第8話 一泊二日温泉旅行 ③
明かりの消えた部屋。夜のしじまの中布団から飛び起きる。
「うわっ!どうした同志?」
ガバっと布団から出る音に驚き兎も起きる。
「起こして悪い。少し話さないか?」
「あ、ああ。兎は構わない。」
広縁で先に待っていてもらった兎のもとに、徳利に入った燗酒とおちょこを2つ持参し、卓上において椅子に腰掛けた。
「待たせたな。」
「待っていない。ところで何だそれは?」
兎は卓上の酒器を指さしていった。
「熱燗だ。温めた酒が入っている。夜は冷えるからな。」
部屋の灯は消したままだ。窓の外を見ると、もうすっかり温泉街の明かりも消えていた。兎と出会って数ヶ月、今はもう冬だ。雪こそ降っていないが、この地域も浴衣に羽織だけでは肌寒い。
「そうか。ありがとう。では乾杯しよう。」
「「乾杯。」」
おちょこが割れないように優しく合わせる。そして外を眺めながら酒に口をつけた。
ゆったりとした時間が流れる。なんとなく気になって兎の方を見ると、兎のきめ細やかで白い肌が柔らかな月明かりに照らされていて目を奪われた。端正な横顔に目を離せないでいると、兎が視線に気づいたようでこちらを見た。
「この酒、美味いな。何者だ?」
「この店の売店にあったやつの中で一番良いやつだ。」
「奮発したな、同志。ブルジョアだ。」
「お前ほどじゃない。……今日のお前のエスコート、最高だった。ありがとう。」
「同志……!兎はその言葉が聞けて嬉しいぞ。」
そう言って兎はおちょこに入った酒を飲み干した。そしてまた徳利から注ぎ直した。
「兎は今気分がいい。こんなに楽しい酒は初めてだ。」
「そんな気分がいい兎に聞きたいんだが。」
「いいぞ。何だ?」
「何で俺を旅行に連れて行ってくれたんだ?」
「出発前に言った通りだ。兎は同志に礼がしたかった。」
「それにしたって手厚すぎないか?」
費用も兎持ち、プランも兎が考えた。宿を探すときだって簡単には諦めないで探し回ってくれた。俺にそこまで兎に貸しがあるとはとても思えない。
「そんなことはない。……兎はお前と出会ってから与えられてばかりだった。ずっと同志に助けてもらっていた。病気のときも、仕事のときも、生活のときも、辛いときも。」
「同志はたとえ兎に貸しがなくても、価値がなくても一緒に居たいと言ってくれたな?」
「ああ。それは今も変わらない。」
俺は兎が好きで一緒にいる。見返りを求めているわけじゃない。
「それでも。いや、だからこそ兎は同志にとって価値のある存在になりたかった。旅行は同志に楽しい時間を与えられる存在になろうとした結果だ。」
「……そうか。」
「兎、俺は確かにお前に価値がなくても一緒にいたいと言った。」
「同志?」
表情が強ばる。兎は心配そうだ。もちろん杞憂になる。
「だがお前に価値がないなんてこれっぽっちも思っちゃいない。」
「!!」
「それからお前は与えられてばかりだなんて言っていたが、万年ブロンズの俺をたった数ヶ月でゴールドにしたのは誰だと思う?お金さえあれば安心できると思考停止して、無心に仕事に打ち込むだけの生活から救い出してくれたのは?無味乾燥な人生を変えてくれたのは?」
「全部他ならぬお前だ、兎。」
「いや、その、兎はそんな……。」
胸の内に漠然と思っていたことをなんとか言葉にして兎に伝えた。兎は混乱しているのか、しどろもどろな返答をした。
「いいや、お前のおかげだ。もう俺はお前無しの生活には戻れない。これからも兎の同志として一緒に居させてくれないか?」
素直に言葉を紡いだ。
「最近の同志はその、素直だな。」
兎はうつむいて頬を掻いている。照れているときに出る癖だ。
「兎の影響だ。……返事を聞かせてくれないか?」
そう言われた兎は少しの間葛藤してから口を開いた。
「……兎も同志が大好きだ。ずっと一緒にいたい。……兎のたった1つの願いだ。」
「絶対叶えてやる。約束する。」
兎の願いを絶対に聞き届けると心の中で決意した。
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