第二十九話 汚染領域の夜
エルフと人間。その間にある身体能力は埋められるものではない。エルフは十種族の中では脆弱と言われるが、人間に比べれば天と地の差。英雄であろうとどうにもできない差だ。
まあつまり、俺は簡単に掴まったという事。今は正座をして顔を伏せていた。
「バルト……お風呂。入ったの?」
「……はい」
「サフランと、二人で?」
「はい、そうですメル様……」
「敬語、やめて」
「はい……」
なぜだろう。光が完全に抜け落ちたメル様を見ていると主従関係だった頃が呼び覚まされる。
違うメル。そう、様も敬語ももういらない。主従関係はもう終わったんだ。
俺はどうにか正気に戻り、メルは悲し気な顔をする。
「私も、まだなのに……」
そう呟きながら、メルは俺の頬を両手で包んだ。
そうして正座する俺を見下ろす様に、吐息がかかるほど近くまで顔を近づけてくる。
「っメル……?」
「ずるい」
メル様の長い髪が光を遮り、二人だけの世界が生まれる。
頬に感じる髪の感触。一番近くで感じる息遣い。そして揺れる瞳。俺の全てがメルに支配される様だった。
「今日は、私と……お風呂はいろ」
「え、あ……いや」
「体、洗ってあげる。いっぱい、お世話するよ?」
「……メル。だが」
もう俺は止まれる気がしない。復讐の為に嫌われるわけにはいかないというストッパーはもうないのだ。
溢れる恋心も、性欲も、感情も止まらない。止まれる気がしない。
故に止まる可能性があるとしたら、外部からの行動だけだ。
「むがー。ズルい! メル、ボクと一緒にはいろー」
俺達のやりとりを眺めてたサフランが、我慢ならんとばかりにメルに抱き着いた。
「っ……サフラン、邪魔」
「むぐっ」
だがメル様は顔をしかめただけで、すぐに引きはがして地面に転がす。
鬱陶しい虫がついたとばかりの辛辣な対応である。
「こんな事で折れるボクじゃないぞ、ねーねー、メル好きー! バルトも好き!」
「だめ。バルトは好きになっちゃだめ」
「やだ。ボク、バルトの事も好きだもん! メルが一番だけど……」
「だめ! バルトは、私の。私だけの人!」
「じゃあメルはボクだけのね!」
「違う。私も、バルトだけの!」
互いに凄い剣幕だ。普段感情を表に出さないメルが声を荒げて叫ぶ。サフランも心の底から愛を叫ぶ。
二人とも譲れないものがあって、その為に生きているのだろう。そんな二人がとても眩しい。
「ははっ……仲良いな」
「でしょー」
「良くない!」
俺の中にあるメルへの恋心は、これほど大きいだろうか。釣り合いがとれるほどの物を持っているとは思えない。
メルはどこまでも愛してくれるが、俺はメルを愛する事ができるのか。俺のメルへの愛はサフランにも劣っているのではないだろうか。そんな考えが溢れてくる。
「仲良く二人、入ってくれば良い」
「バルトもそう思うよね! 行こメル!」
「……バルトが、そう言うなら」
サフランは笑顔でメルの手を引く。メルも俺の言葉に渋々ながら従った。
「お風呂、のぞかないでね」
「当たり前だろ」
「私一人の時は、いつでものぞいて、良いけど」
「だめー。メルの裸はボクだけのものなんだからな!」
「違う、バルトだけの!」
「……まあ、なんでもいっか」
俺は考える事をやめた。バリアの中で作られた風呂に背を向ける様に寝る。すぐ側に風呂があり、しかも壁なんかない。
余裕で声も音も聞こえてきた。
「わー。メルの胸。おっきいね」
「ちょっと。やめて」
「ぐへへ。よいではないかー、よいではないかー」
「キモい。一緒に入りたくない」
「あ、ごめんなさい」
女の子達の声聞こえる。俺を惑わす魔性の声だ。
少し前まで死を望んでいたと言うのに、俺はもう性を感じている。違う生を感じている。それがどうにも浅ましい。
「サフラン、汚れてる」
「あー。気持ちー。後でメルも手鳥足取り洗ってあげる」
「自分で洗うからいい。変な事言わないで」
「うぐぐ」
繁殖力こそが人の武器。増えすぎて死ぬこともおおかったという諸刃の剣みたいな武器だが、俺も最後の人間としてそれを確かに備えている。
否、最後だからこそ子を残そうと暴走気味だ。復讐というストッパーもない以上、あとは俺次第か。
とまあ、そうやって考え事をすることで俺は背後の花園から目を背けるのだった。
「出たよー」
「バルトも、入ったら?」
思考を加速させ、暴走する己を制御しきった俺は目をあけていそいそと立ち上がる。
お風呂は好きだし、これからいつ入れるか分からない。故に俺も入る準備をする。
「メルって凄いなー。こんなお風呂すぐ作るなんて」
「ああ。そうだな」
「……そうかな。いつでも、言ってね」
メルはこれからご飯を食べるらしく、サフランはスープを注いであげてる。
そんな二人を尻目に、俺も服を脱いだ。
「温かったら言ってね。洗ってほしかったら、すぐ行くから」
「ああ、大丈夫だ」
「そう? なんでもするよ」
背中を流してなんか貰ったらもう止まれる気がしない。
本能を制御しきれない己が恥ずかしくなるが、それが人間ならばしかたない。そうやって何千年生きてきたのだ。
「ふー。生き返るって、この事か」
軽く体を洗い、湯船につかる。温かな湯は俺の心を癒してくれるようで、荒んだ心が解放されていく。
二人の浸かった残り湯か、なんてことは考えず俺は目を閉じる。
「……これから、どうするかな」
落ち着いてくればそんな事を考えだす。生きる事を決めたが、じゃあ何をすると言われれば答えられない。
復讐だけが目的だったのだ。それが終わればポッカリと空いた穴だけ。そこにあるのはもうメルぐらいだ。
「まあ……後で考えよう」
今はもう少し湯船に癒されようではないか。
俺はそう落ち着こうとして、できなかった。
「…………」
じっと見つめてくるメルの視線があったから。これは覗きだろうか。
いや違うか。ガン見だ。サフランと会話しながら視線は完全に俺に向いていた。落ち着くなどできるはずがなかった。
◇
夜は静かだ。たまに聞こえるのは空間が捻じれる音と、焚火の音だけ。メルは本を読んでおり、サフランはその肩で涎を垂らしながら眠っている。
焚火と月の明かりだけが照らす穏やかな世界は、三年ぶりに過ごした平和な時だった。
「……ふぁ。寝るか」
「ん。そろそろ、寝る時間かな」
子供であるサフランなどはすでに寝ている。平和すぎて忘れていたが、ここは汚染領域。寝れる時にしっかり寝て体力を保たねばならない。
「一緒に……寝る?」
「……いや。一人で寝る」
「えっ!?」
「むぎゃっ」
俺の言葉に立ち上がるメル。そして転げ落ちるサフラン。
だが一緒に寝るなど俺の精神が持つわけがない。復讐を止め、生きる事を決意した俺は健全な青年なのだ。
それが女の子と寝床を共にするなど、恋人でもないならばしない方が良い。どうなるか分かったもんじゃない。
「で、でも。寒いかも」
「……ああ、そうか」
寒さなどしばらく感じなかったが、言われてみれば焚火がなければ肌寒い。
良い睡眠はとれないかもしれない。
「その点、私は。体温高いよ。抱きしめると、ポカポカすると、思う」
「…………いやしかし」
「抱き枕の代わりにすると、良いかも」
「うがー。じゃあボクがメルと一緒に寝る!」
「邪魔」
「むぐぅ」
茶々を入れてきたサフランを絞め落として寝かせるメル。気絶ではないかと不安になるが、すぴすぴとした寝息を聞けば寝ているのだろう。そう思おう。
「バルトと一緒に、寝たいな。そしたら、安心できる。でも……バルトがいやなら、やめる」
「……はぁ、分かったよ。あー、一緒に寝るか」
捨てられた小犬の様な表情をされては断れないじゃないか。
メルをここまで依存させたのは俺だ。ならば責任を取るべきなのだろう。性欲はねじ伏せる。それだけだ。
「やった……っ」
寝床は簡易的なものだ。サフランが持っていた組み立て式の寝床で、俺達は寝そべる。
一人用の狭い寝床に二人で寝ているため、かならず密着してしまう。
「……ん。バルト」
メルは何も気にしない様に、俺に全身を預けてくる。
柔らかな肢体が俺の体にまとわりつき、甘い香りが鼻孔をくすぐる。なんと罪な子だろう。こちらの気もしらないで。
正気を保つなど、土台無理な話しだ。気づけば俺はメルを組み敷いていた。
「バ、バルトっ……?」
「こうなると、知らなかったか」
「あ、その」
メルは純粋だ。男というものをまるで知らない。復讐に生きていた頃の俺しか男を知らぬから、こうも無防備になるのだ。
男は狼だ。その狼が良心で近づくなといっているのに、自分から巣に飛び込めばどうなるかなど子供でも分かる。
「あ、ぅ……」
「俺は、欲深い人間だ。善性なんてないし、正義ももたない」
こんな純情な子を組み敷いて、その先を無理矢理行おうなど悪人の所業だろう。
だがそれが人間だし、男というもの。それがなければとっくに絶滅している。子孫代々生き残っていくために必要なものだった。
月明りに照らされたメルは美しく、不安げな瞳が俺の情欲をかき立てる。メルは抵抗しなかったそうなると止まるはずがなかろう。
「その、怖い、よ」
「……っそうか。だが――」
「あああああっ!!! なんか二人が一緒に寝てるー! ズルいズルい!!」
急に聞こえる叫び声。そして俺達に飛びついてくるサフラン。そこに漂っていた雰囲気はぶち壊され、サフランが俺を押しのけてメルに抱き着いた。
「…………はぁ。俺何してたんだ」
「そうだよ。メルを組み敷いてなにしようとしたんだ。ズルい」
「サフラン……寝たんじゃ、なかった、の?」
「起きた! そしたら二人が変な雰囲気だから邪魔した!」
「そう……ちっ」
メルから舌打ちが聞こえた気がしたが、まあ聞かなかった事にしよう。
メルは立ち上がり、サフランをどける。
「サフラン、一緒に寝よっか」
「えー。メルほんと? やった、大好き」
メルはいそいそとサフランを押しながら寝床へ向かう。俺は助かったと、暴走する自分自身と向き合う事にした。
しかし。
「サフラン、寝かしつけてくる。続きは、その後ね」
「えっ……?」
そう言って微笑むメルに俺の心は高鳴り出した。
妖しげな瞳で俺を見て、サフランと共に去る後ろ姿に心臓は煩いほど鳴る。夜だと言うのに俺は眠れる気がしなかった――。
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