第二十一話 イグアート村 序

 人類最後の砦イグアート村。そこが俺の故郷だった。

 かつて悪魔族に滅ぼされた人間の王国から分裂したイグアート家の末裔である俺達は、千年の歴史があると故郷では伝わっている。


 そこには戦争はなかった。環境、飢餓、魔獣。さまざまな災害はあれど、争いだけはなかった。

 ずっと隠れ続け、この世界で稀な平和を保っていたのだ。


 そこでバルト・イグアートとして産まれた俺の使命はこの村を守る事だった。


「ごめんな。お前に、こんな運命を背負わせた父さんを許してくれ」


 父さんはよくそう言って謝っていた。だが俺は恨んでいなかったし、逆に誇らしかった。

 この村を、家族を、みんなを守る事が何よりうれしかった。


「大丈夫だよ。俺は“英雄”として産まれた事が誇らしい。みんなを守る。絶対にだ」

「そうか……だけどお前はまだ子供だ。危ない事があったら、一目散に逃げてくれ。使命なんか忘れて、生きて欲しい。それが親としての願いだ」


 父さんはそう言って俺の頭を撫でてくれた。その優しさが、何よりうれしかった。

 だけど俺は英雄である事を望み、村を守る事を誓った。それが使命だと思った。


「お兄ちゃんっ! 遊ぼ―」


 妹は明るく無邪気な子だった。家族を愛していて、村のみんなのマスコット的存在として愛されていた。


「ミルア、ごめんな。お兄ちゃんこれから狩りに行くんだ」

「えー。そんなー」

「美味しいお肉食べたいよな」

「うんっ。もちろん!」

「ミルアのために、みんなのために頑張んないといけないんだ」


 この村で安全に狩りが出来るのは俺だけだ。俺にしかできない重要な仕事だから、可愛い妹の誘いも涙ながらに断らないといけない。


「そうよ。バルトの邪魔しちゃだめ」

「母さん?」

「あ、お母さんっ!!」


 家事を中断して家から出てきた母さんにミルアは飛びつく。母さんはその家族を支えてくれる手で、頭を撫でた。

 その愛を俺達に無償で注いでくれる、とても優しい人だった。


「気を付けるのよ。バルト」

「うん。行ってくる」


 母さんがミルアを見てくれているうちに、俺は剣を担いで出発する。

 村の通りを走り、狩場へと向かった。


 村から少し離れた場所。汚染領域の境界は魔獣の住処だ。死者アンデットは近寄らず、他の種族も訪れない。まさに絶好の狩場だろう。

 ただ生息するのは強力な魔獣。俺が生まれる前は戦える大人が徒党を組み、犠牲を何人も出しながら仕留めるほど恐ろしい魔獣が棲みついている。


「……一角兎、暴虐熊、……今日は突撃猪。猪肉だ」


 木の上から周囲を観察する。どの魔獣にするかを考え、安全度と全員分の肉を確保できる点から、突撃猪に狙いを絞る。

 もちろん恐ろしく強い魔獣であるが、俺には関係がない。


 木から飛び降り、突撃猪の背後を取る。そうしてゆっくり、ゆっくり近づくが、魔獣が気づくことはない


「……ここっ」

「グギャっ――」


 背後から首を一撃。恐るべき嗅覚を有する突撃猪すら、俺に気づくことはない。

 これが先天的な力。英雄の特殊能力だ。


「っと……。応援呼びにいかないとな」


 魔獣除けの香を焚き、仕留めた突撃猪を運ぶために一度村へ戻らないといけない。

 英雄として産まれた俺だが、さすがにこんな猪を運ぶ力はない。他種族の英雄でもまあ無理だろう。


 これが俺の仕事であり、日常だ。村のみんなのために魔獣を狩る。

 特別な結界に囲まれ、自然の中に隠れた村を守護する様な出来事はない。平和だった。

 もちろん大変な生活だ。魔獣の襲来による死も普通にある。だが戦争はなかった。

 外の世界では異種族が戦争をしていると言うが、この村だけは違う。楽園というべき所だった。


 だけど平穏は続かなかった。ただこの日、少し対応を変えれば未来はあったかもしれない。俺がもっと頭を働かせていれば何かが変わったかもしれない。

 そんな尽きる事なき後悔を、続けていた。


「……あれは」


 応援を呼びに帰ろうとした時、遠くで何かが見えた。魔獣ではない、死者アンデットもありえない。二足歩行で歩く人の姿だ。


「っ……なんだ。確かめないと」


 すぐに近くの木に登り、目を凝らす。遠くに見えたのは、やはり人だった。だが俺以外が結界の外へ出るのは珍しい。出るならば俺も知っているはずだが、聞いてなかった。


「人、じゃない……のか」


 考えられるのは異種族であるという事。大きさからドワーフではない。外見から獣人でもないだろう。ならばただ一つだ。


「エルフだ」


 人との違いは尖った耳。この距離からそれを確認するのは難しいが、それしか考えられない。

 俺はうるさい鼓動を無理矢理沈めながら観察する。

 エルフは辺りを警戒する様に歩いているが、何か目的を持っているようでもない。


 じっと見つめる。すると突然、エルフはこちらを見た。


「っ……落ち着け。俺は、見つからない」


 そういう力だ。何者にも見つからない『隠密』が俺に与えられた英雄の力。誰にも気づかれない。

 だから堂々としていれば良い。


 そうしてじっとしていれば、エルフ達は去っていった。

 それを確認して俺はすぐに木から下りる。


「村長に報告だな」


 俺は全速力で走った。



 ◇



「そうか……しばらく結界の外にでないようみなに伝えておこう」


 真っ先に村長に報告すれば、すぐに対策を打ち出してくれる。村をひっぱる頼りになる人だった。


「だけど狩った猪は取りにいかねばなるまい。少数精鋭で、素早く回収する。バルトには索敵を任せたい」

「分かりました。任せてください」


 猪だけは回収しないといけない。明らかに刃で殺した死体が転がっていれば、近くに何かが住んでいるとバレてしまう。探索されれば終わりだ。


「なに。この村を囲むのは、隠蔽効果がある特別な結界だ。何も心配する事はない」

「はいっ! それに……なにがあろうと俺が守ります」

「頼りにしているぞ。人間の英雄よ」


 悪魔族の異物である隠蔽結界と、英雄である俺。この力で確実に守り抜く。

 俺達は生きないといけない。最後の人間として、血を残し続けねばならないのだ。


 その後の動きは迅速だった。即座に猪を回収し、人間のいる痕跡をできるだけ消す。村の防備を固め、じっと潜み続けた。


 気づかれてはいけない。そこには何もないと思ってもらわねばならない。

 村の中央にある村長宅にて、村民全員が震えながら固まっていた。


「もうお終いだ……何百年見つからなかった、今までが異常だったんだ。これが現実だったんだ」


 隣に住むダンケルさんが弱音を吐いた。だがそれはみんなの総意だろう。何百年の平和を享受したとして、異種族への恐怖は消えない。

 すぐ隣にある汚染領域が、子孫代々恐怖を植え付けてくるのだ。


「っ大丈夫だ! 我らには英雄がついている。何も心配はいらない」

「で、でもよ。バルトが産まれる前の、もう一つの集落に英雄はいただろ。でも、獣人族にあっけなく滅ぼされた。人の力なんて、そんなもんだ!」


 村長が勇気づける様叫ぶが、ダンケルさんの反論がそれを覆す。なにより前例があるのがいけなかった。俺の前代の英雄も、異種族の前に何もできなかったそうだ。

 昔その跡地を見に行ったが、本当に酷かった。全てが滅ぼされた後というのはこうも恐ろしいのかと震えたのを覚えている。


「っやっぱ。もう終わりなのか」

「人間も終わりだ」

「うぅ……怖いよぉ」


 辺りからすすり泣く声が聞こえる。ここで俺がみんなを元気づけないといけないのだろう。だが何を言えば良いか分からなかった。

 英雄なんてもてはやされても、まだガキのまんまだったんだ。みんなを引っ張れる英雄にはなれなかった。


「お兄ちゃん。ミルア達、死んじゃうの……?」

「っ大丈夫だ。兄ちゃんが全部守る。絶対にだ」

「そっか。お兄ちゃんなら、できるもんね。あんなおっきい魔獣倒せるんだもん」

「当たり前だろ」


 妹の手前弱音なんて吐くわけにはいかない。けど俺も怖かった。未知の異種族。魔獣よりも恐ろしい存在の前に、虚勢を張る事しかできなかった。


「どんな化け物だって、お兄ちゃんが倒してやる」

「うん!」


 今思い返せばエルフを招き寄せたのは俺だ。

 俺自身が気づかれずとも、魔獣除けの香の煙はエルフに見える。あの日俺がするべきは、エルフを魔獣の仕業に見せかけて殺す事だった。


 その後悔を、今も引きずっている――。

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