第六十五話 少女達の愛
世界が崩壊していく様子を見ながら、二人の少女が考えたのは愛しい人の安否だった。
伸ばした手のひらは触れ合う前に離れ、空間の歪みに巻き込まれてバラバラになる。己の身よりもバルトの安否だけが気がかりだった。
世界の景色が剥がれ落ち、白だけの世界が広がる。人々は次々に消えていき、メルティアは一人ぼっちになった。
そして全てが崩壊する。たとえメルティアであろうとそれに逆らう事はできない。
「バルト……」
徐々に意識が消えていった。それでも最後の時までバルトの名を呼び、姿を思い続ける。
消え入る意識の中で、メルティアは最後まで諦める事なく叫び続けた。
◇
最初に感じたのは固い地面の感触。ゴツゴツとした大地のベッドがメルティアを寝かせていた。
そして香るのは気分が悪くなる瘴気と毒の臭いだ。
「っ……ここは」
メルティアはすぐさま起き上がって辺りを見渡した。そこにあるのは死の大地。
草木一本生えない荒野に、周囲には毒の沼が点在している。瘴気に満ちた空気に、毒々しい花。ところどころ空間は捻じ切れ、薄暗い夜の様な世界が広がっていた。
「汚染領域……みたい」
多分そうだ。『腐毒沼地』『睡魔花園』『断空絶域』『極光聖夜』。一つでも最悪な汚染領域を乱雑にくっつけた世界。ここはそんな地獄だ。
こんな場所で一人、メルティア放逐されていた。
「バルトっ、探さないと」
弱いバルトがこんな世界で生きていられるはずがない。すぐさま探しに行かないとと立ち上がる。
メルティアにとって探し物は難しいものではない。探知魔法というバルトの位置を把握するために開発した魔法がある。
「えっ……?」
それを使えばすぐに見つかるだろう。そう思っていた。
だが反応がなかった。バルトの反応がどこにもない。一気に恐ろしいものがこみ上げてくる。
メルティアはバルトが死んだという最悪の妄想を捨て去り、範囲外に生きているという希望だけを考えた。
歩く。歩いて歩き続ける。だが最初に見つけたのはバルトではなかった。
「あっ……ツキヨ」
大地に倒れ伏す少女。ツキヨ・カグラザカ。メルティアがもっとも嫌いな少女を一番最初に見つけてしまったのは運命のいたずらとしか言いようがない。
「ツキヨ、……生きてる」
駆け寄り、ツキヨの生死を確かめる。それに対してメルティアは複雑な心境だ。
無論ツキヨの事は嫌いだ。バルトを攫って独占しようとした罪は大きい。最善は放置だし、バルトの目がないうちに処分しておくという手段もある。
ここでツキヨが消えればもうバルトはメルティアだけのもの。その事実が胸に湧き出る。
「うぅ…………」
「っ……なに、やってんだろ」
だがメルティアはツキヨを担いで歩き出した。馬鹿な事をやっている自覚はある。バルトを狙う敵を消す絶好の機会だと言うのに、メルティアはツキヨを助けてしまった。
ツキヨを助けている暇があったらバルトを探しに行くべきだ。それをこんな足止め。
「なに、やってるんだろ」
自分の事が分からなくなる。メルティアは再度ため息をついて、歩き出した。
外は光が降っていた。曇り時々光雨とでも言うべきか、浴びるだけで死に至る光の雨だ。
洞窟の中でメルティアはそんな外を見つめていた。
「バルトが一人だったら……」
こんな雨の中生きていられるはずがない。メルティアが経験した『極光聖夜』より数段攻撃力が上がっている。防ぐ手段を持たないバルトでは光に砕かれて死ぬ。
「っ…………ばか」
小さく呟かれた己への罵倒。
結局メルティアの本質は善であり、仇敵でも死にかけていれば手を差し伸べてしまう。その優しさは変わらなかった。
「う……んぅ」
「…………」
「っう……ここ、は」
しばらく外を眺めていればツキヨの声が聞こえる。
外傷はなく、意識を失っているだけだったのでゆっくり目を開けて起き上がった。
「おはよ……」
「メルティアっ! ……ここはどこじゃ? バルトはどこじゃ?」
「……ここは分からない。バルトはいない」
「っ……」
ここがどこなのか、メルティアには分からない。知るのはただ地獄であるという一点だけだ。
バルトもメルティアの魔法の範囲にはいない。
「光が……降っておる。ここは『極光聖夜』か!? ではバルトは、バルトはどうなるのじゃ!」
「っバルトは、生きてる。そう信じる」
「馬鹿な事を言うでない!」
だがどうしようもない。メルティアの魔法は広域を探知できる。その範囲にいない以上、信じる以外に道などないのだ。
「バルトは、どこじゃ。いない。どこにも、いない」
メルティアが感じた絶望を、ツキヨもすぐ感じる事となる。
「わらわの力の外にいると言うのか」
バルトが何者にも見つからない力を持ち、サフランはとてつもない怪力を持った。
そしてツキヨは全てを見つけ出す力を持つ。『探索』と名付けられた力を全開で使おうと、バルトの反応はない。
それはメルティアの魔法を凌ぐ範囲を誇るのに、どこにもいなかった。
「……この世界には果てがある。それを感じるのじゃ」
「果て?」
「それ以上行くことのできない空間の壁じゃ。ここは箱庭。地獄の箱庭の中全てをわらわは見た。だがバルトがどこにもいないのじゃ!!」
ツキヨの『探索』が知らせるのは絶望だけだ。この世界をぐるりと囲む壁。それを感じ取り、ツキヨは愕然とした。
つまりこの世界にバルトの反応がないという事は……。
「わらわは……愛されたかっただけなのじゃ。ただそれだけで良いのに。ようやく手に入れた愛すら、手のひらから零れ落ちると言うのかっ!」
「ツキヨ……」
ツキヨの心は折れていた。唯一の拠り所を奪われ、もう立ち上がれない。
「バルトは生きてるよ」
「っ分からぬから言える事だ! わらわは見た。どこにもいないのじゃ。この世界のどこにも!」
「そうかもしれない。でも外は?」
「外……?」
「果てを超えた先に、バルトは生きてる。私はそう信じてる」
メルティアは折れなかった。わずかな可能性も捨てずに立ち上がる。もしここで折れたら、可能性の先に生きているバルトを本当に殺す事になる。
故にメルティアは折れなかった。
「……なぜそんなに、強くあれるのじゃ」
「バルトを愛しているから」
メルティアの思いは変わらない。バルトが大好きで、そのためなら何でもできる。だから立ち上がるのだ。
「そうかっ…………わらわは、もう疲れた。わらわはここで終わりじゃ」
「どういう事?」
「生きていても、絶望しか得た事はない。愛が欲しくて欲しくて。そのために生きてきたのに。わらわは愛に拒絶されてるのじゃ」
ツキヨの目的はずっと一途なままだ。ただ愛されたいという一点。だがそれが叶わぬなら、生きる意味がなかった。
ツキヨは折れた。メルティアと違ってもう立ち上がれない。
愛を知る事なく終わる事を望んだ。それがツキヨの最後だ。
「わらわを置いていくのじゃ。バルトは頼む」
「…………ツキヨ」
その時メルティアは初めてツキヨを見た。
バルトというフィルターを通さず、己の瞳でツキヨ・カグラザカという少女を見る。
そこにいるのは獣の姫ではない。恋敵でもないし、大嫌いな女でもない。
「悲しい、人」
絶望と共に歩んだ愛を知らぬ子。それがツキヨだ。メルティアは初めてそれを理解した。
だからメルティアはもう見捨てられない。
「ツキヨ……」
「なんじゃっ――!?」
ツキヨの体を抱き寄せて、そっと抱擁を交わす。突然の行動にツキヨは目を見開き、驚きを露わにした。
だが抵抗する事なく、その暖かな感触に体の力が抜ける。
「よしよし……」
「あ、ぅ……なにを、しているのじゃ」
「抱きしめてる」
ツキヨの頭を撫でて、優しくメルティアは答えた。
その手のぬくもりは、メルティアがバルトからもらったものだ。それは受け継がれて、ツキヨへたどりつく。
「なぜじゃ。なぜ抱きしめる」
「なんでだろうね。ツキヨを、このままにするの嫌だったから」
「……っ」
ツキヨの感情はグチャグチャだ。さまざまな事が内から湧き出て消えていく。だが感じる温もりはずっと求めていたものだった。
バルトと同じ暖かい心。
「愛されないって……悲しい事。愛を知らないまま死ぬなんて、ダメ」
メルティアは恵まれていると自分で思う。愛してくれた姉がいた。民は敬愛してくれたし、なによりバルトと出会えた。
良い人生じゃなかったが、愛してくれる人がいた。だから今まで頑張れたのだ。
「抱きしめられると暖かい。ポカポカ、幸せになる。ね、そうじゃない?」
「あぁ……そうか。そうじゃな。これはとても、暖かい」
抱きしめられると幸せになれる。ツキヨはそれがバルトだけだと思ってた。だがここにも温もりがある。
折れて挫けた心は、その温もりに癒され、再生していく。
「わらわはバルトが好きじゃ」
「うん。私も」
「わらわを死なせておけば、良かったのじゃ。そうすれば独占できた」
「……そうかな。確かにそうかも。でも、嫌だ」
それがもっとも合理的でメルティアの目的に近づく手段だと分かっている。
だがそれは選べなかった。どうあがいてもメルティアは優しい子だった。人を傷つけるのは嫌いだし、争いも嫌だ。
その本質は変わらない。
「ツキヨをこのままにしたら、ずっと後悔する。だから一緒に生きよ。私がいるから」
抱擁をといてツキヨの目を見た。その瞳に映る感情は生への渇望。
死を受け入れていた色はなく、愛を知って生きたいと願う少女の顔があった。
「みっ、見るでない!」
「あっ……」
だがツキヨはその感情を隠す様にメルティアに抱き着いて顔を見せない。それに優しく微笑むと、ツキヨの背に手を回した。
「ふふっ。もう少し、こうしてよっか」
メルティアの胸に抱かれながら、ツキヨはずっと泣いていた。その顔だけは見せなかったが、声も嗚咽も隠さない。
涙でメルティアの服をぐちゃぐちゃにしながら、その抱擁はずっと続いた。
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