第十一話 人質作戦
「メルはさ、異常なんだよ」
手紙を書こうと机に向かうサフランは、ふと思い出した可能に口を開いた。
「強い、強すぎる。もしメルが本気を出せば一人で決着がつくくらいにはね」
「……そうだな」
「お前も分かるか。伝説の
メル様が生まれる前、まさにエルフは滅びる寸前だったらしい。人間より先に滅びると言われ、七つ目に滅びるのがエルフなのは皆が確実と思い込んでいた。
だがそうはならなかった。メル様が生まれたからだ。歴史上のエルフの英雄の一歩先を行く化け物。
その強さは他種族の伝説的英雄『竜帝』や『巨王』と遜色なく、あっという間にエルフを復権させた。
「あいつらはそんなメルを恐れてる。普通に戦ったら絶対勝てないからな」
「ああ。分かるよ。本当にな……」
メル様は強い。俺はそれを一番近くで見てきた。今だ本気を出していないほどだ。
ドワーフ軍は、本気を出していないメル様すら突破できずにいる。
「だが……サフランは俺を使ってメル様の本気を引き出すんだろ。勝てると思ってるのか?」
「さあ。そんなの知らない。ボクはね、楽しい戦いをしたいだけさ。本気のメルと戦いたい。それが望み」
「そうか……」
まったく戦闘狂というのは理解ができない。サフランとドワーフ軍をもってしても突破できないメル様の本気を引き出して、一対一の戦いをしようなど。
「誰にも邪魔はさせないよ。これはボクとメルだけの逢瀬だ」
「なら、早く行動しないとな」
「うん……」
ドワーフ達は強硬手段に出るだろう。メル様を殺せる一世一代の機会だ。
それに恐らく、メル様は俺の元まで来る。この帝都を単身で強襲しにくるだろう。そうなれば乱戦だ。サフランの望み通りの戦いはできない。
「ああ。ラブレターは難しいな」
サフランはそう言いながら、軽快に筆を走らせた。
「手紙よし!」
機械鼠。というサフランが作ったブリキの鼠は、手紙を受け取ると一目散に走り出す。メル様の匂いを辿ってラブレターを届けに行くらしい。
「ハンマーに。……ねえ、ボク可愛い?」
「ああ。見違えるな」
風呂に入り、磨かれたサフランの可愛さは天井知らずだ。
サラサラとした綺麗な銀髪を肩のあたりで切りそろえ、褐色の肌は汚れではなく本来の美しさを取り戻している。
いつも薄汚れた作業着を着ているサフランだが、今回は可愛らしくも実用的なドワーフの戦闘服を身にまとっていた。
「えへへ。メルに嫌われないかな」
「……大丈夫だろう」
見た目は大丈夫だろう。問題は中身だが、それは言わないのが俺。
「よし。じゃあ、メルに会いに行こう。後ろ乗って。ボクに掴まっていいよ、特別ね
」
サフランは天空二輪車に跨るとそう急かしてくる。愛用のハンマーも車体に括り付けて、本気でサフランは戦おうとしているのだろう。
「今は“夜”。ここしかない。あいつらに気づかれないうちにトンズラしちゃうよ」
「ああ。安全運転でな」
“夜”。人工的な明りしかない、もっとも危険な時間。もし追手が来ても追いかけてくる事はできないだろう。
「さあ、行こうか」
落ちない様にサフランのお腹に手を回す。小さい体だ。
妹を思い出す様な幼さ。こんな世界じゃなければ、天真爛漫な一人の少女でいられたのだろうか。あるいは、こんな世界でなければ生きていけない少女であるか。
「っ――凄い、風だな」
「人間にはつらいか? 我慢しろー」
天空二輪車は夜空をかっ飛ばした。
すさまじい風が俺に吹き付けてくる。小さいのにまるで巨木の様に頼りになるサフランにしがみついていなければ、あっという間に吹き飛ばされていた事だろう。
だが次第になれていけば、辺りを見渡す余裕も出てくる。
遠くに巨大な船の様な形のドワーフの帝都が見える。この“夜”の世界に、月以外唯一の光源。だがそれも次第に遠くなっていった。
「“夜”は好き。
「そういうのは、サフランぐらいだろうな」
誰もが“夜”は嫌いだ。出歩くこともできず、結界の中で震えている事しかできない時間が好きな者はいないだろう。よほどの戦闘狂でもなければ。
「“夜”の空はさ、あの日を思い出すよね」
「……エルフに奇襲した、あの馬鹿みたいな作戦の日か?」
「そうそう。楽しかったなー。100人の精鋭で、返ってこれたの6人だけだけど」
「馬鹿みたいだな」
“夜”がどれだけ危険か、この言葉で分かるだろう。敵をどれだけ憎んでいても“夜”に戦争をしかける事は絶対にしないほどだ。
もっとも安全な空のルートでそれだけしか生き残れないまさに地獄だ。
「そうでもしないと、エルフに打撃を与えられない。全部メルがいたから起きた事だよ」
「はは。馬鹿みたいな作戦だが、確かに今のエルフはてんやわんやだ。メル様も責任を追及されてる」
「そっかー。なら痛み分けにはできたかな」
サフランの言葉には一理ある。常識外の事でもしなければ、メル様を突破する事はできない。メル様はまさしく英雄だ。
ドワーフはそれほどにメル様を恐れているのだろう。
「っと。おでましだなー」
“夜”の空では、会話すらまともにできない。生者の気配を感じて恐るべき
「これが、天使族か」
「かつての最強種も、こうなったらお終いだね」
夜空は飛行能力を持つ
「グオオオオオォォォォォッ!!!!」
それは敵を威嚇し、仲間を呼び寄せる声だ。
「ひひっ。お前と戦う余力はないよーだ。お前、掴まってろー」
戦闘大好きなサフランとはいえ、今は消耗したくないようだ。
この後に控える極上の戦いのために全てを溜めるサフランは、天空二輪車を最大まで加速させた。
とんでもない速度で空を翔け、
死と隣り合わせの“夜”の世界。常人であれば死に、常人でなくても死ぬ。
ここは、英雄のみが生きられる世界だ。
「あはははははっ! かっ飛ばすっ」
俺達は夜空を流星の様に駆け抜けた。
迫りくる
◇
朝日が昇る。明るい太陽の光を感じながら、俺達は大地に降り立った。
「汚染領域『腐毒沼地』――。そのギリギリ横だけど、草木一本生えてない」
天空二輪車が降り立ったのは汚染領域の真横だった。
すぐ横では、オドロオドロしい毒の沼地が広がっている。紫色の瘴気は、吸い込むだけで死に至るだろう。
人の居住を拒み、生物の影すら見えない汚染領域。そこには
「悪魔族の残したあそこは、ボクとメル以外入ったら死ぬから」
「……だろうな」
英雄でもなければあそこで生きていく事などできまい。だが今は世界はあんな汚染領域だらけだ。常人が生きていける環境はどんどん少なくなっていってる。
広がる汚染領域は、戦争をやめでもしないかぎり止まる事はないだろう。
「ここなら邪魔も入らない。
「だな。わざわざこんな所に来る狂人はいない」
サフランがラブレターで呼び足した場所はここだった。誰にも邪魔されずに戦いたいのであれば、ここほど良い場所はないだろう。
「メルは来るかな」
「来るだろうな」
「だよね。お前を大事にしてるの、少し見ただけだけどよくわかった」
「自分で言うのもなんだが、されすぎてる気もする」
「あはは。嫉妬しちゃうな」
サフランはそう言って頬を膨らます。
メル様の一番になれない事が悔しくてたまらないのだろう。
「お前はさ、メルの目の前で殺すつもりだったんだ」
「へえ。今は違うのか?」
「うん。なんか、嫌になった。お前は、パパみたいにあったかい。ボクを怖がんないし、優しいし」
「別に俺は優しくはない。ただサフランは……ちょっと妹に似てて、それを思い出しただけだ」
故郷と共に消えた妹、サフランはどこか似ている気がした。
容姿は似ても似つかない。雰囲気と言えば良いか。狂気を感じない時のサフランは妹に似てる。
ふとサフランと妹を重ねてしまって、柄にもなくかまってしまった。それだけだ。
「お前がどう思ってたとかは問題ない。ボクはお前といて楽しかった。メルとパパの次に好きかも」
「……そうか。なら良かった」
「へへっ。お前、名前なんて言うんだ?」
「バルト。……バルト・イグアート。イグアートの姓はメル様にも教えてない。知ってるのはサフランだけだ」
「へー。秘密だな」
「ああ。秘密だ」
サフランは笑った。その笑顔に俺は懐かしい思いを抱く。忘れかけていた大切な思い出だ。
「バルト……先に謝る。ボクはお前を殺す」
気づけば鎖が俺の体を縛っていた。
サフランの影から一体のブリキの人形が現れ、さび付いたノコギリを俺の首筋にそっと当てた。
「これは……?」
「ボクが直した機械人形。ボクを殺さないと止まらない。一時間もしたらバルトの首を切る」
「なるほど。……メル様は死に物狂いでくるだろうな」
これならメル様は本気を出すだろう。本気で戦うだろう。
サフランの望みは叶い、メル様はまた傷つく事になる。
「一時間以内にメルがこなくても死ぬ。だから、ごめんね」
「謝るなら、泣くな」
「……あははっ。なんで、涙が出るんだろ」
サフランは頬をつたる涙の理由が分からない。
だがそれを考える事なく俺に背をむけた。
「メルと……戦わないと」
そう言って俺から離れるサフラン。機械仕掛けの人形は感情もなく俺の首に刃を当てる。
俺は、良い事が起こる予感はなく、なぜか少し悲しくなった。
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