第三十話 朝日よりも清々しい心

 朝日が俺を起こした。照らす光と共にゆっくりと目を開けて、隣ですやすやと眠るメルを見る。

 メルは起きる様子がなく、俺は起こさない様に静かに寝床を抜け出した。


「ん。おはよー」

「おはよう。早いな」

「なんかスッキリした目覚めだよ。どうやって寝たか覚えてないけど」

「そうかそうか」


 サフランの頭に出来てるデカいたんこぶについては何も聞くまい。それが平和だ。

 ごくごくと水を飲みながら、幸せそうにしているサフランがいる。それで良いではないか。


「異常は特になかったみたいだね。さすがメルのバリア」

「これがあればどうにでもなりそうだな」

「だねー。……でも、これからどうするの?」

「あー。それな」


 一生汚染領域で生きていくわけにもいくまい。かといって外だと死者アンデットの問題がある。結界石を持っていない俺達では安全に暮らしていけない。


「『断空絶域』は一番安全な場所だよ。ここで暮らす?」

「こんな場所でか?」

「あははっ。それね」


 まあ一番安全なのは確かか。一番大きな空間の捻じれに巻き込まれなければ生きていけるし、食料もある。

 他の汚染領域じゃまず食料調達が不可能だろうし、ここは一番暮らしやすい。


「まあ、メルが起きてからだな」

「りょーかい。じゃあ、ボクとイチャイチャしよっか」

「おい」


 サフランはそう言って俺の膝に乗ってくる。こいつも大概無防備だ。

 まあ襲ってきた男は百人でも投げ飛ばせるが。


「えへへ。こうやって、パパの膝に乗って本を読んでもらったな」

「そうか。メルの本でも読むか? 魔法哲学のやつ」

「えー。やだ」


 勉強は嫌いなようだ。まあドワーフが魔法哲学など読んでも意味ないか。

 膝の上のサフランは俺を椅子にするかのように体重をかけてくる。俺はそれを軽く受け止めて、座りやすい様にした。


「あー。頭なでろー」

「よしよし」

「ういー。パパより、うまいかも」

「メルの頭を撫でまわし続けたからな」

「うらやましー」


 穏やかな朝だ。今の俺は全ての雑念が消えた晴れ晴れとした男。

 サフランを可愛がって談笑をする余裕を持つ。世界はこんなに広いのかと思うほど晴れやかだ。


「メルの胸の次……の次くらいにバルトの手が良いかも。褒めてやる」

「光栄なお言葉で」

「あー。でもメルが一番上ね。越えられない壁の下にバルトだから」

「まあ、だろうな」

「へへ。だよね」


 メルの胸に勝てるなど微塵も思っていない。あそこは魔境であり天国だ。

 何度体験しようが慣れる事のない聖地。あの柔らかさと香りに満たされれば安眠が約束されるだろう。


「メルの胸でそっと息を引き取る事がボクの夢なんだ」

「分かる。俺も良い最期だと思っていた」

「だよね。バルトは話しが分かる奴だ」


 今ならサフランの話しも大いに理解できる。そんな心境だ。

 サフランを撫でながら俺達は朝日の中でメルが起きるその時まで談笑を続けた。


 太陽が完全に顔を見せた頃、メルの声が聞こえた。

 微睡の中、何かを探す様にもぞもぞと動きだす。そして空を切ったところでゆっくりと起き上がった。


「…………」


 寝ぼけ眼で俺達をじっと見るメル。数秒の沈黙の後、急に立ち上がると足早に近づいてくる。


「おはよーメル」

「……なにしてるの?」

「え? ……イチャイチャしてむぎゃーっ」


 言葉の途中でサフランを掴むと、メルは思いっきり投げ飛ばした。

 とんでもない力で投げ飛ばされたのか空を飛ぶように舞う。そしてバリアにたたきつけられ地面に落っこちた。


「ゆだんも、すきもない」

「メル……?」

「おはよ。へんなのに、騙されないで」

「お、おう。……もう少し優しくしてあげたらどうだ?」

「バルトに触れないなら、考える」


 まああの程度でサフランは怪我する事もないだろうし大丈夫か。

 これだけボコボコにされてもメルが好きだし、俺の膝に乗ってくるサフランはもはや一連の流れが好きなのだろう。

 ならば何も言うまい。


「バルトは……私と。イチャイチャするべき、だと思う」

「それは……俺もたくさんしたいが」

「そ、そっか。じゃあ、しよ」


 メルはさっそくとばかりに俺を抱きしめてくる。昨夜たっぷり抱き合ったというのに、まだ満足できないらしい。

 俺もその柔らかな体を抱きしめて、その愛に答えた。


「ん。朝は、バルトに。ぎゅってしてもらうのが好き」

「そっか……俺もだ」

「あぅ……バルト。私の事。嫌いじゃない?」

「……好きって言葉は嘘じゃない。あの頃の言葉は、本当だ」

「えっ……それは」


 演技だったのは最初だけ。メルの事を知るにつれ、俺は惹かれて恋に落ちた。

 好きと語り合った日。愛を囁いた日。全ては本当の日々だ。


「俺も、好きだ。メル」

「あ……その。私は、……大好き」


 動揺したようで、目を白黒させながら俺の首筋に顔を埋める。そして意を決した様に俺の耳元で愛を囁いた。

 これからもう一度ナニカが始まる予感がしたが、今回もこの雰囲気をぶち壊す声が聞こえた。


「うがー。ずーるーい! ボクにも大好きって言って」

「……ちっ」


 ああ、またメルが舌打を。今度は耳元で聞こえた気がしたが……気のせいだという事にしておこう。


「好き好き―! だーい好き! メル結婚しよ」

「……私はバルトと結婚するから。ダメ」

「えー。じゃあボクがバルトと結婚する。ドワーフは重婚できるから、メルはボクと結婚すれば良い」

「はっ?」


 メルから聞こえてはいけないほど低い声が聞こえた気がする。が、聞かなかった事にしよう。

 稀にみるほどブチ切れているが、これまた見なかった事にする。それが平和だ。


「むぎゃーっ!!」


 サフランの悲鳴が辺りに轟く。汚染領域だというのになんと平和なのだろう。



 ◇



「で、さ。これからどーするの?」


 あのやり取りから三十分。メルにたっぷり絞められたサフランはものの数秒で復活すると、今は元気に朝食を食べていた。

 そこでの話題は今後についてだ。


「あー……サフランは、目的あったりするか?」

「ボクはねー、幸せに生きる。それだけだよ。今までは沢山殺して戦う事が幸せだった。でもそれは違うって気づいた今は、メルと一緒にいる事! メルとイチャイチャして幸せに生きてくんだ。ねー、メル」

「え、やだ……」

「ええええっ!?!?」


 メルからのシンプルな拒絶に絶叫するサフラン。いつもの事である。

 まあサフランの目的がメルと一緒にいる事なら、今のままでもいいと言う事だろう。


「メルはどうしたいとかあるのか?」

「私は、バルトと一緒にいられればそれで良いよ。バルトの望みはなんでも叶えてあげるし、バルトのしたい事が、私のしたい事」

「そ、そうか」


 そんな目をキラキラさせて重い愛をぶつけられても。そうなった原因の一端は俺だし甘んじて受け入れるが。

 つまりサフランはメルといたい。メルは俺といたい。俺は……まあメルと一緒にいられれば良い。

 だがどう暮らしていく。汚染領域で一生暮らしていくわけにもいくまい。


「バルトは。なにしたいの? なんでも言って」

「俺は……なんだろな」


 復讐だけが目的だった。それがなくなれば死ぬつもりだった。それなのに突然、生きるという曖昧な目標になった。

 今後どうしたいかなんて、分からない。


「分かんないな。……しばらく、旅でもするか」


 旅は答えを見つけてくれると聞く。

 アルティア様も旅の果てにこの道を選んだのだろう。俺も彼女みたいに強烈な思いを手に入れる事ができるだろうか。


「私はバルトについていくよ」

「ボクはメルについてく!」


 二人ともそう言ってくれるならば、少し旅をしようか。

 それが答えを教えてくれると俺は思う。


「じゃあ、行くか」

「ひひっ。機械人形が教えてくれたけど、この先に広がってるのはね『極光聖夜』。天使族の残した最悪の汚染領域だって」


 サフランはそう言って、楽しそうに笑う。俺もそれにつられて笑った。

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