第二十二話 イグアート村 急
数日間、何も動きはなかった。
当初こそ警戒していたが何もないと人の気は緩んでいく。何より生きていくためにやるべき事がたくさんあった。
エルフ発見より三日目、俺は村長の命を受け辺りを偵察していた。
「……何事もない。それが、良いんだけどな」
エルフがいたのは通りがかっただけで、もうどこかに行った。それが一番良い。
それを確かめるために、絶対に見つからない俺が一人でエルフの動向を探る。どこにもいなければ危険は去ったとして日常に戻る。それが理想だ。
だが動きがあれば迎え撃つ。逃げ場はない。
ここを捨てればもう終わりだ。生きていくのに必須の結界を動かそうと思えば数週間は掛かる。やるしかないのだ。
「っくそ。俺に、できるのか」
伝承だけで異種族の恐ろしさは理解している。かつての人間の王国を一晩で滅ぼした悪魔の軍勢。八家の内、四つを滅ぼしたドワーフ。英雄すらいた村を滅ぼした獣人族。
人の歴史は敗北と逃走のみだ。勝利の歴史はない。
唯一戦争に加わらず、逃げて逃げて逃げ続けた人間。最弱種ながらここまで生き延びた。だがそれも、終わりではないか。
「変な想像をするなっ。俺が、やるしかないんだ」
沸き上がる不安を振り払う。
守るしかない。ここで折れたら家族が、仲間たちが死ぬ。人間の歴史が終わる。
それにまだ決まったわけじゃない。俺達に気づいてない可能性も十分ある。
——という俺の妄想は、あまりにあっけなく崩れた。
「足跡っ。エルフのか……!」
森を走り続けていれば、ふと見つかる無数の足跡。あきらかに何かが移動した後だ。
大勢で移動しているのか、数十ではないだろう。
「くそっ。やっぱ来てるのかよ」
俺はすぐさま足跡を追う。それは隠す様子すらなく、森の中を移動していた。
しばらく走れば開けた場所に出る。木々が伐採された広場には広大な結界が展開されていた。
「結界。……中にエルフか。だが少なすぎる」
結界の規模から凡そ100人程度が収容できるだろう。だが中にいるのは数名だけ。あきらかに少ない。
もっと確かめるべく近づく。結界の中には見張りらしき数名。そして大量の足跡が北を目指していた。
「あー。せっかくの任務なのに留守番かよ」
結界に近づけば声が聞こえる。エルフの兵らしき二人の男が会話をしていた。
「まあ人間の駆除なんて大した手柄にはなんねえよ」
「ま、そうか。戦姫様がいるし、出番ねえか」
「100人だって過剰に決まってる」
その会話を聞いた瞬間、俺は走った。
情報を集めている暇はない。エルフの軍勢100人が、俺達の村へ進んでいるという事実だけで十分だった。
「みんな、死なないでくれ。生きていてくれ。俺が、守る。そうだ。それが使命だ」
走る。一番の速さで駆け続ける。心臓がうるさかった。だが全部無視した。この先に待っているのが絶望だとしても、英雄として俺は立ち上がらないといけないからだ。
◇
イグアート村を囲む結界は特別だ。外からは村が見えず、なにもない様に見える。
だが今は燃える村が、響く悲鳴が。全てが丸裸にされていた。
「っなんだよ。これは……!」
変わり果てた故郷の姿。膝をつきそうになる心を必死に奮い立たせて、俺は走った。
敵を殺す。みんなを守る。100人程度皆殺しだ。
心は折れてはいけない。英雄だからだ。
「ああああっ!!!」
「うがっぁ!!」
エルフを殺す。全部殺す。この剣に全ての血を吸わせる。
「はぁ、はぁ……まだだっ。父さん、母さん、ミルア……」
限界まで心を燃やす。そむけたい現実を無理矢理見つめ、俺は一歩進む。
そのたびに香る煤と死臭が俺の心を蝕んだ。
「バル、ト……か?」
「そ、村長さんっ!」
最初に見つけたのは村長さんだった。引っ張り出した鎧と槍はボロボロになり、血がにじんでいる。
そして村長さんには右腕がなかった。鋭利な刃物で切り取られた様な跡と共にドクドクと血が溢れ出している。
「逃げ、ろ……」
「何言ってるんですか!」
「お前、なら。生きられる。お前、だけでも」
「ダメです。俺は英雄として、みんなを守る! 絶対に、守り抜きます」
「お前は、まだ子供だ……」
村長さんは痛みをこらえながらも俺に笑いかけた。震える左手が、俺の頭を撫でてくれた。
「生きろ」
力が抜ける様に村長さんの左手が地に落ちる。最後の灯火が消えた様に、その瞳から光が消えた。
俺の涙が止まらなかった。しかし締め付けられる心はまだ折れてない。
「村長……さん」
立ち上がる。村長さんは命を賭してみんなを守った。なら英雄である俺も命をかけて守る。
剣を痛いほど握った。俺は走った。
「はぁ、……はぁはぁっ!」
平和な村は変わり果てていた。覚悟をしていなかったわけじゃない。だが戦争はどこか遠くの世界の事だと思っていた。
違ったんだ。たまたま見つからなかっただけ。戦争はすぐ側にあった。
「うおおおおっ!!!」
「ぶぉ――」
「こ、こいつ強い」
「囲め、囲んで魔法だ」
エルフを殺す。集団の中につっこみ、とにかく暴れまわった。
囲まれても関係ない。全部食い破って殺せばいい。それをなせる力がある。
俺が英雄だ。敵を殺し、みんなを守る。絶対に取りこぼさない。
「全部、殺す!!!」
殺して、殺して。だけどみんなの命が消えていく。間に合わない。見つかるのは死体ばかりで、生きている人が見つからない。
折れそうになる心の中、みんなを探し敵を殺して突き進んだ。
声が、消えていく。一つ、一つ、見知った声が大きな悲鳴を上げて消えていく。
仲間が死んでいるのに何もできない俺が憎い。家族の声が聞こえない事に、安堵する俺が情けない。
絶望が俺を支配していた。
「お兄ちゃん――助けて!」
だがミルアの声が、俺を絶望の淵から連れ戻す。
立ち止まっている暇などない。
その声に向かって俺は走った。
「ミル――――」
ミルアが走っていた。泣き腫らした顔と傷だらけの体で、恐怖に歪みながらも懸命に走っていた。
なのに俺の足は止まってしまった。
「なんだ、あれは」
ミルアを追いかける一人の少女。俺よりも幼そうな少女の顔が、俺の足を止めた。
沸き上がるのは恐怖だ。あれは少女の皮を被った化け物だ。この世界の何よりも恐ろしい存在だった。
「はぁ……はぁ。動け、動けよ俺。なに怖がってんだよ。ミルアを、助けないと」
少女の瞳が何より恐ろしい。がらんどうで真っ暗な目。ピクリとも動かない表情。人形の様な美しさ。その中に秘める、強大な力。
「『火よ貫け』」
少女の指の先から火が放たれる。人一人丸焼きにできる火がミルアを狙った。俺はゆっくりとした時の中、それをただ見ていた。
今すぐ全力で走れば間に合うかもしれない。なのに恐怖で動かない。
「ミルア――!!」
俺の代わりにミルアを守ったのは母さんだった。
ミルアを突き飛ばしその身を業火に焼かれる。その動きに躊躇なんてなかった。俺とは違う、自分の命を賭して娘を守った。
「お母さんっ! やだ、死なないでっ」
ミルアは逃げなかった。燃え上がる母さんに躊躇なく駆け寄る。もう手遅れなのは分かり切っているのに、火を消そうと懸命に火を振り払う。
「俺の家族に、何をしているっ!!」
俺の代わりに少女に切りかかったのは父さんだった。
特別な力もなにもない人なのに、その目には恐怖は微塵もなく覚悟だけが灯っていた。
「邪魔……『風よ切り裂け』」
「――――」
父さんはバラバラになった。声を上げる暇もなく、何十にも切断されて散らばる。
その光景を前に俺は動けなかった。恐怖が全身を支配した。
「ば、化け物っ! お父さんと、お母さんを返してよ!!」
「っ…………うるさい」
「お前なんかお兄ちゃんが絶対たお――――」
ミルアの首が宙を舞った。クルクルと螺旋を描いて地に落ちる。
光の消えたミルアの目より、それを成した少女がなによりも怖かった。
「なんで、動かないんだよ」
恐怖が俺を支配していた。みんなを守るなんて口だけだった。家族が殺されているのに、一人の少女がなにより恐ろしい。
こんな現実、夢だと思いたかった。グチャグチャになった心を正すにはもうそれしかない。
「はぁ、はぁ――っ。うわああああっ!!!」
俺は逃げた。逃げ足だけは速かった。
燃え上がる故郷を捨てて逃げ出した俺が、何より一番許せない。
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