第十八話 幸せな明日
悪意と敵意を一身に受け、メル様は俺の胸で恐怖で泣いていた。
だがそれで見逃してくれる彼らではない。弱みを見せれば、徹底的に抉りに来る奴らだ。
「国王様より、納得のいく説明が出来ねば国家反逆罪で拘束しろと命を受けております」
サンダルはそう言って指を鳴らす。次の瞬間、扉を蹴破り何十人というエルフの兵がなだれ込む。
その顔には覚えがあり、たしかサンダルの手下だったか。
「ひぅっ……」
「メル様、俺はいつまでも味方で居ます」
「バルトっ」
なだれ込む兵士にメル様はさらに怯える。英雄と言われても、まだ幼いメル様にこの状況は恐怖でしかなかった。敵だらけの部屋の中、俺の胸で震え続ける。
「メルティア様を捕えろっ! ああ、その人間はいらない。処分しろ」
サンダルの言葉に剣を構え、呪文を唱えだすエルフの兵。それが当たれば確実に俺は死ぬだろう。前までは死ぬことも別にどうでも良かったが、今はだめだ。俺の死に時は今じゃない。
メル様を抱えて避けるかと考えたが、それより先に魔力が膨れ上がった。
「……バルトを、ころす?」
メル様から魔力が溢れ出る。見る者を恐怖させ、本能から嫌悪する強大な魔力だ。
それは全て周囲を取り囲む、エルフの兵に向けられた。
「そんなやつ、ぜんいん。ころして、やる」
メル様の瞳は涙にぬれたまま、しかしそこに光は灯らない。
剣や魔法が届く前に、メル様の魔法が周囲に解き放たれた。
「うがっ――」
「ひぃっ、た、助けて。腕が、腕がっ!」
「痛い痛い痛い痛い痛いっ!?!?」
メル様の闇の魔力。それを浴びせられた者は正気でいられない。あるものは腹が裂け、あるものは腕が消える。あるいは無限の痛みを浴びせられ、阿鼻叫喚の地獄絵図。
その魔力があれば、メル様は一人で汚染領域を作り出せるだろう。それを浴びせられた兵士は誰一人として立ち上がれなかった。
「メル? 自分がなにをしているのか分かっているの?」
「おねえさま? うん。ばると、きずつけるやつ。ゆるさない。ぜんぶ、ころす」
「…………」
その目に映る狂気にアルティア様も立ち止まる。俺以外の全てが悪意から一転して、恐怖に支配された。
あきらかに普通ではないメル様の様子。自分たちも、エルフの国も。世界すら滅ぼす力の前に誰も動けない。
「ばるとと、いっしょじゃないとだめ。それなら、ろうやもはいる。だからばるとを、傷つけないで……」
メル様の覇気の前に、全てが動きを止めた。ただ静まり返ったように場が停滞する。
何か言えばメル様に殺されるのではないか。逆鱗に触れれば、塵の様に消えるだろう。それ故の沈黙だ。
「わかり、ました……。丁重に連れて行け」
口火を切ったのはサンダル。この中でメル様を捕えろと発言できるのは、腐っても歴戦の将軍であるという事だろう。
俺を害さないと分かったからか、メル様は何も言わず素直に従った。
誰もが震えあがり、口を閉ざした部屋の中。ただ一人アルティア様だけが笑っていた。
複雑な表情だが、間違いなく笑っているのだ。
「アルティア……様か」
大事な妹がつかまろうとしているのに笑っている。彼女はなんだ。彼女の目的はいったい。
だがそれを覚る前に、場は動いた。
「こちらです……」
「バルト、行こう」
「……はい」
後詰として部屋の外で待機していたエルフが、俺達を連行する。
だがそれは名ばかりで、恐怖のあまり王よりも丁寧な扱い。もはや案内だ。逃げない様に囲まれるが、全員震えている。俺達よりも逃げ出したいのだろう。
「こ、こちらでお待ちください」
閉じ込める、とは言わずにお待ちくださいとは怯えられたものだ。
案内されたのは牢屋。しかし綺麗な内装で、家具も完備されている。罪を犯した高位のエルフ様の、最上級の牢屋だ。
「それでは、し、失礼しますっ」
「…………速いね」
「脱兎のごとくとはこのことでしょう」
一瞬にして逃げ去ったエルフ達を尻目に、俺は牢屋の観察をする。もはや外から鍵をかけられるただの部屋だが、捕えられたという事はたしかだ。
「それよりメル様は、大丈夫ですか?」
「うん。バルトは?」
「メル様が守ってくれたので、何ともないです」
「良かった……」
メル様も俺も外傷はない。しかし問題は心か。
裏切られたなどメル様にとって初めての経験だろう。英雄として崇められていたのが、一つのミスとも言えぬミスでこうも転落するとは。その心は大きく傷ついてるだろう。
「大丈夫。みんな、分かってくれる」
「そうですね。間違いないです」
サンダルがいなければ分かってくれるだろうな。
問題はサンダルという一人の男。奴は過去の栄光に縋りつくクズだ。メル様の前に英雄と崇められ、エルフを衰退させ、メル様に全てをかっ攫われた男。
メル様が生まれるまえ、エルフが滅亡寸前まで追い詰められていたのは間違いなくサンダルのせいだ。老害が上に立ち、国を衰退させる。それがエルフの国で起きた事。
それをメル様が立て直し、エルフを復権させた。サンダルの名は地に落ちた。
サンダルは名声を求めている。過去に英雄と呼ばれた頃の名声を。その為にメル様が邪魔なのだろう。
「アルティア様も、分かってくれるはずです」
「うん。だよね」
サンダルがいる限り絶望的な状況だと分かっていても、俺は耳障りの良い言葉を並べる。
サンダルの狡賢いところは、老いて痴呆の気がある王をうまく誘導している事だろう。王が味方についている限りこちらの勝ち目は薄い。
「今日はもう休みましょう。寝れば、スッキリしますよ」
「……バルト。一緒に寝てくれる?」
「もちろんです」
羞恥心もなく、俺は即答した。
今のメル様を拒絶してはいけない。なによりメル様を癒してあげたい。
「バルトは、ずっと側にいてくれる?」
「もちろん。俺はなにがあってもメル様の味方ですよ」
「良かった……」
メル様は俺を強く抱きしめる。不安と恐怖で震えるメル様。それはやはり戦場に出るには似合わない少女の様で、それを癒してたくて俺も抱きしめる。
「明日は良い日になります」
俺はまた嘘を吐いた。
◇
牢屋にある大きなベッドで俺達は夜を過ごした。要人用の牢というだけあって、置いてある家具は一流だ。ふかふかとしたベッドで眠れば、スッキリとした目覚めを迎えられた。
「おはよう。バルト」
「おはようございます」
朝のメル様は昨日の不安でたまらない様な表情から一変、どこか晴れ晴れとした顔をしていた。
「少し、スッキリ。もう大丈夫」
「なら良かったです。それに、すぐここから出られますよ」
「そうだよね」
メル様には積み上げてきたものがある。このまま閉じ込められたままなどとはありえないだろう。今日中に何かアクションはある。
「お腹へったね」
「朝食は、そろそろだと思います」
メル様相手に食事を持ってこないというのはありえない。地下であるため時間帯は分からないが、腹時計によればそろそろだろう。
――コンコン。
と思っていれば扉を叩く音と共に、鍵穴がガチャガチャと鳴る。
「メル、体調はどう?」
「お姉さま?」
鈍く重い音と共に牢に入ってきたアルティア様であった。
一人分の食事を持って、穏やかに佇んでいる。
「食事を持って来たわ。熱いから良く冷ましてね」
「ありがとうございます。あの、お姉さま……私はドワーフとは内通してませんっ! 信じてください!」
メル様は叫んだ。混乱のあまり昨日言えなかった言葉を、心の底から叫ぶ。その様子を見れば、ドワーフと内通していたなど誰も思わないだろう。
「ええ、もちろん。メルがそんな事できる子じゃないって知ってる」
「な、なら――」
「――でももう手遅れなの。その言葉、昨日言えたら何か変わったかもしれないわね」
アルティア様の声音が急に冷たくなった。
「サンダルは昨日の内に写真をばらまいて、多くの要人を味方につけたわ。民の間にも発表して、大混乱。しかも『メルに功績を奪われていて、今までの戦果は全て自分のものだ』なんて言ってる」
「えっ……そんな」
「サンダルはメルに釈明の場も機会も与えない。このままずっと閉じ込めて、戦争の時だけ前線に投入する。そして戦果はサンダルの物。そんな事を、考えているんじゃないかしら?」
「っ…………」
メル様に言葉はない。強烈な悪意と裏切りの前に、もはや何もできずに茫然とするだけ。
そんなメル様に、アルティア様は言葉を畳みかけた。
「でもそんな事、私は許さない。あなたが戦うなんて事、あってはならないわ」
「お姉さま……」
「ええ。そうなったらせっかく協力したのが無駄になっちゃうもの」
「…………えっ?」
「神様は力をくれたわ。メルを超える力をね。歴戦のエルフも洗脳できる魔法もその一つ。素晴らしいと思わない?」
アルティア様の言葉にあるのは圧倒的な悪意だ。それはあの場がメル様の敵だらけにしたのは自分だと、白状するようだった。
「メルを超えた私が、エルフの英雄になる。メルはもういらないわ」
「待っ、お姉さまっ!!」
そう言ってアルティア様は牢を出る。メル様の手は届かない。
重い扉が勢いよく閉まり、俺達を断絶した。
「お父様に頼んでみるわ。メルを処刑してくれるように。その時を、大人しく待っててね。私の、可愛くない妹…………化け物め」
扉越しに聞こえる声はあまりに冷たく、ドス黒い。どこまで怨めばそこまで黒くなるのか。それほどの感情が溢れていた。
「…………なん、で」
「メル様っ」
「バルト!!!」
メル様は今日も泣いた。裏切りと、裏切り。唯一信頼していた姉からの無情な言葉は、メル様を大きく苦しめる。
俺はそんなメル様を抱きしめる。
「バルトは、……味方?」
「もちろんです。最後の時まで、ずっと味方です」
「っ……もっと強く、抱きしめて」
「メル様」
メル様の体は小さくか細い。強く抱きしめれば折れてしまうのではと思うが、俺は思いっきり抱きしめた。
どこにもいかないと示す様に、俺は味方だと言う様に。
「もっと、もっとっ! バルト!!」
だがメル様にはまだ足りない。全てを奪われたメル様を、俺は精一杯の愛を持って慰めた。その涙に呼応する様に、俺も涙が溢れてきた。
「大丈夫ですよ」
三年ぶりにあふれる涙の意味はなんだろう。泣くとはこういう事だったと俺は思う。
俺とメル様は泣き続けた。幸せな明日が来るまで日まで。
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