第三十三話 獣の姫
俺が連れ込まれたのはとある廃墟のベッドの上だった。ボロボロの民家だろうか。白を基調とした風情のある部屋だ。
そんな部屋にて、気づけばベッドの上で少女に押し倒されているというのが現状だった。
「人間。名前をなんと言うのじゃ?」
少女はわくわくと楽し気に言う。俺はどうにか起き上がろうともがくが、ビクともしなかった。腹に乗り、腕を押さえつけられてはどうにもならない。
故に渋々対話する道を選ぶ。
「まず自分から名乗って、顔を見せたらどうだ?」
得体が知れない。だがここで日和っていられない。
俺より強いのは明白だが、強気な態度を崩さず攻めの姿勢で俺は喋った。
「そ、そうじゃな。お主の言う通りじゃ」
怒りだすかと思ったが、あまりに素直にそういうと少女はフードに手をかける。
「わらわの名前はツキヨ。人間じゃ」
そう名乗ってフードから現れたのは、可愛らしい少女の顔だった。
黒く艶やかな髪は肩のあたりまで垂れており、その瞳も黒い。表情から読み取れるのは俺への純度百の好意。もちろんその顔に見覚えはない。
だが少女の言葉には一点、嘘がある。間違いなく人間ではないという事だ。
「人間だと? その耳を見ればとてもじゃないが信じられないな」
少女の頭にぴょこんと生えた獣の耳。魔獣“九尾”の耳と酷使しており、それだけで狐の獣人だと分かる。
人間ではなく、間違いなく獣人族だ。
「……まあ、わらわに半分は獣の血が流れておる事は否定せぬ。だが半分は人間じゃ」
「……ハーフって事か」
「うむ」
珍しいなんてものじゃない。初めて見たし、初めて聞いた。
異種族は害虫などと思っている者同士が子を設けるなどまず在りえない。よしんば出来たとしても産まれる前に殺されるし、産まれても殺される。
ハーフなど伝説でしか聞いた事なかった。
だが言われてみれば頷ける。少女を一言で言い表すならば、人間の少女に耳と尻尾を取り付けた。という外見だ。
獣人族とはもっと獣に近い。ここまで人に近い獣人は存在しなかったはずだ。しかしハーフであるならば納得である。
「つまり、お主の仲間じゃ。お主、名前をなんと言うのじゃ?」
「……バルト。……ただのバルトだ」
「ほーっ。バルト! バルト、バルト」
少女は俺の名前を嬉しそうに連呼する。
やはりそこに敵意は微塵も感じなかった。
「お前は……ツキヨと言うのか?」
「そうじゃ。かしこまらず、ツキヨと呼んでくれ」
顔に見覚えはなくとも、名前には聞き覚えはある。
あの神を名乗る奴が言っていたはずだ。たしか俺達と同じ希望、とか言っていたか。
「あー。ツキヨは、なんで俺を攫ったんだ?」
「同族が異種族共に囚われていれば助けるのが当たり前じゃ」
「……なるほど」
異種族が仲良くするなどありえない世界、メル達と一緒にいるというのは傍から見れば囚われている様にしか見えないだろう。
実は仲良く旅をしていますなどと思うわけがない。
「俺は、囚われていた訳じゃないんだ」
「ふぇ、どういう事じゃ? あのエルフ共に囚われておったのじゃろ?」
「良いや。とても良くしてくれた。俺達は仲間だ」
「……な、なんじゃと。何を言っておる。洗脳されたか?」
「違う。本当に仲間なんだ」
「う、嘘を申すな! 異種族共が仲間などありえるはずがない!」
ツキヨは叫ぶ。それはもっともな意見だ。
俺達が異常であり、普通はそう思うのが普通。異種族とは敵であり相容れる事などないのだから。
「まさか。バ、バルトは……あやつらを愛しているのか?」
「ああ。そうだ」
「そんな。嘘じゃ。であればわらわは……」
俺の肯定にツキヨは目を見開いて一転、絶望に染まった様な顔を見せた。
目には大粒の涙がたまり、それは頬をつたる。とめどなく溢れる涙が止まる事はなかった。
「ツ、ツキヨ?」
「うっ……わらわにはっ。もうお主しかおらぬのに」
女の子の涙を前に俺は全ての感情が吹き飛んだ。警戒心はどこかへ消え、どうすれば泣き止むのかとおろおろするばかり。
「バルトは……わらわを抱きしめてくれるのか?」
「えっ……?」
「わらわを、抱きしめてくれるのか?」
「なにを……」
ツキヨの言葉に戸惑いを隠せない。だがここで返答を間違ってはいけないという本能だけはあった。
その涙を前に拒絶などできない。そして思い出すのは神の言葉。
「……愛してあげて、か」
メルを、サフランを。そしてツキヨを愛してあげて。
今ならば神の言葉の意味が分かる。ツキヨの様子は普通ではない。初対面の人間を前に、こうも泣きはらして抱擁を求めるなど異常だ。
「……ツキヨ」
「あっ……」
だから俺は、ツキヨを抱きしめた。
絶望に染まった顔を見た時にこのままではいけなと思ってしまった。
緩んだ拘束を抜け出し、逃げる事なくその身を胸に抱く。最初はビクっと震えたツキヨだが、次第に力を抜いて俺によりかかる。そして自分からも手を回してきた。
「暖かい。……これが。これが……」
ツキヨは目をつぶると力強く俺を抱きしめる。俺に全身を密着させ、もう離さないとばかりの抱擁だ。
そうすればツキヨの柔らかな体を全身で感じられた。大きな胸からは激しく動く鼓動が聞こえる。目をつむって力を抜いたツキヨとは対照的だ。
「ツキヨ?」
「ふふ……愛じゃ。この暖かさこそが、愛なのじゃな?」
「……そうだな」
まだ初対面。しかしツキヨは似ている。支柱がなく不安定だったころのメルとそっくりだ。
これが神が言っていた事だろうか。愛してあげてという言葉の意味。メルとツキヨ。そしてサフラン。みんな愛を求めていた。
「永遠、このままでも良い。じゃがそうもいかぬか」
ツキヨは名残惜しそうに俺から離れると、じっと外を睨む。
「もう見つかってしまったか」
その言葉と同時に扉が吹き飛んだ。
衝撃波と共に折れ曲がった扉。そして珍しく思い切り怒りを表したメル。
「お前か。バルトをさらった、やつはっ」
「攫った? わらわはバルトを助けただけじゃ。お主の様な異種族ではなく、同族であるわらわと居るべきじゃ」
「……何を言ってる。獣の姫」
「……ふむ。ああそうか。お主は戦姫か」
メルは魔力を全開で放ち、剣を抜いてまっすぐツキヨを射抜く。
ツキヨは涼しい顔で微笑むと俺の前に立ってメルと向かい合った。
「バルトを返して」
「嫌じゃ。バルトはわらわの旦那様になるからの」
「はぁっ? 何言ってる。バルトは私と結婚する」
「寝言は寝てから言うべきじゃな。異種族と結婚など、エルフの法律が許すまい」
「もう国は捨てた。関係ない」
「そうか。では死ね。バルトはわらわのものじゃ」
「お前が死ね」
殺しを禁忌するメルが、躊躇なく殺意を向けていた。メルの全力の殺意など魔獣すら逃げ出すものだがツキヨは笑っていた。
今のメルは危険だ。薬を使った時と似ており、おそらくツキヨを殺すことに躊躇などないだろう。
メルの異常な強さを前に、いくら得体が知れぬとはいえツキヨの死は決まったようなもの。
二人を争わせてはいけない。それは幸せな結果になる事はないだろう。
「まあ、落ち着いてくれ」
「っ……バルト?」
「なっ。いつのまに」
英雄の力で気配を消し、メルとツキヨの間に俺は立つ。
突如現れた様に見える俺を前に、二人は手を止めた。
「話し合おう。俺達はそれができるはずだ」
「バルト退いて。そいつはバルトを傷つける悪い奴。殺すから」
「そうじゃな。そのエルフはわらわからバルトを奪う害虫じゃ。生きている価値がない」
俺が間に立とうと二人が止まる事はなかった。より殺意が増すだけだ。
だから俺はもっと踏み込む。
「止まれ。そうじゃないと、お前たちの事を嫌いになる」
「「っ――!?!?」」
その言葉を放つと同時に殺意が四散する。そして二人とも青ざめ始めた。
「ご、ごめんなさい。止めるから。嫌いにならないで」
「わ、わらわが悪かった。嫌いになるなど言わないでくれ。バルトに嫌われてはもうわらわはっ……」
震える声で武器を捨てて懇願しはじめるメルとツキヨ。
こんな事言いたくはない。だが言わねば止まらない。その両天秤の前に放った言葉だが、もう二度と使いたくはない。
「はぁ……取り合えず話し合おう。サフランはどうした?」
「あ、その……置いてきた」
俺の事となると途端に思考が吹き飛ぶのはメルの欠点か。
今頃サフラン泣いてるぞ。
「サフラン探して、話し合いだ」
「は、はい」
「分かったのじゃ」
借りてきた猫の様に大人しくなった二人を連れてサフランを探しに行く。
言いたくない事を言ったが、どうにか話し合いのテーブルに着く事ができた。それは良い事だろう。
だがこの後平和に話が進むだろうか。それを思うと胃がキリキリと痛んだ。
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