第四十七話 ふつーの人間
「ふんっ……」
「メル、ごめんな。機嫌を直してくれないか?」
「やだ……」
メルが拗ねた。へそを曲げてそっぽ向き、私は不機嫌ですとアピールしてくる。
珍しい事だがしかたあるまい。大嫌いなツキヨとデートに行ってきた。それだけでブチ切れるだろうに、拗ねるだけで済んで良かったとすら言える。
「あの女の臭い、たっぷりさせて……。ふんだっ」
「それはその……言い訳のしようはない」
そうせねばいけなかった。故に言い訳はしない。謝り続け、機嫌が直る様に務めるのみだ。
ここでそっとしておこう、という思考はだめだ。しっかり誠意を見せて構わなければメルのご機嫌はさらに悪くなる。
「許して……くれないか?」
「………私を、抱きしめて」
「それで良いのか?」
「うん、私の匂いで上書きする。それで、許してあげる」
メルはそう言って、俺の膝に乗ってくる。ツキヨの香りを自分の香りで上書きする様に強い抱擁を求めてきた。
暖かなメルの体温と、花のようないい香り。そして柔らかな体。深い愛と共に抱き着いてくるメルを俺は迎え入れる。
「バルトは……優しすぎる」
「うん、ごめん」
「謝らないで。良いところだし、好きなところ。でも、今はちょっと、嫌い」
ツキヨを見捨てられたら楽だっただろう。メルを選んで、メルだけを見ていれば良かった。可愛くて、尽くしてくれて、俺を一番に考えてくれる女の子なんてメルぐらいだ。
だけどツキヨにも幸せになって欲しかった。それだけなんだ。
「幸せである事が望みだ。メルも、幸せでいてくれ」
「……うん。でも私より、バルトだよ。バルトが、幸せにならないと」
「俺もか……そうだな。俺は、幸せだよ」
課題は山積みだし、未来の見通しもない。だけど今は幸せなのだろう。
「メルは、今どうだ?」
「うん。私は……幸せ。でもそんな資格、あるのかな」
「メル……?」
「たくさん、殺した。バルトの家族も殺した。そんな私が幸せになるなんて、ダメだと。思う」
メルは、メルのままだ。そうやって背負い込むし、考え込む。だがそれもメルの良いところだろう。
「もう少し、サフランを参考にしたら良いかもな」
「えっ?」
「そういう世界だ……しかたなかった」
殺して、殺される。それが常識であり法則だ。簒奪神が定めた世界の理であり、どうする事もできない。
故にそういう世界だ。しかたなかった。
「俺は忘れない。……けどそういう物だって、今は割り切ってる」
「バルト」
「メルも、その気持ちを忘れずにいてくれ。それだけで良いんだ」
「……やっぱ、優しすぎるよ」
メルの事はもう、恨めない。エルフは嫌いだけど世界の秘密を知ったり、旅の過程で事情も理解した。
簒奪神が定めた理の中で、みんな必死に生きていたんだ。
「いや、簒奪神だけは…………許さない」
多分倒さないといけない敵だ。この世界の悲劇の源。悲惨な理を作った奴は許せない。
だがあまりに高くて、遠かった。世界を解放する戦いにメルを巻き込みたくない。その気持ちの方が強いのだ。
「悲劇ばかりの世界は、もうたくさんだ」
「うん……」
愚痴を吐くぐらいはいいだろう。だがそうやって簒奪神への恨みが積もるたび、ドラさんとまた会う事になるだろうという予感がなぜかした。
「……とにかくだ。幸せでいて欲しい。それが願いなんだ」
二人が幸せでいてくれるなら、俺の事は嫌ってくれても良い。二人が笑っているならそれも俺の幸せだ。そうなったらサフランに泣きつくかもしれないが。
俺達は長い間。抱き合っていた。二人の境界が消えて、とけてしまうほど長い時を。
◇
平和で幸せ。それが俺の望みだ。戦争なんてもう懲り懲りだし、みんなが生かしてくれた命で存分に生きていたい。
しかし、現実はそううまくはいかなかった。
「……離れて」
「エルフが離れるのじゃ」
いつものやり取りだ。俺を挟んでメルとツキヨが喧嘩する。ただ俺の心労は蓄積され続けていた。
「ま、まあ。喧嘩せずに仲良くな」
「……それだけは、やっ」
「まったくじゃ。さっさと消えろ」
そんなとこだけ同意しないでください。
こんな最悪な空気の中で俺の精神はもうボロボロだ。メルもツキヨも楽しくないだろうになぜ続けるのか。
もう俺を嫌ってくれて良いから終わりにしよう。
「バルトは私の事が好きなの! お前はお呼びじゃない」
「ふんっ。バルトはわらわを抱きしめて、愛してくれたのじゃ。エルフこそ消えろ」
「はあっ? バルトは私に好きって言ってくれたし」
「なっ。バルト、好きなのはわらわじゃろ?」
「私だよね?」
二股屑野郎でごめんなさいっ。俺が悪かった。優柔不断で、二人とも見捨てられなかった俺の責任だ。とはいえここでどちらかを選んでも戦争の始まり。
八方ふさがり。もうこんな屑男は見限って他のいい男を探したほうが良いと思う。
「………えーと」
どうすれば良い。どうすれば平和に終われる。母さん、父さん。俺に答えをください。こんな屑息子になってしまった俺を叱ってくれ。
もうどちらかを選ぶなんてできない。ならばそう。
「二人とも、愛してる」
そうやって言うしかないのだ。
「……これと同じはやだ」
「ああ、これとだけは死んでもごめんじゃ」
ただし二人は受け入れないものとする。
とにかくお互いが嫌いすぎて一緒にというのは死んでも嫌だという。どうしろと。
「……じゃあ俺の事をもう見限って、他の男を探すのが良いんじゃないか?」
「えっ……? なんで、そんな事言うの? 絶対ありえない」
「わらわはバルトを愛しておる。他の男などおらぬぞ」
ああ二人の愛は、深かった。どうあがいても俺が好きらしい。それはとても嬉しいが、俺には荷が重い。
普通の人間なのだ。英雄すら荷が重い俺に、ハーレムなんて身が重い。しかしどちらかを見捨てる選択肢もとれない。助けてくれ誰か。
「バルト、好きだよ。好き。大好き。バルトだけが私を救ってくれた。私の太陽」
「わらわを唯一愛してくれたのはバルトじゃ。混血であるわらわを愛してくれるバルトが大好きじゃよ」
「……そっか。ありがとう」
二人はその愛を伝えるかの様に、俺に深く体を預けてくる。
「私の方が、好きだよね?」
右からメルの甘い囁きが聞こえた。
「わらわを、愛してくれるのじゃろう?」
左からツキヨの妖艶な囁きが聞こえた。
「…………」
俺は選べない。二人は選んで欲しいのだろう。だがどちらも選べない。選んだ瞬間起こるのは災いだ事だ。
俺に依存しきった二人が、選ばれなかった時に起こす行動は容易に想像がつく。
「ねえ、バルト。答えて」
「わらわを好きだと。その本音を言うだけでよい」
お茶を濁せる雰囲気ではない。答えを出さねば解放してくれないだろう。
それを理解して俺の胃はさらに痛んだ。
「俺は…………」
心臓がうるさいほど鳴った。精神が悲鳴をあげるほど痛かった。俺の答えにかかる物は多分、大きい。
少し間違えれば良くない災いが起きるという予感だけがヒシヒシとする。
「ああ……そうだ」
ふと、天啓が降りてきた。この場を乗り切るたったの一つの答えが俺の中に湧いてくる。
それを理解した瞬間俺は二人の拘束を抜け出し、走り出した。
「――眠ってしまえば、それで良い」
壁に思いっきり頭を打ち付け、その衝撃で俺の意識は薄れていく。
この現実から逃げ出すという、もっともベターで愚かな選択肢をとるしかなかったのだ。
「バルトっ! 何してるの!?」
「し、死ぬでないぞ! バルトっ!!」
二人の声が聞こえる。争う事もやめて必死に俺を介抱する声だ。
そのように仲良くしてほしいと願いながら、俺の意識は闇に消えた。
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