第十九話 楽園への道
メル様の涙が枯れた。それでも絶望は収まらず、嗚咽を上げ続ける。俺はそれをただ慰める事しかできなかった。
泣いて、泣き続け、泣き疲れたのは何時間もかかった頃。時間の感覚がないが永遠の様で一瞬の様な不思議な感覚だった。
「……どうすれば、良いんだろ」
メル様は呟く。その心中はグチャグチャで、もうどうすれば良いか分からない絶望の中にいるのだろう。
「メル様はどうしたいですか?」
「分かんない。何にも、分かんない」
「そうですか……じゃあ逃げましょう」
「えっ……?」
俺の提案にメル様は意表を突かれた様に驚く。
逃げるなど、まるで考えもしなかった様で、目をまん丸に見開いた。
「でも私……“英雄”として産まれたから、エルフに尽くす義務があって……戦い続けないといけなくて……」
「なに寝ぼけた事言ってるんですかっ! このままだと死ぬかもしれないんですよ」
アルティア様の言葉には狂気があった。あれは冗談でもなく、本気で実行するつもりだろう。そして痴呆の王はアルティア様の提案を受け入れるかもしれない。
まあメル様がそう簡単に処刑される事はないだろうが、一生牢屋暮らし。その可能性は高い。
「このままここに居ても、絶望があるだけ。もう逃げるしかないんですよ!」
「っ……バルト」
「俺はずっとメル様の味方です。最後の時まで、ずっと一緒ですよ」
「そっか……そうだよね。分かった、バルトと一緒に逃げる!」
メル様は希望を見出す様に、大きく頷く。長い時をかけて植え付けられた呪縛よりも、今俺の言葉を取ってくれた。メル様の中にはもう俺しか残ってない……。
「でも、この牢屋。私でも壊せない、と思う」
「そうですよね」
もちろん理解している。かつてエルフ族の全盛期に建設されたこの都の施設は、メル様にすらどうにもできないものだ。
世界樹の力により守られた強固な外壁は、並大抵の事じゃ破れない。
「大丈夫です。俺が、鍵を持っているので」
「えっ? な、なんで?」
「こんな事もあろうかと、準備しておりました」
こうなるであろうと予測はついていた。後は準備するだけだ。
鍵を盗み出す事は難しくなく、逃走ルートの確保も完了している。
「もう逃げるだけです。全て捨てて、遠くへ」
「バルトと一緒に?」
「もちろんですよ」
「うんっ! 行く!」
メル様にもう迷いはない。俺は扉を開けた。
薄暗い地下牢、監視の目はない。この堅牢な牢を破れるわけがないと思っているのだろう。
入口には見張りがいるだろうが、関係ない。
「ありったけの『認識阻害』をお願いします」
「まかせて」
メル様の全力の認識阻害魔法。それは敵前でタップダンスをしても気づかれない強力なものだ。
その魔法の力で駆ける。アルティア様ならば見破るかもしれない。だから人目を避け、素早く移動した。
「王宮の隠し通路から脱出します。そこに荷物もまとめてあるので、付いてきてください」
「隠し通路? そんなのあるの」
「俺も見つけた時はビックリしましたよ」
メル様の目をかいくぐりながら探索していた時に見つけたもの。いつか役に立つ気がしていたが、こう役に立つとは思わなかった。
隠し通路は、都が落ちた時に脱出する都合上さまざまな検問を無視して外に出られる。しばらくどこに消えたかも分からないだろう。
隠し通路は王宮の外れ、庭園の一画にある。端の方にある小さな石畳が扉となっており、地下へとつながっていた。
その入口にまとめてあった荷物を取って、俺はメル様へ先導する。
「暗い……明り、つける?」
「お願いします」
暗い地下もメル様の魔法があれば安心だ。
「脱出したら、北へ進みます」
「北?」
「はい。ずっと進めば、目的地です」
エルフの国から北へまっすぐ。汚染領域のギリギリ境界。そこへ行けば全てが終わる。俺の目的も成就するだろう。
つながっていたのは小さな雑木林の中だった。枯れて灰の様な木が無数に生える死の森は何かを隠すに丁度良いだろう。
棲んでいるのは
「都、遠いな……」
「もう二度と戻ってくる事はないでしょう」
「うん。そっか」
遠くに見える都にメル様は寂しそうな顔をした。
どれだけ酷い裏切りに会おうと、長年守ってきた故郷だ。そう思うのも無理はない。
「バルト……北には、何があるの?」
「…………素晴らしい地ですよ。とても平和で、優しい住民が暮らす楽園です」
「そんな、場所があるの?」
「はい。俺の一番大切な場所です」
どこよりも素晴らしく、美しい。平和な楽園。メル様を連れていくのはそこしかないだろう。
「ただかなり歩きます。その近くは全域が汚染領域なので間違って迷い込まないよう気を付けないといけません」
「分かった。気を付ける」
徒歩で一週間といったところか。食料は持ってきたがとても心もとない。
途中で食料の調達をしないといけないだろう。
「では、出発しましょう」
俺達は森を歩き出した。平和な楽園に向かって。
◇
食料は持ってきた保存食。しかしそれだけでは足りないので、魔獣を狩る。
「一角兎がいました。今日はごちそうですね」
「凄い。よく捕まえたね」
「昔、良く狩ってましたので」
森の中で生息する魔獣のうち、今の俺が狩れるのは一角兎ぐらい。
そのタックルは人の腹に風穴を開けるが、不意打ちをすれば狩るのは造作もない。
ナイフを風魔法で覆い、溢れる水魔法で解体する。本当に魔法とは便利なもので、エルフが羨ましくなる。
故郷でやっていた頃の半分の時間で解体を終え、メル様に点けてもらった火で焼けばご馳走だ。
「お肉……久しぶり」
「美味しいですね」
一角兎の肉は美味い。故郷でもご馳走だったほどだ。
飼育されている兎ではなく、この世界で生きていくために進化した一角兎は強さと共に上質な肉質を手に入れた。
他の魔獣も飼育されている物より強く、美味いと聞く。まあ今は倒せないから意味はないが。
食事を終えて、火の元で休憩する。
“夜”になるにつれて周囲は暗くなるが、メル様が近くにいれば安心だ。
「なんか。肩の荷が下りた、気分」
「英雄としてのですか?」
「うん。ずっと、抱えてたものが全部なくなって。寂しい、より。嬉しいかも」
「なら、良かったですね」
俺の横に座るメル様は、そっと肩に頭を置く。
その顔はどこか晴れ晴れしており、英雄として生きていた頃の面影はない。
「こんな簡単に、捨てられたんだ」
「簡単……ではないでしょう。つまり全てを捨てるという事です」
「そうだね……」
英雄の地位を捨てて逃げるという事は、故郷を捨てて危険な世界へ飛び立つという事。簡単な事ではないだろう。
「でも、バルトがいればそれで良い。それに気づいた」
「俺もですよ。メル様だけが全てです」
「っ……バルトも、そう思ってる?」
「はい。俺の中にあるのはメル様だけです」
「うれしい。好きっ」
感極まってかメル様が飛びついてくる。俺はそれを優しく受け止めた。
「バルトと一緒なら、寂しくない。楽しい」
「メル様……」
「もう良いよ、メルで」
「えっ?」
「もうお姫様じゃないし、ペットでもない。できれば、敬語もやめて欲しい」
俺がメル様と呼んでるのも、敬語を使ってるのも周囲からの視線を気にしてだ。
メル様もめんどくさい事になるからとそうしていたが、確かにもう必要ない事だ。
ここにいるのはただの人間とエルフなのだから。
「あー。敬語は……慣れてるのでしばらく難しいです。でも……メル」
「ん。まあ、それでよし」
「
「えへへ。好きっ、大好き。愛してる」
抱擁の強さが愛を表すというのなら、俺はとても愛されているのだろう。
メルは目一杯俺に抱き着き頬擦りしてくる。マーキングをする様に、愛を伝える様に。俺もそれに応えて、強く抱き返した。
「目的地まで、あと少しです」
「うんっ。楽しみだな」
「ああ。とても、良い場所ですよ」
“夜”はふける。
「あれは」
北に向かって歩くこと一週間。そんな俺達の目に飛び込んできたのは、一つの大きな岩だった。
「これは、なに?」
「ただの大岩。だけど目印として使われていた奴です」
「そうなんだ」
なんの変哲もないただの岩だが、その大きさ故目印とされていた。ここから北へ真っすぐ歩けば目的地だ。
「ついてきてください。この近くは汚染領域『断空絶域』が広がってます」
「うん。……でもここって」
メルは汚染領域よりも気になる事があるのか、しきりに辺りを見渡している。
俺はそれに何も言わず、先導する。
「この先には崖があって、そしてその下に隠れる様に存在しています」
「バルト……ねえ。ここって……」
メルは震えだす。嫌な事を思い出す様に、縋るように俺を見た。
「ここはかつて“イグアート”。そう呼ばれていました」
「っ…………」
「さあ行きましょう」
メルの手をそっと掴む。なぜかとても冷たかったが、俺はその手を引いて進んだ。
凍える様に青ざめるメルと対照的に、俺の顔は太陽の様に明るい。目的の成就はすぐそこだった。
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