第六十九話 母親

 帝都の城壁の上。そこは誰もいない、とても静かな場所だ。広大な帝都に数千しか住んでいない以上どこも静かであるが、ここは群を抜いてそう。

 だからサフランはここにいた。


「…………あの向こうに、幸せはあるのかな」


 サフランの目はずっと向こう。この世界を取り囲む果てを見つめていた。

 捻じれた空間の壁は、一度立ち入れば流されて二度と帰ってこれない絶望の渦だ。だが今のじわじわと死へ向かっている現状を考えると、それに希望を見出したくなる。


 ここにきておおよそ二年。サフランの心は徐々に削られていた。


「あーあ。……ボクがもっと強かったら良かったな」


 もしメルティアと同じ強さを持っていたら。全てを解決して、誰も死なさずに平和をもたらしていただろう。

 だがサフランでは沢山取りこぼして、必死に取り繕って、ボロボロの平和をもたらす事しかできない。


 そんな自分の不甲斐なさに一人になって泣きたくなる。だからここにサフランはいた。


「…………」

「んー。……なんか用?」

「いや……特に」


 そうやって果てを見つめていれば、背後から気配を感じる。

 それはサフランの上司であるドルトンであるが、特に驚く事なく問いかけた。


「お前が、大丈夫かって。気になっただけだ」

「ボクは大丈夫だよ。折れたら終わる。だから折れない」

「……そうか。強いな」

「弱いよ」


 サフランの持つ心の強さ。長年生きてきたドルトンにもないそれに、年甲斐もなく感動してしまう。

 そんな少女に甘えて頼る現状に、また彼も誇りを失った。


「なんでそんなに頑張るんだ? 三種族をまとめて、守って。平和を作って。そんなんじゃなかっただろ」

「……そうかな? そうかも。なんでだろう」

「分かんねえのか?」

「ううん。ボクの好きな人が、それを望んだからかな」

「へっ……!?」


 何んとなしに言われたサフランの言葉に、ドルトンは目を見開いて驚いた。


「な、な、何言ってんだ?」

「……二回も言わせんなよー。ボクだって乙女なんだけど」

「いや、まあ……そうだけど」


 突然でてきたサフランの少女ではない一面。憂う女の横顔に、ドルトンはなんと言って良いか分からなくなった。


「か、……変わったな」

「そう? ボクはボクのままだよ。ただ、ボクの中のもう一人が、暴れてただけ」

「もう一人?」

「お前もさ、変わってない? 異種族を殺せ、とか。戦えとか。ずっとそんなんだったじゃん」

「っ……そう、だな。思えば、昔抱えていた強烈な思いがない」


 ドルトンもドワーフ軍のトップとして、敵を殺す事。殲滅する事だけが目的だった。それが喜びだった。

 だがサフランの言葉で見つめなおせば、その思いがどこかへ消えている。まるで別人になったかの様に。


「誰かが作った自分。誰かが望んだ戦い。それに踊らされて何千年。ボク達は、解放された。それだけだよ」

「……なにか、知ってるのか?」

「うん。まあ、めんどくさい話だからなあ」


 神の事。この世界の秘密。それを一から説明できるほど、サフランに余裕はない。

 今自分が抱えるものだけで精一杯なのだ。


「そうかい。じゃあ聞かねえよ」


 それを覚ったドルトンは何も言わずに、サフランの横に腰を下ろした。


「なに……?」

「あんま抱えるなよ」

「……抱えるよ。ボクがやらないといけないんだから」

「そう、だけどよ……」


 サフランの存在一つでなりたっている箱舟。抱えないなんて無理な話しで、抱えてあがき続けないと崩壊してしまう。

 それを理解してるから、サフランは全部抱えて歩んでいた。


「ダリアさんそっくりだよお前は」

「誰……?」

「お前の母親だ。今のお前は、ダリアさんと瓜二つだ」

「ふーん……」


 そう言われても、サフランにとって母親とは良い存在ではない。

 己の手で殺してしまい、声も顔もしらない。名前すら知らない、封じられた存在だからだ。


「確かにあの人は英雄相応の心を持っていた。誰よりも優しくて、強い人だ。全てを背負って、先頭に立って。戦い続けた。ドワーフ一の戦士だよ」

「そう…………」


 母の凄さを知れば知るほど、サフランに湧くのは罪悪感だけだ。

 そんな人を殺してしまった。己の力を制御できないばかりに犯した罪が、ジクジクと心を抉る。


「……あの人は分かってたよ。自分が死ぬのをな」


 だがドルトンの一言は、サフランの心を大きく揺らした。


「え……?」

「お前を産めば自分が死ぬ。そう、悟っていた」

「っ……なんで?」

「言っていたのはただ、お前が幸せになれるかって事だけだ。母なくして幸せになれるのか。それをずっと心配していた」

「う……嘘だ」


 サフランにとって母とは禁忌すべき存在だ。母は必ず恨んでいるはずだからだ。この世でもっともサフランを恨んでいる存在のはずだ。

 父も母の話はしなかった。それが余計、サフランの中で生まれた偶像を増長させる。


「それを俺にだけ話した。他に話せば、堕ろす事になると理解してたからな。お前の親父にも話さなかった。お前を守るために」

「…………そうなんだ」


 サフランの心はグチャグチャにかき回された。今まで封じていた母の存在。それをほじくり返されては、溜まったものじゃない。

 己の中に築かれた母の像が崩れ落ち、封印された思いが溢れてくる。


「俺はダリアさんに託された。お前の幸せを。お前が幸せになる事だけが、あの人の望みだった」

「…………」

「それを俺は、戦場に連れまわして。兵器と使った。それが幸せだと、思っていたからだ」


 戦欲によって狂わされたドルトンにとって、戦いこそが幸せだ。敵を殺して称賛され、褒美を得る。それ以上の幸せはないと思っていた。


「だがそれは間違いだった。今は思う。あの人が望んだのはもっと別のもの。お前が笑顔でいる事だ」


 母も父も、サフランの幸せだけを願っていた。英雄として敵を殺して、ドワーフを率いる事ではない。

 サフランが笑顔で幸せに暮らす事だ。


「パパも……マ、ママも。そんな事言われたら、ボクは。もう抱えて、走れないじゃん!」

「だから、抱えんな! 俺がいる。癪だが、ミストレイも。アカツキも。他の奴らも。お前が子供だって事は理解してんだよ!」


 ずっとサフランに甘え続けていた。限界を超えて、その小さな体で全員の命を抱えていたサフランに、さらに背負わせ続ける日々。

 その後悔がつきない。


「すまない。すまないな。ずっとお前に押し付けて、苦しんでたのは分かってたんだ。でも、俺達は見ないふりをした」


 サフランが大丈夫な様に振る舞って、それを免罪符に見ない様にしていた。徐々にすり減っていく心を無視して、ずっと甘え続けていた。

 それが平和だから。そうすれば楽に生きていけるからだ。


「なんで、そんな事言うんだよ。ボクに押し付けておけば、みんな絶望を前にする事なんて、ないのに」

「そうだな。そうやって俺達は見ないふりして、楽に生きてたよ」


 命の責任を取るのはサフランであり、自分達は見ないふりをして、誰かの命で獲れた肉を食う。

 それはなんて醜い怪物だろう。


「でも、お前が幸せじゃなかった。それはやっぱ、ダメだったんだ!」

「……パパもママも。お前もバルトも。ボクを愛しやがって!」


 サフランはずっと愛され続けている。それに気づけば、もう幸せになるしかない。もう全部抱えるのは嫌になる。


「もう良いや。ドルトン、行くよ。全員呼んで」

「あ、ああ。何するんだ?」

「話し合い。ここを脱出するよ」


 サフランはそう言って、笑っていた。

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