第二十五話 これから

 暗い闇があった。何も見えず何も感じない。気が狂ってしまいそうな空間に、二人の男が佇んでいた。


「……もう、良いのか?」


 男は問いかける。


「ああ。もう、良いんだ」

「せっかくのチャンスなのに。あの化け物を殺せる機会なんてもうないだろ」

「良いんだ。メルも……時代の被害者なんだよ」

「そうかい……」


 話していたのはバルト……そして、もう一人のバルトだ。

 瓜二つの顔が暗闇の中で対話していた。


「やっぱ、お前に復讐は向いてないよ」

「な訳ないだろ」

「じゃあなぜ俺が生まれた?」

「っ……」


 バルトは元々一人、二人目のバルトが生まれたのは復讐を決意してからだ。

 そして復讐をするときはもう一人のバルトが出てきて、どんな非道な事すら平気で行う。彼がいなければこの復讐は上手くいかなかっただろう。


「お前の代わりに復讐を行う人格こそが俺だろ? バルト」

「そうだな。嫌な役割押し付けた」

「その為に生まれたんだ。嫌だとは思わないさ」


 バルトは弱い。精神は英雄たりえる物を持たず、普通の少年でしかなかった。そこはメルティアと同じなのだろう。

 ただメルティアはボロボロになっても英雄であり続け、バルトは逃げ出した。そこに差はある。


「まあもう良いなら消えるよ」

「ごめん……」

「それが俺の役割だ。敵に恋しちまう様な・・・・・・・馬鹿の代わりこそがな」

「っ――」


 バルトは目を見開いて、俯く。結局復讐なんてバルトには無理な事だった。

 最初こそ演技であったが、メルティアの事を知るにつれ惹かれてしまう馬鹿だから。

 家族を殺し、故郷を滅ぼした仇なのに愛してしまった。そんなバルトには無理な話だった。


「でも、本当に良いのか? 俺だけで決着をつけても良いんだぞ。お前は眠っていれば良い」

「…………」

「起きた時には全てが終わってる。お前が傷つく必要はない。それも手だぞ?」

「良いんだ。……母さんが言ってた言葉、思い出したから」

「へー」


 母の言葉はよく覚えている。だがその一言だけがポッカリと抜け落ちていた。

 復讐をするために邪魔だったのだろう。


「『復讐はしないで。その連鎖が戦争を生み出すから。私達が死んでも、恨まないで。生きて――』だったかな。母さんは復讐を望まなかったんだ」

「……そうか」


 復讐の連鎖が戦争を生み出す。この連鎖はどこかで断ち切らねば、滅びるまで続く呪いだ。


「なら俺は消える。じゃあな」

「ああ……ありがとう」

「はっ。お前は、どうするんだよ」


 もう一人のバルトの言葉に、少し考える。


「死に場所を探しに行こうかな。俺はあそこで死ぬはずだった。もうみんなの元へ行かないと」

「それで良いのかよ」

「もう俺が死んで悲しむ人もいない」

「いやメ……あー、まあいっか」


 もう一人のバルトは途中で言葉を切って頭を振る。これを伝える必要はないと思ったのか、そのまま背を向けた。


「じゃあな。幸せに、生きろ」

「いや――」


 反論しようとしたが、口を開く前にもう一人のバルトは消えていく。

 塵の様に消えて後にはもう何も残らない。暗闇の中にのこった残滓に向かってバルトは呟いた。


「もう、死ぬんだって……」


 その言葉が届く事はなかった。



 ◇



「ん……あぁ」


 光が俺の顔を照らしていた。いつの間にか眠っていたのか、朝日の様だ。

 ボーっと天井を見る。だが次第に、俺の腹に何かが乗っている事に気づいた。


「……メル。なんで」


 俺の腹を枕にする様にメルが眠っていた。

 さんざん恨み言を吐き捨て、拒絶したというのにメルは側にいた。


「と、サフランか」


 そんなメルに抱き着いて眠るサフランもいた。涎を垂らし、安心したような寝顔。こいつはなにも変わらない。


「どうなってんだろ」


 記憶がない。どこで眠りについたのか、あの後どうなったのか。

 情報を集めるために周囲を見れば、ここは実家だった。雨風すら凌げない崩壊寸前の居間で俺達は眠っているのだろう。


 だがなぜこうなったのか。俺は生きている。眠った俺を殺す事もできたろうに、メルはそうしなかった。

 メルの愛は消える事がなかったのだろうか。俺は沢山酷い事をしたというのに。


「ん……ぅ」

「起きたか?」

「っバルト――!」

「むぐぅっ!?」

「ふぎゅぅっ!?」


 眠気眼で俺を見た瞬間、飛びついてくるメル。そして振り落とされて転がるサフラン。

 メルは俺を強く抱きしめて、泣き始めた。


「良かった、生きてるっ! バルト、死んだと、思って」

「俺は生きてる……けど」

「良かった。好き、大好き、愛してるっ!」

「むがー! バルトばかりズルい。ボクもー!」


 メルだけでも訳が分からないのに、衝撃で起きたサフランが飛びついてくる。俺に抱き着くメル、そしてメルの背中に抱き着くサフラン。場は混沌を極めていた。


「……いったん、落ち着くか」


 何が起こっているか。場を収めなければ始まらない。

 メルを引き剥がし、少し離して座らせる。サフランも引き剥がしてどうにか対話をする体勢を整えた。


「あー。まず、あの後の事を知りたい」

「バルト、急に倒れた。息もしてなくて、怖かった。だからここで治療した」

「ボクも手伝ったんだぞ。感謝しろよー」

「ああ。ありがとう」


 記憶にないが倒れたか。俺としてはもう一人の自分と対話して目覚めただけだが、外ではそうなっていたとは。

 まあもう死に場所を求める身として、そのまま死んでも良かったが。


「で、サフランはなぜここにいるんだ? ドワーフの英雄だろ」

「あー。ボクねー」


 サフランは胡坐をかいて、虚空を見上げる。

 まだ幼い少女であるがれっきとした英雄。そう簡単に国を出れはしないだろう。


「しゅっぽん? してきた」

「出奔? 逃げたって事か?」

「うん。バルトのせいだからな。ボク自身が分かんなくなって、メルによしよしして欲しくて逃げてきた」

「へー」


 よく分かんないが国を逃げたという事か。大問題ではないか。

 英雄とは最高戦力かつ、替えの効かない戦力だ。一種族に一人のみで同じ時代に二人が産まれる事はなく、ドワーフの戦力は半減も良い所だ。まあエルフもだが。


「ボクの中にさ、もう一人いるんだよ。敵を殺せー、戦いこそ至高ー、血を見せろー、って叫ぶ奴がさ」

「…………」

「バルトに言われて、気づいちゃったんだよ。今までの欲求はボクのじゃなくて、もう一人のボクのだって。気づかなきゃ幸せだった。でも気づいたら、とても苦しい。だからメルよしよししてー」

「んっ」


 サフランは隣に座るメルに向かって飛びつく。突然の事に同様するメルだが、すぐさま引きはがして床に転がした。


「むぎゅっ」

「そんな、気分じゃない」

「なんでー。メルと触れ合ってると、もう一人のボクが消えるんだよ! あの日抱きしめてくれた時、初めて本当のボクを知ったんだ。お願いっ!」

「んぅ……」


 そう叫んでお願いするサフランに、困った様な顔をするメル。

 助けを求める様に俺を見るが、俺は頷いた。


「良いんじゃないか。よしよしすれば」

「バルトがそういうなら」

「やったー!」


 すぐさまメルの胸に飛び込み、そこに顔を埋めるサフラン。その上で頭を撫でられれば、女の子がしちゃいけない声を上げる。

 こいつの中には多分おっさんが宿ってる。


「メルの胸、柔らかい。良い匂いする」

「ちょっと、それは。やだ」

「むがー」


 やりすぎたサフランはメルの手によって床に転がされる。

 俺には逆に押し付けてくるのに、サフランは嫌らしい。まあ旅を続けたからか今のサフランは汚れているししかたないか。


「まあ、状況は理解した。俺はそろそろ行くよ」

「えっ? どこに?」

「さあ? どこだろうな……」


 死に場所を求めると言えど、どこに行くべきか。行くとしたら北か。


「わ、私は? 殺すんだよね」

「もう良いんだ」

「えっ?」

「もう終わり。復讐は終わりだ」


 後は俺がみんなの元へ行く。それで全て終わる。中途半端な復讐だと叱られるだろうか。馬鹿なことをしたと叱られるだろうか。

 あるいはもう、完全に消えてしまったのだろうか。

 俺は死後があると信じてみんなの元へ行くだけだ。


「で、でも。バルトの家族殺したの私……」

「そうだな。だが俺もエルフを沢山殺した。それでもういい」


 五百人のエルフの兵に、何千何万の民。俺の方が殺した。逆に俺が復讐される番だ。

 母さんの言葉を破って連鎖を繋いだ俺は多分、叱られるだろう。


「話はだいたい聞いたけど、メルが死ぬのはダメー」

「ああ。メルは死なない」

「なら、良いけど」


 メルを守るようにサフランは立つ。

 もうメルに何かするつもりはない。全て奪った後に言うのもなんだが。


「じゃ、じゃあ。私はどうすれば良いの?」

「好きにしてくれ」

「でも、私。もう何もない。バルトだけなの」

「…………」


 そうだろう。そういう復讐だ。全てを奪い、最後は俺が裏切る。そう計画したのは俺だし、謝るつもりはない。


「……聞かせてくれ。メルの事」

「えっ……?」


 ただ、メルの事を最後に知りたい。


「メルの、人生を」


 俺の家族と仲間を殺した奴の人生を、死ぬ前に知っておこう。俺はそう思った。

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