第四十五話 腐毒漂う海辺にて

 獣人の国での生活は、至極平和なものだった。獣人達は俺達に危害を加えてくる事はないし、不自由する事もない。

 食事は美味しいし、ツキヨはとても配慮してくれた。


 しかし平和というのは俺の肉体は安全という意味でしかない。

 ここ数日で、俺の精神はボロボロである。


「……サフランしかもういないんだ」

「大変だねー」


 連日メルとツキヨは俺を巡って争い、それを間に入って収める日々。互いに俺を譲らないもんだから一歩間違えば戦争だ。

 俺の胃が壊れるのも時間の問題。そんな中で唯一俺の癒しといえばサフランである。


「つらい……」

「ハーレムって大変だね。ボクがよしよししてあげる」

「ありがとうサフラン」


 サフランの優しさが身に染みる。小さな手で頭を撫でられれば、日ごろの心労からか涙が出そうになる。

 もうサフランに甘えて一生過ごすんだ。などと人の道を誤りそうになるくらい、二人の扱いは俺の精神を傷つけていた。


「ぎゅーっ。癒されるでしょ」

「癒される。俺の心が解きほぐされる様だ」

「あははは。まったく、バルトは弱虫だなー」


 サフランが俺を抱きしめて、慰めてくれる。そのたびに俺の心は解きほぐされ、傷が癒えていくようだった。

 サフランはなんて良い子なんだ。俺の理解者はもうサフランだけだろう。


「はぁ……二人はどうすれば仲良くなれると思う?」

「えっ? 無理でしょ」

「そう言うなよ」


 俺も無理だと思うけど。サフランにまで断言されては心が折れてしまう。

 たとえ不可能だと分かっていても、二人が平和に仲良くしてくれる道を模索するしかないんだ。


「二人ともバルトが大好きだからさ、その上自分だけので居て欲しいんでしょ」

「そうなんだよなぁ……もういっそ二人共俺の事見限ってくれないかな」

「無理だと思うよ。少なくとも、何してもメルは見限らない。それに見限られるようなこと、バルトできないでしょ」

「まったくもってその通りだな」


 メルの愛の深さはよく理解している。俺が向けるものより十倍ぐらいは深い。

 そんなメルに嫌われるなど、どうすれば良い。大量虐殺をしても肯定してきそうだ。エルフの国に死者アンデットを招き入れたというのに何も言わないぐらいだし。そしてツキヨも多分同じだ。


「しかしこのままだとどうなるか分からない。火が付いた爆弾と一緒に暮らす様なもんだ」

「そうだねー。多分どっちかを選んだ時点で戦争だね。殺し合いが始まる」

「サフランもそう思うか」


 メルと選べばツキヨが。ツキヨを選べばメルが。二人とも何するか分かったもんじゃない。

 あの心優しいメルですら、俺が絡めば人が変わる。俺が関わらなければ心優しい少女のままなのに。あの日、故郷でメルの心をぶち壊した俺の責任だろう。


「だから言ってるでしょ。ハーレムしかないよ」

「二人とも独占欲が強いし、無理だろ」

「八方ふさがりだねー。諦めて」

「諦めるなんて言うなよ」


 そんな事言われたら心が折れてしまう。そうすれば始まるのは地獄だ。


「ボクが癒してあげるから、元気だして。よしよし」

「もう少しだけ、このままで良いか」

「もちろん。バルトの事は好きだから、いつまでも良いよ」


 サフランの胸に抱かれて頭を撫でられる。人として情けない事この上ないが、もうそうでもしないとやってられない。

 俺のせいで、とんでもない争いが起きるかもしれないのだ。二人の愛の深さは、大戦の引き金になる予感すらする。


「……ありがと。元気出た」

「ん。良かった」

「諦めない。二人が仲良くできる道を見つける」

「バルトは立派だねー」

「二人とも、見捨てられねえからな」


 メルは見捨てられない。メルの歩んできた人生、抱えてきたもの。全部知った今は見捨てるなんて選択肢はない。最後まで共にいたい。

 それにツキヨ。会って間もないが、彼女の抱える闇は深すぎる。その闇の正体をしれば、多分見捨てられなくなるんだろうな。


「うし。やるかっ!」

「――バルト! デートに行くのじゃ!」

「っツキヨ!?」


 決意をしたその瞬間、扉を開けてツキヨが入ってくる。俺とサフランは慌てて離た。


「む、サフランと共に居ったのか。何をしていたのじゃ?」

「あー。ちょっと相談ごとと言うか、そういう感じだ」

「ふむ。相談ならわらわにすると良い。どんな悩みも解決してみせよう」


 ツキヨが唯一解決できない悩みだからサフランに泣きついていたわけだが。

 むろんそんな余計な事は言わず、笑ってお茶を濁しておく。


「えーと、デートってどういう事だ?」

「バルトはいつもあれと共に、おるじゃろ?」

「あれっていうかメルね」

「うむ。二人きりで、デートをする事が夢なのに、それができぬ」

「あー。なるほどな」


 確かにツキヨと二人切りになる機会はそうそうない。思えばいつもメルと俺を取り合って喧嘩ばかりで、甘い雰囲気になる事はなかった。


「今エルフは眠っているから……わらわとデートに行かぬか?」


 ツキヨはそう、遠慮がちに言う。この絶好の機会を逃したくないのだろう。


「分かった。行こうか」

「ほんとか! 嬉しいのじゃ」


 そう言ってツキヨは俺に抱き着いてきた。豊満な胸も押しつぶれるほど強く、もう離さないとばかりの抱擁だ。

 俺としてもツキヨの事を知りたいし、良い機会だろう。メルにはあとで補填をする必要はあるが、たまには喧嘩ではない日常が欲しい。


「それでは、海に行こう。とてもきれいな場所があるのじゃ!」

「ああ、分かった」

「楽しんできてねー」


 サフランが気楽に送り出してくれるなか、俺は平和への糸口を掴もうと奮起した。



 ◇



 行先を告げられずに魔獣車に揺られ数時間。たどり着いたのが海だった。

 初めて見た世界の果てまで広がる無限の水。その広大さに俺の心は圧倒される。


「これが……海」


 話には聞いていたが、ここまで凄い物だとは思わなかった。全てが塩水で出来ているという不思議な水たまり。どこまでも続き、果てがないらしい。


「かつて、人魚族が住んでいた海じゃ。今は汚染領域となってしまったが、美しさに変わりはあるまい」

「ああ……綺麗だ」

「少し、歩こう」


 海辺をツキヨと二人切きりで歩く。とても近くで海を見ながら、慣れない砂浜に足をとられた。

 ツキヨの横顔は楽しそうで、それに見惚れるなんて事もあった。。


「少しならば海にも入れる。バルトも来るのじゃ」

「あ、ああ」


 靴を脱ぎ、ツキヨに手を引かれて恐る恐る海へ踏み出す。冷たい水が足にかかり、さっと引いていく。

 足首が浸かるほどの場所で海のエネルギーを感じながら、俺とツキヨは見つめあった。


「海って、凄いな」

「……そうじゃな。壊してしまった事を、後悔する」

「ここは、壊れてるのか?」

「かつて人魚族を滅ぼした時、わらわは猛毒の種を打ち込んだ。悪魔族の『腐毒沼地』を生み出す元となるものじゃ」

「えっ?」


 悪魔族の『腐毒沼地』といえば最悪の汚染領域として有名だ。広がり続ける猛毒の大地。それは今も世界を蝕んでいる。

 この美しい海が、その猛毒で満たされているというのか。


「手っ取り早く滅ぼす為に、ここを猛毒の海に変えてしまった。決して、海水は飲むでないぞ」

「…………」


 ツキヨはそう微笑んで、俺の手を引いた。


「ツキヨは……なんで人魚を滅ぼしたんだ?」


 俺はツキヨの手を逆に引き返し、じっと見つめあう。

 この答だけは聞かないといけない。息がかかるほど近くで俺は答えを求めた。


「……バルト?」


 ツキヨは戦欲を持たない。それはつまり、異種族を本能的に恨まない。

 その精神は俺達人間と同じはずだ。異種族を滅ぼす理由がない。そしてツキヨが本質的に悪だとも思えない。

 なぜ一種族を滅ぼすまでしたのだ。


「答えてくれ、ツキヨ」

「…………」

「ツキヨ!」


 ツキヨは押し黙り、沈黙が続く。その空気は永遠続くかと思うほど重かった。

 何十秒か経ち、ツキヨは小さく呟く。


「そうすれば愛してくれると、思ったからじゃ」

「えっ……?」

「人魚族を恨んだ事はないし、別にどうでも良い存在じゃ」

「…………」

「でも滅ぼせば、みんな認めてくれると思った。仲間として、愛してくれる思ったのじゃ」


 ツキヨの恐ろしいほどの渇望は、愛だった。

 かつて浮かんだ事は真実だった。ツキヨは底なしに愛を求めている。

 神は言った。愛してあげてと。メルよりも、サフランよりも、ツキヨの愛への切望はでかい。


「愛されたい、だけなのじゃ」


 “愛”。ただそれだけの為に、ツキヨは一種族滅ぼした。

 その答えに俺の心が底冷えていくのを感じた。

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