第五十一話 ツキヨ・カグラザカ

 ツキヨの人生とは、そもそも産まれからして最悪だった。


 母は獣人族一の戦士。父は人間族の英雄個体。

 なぜそんな二人の元にツキヨが産まれたのか。無論愛し合った末ではなく、凌辱の末の産物だ。

 ツキヨは誰からも望まれて産まれたわけではなかった。


 全ての始まりは人間族の隠れ里を発見した日だ。

 駆除のために出動するのは獣王の娘にして最強の戦士マヒル・カグラザカ。そして精鋭の数十人。人間族程度このぐらいの戦力で大丈夫だろうと軍を派遣する事はなかった。それは明確な慢心だが、実際人間族にはそれで十分だ。


 人間族に、英雄個体がいなければの話だが。


 たとえ人間族でも、英雄個体は別格だ。たとえばバルトであればエルフ数十人程度相手にしても勝てるだろう。

 そんな英雄個体がその隠れ里にはいた。それこそが悲劇の始まりだった。


 強襲した獣人族達は激戦の末敗北。マヒルも捕えられ、その先に何が起こったかは語るまい。ただその時、ツキヨを身ごもった。

 もちろんそれに黙っている獣人族ではなく、敗北を知るや否や全軍を向けて残らず根絶やしにした。

 だがマヒルの惨状とは酷いもので、屈辱で心が壊れ体はボロボロ。救助されても発狂して暴れると手の付けようがなかった。


 だが救助されればツキヨが産まれてくる事などありえない。異種族との子など、すぐ墜ろされるのが常識だ。

 ツキヨも産まれるはずがなかった。産まれてはいけなかった。英雄個体であると分かるまでは……。


 英雄個体は特別だ。単騎で戦線をひっくり返す重要な戦力。とくに獣人族にはここ数百年産まれていない。

 同時期にエルフが英雄個体の活躍で復権したというのも悪かった。たとえ混血であろうと、最悪の子だろうと。最大の兵器を墜ろすなど国益を考えれば明確に損だ


 産まれてくるはずじゃなかったし、産まれるべきでなかった子。戦うためだけに産まれた兵器。それがツキヨ・カグラザカの始まりだった。

 故にツキヨは一度も愛された事がない。兵器を愛する人などいるはずがないからだ。


 ――近づくなっ! 化け物。


 一番最初に貰った母の言葉は確かそれだ。母は愛してくれなかった。


 ――死ね。さっさと他の種族を殺して死ねよ。


 兄弟達はそう言ってツキヨを蹴った。ただ一緒に遊びたかっただけなのに。


 ――なぜ生きているのでしょう。世話をするのも嫌で嫌でたまりません。


 使用人はそうツキヨを冷遇した。ただ話したかっただけなのに。

 全てが敵で、誰もツキヨを愛してくれなかった。感情のない兵器である事を望み、そう扱うのみ。

 だがツキヨは人だ。兵器じゃないし、感情はある。同じ人として扱って欲しい。愛して欲しい。ツキヨの渇望はその日、生まれたのだ。


「わらわは……愛されないのですか?」


 ツキヨの望みは小さくて、簡単な物。ただ愛してくれるだけで良かった。抱きしめてくれるだけで満足だった。

 それ以外は何も望んでいないし、それ以上必要ない。愛だけがツキヨの欲求だ。


「……なんで、お前を殺せないのっ!」


 だが母の答えは残酷なものだ。


「お母さま……?」

「私を母と呼ぶなっ!!」


 産みたくて産んだ子ではない。今すぐその首を絞めて殺したいほど憎んでいる子だ。

 だが英雄個体の強靭な体と、兵器としての利用価値がそれを許さない。


「ああ……今すぐ殺したい。今すぐ死ね。くそっ、くそっ! 何で、生きてんだよ」

「あぁ……いや。お母さま、わらわは」

「母と呼ぶなと、言ってるだろ!」


 母はそう言ってツキヨを殴った。その拳が傷つけたのは体ではなく心だ。心の痛みで今にも泣きそうなツキヨに、母は何度も拳を与えた。

 ツキヨが母から受け取ったものはそれだけ。それ以外の何もなく、すぐ後に母は自殺しこの世から去った。ツキヨが四歳の頃の話だ。


 ツキヨが受け取るのは悪意のみ。ろくに人と関わらず、教育も受けられず冷遇される。その環境で愛を求める思いは強まり続けた。

 故にずっと考えていた。どうすれば愛されるのか。どうすれば認めてくれるのか。だがまともじゃない環境で育ったツキヨは、見事に思考回路が壊れていた。


「……一番愛されているのは王。ならばわらわは……王になれば良いんだ」


 獣人族の王。獣王こそツキヨが見てきた中で一番愛され、尊敬される存在だ。そんな王になればツキヨは愛されるだろう。

 そう考え、すぐ行動した。


 躊躇なんてなかった。ツキヨの底知れぬ渇望の元には、どんな事もできた。

 たとえ血のつながった祖父を殺す事すら、何も感じないほどに。


「お前は、化け物だ」


 祖父が死に際に言ったのも結局それ。ツキヨはそれに対して良かったと思う。愛してくれないならば必要ない。もし愛しているなどと嘘でも言われたら、殺せなかった。


「生かしたのは間違いだった。殺すべきだった。私は大変な過ちを犯してしまった」

「お爺様。王位、いただきます」

「獣人族の誇りは奪われぬ。貴様の様な屑が一度王位についたからといって誇り高き戦士たちが必ずや――」


 最後まで一度も孫だと思ってくれなかった。暴走した兵器。そうとしか思われず、獣王はツキヨの手で殺された。

 獣王を殺したとて何か感じる事もなかった。

 ようやく愛されるだろうという、達成感のみだ。


「これで……ようやく手に入る。わらわは愛される……」


 血と臓物で赤く染まった部屋の中、ツキヨは笑った。王と護衛。数十を皆殺しにして掴んだ王位は、ツキヨの願いを叶える事はない。それに気づかずツキヨは幸せに浸った。


「ずっと、愛が欲しいだけなのに」


 血は暖かい。これからの未来も暖かく幸せな物だろう。昔描いた夢を、ツキヨは夢想し続けた。



 ◇



 ――かならず殺してやる。化け物め。


 そう言ったのは時期王と名高い叔父だったか。無論愛してくれなかった、故に殺した。


 ――親父の仇だっ!


 そう言ったのは義理の兄だ。虐められた記憶しかなく、殺そうと襲い掛かって来たので無論殺した。


 ――貴様に従うほど落ちぶれてはいない。我らの誇りを侮るな!


 そう言ったのは兵士達。逆らう物は全員殺したし、幾人か見せしめにした。だが逆らう者が後を絶たず、最終的に八割は消した。


 王になって一年。粛清を終えたツキヨの元に残ったのは、畏怖と恐怖で従う者達ばかり。愛してくれる者は、一人もいなかった。


「なぜじゃ。……王となり、良くしようと思ったのに。わらわは……なぜ愛されぬ」


 ツキヨには分からない。歪みに歪んで育った故に、自分の犯した事がどれだけ逆効果だったか理解できなかった。

 王になるべく立ち振る舞い、言葉遣い、さまざま意識した。十歳の少女が持つにしては巨大な威圧感も手に入れた。


 だが愛してくれる者は現れない。


「実績が足りぬからか。異種族を殺せば良いのか?」


 ツキヨはさらに殺す道を選んだ。獣人族の宿敵人魚族。それを滅ぼせば認めてくれるのではないか。

 数千年と争い続けた宿敵を滅ぼし、称賛され、愛を手に入れる。


「ああそうじゃな。全部、滅ぼせば良いか」


 ツキヨに躊躇などない。産まれたから一度もブレた事もない。

 目的のためには手段を択ばないし、ためらう事もない。人魚族を滅ぼすために汚染領域を渡り歩き、異種族の遺物を手に入れる。


 悪魔族の『種』。天使族の『終焉』。竜人族の『暴走竜』。世界を壊すに十分の破壊兵器を用いて、わずかな時で人魚族を滅ぼした。

 それは歴史上でもっとも速く滅ぼした記録だろう。だが称賛はなかった。


 あるのはよりました恐怖のみ。逆にこのような恐ろしい怪物が王など我慢できないと、反逆者が増加した。

 そうしてツキヨは漸く諦めたのだ。獣人族が愛してくれる事はない。ここまでやって無理ならば、もう愛される事はないだろう。

 ならば希望は自分のもう一つの血。人間族しかない。


 だが人間族は滅んだと聞いている。それでもツキヨの底知れぬ欲求は、諦めさせなかった。隠れ住む生き残りを探す日々。

 国を放り出し、人を探し続け。その果てに見つけたのだ。バルトという人間を。


「これが……愛なのじゃな」


 初めて愛に触れ、その暖かさに涙した。初めて満たされる心と、もう絶対に手放さないという独占欲。両方を一変に手に入れたのだ。

 ツキヨの欲求はただ、愛されたいというそれだけだ。愛を手に入れても変わらなかった。より手元から離れる事を恐れ、欲求は増すばかり。故に――


 ――メル……それは変わらない。


 かすれるほど小さな声。バルトとサフランだけの秘密の会話。獣人族であるが故聞こえてしまったその言葉は、ツキヨにとって我慢ならないものだった。

 バルトだけが居れば良い。だがバルトの一番はツキヨではない。バルトが一番愛しているのは、メルティアだ。


「……やはり。こうするしかないのじゃな」


 バルトと、メルティアと、サフラン。三人との日々は初めてツキヨに楽しいという感情をくれた。この日常がずっと続けばいいとも思った。

 だが一番大事な物が手に入らないのであれば、それを壊す事もい厭わない。


「全て滅ぼせば良い。全てが終わった後、わらわとバルトだけの世界。それで良いのじゃ」


 バルトはそれを受け入れないかもしれない。だが二人きりで居続ければ、いずれ気持ちも変わりメルティアを忘れてくれるだろう。

 バルトとツキヨ。二人だけの世界で、真の愛を手に入れる。


「そうじゃな。邪魔な物は全て、滅ぼせばよい」


 それしかツキヨは知らない。そのやり方だけで生きてきたからだ。

 だがいつもと違うのは。


「ふふっ……なんじゃろうな。この涙は」


 瞳から零れ落ちる涙の理由だけが分からなかった。何度もやってきた事なのに、今回だけは手が震える。やりたくないと本能が叫ぶ。

 しかしツキヨの渇望は、乾く心を湿らす様に無理矢理体を動かした。


「……っ。二人だけの世界に、行こうぞ」


 心に蓋をする。もうブレる事はない。

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