第45話 ゴールデンウィークを作ったのは誰?

 世間ではゴールデンウィークに突入し、「今年は最大9連休!」など言われていますが、私はそういう休日・祝日とは一切関係なく、フツーに会社に行って、フツーにお仕事してます。代わりに平日に休ませてもらってるので、いいんですけどね、別に……(ため息)。


 さて、4月下旬から5月上旬にかけて、国民の祝日が集中し、一番長い大型連休を「ゴールデンウィーク」、略称「GW」なんて呼びますが。


 この言葉が使われ出したのは、1951年(昭和26年)から。


 映画会社が「もっと映画を観に来て!」とキャンペーンを打ったのが始まりです。


 従来、映画館にとってお客さんのかき入れ時は、お正月興行・お盆興行の1月や8月あたりでした(国民的映画「男はつらいよ」シリーズも、この時期に公開されていました)。


 大型連休期間に上映した「自由学校」という映画が、予想外のヒットを上げたことに、映画製作会社「大映」専務の松山英夫氏が着目しました。


 この「自由学校」という映画の面白い点は、「松竹」と「大映」というふたつの映画製作会社が、ひとつの小説を原作として、まったく同じタイトルで、違う内容の映画をそれぞれ作って、同じ時期に公開したこと。

 いわゆる「競作」というやつですね。

 そんな話題性もあり、多くの人が興味を持って見に行ったことも、ヒットにつながったのでしょう。


 もっと大勢のお客さんに見に来てもらおう、と松山専務はキャンペーンを打つことにしたのです。


 当初は「黄金週間」という名前で始めました。


 ですが、それではインパクトが弱いということで、ラジオでもっとも聴取率が高い時間帯を「ゴールデンタイム」と呼ぶことに倣って、「ゴールデンウィーク」と変更されました。完全に「和製英語」であり、英語圏では通じません。


 現在では、テレビ業界でも視聴率が高い時間帯「ゴールデンタイム」という言葉が定着していますが、大型連休の「ゴールデンウィーク」という名前は、“ラジオ”の「ゴールデンタイム」からの引用だったんですね。

 

 昭和20年代では、まだ一般家庭にテレビは普及していませんし。

 NHKのテレビ初放送が1953年(昭和28年)。当時発売された白黒テレビも、1台でサラリーマンの平均年収に近い価格。一部のお金持ちは買うことができましたが、庶民がテレビを買うにはまだ手が届かず、街頭テレビで見ていた時代です。


「ゴールデンウィーク」という名称の由来として、マルコ・ポーロが『東方見聞録』の中で、日本を「黄金の国・ジパング」として紹介し、日本を訪れたのが5月の上旬であったことから、黄金の週……という俗説もあるようですが、こちらは後年の後付けのような気もします。


 今ではすっかりゴールデンウィークの名称は定着し、旅行会社や観光地も、この時期にめがけてイベントを催すようになりましたが……私は今日も仕事です……。


 皆さんは連休を楽しんで下さい!




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