第五十三話 さようなら

 獣人の国から離れた荒野。そこは戦火で草木一本生えない枯れた大地だった。

 昼は生命の気配がなく、夜は死者アンデットの闊歩するまさに地獄。そんな荒野の空を飛ぶ乗り物が一台。


 小型の乗り物に二人乗り。まるで燃料が切れたかのようにフラフラと降りてきて、荒野のど真ん中に着地する。

 そこから満身創痍で出てきたのは二人の少女だった。


「っぐ。……メル、大丈夫?」

「……うん」


 息を切らして座り込むのはメルティアと、サフラン。

 間一髪で脱出し、サフランの天空二輪車でここまで逃げてきたというのが簡単な顛末だ。


「ギリギリ逃げ切れた……けど。バルトが」

「しかたないよ。バルトを助ける余裕はなかった」

「ううん。だめ」


 『極光聖夜』の中でバルトを助ける余裕はない。しかしメルティアにとってはバルトが救出できないというそれが失敗だ。

 バルトがいなければ何の意味もない。


「行かないと」

「どこに?」

「バルトの元に」

「ツキヨに勝てるの? 異種族の異物で武装してるんだよ? 機装まで持ってた。他にもたくさん持ってる」


 何千年と積み重ねてきた異種族の英知の前では、メルティアすら勝てるかわからない。


「バルトを傷つけないようにセーブしてただけ。本気だせば、勝てる」


 だがメルティアは何んとなしに断言した。今だメルティアは本気を出していなかった。

 バルトを巻き込む心配がないのなら、あのツキヨにも打ち勝てると言うのだ。


「……そっか。メルは凄いね」

「でも、ちょっと難しいかな。だから、帰る」

「えっ? どこに?」

「国に。巨大樹を使う。それで終わり」

「巨大樹……?」


 エルフの国の源とも言える木。王城の中央にそびえたち、エルフを支えるシンボルこそ巨大樹だ。


「あっちが異種族の異物を使うなら、私はエルフの遺物を使う」


 巨大樹こそがツキヨの異物と渡り合えるエルフの至宝だ。


「じゃあね。私は行くから」

「えっ? ちょっとメル!」

「……邪魔しないで」

「邪魔しないけど……ボクを置いてくの?」

「サフランに構ってる暇はないの」


 エルフの国にドワーフのサフランは連れていけない。そもそも国を逃げた身だ。帰ったらどうなるかも分からない。

 全て蹴散らすつもりだが、サフランに構う余裕などない。


「……でもボク。メルがいないと」

「全部終わったら……また会おう」

「えっ……。でも、そんな」

「じゃあね」


 メルは一瞥すらしなかった。その瞳に映るのはバルトとツキヨだけだ。

 魔力を全開で放出し、風の速さで駆けだす。それにサフランは追いつけない。


「メル! ……ボクを、置いてかないでよ」


 その声に返答はない。寂れた荒野の真ん中で、サフランは一人置いてかれた。

 何もない場所。生命の気配はなく、夜になれば死者アンデットが闊歩する地獄。そこでサフランは一人だ。


「……ボクは、どうすれば良いの?」


 グチャグチャになった心で、呟く。メルティアの味方をすればいいのか、二人の争いを止めれば良いのか。しかしサフランに二人に介入する力はない。


 なにもない荒野の中心で、サフランは蹲る事しかできなかった。



 ◇



『サフラン、君は幸せになるんだよ』


 父の言葉は良く覚えている。母を殺し、触れるだけで傷つける力を持ったサフランをただ一人愛してくれた人だ。


『パパ……?』

『僕ではサフランを幸せにはできない。多分一人にしてしまうだろう』

『えっ? やだよ。パパ、どっか行っちゃうの?』

『大丈夫。行かないよ』


 父と死別する前の会話も、よく覚えている。その日の雰囲気がいつもと違ったのもだ。

 いつも通り戦場に行って、いつも通り帰ってくる。サフランはずっとそう思っていた。


『ただ……戦場では何が起こるか分からないからね。僕はサフランを残して逝くかもしれない』

『そんなのだめだもん。パパを傷つける奴はボクがぶっ殺してやるんだ』

『ははは。僕の真似ばかりして、女の子がそんな事言っちゃいけないよ』

『えー。でもボクはね、パパを守るんだ』

『その気持ちは嬉しいよ。けど僕はサフランを戦場に立たせたくはないな』


 親心が英雄個体であるサフランを戦場から遠ざけていた。国からの要請もはねのけ、当時五歳だったサフランは父の手で平和に育てられていたのだ。


『サフランは幸せになるんだ。幸せにしてくれる人に巡り合うんだ。それが僕の最後の願いだ』

『パパ……? ボクは幸せだよ?』

『ああ。なら良かった。……その幸せがずっと続く事を、願っているよ』


 そう言って父は頭を撫でてくれた。それが最後の触れ合いだ。

 戦場に旅立ち、命を散らした父。ドワーフ族一の戦士と謳われた母の代わりに、凡人である父は無理をし続けたのだ。


 全てはサフランを守るため。サフランが殺した母の代わりに必死で死線を潜り続け、最後は死神に掴まった。

 それが顛末だ。


「――パパ……ボクは今、幸せだよ」


 死の荒野にて、サフランは呟く。


「ううん……幸せだった。メルがいて、バルトがいて、ツキヨがいる。みんなといる日々は幸せだったな」


 父の言葉通り、幸せを求めて幸せを手に入れた。だがもうない。

 全て壊れ消えてしまった幸せだ。メルティアとツキヨは対立し、バルトは深い眠りについた。サフランが愛した日々はもうない。


「なんで、こうなっちゃったんだろ……ボクは、どうすれば良いのかな」


 寂しくて悲しくて、涙が出そうだった。

 ずっとみんなと居たから、孤独が胸を締め付ける。父が死んでずっと一人で生きてきたのに、ちょっと幸せに浸ればすぐこれだ。

 自分の弱さが嫌になる。


「パパ……助けてよ」


 弱音をこぼし、涙が大地に落ちても現状が変わる事はない。サフランは一人だ。


「うっ……うぅ……うわあぁぁぁっ!!」


 だから泣いた。心のままにたくさん泣いて、泣きわめく。

 寂しくて泣くのはいつぶりだろう。父が死んで以来かもしれない。この日常を失った悲しみは、父の死と同じぐらい深かった。


「……ひぐっ。ん……ぅ。ボクは……ボクは」


 涙が枯れるぐらい沢山泣いて、サフランは漸く立ち上がった。

 顔は涙で濡れ、よれよれとした頼りない足取り。だがその瞳は確かな決意があった。


「幸せになる……パパの約束とのは、忘れない」


 ずっと、幸せになるために生きてきた。この程度の絶望で立ち止まるなど、あってはならない。


「どうすれば幸せになれるんだっけ……いや、決まってる。ずっとそう生きてきたじゃないか」


 サフランが生きてきて歩んだ道のり。それを忘れず、もう一度歩むだけだ。


「全部――ぶっ殺せばいい・・・・・・・。……血と争いが、ボクの幸せだ。そうだったじゃないか」


 サフランの瞳に映るものが、変わった。


「ボクが好きなのは。戦い……。血が噴き出るぐらい心躍る殺し合い。うん。ずっとそうだ」


 サフランは戦いが好きだ。そして血が好きだ。異種族との戦争が何より楽しく、メルティアと戦う事が最高の幸せ。

 本来サフランとは、そういうものだった。


「メル……ツキヨ。ボクと楽しいデート殺し合いをしよう! ドワーフは重婚できるし、二人まとめて食べちゃおうか」


 サフランの瞳に映る狂気は、昔の物と同じ。メルティアとの戦いこそが生きがいと豪語した過去のサフランだ。


「ボクはずっとおかしかったんだ。こっちが本物。あっちが偽物だ」


 そうやった笑う姿は、まさにバランドが危惧したサフランだった。

 もっとも危うい存在。人間でもないのに戦欲を克服したなどありえなかった。

 サフランの戦欲を一時的にでも消していた者がいなくなれば、また元に戻るだけだ。


「帰ろう……一番大きな戦争が始まる。心躍る、最高の戦いだ」


 機装を展開し、空へ飛び立つ。目指すはドワーフの国。

 最高の戦いを目指して、サフランは飛翔した。

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