第十六話 大賢者アルティア

 俺がメル様の元に帰ってからというもの、変わった事は多い。その最もたるはメル様が四六時中側にいる事だろう。いつ攫われるかも分からないという事で、重要な会議だろうが俺を側に置いた。

 そしてそれは寝るときも変わらない。別れていた寝床はなくなり、メル様のベッドで一緒に寝る事になったのだ。


 寝床でメル様を抱きしめながら眠る。抱き心地は最高で、どこまでも柔らかく抱きしめるだけで心は暖かくなる。とてもいい匂いがするし、とても甘えてくる。

 そんなメル様と寝床を共にして正気でいる事はとても難しい。俺の苦労は多くの者が分かってくれるだろう。


 とはいえ本題はそこではない。

 俺は一つ、大きな問題を抱えている。それは自由時間がないという事。別にあっても出来る事は少ないのだが、まったくないというのも大変だ。

 という事で、夜こそが俺の数少ない自由時間だった。


「ふぅ。メル様にバレないうちに帰らないとな」


 真夜中。こっそりとベッドから抜け出し、用事を終えた俺は闇に紛れる様に走っていた。抜け出るのは一時間程度だが、メル様にバレる前に早く帰らないといけない。


「っと。歓楽街か」


 いつもと違う道を走ったため、気づけば煌びやかな通りに出ていた。

 夜だというのに明るく、女と男の楽し気な声が響く。初めて歓楽街なる所に来たが賑やかな物だ。

 大敗しようが、ここは自粛を特にしなかったと聞く。


 そんな場所でフードを深く被った俺は目立つ。すぐに裏通りに隠れて、コッソリと素早く移動する。


「怪しげな雰囲気だ」


 歓楽街の裏通りというのは他とは違う物々しさがある。非合法な物を扱うというか、怪しげな人物。何かありそうな娼婦。不気味な売人。

 一癖も二癖もある人物がいる。


「こんな所に居るのがバレたら怒られてしまいそうだな」


 メル様は純粋な人だからな。あまりこういう所が好きじゃない。

 ただ通りがかっただけと言えど、俺がここにいるのは好まない人だ。


「誰に怒られるの?」

「それはもちろんメ……ル? 様ぁ!」

「こんな夜に、なにしてるの。バルト?」


 耳元でささやかれた言葉に、俺は体から心臓が飛び出るかというほど驚く。瞬間、終わった。と脳が嫌な想像で溢れかえった。

 横を見れば穏やかに微笑むメル様。その笑顔が何よりも恐ろしい。


「きづいたら、ね。バルト、いなかったんだ。がんばって、さがして。なんで、こんなところ、いるの?」

「あ、それはっ……」


 メル様は笑顔だ。なのになぜこんなに恐ろしいのだろう。恐怖という感情は昔捨てたと思っていたが、溢れ出てくる。


「ほかの、おんなのこ、と。あそんでたの? なにしてたの? おとなが、するようなこと。してないよね?」

「っ俺はなにもしてないですっ!! 安心してください、ここは通りがかっただけで、俺はなにもしていません!!」


 必死で声を出して弁明する。そう、俺は別に歓楽街で遊んだことはない。今夜も人とは会っていない。メル様が不安視する事は何もないのだ。ならば堂々とするのが最善。


「……ほんと?」

「はいっ! ちょっと夜風にあたって、一人の時間が欲しくて、勝手に抜け出しました」

「そっか。なら良いんだ」


 ほっと胸をなでおろすメル様。その様子に、俺は深く安堵した。


「ごめんね。たまには、一人になりたいよね。今度から、そういう時間準備する、から」

「ありがとうございます。その気遣いだけで俺は嬉しいです」


 一人の時間と言いつつ、魔法を使い全力で俺を守るだろう。その時は恐らく監視魔法とかも使われる。今も、広大な都から俺をすぐに見つけ出したという事は位置を把握される魔法が掛かっているのだろう。気をつけねば。


「じゃあ、帰ろっか」

「はい。すいません、こんな夜中に」

「ううん。そういう時も、あるよね」


 メル様は笑って許してくれる。優しいメル様はこの程度じゃ怒らない、本当に歓楽街に来ていたら違ったかもしれないが。


 俺達は歩いて王宮へと戻る。いつもよりきつく抱きしめられながら、夜はふけた。



 ◇



 メル様の日常というのは、軍の会議やらもろもろ。それ以外はだいたい俺と二人切り。しかし今日は珍しく、親し気にお茶を飲んでいた。

 相手はメル様の姉にして、大賢者と謳われしエルフ。アルティア・フルール・エルメルだ。


 アルティア様はメル様の五十歳上。しかし見た目は二歳差の姉妹かと錯覚するのは、長寿種たるエルフ故だろう。

 先の戦争には参加できなかったが、もし参加していればエルフ側の損害は少なかっただろう。


 『大賢者』アルティアと言えば、メル様の前にエルフを支えていた大魔導士だ。“英雄”ではないが、それに匹敵する力を持っていたと聞く。


「大変だったわね、メル」

「ううん。大丈夫、です」

「人間を可愛がるのも良いけど、ほどほどにね」

「はい。分かってます」


 メル様が俺以外に心を許しているのは、この人しかいない。唯一生き残っている血のつながった姉妹の絆は深い。

 武の『戦姫』魔の『大賢者』とエルフの双翼などと巷では言われているほどだ。故に今回の事の顛末もアルティア様には話していた。


「私が傍にいればそんな無茶をしなくてすんだのに。タイミングが悪いわね」

「お姉さまは、忙しいからしかたないです」


 アルティア様は都にいない事の方が多い。外に出かけ、一人で旅をしているという。

 それをなせる強さを持っているということだ。そんなアルティア様がいればもっと楽になったのは明白だろう。


「…………」


 アルティア様は俺を一瞥する。その瞳に映るのは嫌悪の色。

 この人も異種族たる人間を嫌悪するエルフだ。おおかた妹を誑かした猿とでも思っているのだろう。

 だがそれは一瞬。すぐに目をそらし、メル様に視線を向けた。


「そうだ。メル、これを見て」

「……これは、なんですか?」

「『極光聖夜』で見つけた異物」

「っ汚染領域にいたのですか?」

「うん。そのおかげで、凄い物見つけちゃった」


 『極光聖夜』と言えば天使族が残した汚染領域。常人ならば十秒と生存できない最悪の領域だが、アルティア様はそこに滞在していたという。恐ろしい人だ。


「天使族が神域と繋がるために使った、聖杯。神と会話ができる異物よ」

「神……?」

「そう神様。この世を作った、者。私は神と交信したの」


 神、初めて聞く単語だ。この世を作った存在とは壮大な事を言う。

 まあこの世界を作った存在ね。こんなクソみたいな世界を作った輩は、どうせ碌なもんじゃないだろう。


「その……神? と、お話したのですか?」

「ええそう。そしてね、力を手に入れたの。もう、メルは英雄である必要はないわ」

「お姉さまも、戦うというのですか?」

「そうよ。私が、ドワーフも獣人も。全部殺す。そしてエルフだけの世界を作りましょう」


 アルティア様は笑った。そしてまた俺を一瞥する。その目は暗に『お前もいらない』と語る様で、背筋が凍るような感覚に陥った。


「そ、そうですね」


 メル様もその圧に押される様に声を震わせる。アルティア様に宿る狂気は、俺も感じるものがある。あるいはその奥にあるナニカに感じているのか。


「ふふ。そうだメル。例の噂は大丈夫?」

「っはい。もちろん、大丈夫です」

「そう。ドワーフと繋がってるなんて事、ないわよね?」

「当たり前です! 私は、エルフの英雄ですから」

「なら良いわ」


 アルティア様はほほ笑む。まあ根も葉もない噂だからいずれ消えるだろう。

 まさか変な物証を捏造される事などあるわけないし。メル様の名声は変な噂など掻き消すだろう。


「気を付けてね、メル」

「はい。お姉さまも、お気をつけて」


 そう言ってアルティア様は立ち上がる。お茶会もここらでお開きという事だろう。

 久々の家族との団欒。しかしなぜか、メル様の顔は浮かばれない。


「お姉さま……変わったな」

「そうなんですか?」

「うん。帰って来るたびに、変わる。旅が変えちゃうのかな」

「そうかもしれません」


 汚染領域まで行く旅をしているならば、人をいくつも変えうるだろう。

 俺も故郷を離れて変わった事もある。時と旅は人を変えるものだ。


「なんか、寂しい」


 アルティア様の言葉はメル様にとって嬉しい事だろう。戦う仲間ができるというのは心強い物だ。しかしメル様の顔が晴れる事はない。


 その心には、嫌な予感が浮かんでいるのだろうか。俺はそんなメル様を見守る事しかできなかった。

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