第十二話 ハクア草の薬
空に連れ去れる彼の背は、メルティアに大きな絶望を与えた。
大きな支柱が崩れ去る様に、メルティアの心はひび割れていった
「バルト――!」
かすれる声で叫ぶ。だが届かない。
メルティアの脳も動かない。ただ届かない空へと手を伸ばすだけだ。
「バルトっ!!」
届かないと分かっていてもメルティアは手を伸ばし、声の限り叫んだ。
◇
「此度の戦における全ての責任はメルティア様にある」
「総大将の地位はまだ早かったのだ。経験豊富なサンダル様こそがふさわしい」
「しかり。長年エルフを支えてきたのがサンダル様だ。総大将に必要なのは豊富な知識と、経験に他ならない」
会議の場でうるさくわめくのはたしかサンダル将軍の一派だったか。まだ子供であるメルティアに総大将の地位を奪われた事で、敵意を見せる様になった。
市民や末端の兵士はメルティアを好意的に見ているが、上層部。とりわけ今までエルフを守ってきた軍の上層部はメルティアに嫌悪を示す者も多い。
ぽっと出の小娘に、地位も名声も全て奪われたと逆恨みしているのだ。
「…………」
まあメルティアにとってそれらはどうでも良い事だ。総大将も王族の地位も、バルトがいればそれでよかった。
それなのにこの老害共は、会議という名目でメルティアを吊し上げ総大将の地位から引きづり下ろそうとしている。バルトを助けにいくためにすぐ動かないといけないのに、その大切な時間を奪っているのだ。
「はぁ……」
珍しくメルティアは感情を表に出す。
苛立ちと、怒り。こんな無駄な会議のせいでバルトが死んだら、それを考えれば身が震えるほど恐ろしい。
メルティアの近くに座るものは、『戦姫』の怒気に震えあがる。
それは敵であるドワーフにも見せたことがない、怒りだ。
「うむ。メルティア様にあるのは強さのみ。みなの賛同があれば、このサンダルが総大将を務め、ドワーフを殲滅する事を約束しよう」
「おお、サンダル様。やはりサンダル様こそふさわしい」
「……しかし」
「ああ。メルティア様も今回の事があるまでは総大将としてすべての戦を勝利してきた。たった一度の失敗で総大将の地位がはく奪されるなど……」
「その一度の失敗で、半分もの兵を失ったのだぞ」
会議の場は白熱する。サンダルの一派はメルティアは相応しくないと叫び、それ以外はメルティアこそが相応しいと叫ぶ。
二つに割れた会議の場でただ一人、メルティアだけが恐ろしいほどに冷めていた。
「…………」
いつまでこのようなくだらない事を続けるつもりか。
貴様らが吐く無駄口一つがバルトの命を削っている。
もし救出が間に合わずバルトが死んでいれば、こいつら全員皆殺しにしてやろうか。
メルティアの奥底から、今まで知らなかった様な黒い感情が見え隠れする。
その感情に従う様に、気づけばメルティアは手を振り上げていた。
――ドンっ!!!
「……いつまで、くだらない会議をしているのですか?」
魔力のこもった拳は、会議室の大テーブルを簡単に打ち砕いた。
燃え上がるメルティアの覇気の前で、全ての者が震えあがる。
「メ、メルティア……様。こ、これは大問題。ですぞ」
「だからなんですか。私は大切な者を奪われました。今すぐ取り返しに行かないといけない。こんなくだらない事に時間を使っている暇はありませんっ!!」
魔力が渦巻いた。
ドワーフにすら向けた事のない強大な魔力をぶつけられたエルフ達は、全員口を開けることもできずに震える。
「失礼します」
誰も反論するものがいないと知り、メルティアは足早に会議室を後にする。
メルティアが去るまで、誰も動くことも呼吸する事さえままならなかった。
「……はぁ、はぁ。バルトっ、……バルト――」
自室に帰ると同時に、メルティアは膝から崩れ落ちる様に倒れる。
体が恐怖で震え、バルトの名をずっと呟いていた。
「バルト、一人にしないで……」
この国で、メルティアは孤独だ。
どれだけ称賛されようと、生まれたときから孤独だった。
この世界で唯一戦いを禁忌し、殺しが罪悪感に押し潰されるほど嫌い。一人殺す度に悪夢を見るほど。それは、この世界では異質だった。
敵を殺すことは本能だ。殺せば殺すほど心は高揚する。それが世界の常識。
そんな中でたった一人見つけた同類がバルトだった。バルトと出会って、一人じゃないと気づけた。バルトだけが全てだった。
「怖い。怖いよ」
バルトは癒しだ。メルティアを動かす原動力でもある。それがなければ、動けない。
「薬……飲まないと」
だからメルティアは机の引き出しを開けた。そこにあるのは小さな箱。
小さく頑丈な箱の中にあるのはバルトと出会う前に使っていた動き出すための薬だ。
「ごめん、なさい。約束……破っちゃう」
それは、バルトに禁止された薬だ。
高い効力と依存性。ハクア草から抽出された精神を落ち着ける薬は、医師の管理の元でしか使用できない。
過去のメルティアはこの薬のおかげで戦姫でいられた。飲むたびに体が蝕まれると分かっていても、常用しないと心が折れてしまうからだ。
「っ――ごくっ。……はぁ……ふぅ」
一粒飲めば潮が引くように感情が冷えていく。今ならば何を殺しても、何も思わないだろう。
そこにいるのはかつての戦姫だ。敵を殺し続けた英雄が感情を全て無くしたかのような様な顔で佇んでいた。
「……バルト、待っててね」
今のメルティアであれば障害を全て排除し、目的を完遂する事ができるだろう。
たとえ誰であろうと殺して、バルトを救い出す事ができる。
◇
「メ、メルティア様。どこにいくのですか?」
「うるさい……」
旅装束に、大きなリュックを背負ったメルティアの姿に王宮の者達は驚愕した。
『初めてメルティア様がブチ切れた』という噂は王宮を駆け巡っている。その後に、明らかに遠出する格好で出ていこうとするのだ。全員の脳裏に嫌な想像が駆け巡った。
「し、失礼を働いた者は全て処分いたします! なにとぞ、ご気分を落ち着けてください」
「うるさいと、言っています」
大臣らしき者が必死で止めてくるが、全てがメルティアにとっての障害でしかなかった。
先ほどの事は別にどうでも良い。今はバルトだ。バルトの元に一秒でも早く行かないといけない。
「私の歩みを止める者は、全員殺します」
今のメルティアならばそれを現実にできる。それに耐える精神がある。その覇気の前に、立ち向かえる者は一人もいなかった――。
王宮を抜け、都を抜け、荒野を駆ける。
目指すはドワーフの帝都。正確な場所は分からないが、大まかな方角だけを頼りに走った。
風の魔法を全力で使い、疾風のごとき速さで駆ける。“夜”になっても止まらない。メルティアは
「バルト――」
この広大な世界で、一人の人間を探し出すのは並大抵の事じゃない。
だがメルティアは行った。“夜”も最低限の睡眠だけで、走り続ける。ドワーフの帝都を目指して。
「っ――見つけた」
何日走り続けたか。メルティアはこちらに向かって一目散に走ってくる機械の鼠を見た時、大きく目を見開く。
ついに見つけた手掛かり。逃がすまいと走るが、鼠もこちらに走ってくる。そして鼠は、手紙を届けて力尽きた。
「……そっか。まだ、生きてるんだ」
手紙に書かれていたのは熱烈なラブコールとバルトの生存。
そして指定の場所までこなければ殺すという脅しだ。
「ぜったい、助けるから」
今のメルティアに迷いはない。敵を排除するためなら、封じていた全力をもって叩き潰す事になるだろう。
薬の効き目は強く、効き続けた。
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