第十話 それは生きる屍の様に

 人間の性欲は強い。特別な力もなく、劣等種と呼ばれた人間が生き残った唯一の手段がそれだからだ。


 戦乱の世を生き抜き子孫を残すためには、死ぬ以上のスピードで増える事が求められた。

 いくら死んでも、それ以上に子を産む。そして逃げて逃げて、逃げ続ける。

 何千年と続く歴史の中で人は繁殖力に特化した。その末期の俺とて例外ではない。メル様相手に沸き上がるものを抑えるのに必死だったほどだ。


 だが今は――。


「お前もさっさと脱げ。行くぞ」


 サフランはあっという間に衣服を脱ぐ。それに俺は特になにも感じなかった。

 子供だからとかそういう事じゃない。さまざまな感情が欠落した今の俺には、人間が戦乱を生き抜いた武器すら消えてしまったのだ。


「ん、どうしたんだボーっとして」

「……いや。少しな」


 メル様がいれば俺は感情を取り戻す。だがいなければ、俺は自分がなんなのかすら分からなくなる。

 まるで生きる死体の様だ。数少ない残った感情をかき集めて、人の振りをしている。そんな化け物だ。


「っ、くそ――」

「……どうしたんだよ」

「なんでもない……」


 全ての疑念を振り払う様に、俺も服を脱いでサフランの後を追った。


 綺麗に磨かれた風呂場。浴槽にはドワーフの機械技術によって生み出されたお湯が張られている。エルフといい、異種族はズルいと俺は思った。湯で身を清めるなど人間には考えられない事だ。


「うおっ……いつから風呂入ってないんだよ」

「んー。三ヶ月ぐらいかな」

「どおりでな。洗えば洗うだけ垢が出てくるぞ」

「そっかー。全部綺麗にしちゃって」


 サフランの背中を洗う。褐色の肌で目立たないだけで、こいつの体は汚れまみれだ。無限に湧いて出てくるのではないかというほどの垢。石鹸もよく泡立たない。

 俺が必死こいて洗っているなかで、気持ちよさそうな声を上げるサフラン。奴隷に口答えする権利がないとはいえ腹立たしい。


「うにゃー。髪、もこもこだ」

「油まみれ、泥まみれ。くすんだ銀髪だと思ってたらこれ全部汚れかよ」

「そうみたい。でおボクの髪、綺麗だってパパが良く言ってたんだぞ」

「そうかよ。見る影もないな」


 背中を流せば次は髪。しかしこのガキ、髪の毛まで泥だらけ。強くゴシゴシとせねば禄に汚れも落ちない。それをサフランはマッサージと勘違いしている様だった。


「……はぁ、終わった。前は、自分で洗え」

「えー。めんどい」

「はしたない子はメル様嫌いだったはず……」

「自分で洗う」


 これ以上付き合ってられるか。

 自分で必死に洗うサフランを尻目に、俺は自分の体を洗う事にする。ドワーフの石鹸は、エルフのものとはやはり違う。汚れを落とす能力はドワーフのが上だろう。ただ香りなどはエルフだ。


「うえー。すごい汚れだよ」

「自業自得だ」


 サフランは自分が汚れている事に驚く。あんな状態で平気で生活できるサフランに俺は驚きだ。

 数十分洗い続けたサフランはようやく綺麗になったのか、掛け湯をして湯船に飛び込んだ。


「ふぅー。綺麗になったかな」

「大分な」

「えへへ。メルは喜んでくれるかな」


 浴槽の縁に顔をあずけながら、暖かな湯を堪能するサフラン。俺もその横で湯船につかった。

 目を細めて気持ちよさそうにするサフランは、やはりドワーフの英雄になんて見えない。サフランはどこで歪んだのか、どうして歪んだのか。そう思ってしまう。


「お前はさー。ボクが怖くないのか?」

「怖い? ……怖いか。もっと怖い物しってるからかな」

「えー。メル以外みんなボクが怖いんだよ。ボクより怖いものなんてどこにあるのさ」

「母さんが怒った時怖かったな」

「……そういうのじゃない」


 サフランは俺の答えにすねた様に顔をそむける。

 だが冗談を言ったつもりはない。起こった母さんは怖かった。ただ恐怖心は三年前に捨てたきりだ。


「お前は、変なやつだ」

「そうかな」


 サフランはそう言いながらも楽しそうに微笑んだ。

 その笑顔を見ると、なぜか懐かしい気持ちになる。だからついつい口を滑らせた。


「……サフランは、俺が生きてると思うか」

「は? ……なに言ってるんだ?」

「俺は、本当は死んでるはずなだ」


 サフランは俺の言葉が理解できないと首をかしげる。


「死んでなきゃ、いけなかったんだ」


 サフランを見ていると故郷の事を思い出す。その無邪気さはこの世界を甘く考えていた俺がもっていたものだ。

 逃げ続け、全て失って、それでも生き汚く生きている俺は……本当に生きているのか。さまざまな感情が抜け落ちていくたびに、己の生が実感できなくなる。

 サフランを見ていると、隠していた物が表に出てきてしまった。


「何だ突然……お前は、やっぱ変なやつだな」

「ははっ。……そうだな」


 なにも狂ってるのはサフランだけじゃなかった。メル様も俺も、誰だってそう。こんな世界、狂ってなきゃ生きていけない。


「くだらねー」


 そんな感情が、不思議と湧いた。



 ◇



 サフランは基本的に一人だ。

 次の戦争への準備期間はこの屋敷にずっと閉じこもっているらしい。そして何をしているかと言えば、物作りだ。

 機械弄りや鍛冶をしているらしい。


「ほらー。素晴らしい剣だろー?」

「そうだな。美しい」

「へへ。ボクが作ったんだぞ」


 サフランに攫われて数日。一時はどうなる事かと思ったが、無事にサフランとも打ち解ける事ができた。

 そして今日は、誰もいれた事がないというサフランの工房に来ていた。


「武器や、機械。なんでも作るのか?」

「うん。パパは全部教えてくれたから」


 そう言ってサフランは自分が作った物を俺に紹介してくる。

 正統派な武器や、変わり種。写真機なる風景を切り取る機械や、火をつけたり風を起こす機械。

 多種多様なサフランお手製の道具は、無数にあった。


「パパ以外には見せた事ない。これ見たのお前だけだから、誇っていいぞ」

「じゃあ存分に誇らせてもらうか」

「えへへ。凄いだろー」

「凄い凄い」


 そう茶化して言うが、実際凄い。人間視点で見ればわけわからにほど高性能だ。

 これを14の少女が作り出すとは、ドワーフという種族が凄いのか。サフランが凄いのか。後者だろうな。


「サフランは、凄い奴だよ」

「そうだろー、えへへ。……でもお前以外認めてくれない」

「じゃあ節穴ばかりだな」

「そ、そうだよね! まったくだからボクにはメルしかいないんだ」


 メル様ならどう思うだろう。素直で優しい人だから、とても褒めてくれそうだ。

 このままのサフランであればメル様と仲良くできるだろうに、歪んだ狂愛がそれをさせてくれない。


『ピー、ピー』


 そんな中、歪な機械音の様な何かの鳴き声が響いた。


「ん、あいつら……」

「なんだ、鳥? 機械の鳥か?」

「うん。伝書鳩かなー。帝城の偉い奴らからの指令」

「へー」


 顔を合わさず伝書鳩を介するとは。手間を省くためか、仲が悪いか。サフランの様子を見ると後者な気がする。

 サフランは伝書鳩から手紙を受け取ると読み進め、思いっきり顔をしかめた。


「うげっ。あいつら、ボクの逢瀬を……」

「どうかしたのか?」

「くだらない馬鹿話さ。お前を使って、メルをおびき寄せる。それをドワーフ全軍をもってして撃破する。ボクを馬鹿にしてる、くだらない指令だ」


 そう言ってサフランは手紙をビリビリに破り捨てる。そこに躊躇など一切なかった。


「これはボクとメルだけの舞台だ。それ以外の異物は必要ない。そんなものボクは許さないっ」

「…………命令違反なんてしていいのか?」

「これはボクが考えた事。それを横からかっさらうなんて、許せない。ボクはメルと誰も邪魔されない、全力で、最高の戦いをするんだ。それだけが、望みなんだっ!」

「そうか」


 サフランの内から沸き上がる狂気は、先ほどまでの天真爛漫な少女の姿を覆い隠す。

 サフランは手紙を足蹴りにすると、俺に向き直った。


「あいつらが強硬手段に出る前に動く」

「なるほど。何をするんだ」

「メルにラブレターを書くんだ」


 サフランはそう言って、可愛らしい便せんとペンを取り出した。

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