第六十二話 楽園の孤島

 最初に感じたのは風だった。静かな風が俺を撫で上げ、心地よさをもたらしてくれる。そして次に感じるのは柔らかな草だ。

 俺は草の上で寝ているのだろうか。とても気持ちが良く、ずっとこのままでいたい気分だ。このまま眠り続けるのも良いかもしれない。


 だがそれでは多分ダメなのだろう。どこかで起き上がらなければと急かす自分がいる。

 俺は眠りからさめなければ、いけない――。




「……起きたカ」


 最初に視界に飛び込んでくるのは大男。俺の倍以上はくだらない身長に、鍛えられた肉体。


「バランド……」

「あ、起きたのね」

「ミアも」


 バランドとミア。二人の死者アンデットが俺を見つめていた。周囲を見渡せば美しい緑に包まれた森の中。つい先ほどまで戦場にいたはずが、気づけば楽園の様な場所だ。


「バルトよ……目覚めたか」

「ドラさん……」


 そしてドラさんだ。石の上に腰かけて、じっと俺を見据えている。そうして思い出すのは俺が眠る前におきた世界の崩壊だ。

 メルもツキヨもサフランも。何もかもが崩れ落ちて消えた現象。あれは……。


「混乱しておるだろう。今何が起きているのかも理解しておるまい」

「ああ。……ドラさんが何かやったのか?」

「我は何も。ただ、バルト達に隠し事はしていた」

「っ……それはなんだ!?」


 やはりドラさんが関わっていた。世界が崩壊するほどの現象、それはドラさんが起こしたのだろうか。だが何もやっていないと今……。


「一から説明せねばなるまい。簡潔に言えば、神とは世界そのもの。神無くして世界はなりたたぬのだ」

「……つまり?」

「神を殺せば世界が崩壊する。それが先ほど起こった事だ」


 神が世界を作ったとは聞いた事がある。そして神とは世界そのものというならば、メフィー様という神が死んだ時点で世界は消えるはずだろう。


「神と世界は表裏一体。いや、神が持つ世界の権限が大切なのだ。メフィー様から簒奪神へと移った。だが簒奪神を殺し、権限が消えた。消えれば崩壊してしまう」

「そんな……じゃあここは、どこだ?」


 俺がいるのは自然豊かに緑に囲まれた場所。こんな美しい楽園の様な場所は、獣人族の聖地ぐらいしか知らない。

 崩壊したというならば俺がここで生きているのもおかしい。


「それは我も気になっている事だ。かつて簒奪神と戦った時に聞かされた事からすれば完全に消えてしまうはずなのだがな」

「でもここにちゃんとあるぞ。世界は存在するし、俺も生きている」

「恐らク……メルティアの存在ではないだろうカ」

「バランド? ……ふむ、確かにそうであるな。神子であるメルティアの存在が世界を完全に崩壊させなかった。そう考えるのが自然か」


 神が世界の存続のために必須ならば、メルがその変わりとなった。というわけか。

 ならば逆説的に言える事がある。


「それなら、メルは生きているって事か?」

「恐らく。……この不完全な世界のどこかで、生きているだろう」

「っそうか。じゃあツキヨとサフランも」

「それは分からぬ。今この世界がどうなったか、我には分からぬ。とんでもない地獄になっている可能性すらある」

「…………それは、あって欲しくないな」


 少なくとも俺がいるここは静かで美しい楽園の様な場所だ。メル達も同じならば危険はないだろう。

 だが崩壊しかけた不完全な世界というならば、どうなっているかまったくの未知。一歩外にでれば魔獣ひしめく地獄かもしれない。


「我は知っていたのだよ。こうなると。簒奪神から聞いていたからな。故にこうなった責任は我にもある。すまなかった」

「っ……いや、謝る事じゃない。結局簒奪神を殺さないと、あの地獄は終わらないんだろう?」

「ああ。簒奪神を殺し、世界が崩壊するか。殺さず戦争の果てに絶滅するか。どちらかだ」


 それはどちらも地獄だ。どちらを取っても待っているのは悲しみだけ。もし俺がその選択を付き付けられたらどうしただろう。

 この幸せになれない世界で生きる事を、望んだのだろうか。


「我はどちらの道を取るか悩み続け、希望達に委ねる事にしたのだ。希望が殺すと言えば前者の道。殺さぬと言えば後者の道だ」

「だから俺達の選択を尊重してくれたんだな」

「ああ。だがチャンスが目の前に降って来た故に……動いてしまった。メフィー様が愛した世界を、これ以上屑の手の中にあって欲しくなかったのだ!」


 ドラさんは感情のままに叫んだ。それが何千年とため込んだ怒りなのだろう。

 愛した世界を崩壊させるか、崩壊させず屑の手の中にあるか。その天秤の前で苦しみ続けた事が容易に想像できる。


「すまなかったな。隠し事など、するべきじゃなかった」

「……いや、良い。簒奪神を殺したかったんだろ?」

「ああ。誰よりも奴を殺したかった。諦めたなど、嘘だった」


 俺達に言わなかったのも、崩壊するぐらいならば殺さないと言われる事を危惧してだろう。

 それはつまり、簒奪神を殺すとどこかで決めていたのだろう。それにこんな世界俺は大っ嫌いだ。こんな世界じゃ幸せにはなれない。遠からず殺さねばならなかった。


「ドラ……あんたが一番諦めてなかったのね」

「俺達が……一番諦めていたナ」

「くっくっく。だが悲願はなった。それでも後悔はある」


 そう言ってドラさんは俺を見た。


「我らが壊した世界をそのままに消えてしまう事だ」

「えっ……?」

「崩壊しきらなかった。故にまだ再生させる希望はある。だが我らがその手伝いをする事はできないのだ」


 ドラさんの体が光り輝く。金色の粒子が全身から立ち上り、それはどこかへ泡の様に消えてしまう様。


「な、なんでっ。何が起こってるんだ!?」

「簒奪神が死に、世界は解放された。故に死者アンデットは輪廻の輪に還らねばならない」

「輪廻の輪?」

「死人が生きて動くなど本来あってはならない事だ。それを簒奪神は世界を閉じて魂を閉じ込める事で成した。だが解放されれば流れには逆らえない。メフィー様がいない今、その導きは期待できぬがな」


 ドラさんの肉体は半分が消えていた。それはミアもバランドもそう。

 死者アンデットという存在がこの世界から消えるという証なのだろう。“夜”は恐ろしいものではなくなる。

 だがそれと同時にドラさん達は消えてしまうのだ。


「やっと終わったわね」

「ああ。少し、生き過ぎたナ」

「皆の元へ行ける。我らは楽しみだ」

「…………」

「心残りはある。だが、後は任せるしかない」


 ドラさんはそう言って頭を下げた。ミアもバランドも俺に向かって礼を執る。


「新たな未来を作ってくれ。幸せな世界を」

「……俺に、できるかな」

「バルトだけじゃなくていいのよ。全員で作るものだからね」

「俺達だって……全員で世界を作ったのダ」

「分かった。メルとツキヨとサフラン。それに他の異種族達。全員探して、作ってみせる!」


 約束したはずだ。メルもツキヨも、まとめて幸せにすると。幸せな未来のために俺はやらないといけない。やってみせる。

 全員が幸せになる世界。それを作った時、家族や仲間達は少しでもうかばれるだろうか。


「じゃあね」

「もう会う事はなイ」

「ありがとうバルト……」


 短い言葉だ。それを伝える時間しか残されていなかった。

 光の粒子となって彼らは空へと消えていく。世界に溶けて、まざりあっていくかの様に跡形もなく消えてしまった。


「…………行くか」


 何分。あるいは何十分も空を見て、漸く俺は立ち上がる。

 メル達を探しに行かないといけない。無事である事を祈り、一刻も早く再開を目指す。世界はこんなに楽園の様な場所なのだ、メル達も無事だろう。


 俺はそう思った。そうであって欲しかった。ただ世界は俺に対して孤独を強いるようだ。

 ここは楽園。外敵もなく、食べ物は豊富で、自然は豊。

 ただ俺以外誰もいないし果てもある。箱庭の楽園だ――。

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