黒歴史

川上龍太郎

まさかこんなところで会うなんて

「よしっ」


下宿先のアパートを出て、30分に一本の電車に乗り、大学へ向かう。

今日は大学に入って初めての講義の日だ。


「おはよ!城山」

「お、おはよ、小林」


桜の散りかけた校門前で、俺は昨日知り合った同じ学科の男と出会った。

少し緩めのズボンとシャツを着て髪も短め。

全体的に高校生感が残るヤツだ。

・・・俺も人のことは言えないが。


「今日ってさぁ、最初の授業は共通教育だよな」

「うん。そう」


共通教育は大学1年生が、学部や学科に関係なく好きな科目を選べる講義だ。


「俺さぁ、哲学選んじまったのよ」


歩きながら小林がポツリと呟く。


「マジか。あれ単位とるのムズイって噂だぜ」

「だよなぁ。お前は何選んだよ」

「俺は地域の歴史ってやつ」

「それラクなのか?」


俺は小林の方を向いてニヤリとした。


「めっちゃラクらしい」

「おい!言ってくれよ!」

「すまん、すまん。まだ選択する時は知らなかったからさ」


共通教育は科目ごとに難易度が違い、学生は皆ラクな講義を取りたがる。

だが選択の時にはまだ知り合いが少なく、誤った選択をする者も少なくない。

とはいえ、ラクな講義を知らないのは俺も同じだった。

ではなぜ「地域の歴史」を選んだのか。

それは単純に学生生活を過ごす、この街の歴史に興味があったからだ。

そう、俺はいわゆる意識高い系の人間で、勉強は真面目に取り組むタイプ。

ゆえに高校時代はちょっと苦しい、というか恥ずかしい思いをした。

だから大学生活では調子に乗らず、普通の人間を振る舞い、良好な人間関係を築こうとしている。

そして、どうやらここまでそれは成功しているようだった。


「授業に知り合いいる?」

「哲学にしたのは、他の学科行った高校時代の友達がいるからなんだ。チクショー、あいつめぇ」


立ち止まって頭を抱え、悔しそうにしている。

俺は鞄に入れていたポッキーを取り出すと、一本を小林にあげた。


「ま、これで元気出せよ」

「おー、サンキュー」


自分も食べながら歩いていく。


「いいじゃん。俺は誰も知ってる人いねぇよ」

「たしかに一人ってのもつらいな」


入学以降、説明会などで学科の人間と話したくらいで、大学の知り合いはまだ数人しかいなかった。

そして小林含め、彼らも知り合ったばかりだ。

高校時代の知り合いが少ないだろう、というのもこの大学を選んだ理由の一つなので、地元のヤツがいないのは当然のことであった。


「じゃあな。2限の学科の授業で会おう」

「ああ。頑張ろうな」


俺と小林は、お互いに別の講義等へ向かって別れた。




講義室に入ると、新入生っぽい人たちが集まっていた。

ほとんどは知り合いがおらず一人か、まだ知り合ったばかりの者同士のぎこちない会話をするヤツらのどちらかだ。

黒板には苗字を並べた座席表が貼ってある。

どうやら指定席らしい。

もっとも、五十音順で横に並ぶため自分の名前は見つけやすい。


「ん、前から3列目かっ・・・!?」


名前は見つけたが、自分の真横の名前を見て固まった。

その名は「清水」。

記憶に深く刻まれたある一人の女の苗字と同じだった。

待て待て、清水なんてよくいる名前じゃないか。

自分をそう納得させ、自分の席へ向かおうとした。

だが、その隣にいたのは・・・。


「し、清水・・・」


美しく長い黒髪に、透き通るような白い肌。

そしてこちらを凝視する瞳。

どれも見覚えがあるどころではなかった。


「久しぶりね。城山くん」


その凍り付いたような声に、俺は血の気が引くのを感じた。




俺は高校まで成績優秀で通ってきた。

運動だってそれなりにできてきたし、入っていたバスケ部でも常にレギュラーだ。

そして、それらは全て自分の努力の結果だと信じて疑わなかった。

逆に周囲のできない人間は努力のできない人間だと見下してもいた。

高3になったとき、隣の席になった人の名は清水といった。

コイツとは、その前の年も同じクラス。

物静かで誰かに話しかけることもない。

にもかかわらず、人が寄ってくるのはその美貌ゆえだろうか。

それとも大した努力もせず勉強も運動もこなしてしまう、その才能ゆえだろうか。

俺はこういった人間がとても嫌いだった。

ある日、模試の結果が返ってきた。


「清水、どうだった?」


単純な好奇心で俺は結果を聞いた。

清水はあまり浮かない顔で答える。


「ん。あんまりね」

「どれどれ」


机の上の紙を覗き込んだ。


「あ!ちょっと」

「えー、これやばくね」

「・・・」

「まぁ俺の点数はこれなんだけどさ」


自信満々で俺は点数を見せた。


「その大学行くなら、もうちょっと勉強したほうがいいんじゃない?」


その言葉を聞いた清水は明らかにイラついた様子だった。

その姿は俺をさらに愉快にさせた。


「私だって勉強はしてるわよ。でも・・・」

「英語が特にできてないけどさ、英語なんて英単語と文法さえ分かってればそこそことれるわけ。毎日やってる?」

「・・・」

「ま、そういうことだよ」

「・・・」


俺は無言の清水を言い負かした気になってその場を立ち去った。




それから夏が過ぎ、秋が過ぎ、年を越した。

俺たちは本番の共通テストを受け、次の登校日に学校で自己採点をした。

その点数を見て、俺は絶望していた。


「何なんだよ、これ・・・」


そこにはどの模試でも取ったことがないほど最悪な点数があった。


「城山くん、どうだった?」


いつの間にか、席の前には清水が立っていた。


「ん。まぁまぁかな」

「どれどれ」


俺の結果を覗き込む。


「あ、おい!」

「あら。これまずいんじゃないの?」

「ちょっと!勝手に!」

「まぁ私の点数はこれなんだけど」


清水が自分の結果を見せる。

俺のより100点高い。

その点数は俺が模試で1番点数が良かった時のものと同じだった。


「違っ!これは、本番がたまたま上手くいかなくて・・・」

「本番できなくてどうするの?」

「・・・」

「まぁ、そういうことなのよ」

「・・・」


俺が何も言い返せずに黙っていると、周囲のどよめきが聞こえてきた。


「え、城山大した点とれなかったんだ」

「あんなに偉そうにしてたのにな」

「ちょっとウケる」


俺はそこで初めて気づいた。

今まで自分だけが正しいと考え、相手を言い負かしてきたと思っていたが、周囲はそう捉えていたのではなかったのだ。

テスト結果への絶望と周囲の嘲笑に耐えられず、俺はその日早退した。

それどころか、卒業までほとんど登校することはなかった。

そして清水とは、この自己採点の日を最後に、話すことはなかった。




講義室で声を掛けられた俺は、急速に頭を駆け巡った記憶とは対照的に固まったままだった。


「どうしたの?白山くん」

「あ、ああ。久しぶり、清水」


俺は頭が真っ白なまま隣に座る。

教室内は、知り合ったばかりの新入生たちがぎこちないムードを形成している。

だが、俺たちの間にはそれとはまったく異なるぎこちなさがあった。

やがて教授が教室へやってきて、授業が展開された。

この講義の中身は、この大学の周辺の歴史の講義を聞き、最後に期末テストの代わりにグループでそれらについて興味を持ったものを発表するというものだった。

なるほど、これは確かに楽な授業だ。

哲学は持ち込みナシの筆記テストらしいから。

けれども、俺にとっては地獄のような授業だ。

隣との空気はひどく冷え切っていた。


「では、隣の人とこの遺跡について知ってることを話し合ってみようか」


教授が会話を促す。

皆が徐々に話し始めた中で、俺はちらりと横を見た。

清水と目が合う。

とりあえず、何か授業について話さないと。


「えーっと、知ってた?これ。貝塚か」

「しらないけど」

「・・・」


会話はすぐに終了した。

結局講義が終わるまで、俺たちが会話することはなかった。




「おーい、城山」


哲学が終わったらしい小林が教室へ入ってきた。


「次のとこ行こうぜ」

「・・・行くか」

「ん?なんかあったか?」

「なんでも」


俺は清水をチラリとみた。


「じゃあ、また」

「・・・ええ」


一応返事をした清水を置いて、俺はそそくさと部屋を後にした。


「おいおい。めっちゃかわいいじゃん。知り合い?」


歩きながら小林が聞いてくる。


「まぁな」

「羨ましい!俺にもそんな知り合い居たらなぁ」

「でも俺は嫌われてるぞ」

「なんでだよ」

「いろいろあったんだよ」


納得いかなそうな顔をしたが、これ以上聞くのはさすがに悪いと思ったか、この話題はここで終わった。




「じゃ、また明日な」

「おお」


気づいたら帰る時間になっていた。

今日はあの時から上の空だった。

重い足取りで階段へ向かう。

そして降りようとしたときだった。


「あっ!」


声とともに何冊か教科書が落ちてくる。

それらはどれも新品だった。

持ち主は新入生か。

俺はすぐに拾い上げた。


「はい、どうぞ・・・」

「・・・どうも」


相手はまたしても清水だった。


「奇遇ね」

「ほんとにな」


僅かばかりの沈黙が訪れる。

しかし、俺には清水に聞きたいことがあった。


「どうして、この大学なんだ。あの点数ならもっといいとこ行けたはずだ」


それは今日清水と目が合ったときから抱いていた疑問だった。


「二次試験ができれば、の話ね。私には厳しかった。だから親戚の家に近いここを選んだの」

「そうか」

「あなたは逆に二次試験はできたのね。でなきゃこの大学も無理よね」

「まぁ、そういうことだな」


そして、もう一つ言いたいことがあった。


「・・・あのな、清水。あの時は悪かった。ごめん」

「別に気にしてないわよ」


しかし、「あの時」だけで分かるということは記憶に刻まれている証拠だ。


「なぜ気にしていないかといえば、もともとあなたが嫌いだったから」

「はぁ?」


思わず声がでてしまった。

久々に清水に対しての怒りが湧いてくる。


「俺も気にしてない。俺も最初からお前が嫌いだった」

「あら。私がなにかした?」

「っ!」


あんなにあからさまにやり返しておいて、忘れているわけがない。

その証拠に少し口元が緩んでいる。

ポーカーフェイスの仮面が剥がれ、性悪の素顔が見えかけていた。


「そういうところだよ!俺が必死にやっていることも、お前は簡単に成し遂げていってしまう。俺は周りと上手くやろうとしても空回りするのに、お前は素っ気ない態度でも周りから好かれる。俺は、お前を見ていると、自分が情けなくて惨めになる」

「・・・」


何を言ってんだ俺は!

コイツを前にすると、いつも自分が冷静でなくなる。

こうして何度も恥ずかしい思いをしてしまう。

またバカにされるだろうか。

それとも呆れられるだろうか。


「私も・・・」


小さな声を聞いて、ふと顔を上げると、いつもの無表情が戻っていた。


「私も、いつも真剣に何かしているあなたが嫌いだった。いつでも中心になってみんなを引っ張って。最初はみんな嫌がっていても、結局あなたについていった。私は、あなたを見ていると、自分が空っぽで、周りに流されてばかりだと気付かされて、嫌になる」


清水は少し俯いてそう言った。


「そんなことねぇよ」

「え?」


気づいたら、俺は反論していた。


「本番のテスト、いくらお前でも、ちゃんとやらないとあの点は取れないって。それに、気づいてないかもしれないけど、俺を煽ってくるとき、いつもニヤニヤしてるぞ。そんな人間が空っぽで流される人間だと思えないけどな」

「・・・確かにそうね。でも、あなたは惨めで情けないけれど」

「うっ・・・」

「もう少し謙虚さを学んだらどうかしら。それともそれは高校のときに学習済み?」


今度はまた、表情が変わっている。

どうやら俺をからかってご満悦のようだ。


「・・・もう満足か?」

「いいえ。まだあなたから受けた心の傷が癒えていないの」

「はぁ?」

「そのカバンから覗いているポッキーを私にくれたら、治るかもしれないわ」

「お前なぁ」


確かに鞄からパッケージが顔を出していた。


「ほら」


袋を差し出した。


「どうも」


そう言った瞬間、清水は袋ごと掴んで走って去っていく。


「あっ!ちょっ!待てって!」


相変わらずの運動神経だ。


「電車、遅れるわよ」


腕時計を見ると、駅に向かわなくてはならない時間だった。

あいつはそれも分かった上での行動だったらしい。

そういうところが嫌いなんだ。

俺は大人しく駅へ向かった。




「あれ、城山?」


駅には小林がいた。


「あれ、小林歩きなんじゃ?」

「そうなんだけど、電車乗った方が楽かと思って、ちょっと戻って駅に来たんだけどさ。ここ30分一本しか電車来ないのな。びっくりだよ」

「まぁ田舎だからな」

「そんなことより」


小林が顔を覗き込んでくる。


「なんかいいことあった?」

「なんで?」

「ニヤニヤしててキモイぞ」


バッと顔を手で隠す。


「そんなわけ・・・」

「そう恥ずかしがるなよ。今度は顔が真っ赤だぜ」


アイツのニヤニヤがうつったかな。

そう思いながら俺は、追いかけてくる小林から顔が見えないように、ホームを逃げ回った。

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