第6話 一泊二日温泉旅館 ①
人の噂も七十五日。あの日の翌日ギルドに行くと好奇の目で見られたが、いつの間にやら人の興味も移ろったようで、数ヶ月経った今では周りの態度も元通りだ。……俺個人としては話は別で、風呂に入っているときや寝る前に目を瞑るとあの時の記憶が蘇る事がある。心臓に悪い。
そんな数ヶ月の間、俺達は力をつけゴリラデーモンゴリラに雪辱を果たすことが出来た。その後も順当に依頼をこなしていき、遂に先日ゴールドクラスの傭兵になった。ブロンズの頃から殆ど生活水準は上げていないのでお金にも余裕がある。今日は装備を修理に出しており仕事も休みなので家でくつろいでいた。
「同志。」
兎は二人がけのソファーを占領し、雑誌を読みながら横になっている。肘置きを枕にしており、長い耳がソファーの外に垂れている。
「何だ。」
「旅行に行こう。兎の奢りだ。」
「行くか。」
「今日は素直だな。病気か?旅行にいけなくなるなぁ。」
「……。」
「いたぁ!!!!」
思わず垂れ下がっていた兎の耳を電気の紐のごとく引っ張ってしまった。
「痛いぞ同志。何をする。兎のこと好きなんじゃないのか?」
「痛ぁ!!!!」
不意に心を抉る記憶に悶え苦しんだ。本当に雪ぎたいのはセルフ辱めを受けた忌まわしい記憶だ。
「大丈夫か同志?それで、なんで乗り気なんだ?」
兎の声で我に返る。深呼吸をしてなんとか平静を取り戻した。
「この間ゴールドになっただろ?依頼の後はくたびれていて祝いどころじゃなかったからな。静養を兼ねて旅行するのもいいと思っただけだ。」
「そうか。なら今から行こう。兎はここがいいぞ。」
そう言って兎は雑誌のページを指差す。指し示されているのは温泉街の大きな旅館だ。『都会の喧騒と距離を置こう』『極上の非日常』『料理、絶景、温泉、あなたのすべてが叶う場所』……ご大層なキャッチコピーが並んでいる。
「じゃあそこ行ってみるか。」
各々旅行かばんに着替えなどの荷物を詰め込む。一泊二日の予定だから大して量はない。すぐに終わりそうだ。
「同志は旅行に行ったことはあるのか?」
兎が目を輝かせながら言った。
「あるぞ。孤児院で一度だけな。」
孤児院の先生に引率されながら一度だけ行った事がある。孤児院の財政は芳しくはないし、小さい子の面倒を見るのに残る者も必要だった。だから俺は留守番でいいと言ったのだが、先生は『お前みたいな捻くれたやつほどこういう経験はしたほうがいい。』と笑って連れて行ってくれた。
「楽しかったか?」
「ああ、お前も楽しみにしておけ。」
「言われるまでもない。初めての旅行だからな。兎は今日のために旅行かばんを買った。」
そう言って兎はトランクケースを見せてきた。素人目にも高級感が見て取れる。買ったばかりの白いケースには汚れや傷の一つもない。
「それと……」
「楽しみにするのは同志、お前もだ。いつも兎を支えてくれる礼だ。旅行をエスコートしてやるぞ。」
そう言って兎は胸を張った。初めての旅行で何故そんなにもエスコートに自身があるのかは分からない。でも何故か旅行は絶対に楽しいものになる気がして、兎がとても頼もしく見えた。
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