第二十六話 戦姫が生まれた日
『お前は英雄だ。エルフを守り、導く英雄として産まれたのだ』
メルティアが物心つくと同時にその言葉は毎日の様に聞かされた。
百年ぶりに産まれた英雄に国は湧き、滅びかかっていたエルフを救うと全ての期待を背負ったのはメルティアが五歳の頃だ。
思い返せば幼少の頃は、訓練の記憶しかない。剣を振るい、魔法を放ち、寝る。その繰り返しは、英雄たる精神を持たないメルティアに厳しい日々だった。
何度逃げ出そうと思ったか。しかし外で生きていく術などない。
メルティアに施されるのは戦の訓練と、教育だ。
敵が如何に恐ろしく、醜悪で害しかない虫であるか。殺す事が正義で、慈悲である。エルフ以外は必要ない。そんな洗脳を繰り返し行われ、エルフの英雄『戦姫』育てられた。
『メルティア様は全ての異種族を滅ぼすのです。獣人、人魚、人間、そしてドワーフを。エルフの英雄様』
呪いはメルティアを蝕み続ける。たとえ何があってもエルフの英雄で居続ける事を、メルティアは刻み込まれた。
だがそれにメルティアの心が耐えきれない。普通の少女と同じ精神しか持ってなかったメルティアが、薬に頼るのは必然だったのだろう。
ハクア草は薬になる。精神を落ち着かせる丸薬は、メルティアを英雄へと昇華した。
薬によって生み出された戦姫は無敵だった。
幾千の敵を薙ぎ払い、ドワーフを滅ぼしてゆく。
今も滅んでいないのは、途中で生まれたサフランがいたからだろう。
メルティアの強さは異常だ。普通の英雄としてありえない力を前に、味方は敬いつつ、一番恐れていた。
誰からも恐れられ敬われ仲間はいない。兄妹は次々と死に、姉は旅に出た。父は痴呆からかメルティアを恐れていたし、母親はメルティアを産むと同時に死んだ。
孤独はメルティアを蝕む。薬に頼る生活を続け、もはや廃人寸前だったのだろう。
そんなメルティアの転機はとある種族の掃討作戦の時だった。
「人間が、いた?」
「はい。偵察に出ていた者が怪しい煙を発見。周囲を捜索したところ人間と思わしき痕跡を発見しました」
十の種族の内、もっとも特殊なのが人間だ。
戦う力を持たず、逃げ隠れ続ける種族。千年前に唯一の王国が滅びて以来各地に散って隠れ住んでいるという。
十数年前に獣人に滅ぼされた集落が最後かと思われていたが、まだ生き残っていたとは。
「駆除します――」
まあ決断は変わらない。駆除一択だ。
英雄として異種族を全滅させる事が使命。呪いと薬効はメルティアに非情な決断をいとも容易く行わせた。
「部隊の内、百人残します。残りは都に帰還してください」
「はっ!」
今は獣人と戦争を終えての帰還中。物資は心もとなく一度撤退するのが吉だが、人間の逃げ足の速さは有名だ。
逃げられる前に駆除するのが英雄の役目。まあ百人と言わずメルティア一人でも良いが、さすがに単独行動は軍としてありえない。
物資と結界石を分け合い、残りは帰還。少数精鋭で人間を駆除してメルティア達も帰るというのが手っ取り早いだろうと判断し、命令を下した。
英雄の決断に行動は迅速だ。
精鋭百人と共に、最小限の物資を持って目的地へ。
汚染領域『断空絶域』のギリギリ境界に生息していると推測できたため、その近くに結界を張り周囲の探索を始める。
「メルティア様。痕跡を発見し入念に調べたところ、隠蔽された結界らしきものを発見しました」
「探査魔法での推定ですが、数百ほど生息しているかと」
「分かりました。迅速に動きます」
「「はっ」」
悪魔族の残した隠蔽結界と言えど、エルフの探索を前にすればないも同然。そこにいると気づかれた時点で終わっていたのだ。
人間とは所詮、その程度の生物だった。
結界に数名の見張りのみを残し、メルティアを筆頭とした百のエルフが人間をめがけて翔ける。
枯れた森を破壊しながら全てを薙ぎ払いながら走った。
「隠蔽されていますが、この下に生息しています」
「分かりました。火炎魔法を打ち込んでください」
「はっ。火炎魔法用意!」
慈悲はない。もっとも効率的に駆除するため、火炎魔法を命じた。
詠唱と共に放たれる巨大な火球は崖下に着弾し、結界を丸裸にする。
「着弾確認。配置している人員を突撃させます」
「お願いします」
周囲を取り囲む様に配置されていたエルフの兵が、四方から押し寄せる。
「私も行きます」
「はっ」
全てを確認し終えたメルティアは、自分自身も崖下へと飛び降りた。
空から降ってくる幼い少女。しかしそれはもっとも恐ろしい災害だ。
「……発見」
「あっ――」
目についた人間を斬る。声を上げる事もなく真っ二つになった死体を
目についたら殺した。
「……子供?」
ただ足が止まったのは、逃げる少女を見た時だ。まだ幼く十歳ぐらいだろうか。泣きながら走る少女を見た時、なぜか足が止まった。
「っ……殺さないと。英雄の役目」
だが動き出さねばならない。英雄は異種族を全部殺す者。
メルティアに施された洗脳は強固なもので、薬の効果も有り足を止めたのはほんの一瞬だった。
「『火よ貫け』」
人差し指を少女に向けて、呪文を唱える。すると放たれる巨大な火炎は少女一人容易く呑み込むだろう。
「ミルア――」
しかし少女は焼けなかった。代わりに飛び出してきた母親が少女をかばって焼死する。突き飛ばされた少女は燃える母親に駆け寄った。
「っ……」
また足が止まった。なぜか体が震えてくる。薬が切れたのだろうか。だがまだ持つ計算だが。
「俺の家族に、何をしているっ!!」
思案するメルティアに突如として切りかかって来たのは父親だった。
不意打ちであるが、メルティアにとっては微風にすぎない。
「邪魔……『風よ切り裂け』」
「――――」
父親も軽くバラバラにする。だがそのたびに不思議な痛みを感じた。
「ば、化け物っ! お父さんと、お母さんを返してよ!!」
少女の声が痛い。その目が、感情が全てが痛い。
なぜか感じる未知の痛みにメルティアはまた足を止めた。
「……うるさい」
痛くて痛くてたまらない。この痛みの原因が少女ならば、取り除けば治るだろうか。メルティアは剣を振った。
「お前なんかお兄ちゃんが絶対たお――――」
少女の首が空を舞う。だが痛みは治らず、余計に酷くなった。
胸が苦しく息が詰まりそう。ズキズキとあふれ出す痛みが堪えきれない。
「ころ、さ。ないと。そうすれば……治る、よね」
この痛みを止める方法はしらない。だが使命を果たせば治るはずだとメルティアは剣を握る。
「使命。私が、やらないと」
歩くほどに痛くなる。殺すほどに激痛へとなる。子供を殺す事が何より痛かった。
メルティアが殺した数は50程度だろうか。全てを滅ぼし終えた後、メルティアは痛みに耐えきれなくなった。
「はぁ、はぁ。痛い。なんで、こんなっ」
使命を果たしたのに、痛みは酷くなるばかりだ。このまま死んでしまいそうなほど痛いし、もう死にたい。メルティアの心はグチャグチャだった。
「メルティア様、どうしたのですか? まさかあの強力な個体に?」
「だい、丈夫です。“夜”が来る前に数名ここに残して陣地に帰還、します」
「はっ!」
早くこの場を離れたかった。ここに居るだけで痛みと恐怖が止まらない。
どうにか指示を出し、陣地に戻っても痛みが消える事はなかった。
殺した人間がメルティアを取り囲んでいる気がした。気づけば今まで殺してきた異種族達の気配がした。
「っごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
謝っても消える事はない。メルティアが殺した無数の亡霊は責める様に視線を向ける。
四方から向けられる視線に耐えきれなくなったメルティアは、逃げ出した。
「――はぁ、はぁっ。なんで、私。こんな事っ!」
薬は完全に抜けていた。
計算よりも早い薬切れは、本当のメルティアを呼び覚ます。本来、殺す事すら禁忌するメルティアにとって今の状況は耐えられるものじゃなかった。
「うぇっ……ひぐっ、んぁ」
逃げ続けたメルティアは、森の中で一人泣いた。
あの少女を殺した痛みが全身を支配する。村を壊滅させ、一つの種族を滅ぼした事への恐怖が沸き起こる。
自分自身が起こした事を思い出し、蹲って泣き続けた。
「なんで、泣いてるんだ?」
だからその声を聞いた時、救いを得たとメルティアは思った。
なぜか生きている人間。彼ならば罰を与えてくれるだろう。この抱えきれない罪悪感を解かしてくれるだろうと思った。
だが――。
「俺は、許すよ」
彼は罰を与えてくれなかった。代わりに許しをくれた。
その言葉は潰れそうだったメルティアを救う言葉だ。
彼だけが許しと救いをくれる。その言葉をくれた時点で、彼に恋をするのは必然だったのだろう。
彼の言葉が、手のひらが、抱擁が、メルティアを救ってくれる。彼がいなければ罪悪感に自死を選ぶ道をたどっていただろう。
その日、メルティアの心はバルトで満たされた。
人間の少年に恋し、依存し、愛される日々は確かに一番幸せな時だったと言えるだろう。
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