第六十三話 諦めない心

 俺は楽園を歩いた。美しい木々が立ち並び、美味しそうな果実が実っている。魔獣などは一切おらず、小動物のみが生息していた。

 空気は綺麗で、争いの残り香すらない。ここはまさに楽園。俺以外誰もいない、楽園だ。


「……また行き止まりか」


 この楽園には果てがある。そこは空間が捻じれたツギハギの壁だった。これ以上進めば空間の渦に巻き込まれて消えてしまうという直感だけが働く。

 言うなれば『断空絶域』の様なものだ。それがぐるりとこの楽園を取り囲んでいた。


「メル達は、生きてるよな」


 そうやって呟いて、確認しないと折れてしまいそうになる。

 どこを探しても果てしかないこの場所に、楽園だと言うのに心が苦しくなった。


 世界は崩壊したのだろう。だからこんなに無茶苦茶なのだ。

 バラバラになった世界をツギハギにつなぎ合わせて、どうにか形を保っているだけだ。こんな世界でメル達は生きているのだろうか。


「っ……行かないと。諦めてはいけない」


 諦めたら折れてしまう。折れたらドラさんとの約束も、メル達との約束も果たせない。

 どんなに絶望を突き付けられようと、俺はあがき続けないといけない。


 絶望を忘れる様に歩き続けた。何日も、何週間も。あるいは何か月も。

 孤独に蝕まれ、時間の感覚はあいまいだった。毎日果てを見つけてはため息をつく日々だからだろう。


 食事には困らなかった。外敵もいないし、災害もない。気温も温暖で過ごしやすい。ただ俺以外がいないだけだ。


「あ……聖水の泉だ」


 そして最後にたどり着いたのは聖水が湧き出る泉だった。獣人の聖地にあるここを俺は知っている。メルが心地よさそうにしていた場所だ。

 だがここは獣人の聖地ではない。


「グチャグチャにつなぎ合わせて、生まれた場所か。そしてまた果てだ」


 獣人族の聖地からツギハギにくっつけた結果ここに聖水の泉があるのだろう。

 その向こうには空間が捻じれた果てがある。これ以上俺はいけない。そしてここ以外もうない。


「ここには……俺しかいないんだ」


 歩き続けた。この楽園を全部探索しただろう。何か月という月日をかけて見つけた結論は、ここには俺しかいないという事だ。

 空間の捻じれに囲まれた楽園。俺だけの楽園だ。


「ははっ……嫌、信じろ! 信じるんだ。メルもツキヨもサフランも全員普通じゃない。絶対大丈夫だ」


 奮い立たせて立ち上がる。だが俺にできる事はこれ以上ない。俺はちっぽけな人間で、果てを超える力がなかった。

 この果ての向こう側にメル達が生きていて、ここまで来てくれる事を待つしかない。その事実がただただ苦しい。


「みんながここにたどり着いたときの……場所を作ろう。それしか俺にはできる事がない」


 俺が何もできない凡人だとしても立ち止まってはいけない。みんなを信じて、俺にできる事をするしかないのだ。


 幸いここは生きるには困らない。少しずつやろう。

 ここに村を作る。みんなが幸せに暮らせる楽園を作る。


「待っている事しかできない不甲斐ない俺を、許してくれ」


 俺はそう謝って、動き出した。俯いている暇はない。



 ◇



 ここには様々なものがある。たとえば森の中に家が一軒。

 どこかの種族の誰かの家だろう。世界が崩壊した影響でグチャグチャにつなぎ合わされた歪なこの場所に、どこからやってきた。


 かなり荒廃しており、何十年。何百年と廃墟だったのがうかがえる。

 だがしっかりとした作りで今から住んでも問題はない。かなりの技術力をもった種族だろう。おそらく悪魔族あたりか。


 十分に掃除してここを拠点に活動する。まずは周りに畑を作った。食料には困らないとはいえ、それは俺一人の話し。メル達だけじゃなく、他の種族達が来ることを考えると食料生産の下地は作った方が良い。


 育てるのは長期間備蓄できる作物。幸いここには様々な植物があり、食用出来る上に保存に適したものもあった。

 故郷での畑仕事がここで生きる。故郷は洞窟栽培だが、まあ勝手は似た様なものだろう。戦うだけじゃなくて学んでいた甲斐があったものだ。


「……ふう、久しぶりだと大変だな」


 英雄として生まれた故の恵まれた身体能力を遺憾なく発揮する。がむしゃらに働き、嫌な現実からは目を背けた。

 希望だけを胸に動き続ける。もちろん畑仕事だけではない。


「っと。……魚釣りってこれで良いのか?」


 ここには川が流れている。そして魚も泳いでいる。魚と言えば狂暴な魔獣の一種であるが、ここのはそんな事ない。

 そういうわけでエルフ族の書庫で読んだ魚釣りとやらを試してみる。昔はこれで魚が獲れていたというのだから驚きだ。今の時代、魚獲りはまさに命懸けだし。


「おー……。噛みついてこないな」


 見よう見まねで釣れた魚。いつ噛みついてきたり、毒を撒き散らかしてくるかと身構えるがそんな事ない。

 ここの魚はやはり文献で読んだ昔生息していた魚らしい。


「よーし。干物にして備蓄だな」


 いつメル達が来ても良いように食料は備蓄しないといけない。

 おおよそ何千、何万という異種族達を迎え入れる準備だ。いくらあっても足りない。

 そこにエルフ達がいるのは複雑な心境だが、もう割り切った事だ。もう復讐の連鎖は生まない。全ての種族が平和に暮らす楽園。それこそが俺の望み。そう決意して俺はさらに魚を釣り始めた。


 やる事といえば食料を作る事。人を受け入れる家も作ろうとしたが、俺の技術では断念するしかなかった。その他もろもろ、俺の力と知識で出来る事など限られている。

 故に食料を作って備蓄する事だけをやり続けた。いずれくる希望を夢見てだ。




「まだこないな」


 世界が崩壊してから果てを見に行くのが日課だ。もしかしたら誰か来たかもしれないという希望をもってだ。

 しかしそれはいつも裏切られる事になる。それでもやるのは折れないために必要な事だから。


「一年か……ああ、寂しいな」


 ずっと探し続けて待ち続けて一年。俺は一人ぼっちのままだ。


「っ……寂しいな。俺って……なんで。こんな弱いんだよ」


 誰もいない、ずっと一人。それがたまらなく悲しく怖い。温もりが欲しかった。誰かと話したかった。


「もっと強かったら良かった……」


 俺が英雄と呼ばれるにふさわしい強靭な心を持っていれば良かった。

 絶望を前に折れる事なく立ち向かい続けて、結果を出し続ける。そんな英雄であれば良かった。


 現実の俺はたった一年、一人ぼっちでいるだけでくじけそうになる軟弱者だ。折れそうになる心を必死にごまかして、絶望から目を背け続ける。

 この果ても越えられず、メル達を探しに行く力もない。英雄なんて到底呼べない。

 せいぜい愚者がお似合いの凡人でしかなかった。


「っ……折れるなよ。まだダメだ。まだ希望は捨てるな。信じろ。信じ続けろ」


 そうやって言い聞かせる事でまた立ち上がる。それを何度続けただろうか。もう百回は超えているだろう。そしてその効果も徐々に薄れているのを感じる。


「ああ……まだ大丈夫だ」


 俺の心はまだ生きているだろうか。生きてなかろうと、そう言うしかない。そう言えばまだ動きだせるからだ。

 この儀式を終わらせて、漸く俺の一日は始まる。


 死んだ心で畑を耕し、作物を作り、保存する。いずれ来る人々が生きていくために動き続けた。

 ただ機械的に生きる日々。村が出来るその日を目指して俺は生き続けた。


 その結果、世界が崩壊して二年。俺はまだ一人だ――。

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