の期限が失効してしまいました。
天才の価値観って、超越しすぎて独特なのかな……?
アレックさんは、自分で電話を発明しておきながら「仕事を妨げられたくない」として、自分の書斎には決して電話機を置かなかったそうです。
彼のもっとも有名な発明が、「科学者としての本当の仕事には、余計なものだった」と考えたとか。
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