第九話 「さあ、何でだろうね」

「はぁ、はぁ。どうだ。帝城のコックに作らせたんだぞ」


 小一時間ほど経ったころ、大きなバスケットを抱えたサフランは息を切らしながら部屋に飛び込んできた。

 胸を張りながら見せてくる中にはパンで肉や野菜を挟んだサンドイッチなる料理が入ってる。


「一流の材料を使ったんだ、こんなのメルでも用意できないだろう」

「たしかにそうだな。特に肉なんかは」

「ふふん。ボクは凄いのさ」


 メル様はエルフ故、菜食だ。肉はあまり用意されない。そもそも肉が高級食材というのもあるだろう。

 そんな肉を用意してくるというだけで、ドワーフ内でのサフランの権力がうかがえる。


「……これはっ」

「美味いだろー」

「ああ、もちろんだ」


 嘘だ。味なんか感じない。温度も感じない。何も感じない。ただ無感動な栄養補給があるだけだ。

 しかしそれを表に見せるとどうなるか分からないため、精一杯の演技をする。


「そうだろー。……美味しそうだな」


 そう言いつつ、サフランはサンドイッチを見つめて涎を垂らす。美味しいものに目を輝かせる姿は年相応の少女の様だった。

 サフランの手元にはパンと缶詰。俺のサンドイッチと比べれば殺風景も良い所だ。


「サフランは、サンドイッチ食べないのか?」

「っそれは、お前に用意したやつだし」


 などと良い子が言う様なセリフを吐く。


「奴隷の物は主人の物だろ?」

「あ、そうだ! お前はボクのものだから、お前の物もボクのものっ!」


 今気づいたとばかりに、俺の隣まで来るとサンドイッチを食べ始める。

 サフランは一口食べて顔を綻ばせ、それはやはり年相応の少女でしかない。


「あむ、あむ。人間にはもったいない美味さだ」

「ははっ……。まあ、子供は美味しい物食べてすくすく育たないとな」

「なっ! ボクは子供じゃないぞ」

「俺からみれば子供だよ。妹が生きてれば、丁度同じぐらいだ」

「むぐっ」


 ポンっとサフランの頭に手を置く。そこにある身長差は、大人と子供の物。いくらサフランが喚こうが、俺にとっては妹の様に子供である事は変わりない。


「もう14歳だ! 馬鹿にするな」

「……やっぱ子供だろ」

「ちがう! 戦士! ボクはもう立派な戦士で、大人なの!」

「そうかそうか」

「馬鹿にしてるだろー!」


 そう言ってサフランは怒り出す。だがやはり子供だ。

 そんな子供が武器を取り、戦場に立つこの世界が俺は嫌いだ。


「サフランは……何で戦いが好きなんだ?」


 サフラン・エルルークという少女について俺が知っている事は少ない。幼い少女であり、戦いが好きな少女。だがなぜそれが好きなのか、俺は何も知らない。


「……さあ、なんでだろうね」


 サフランは遠くを見る様に呟いた。その瞳に俺は映っておらず、じっと虚空を見つめていた。


「好きな理由を知らないのか?」

「……なんでだろ」


 サフランは俺を見ずに何かを考えている。考えもしなかった事を考える様に、それに苦しむ様な表情を浮かべた。



 ◇



 サフランにさらわれて数日が経過した。


 食事は用意されるし、寝床も部屋の隅にある。しかし出歩く事もできず何もするなと閉じ込められているのが現状だ。

 サフランは基本部屋にいない。どこかに行ってる様で、食事の時と寝る時以外は帰ってこない。


 そんな俺が考える事と言えばメル様だ。メル様が今どうしているか、そればかり考えてしまう。それ以外考える事がないとも言える。

 退屈だとはあまり思わないが、ゴロゴロしているだけでは不健康だと思う。


「人間、動かないとな」


 俺の目的のためにも、健康でいる事は必須だ。

 衰えないためにも動くべきだろう。数日閉じ込められた俺はそう判断した。


「よしっ。掃除でもするか」


 体を動かしてやる事。この汚い屋敷を掃除する事しか思いつかなかった。

 そうと決まればさっそく動き出す。掃除道具は見当たらないため、部屋の整理から始めるべきだろう。


 サフランの部屋はとにかく汚い。物が散乱しており、あちこちに山となっている。

 ベッドもグチャグチャだし、服もぬぎっぱだ。


「下着まで散乱してるのか……しかも洗濯してないよなぁ」


 物をかき分けていれば、サフランの下着まで出てくる。女の子としての慎みというか、そういうのはないのだろうか。


 服は洗濯するためにまとめる。武器は隅に整理しておき、分けの分からない機械も整頓しておく。ベッドは綺麗に敷きなおし、ゴミの中から出てきた箒らしきもので埃も掃った。


「ふん……こんなところか」

「おい、なにしてる」


 今できる精一杯で掃除をしていたところ、ふとドスの効いた声が聞こえた。

 振り向けば、薄汚れた作業着を着たサフランが俺を睨んでいた。


「掃除」

「大人しくしろと、言わなかったか?」

「大人しくしてほしいなら縛っとくんだな。ほら、洗濯物」

「あうっ」


 ゴミの中から出てきた洗濯物の山をサフランに投げ渡す。


「な、なんだよ」

「全部汚れてた、洗濯はしてるのか?」

「なにそれ。服は落ちてるの着るからそんなの良いの」

「良い事あるか。まさか一度もした事ないのか?」

「だから言ってるじゃん。洗濯ってなにさ」

「…………」


 俺がサフランについて知っている事は少ない。だが、まさか洗濯すら知らない少女だとは思わなかった。

 服を洗濯するという事は人としてあたりまえの事だ。それをこうも真顔で言うとは。


「汚れた服を洗って、乾かす事だ」

「ふーん。なんでそんな事するの?」

「……そう言われると何でだろうな。清潔を保つため、かな」

「ふーん。よくわかんないししなくて良いんじゃない?」

「メル様は不潔なの大っ嫌いだぞ」

「えっ……?」


 メル様は綺麗好きだ。部屋も綺麗だし、己の清潔にも気を遣う。戦場であっても気を抜かないほどだ。

 いつも良い匂いがするし、綺麗だ。それ故不潔なのが嫌いなのだ。


「メル様がサフランの事苦手なのは、汚いからかもな」

「な、っ。なっ、……なっ」

「汚い服を着て、その様子じゃ風呂にも入ってないだろう。そんなんじゃメル様には好かれないだろうな」

「嘘だ……」

「ほんとだ。分かったら洗濯。そして風呂に入れ」


 大きなショックを受けた様子のサフランはあわあわとするが、すぐに自分が何をするか理解した様だった。


「ぐぬぅ……洗濯、するっ。今からお風呂いれる」

「そうだ。そうすればメル様はサフランの事大好きになるだろう」

「そうだよね! よーし、メルに好かれる様に頑張るぞ。お前、一緒に洗濯ってやつする!」

「ああ。行くぞ」


 これならば運動には事欠かないだろう。俺はサフランに連れられて、風呂場へと直行した。




「ここが風呂だ。ここしか水はでないぞ」

「……ふむ」


 この屋敷に存在する風呂場は汚い。使われている形跡はあるが、何か月に一回程度。広い浴槽がなんかヌルヌルしていた。


「まずは風呂の掃除だ」

「なんでっ?」

「ここは体を清める空間じゃない」

「えー」


 悪態をつくが、メル様には嫌われたくないのか素直に言う事を聞いてくれる。

 引っ張り出してきた掃除道具で浴槽を磨く。床も壁も、水垢やぬめりを丁寧に掃除する。これもメル様と暮らす内に覚えた掃除術だ。


 風呂掃除が終われば洗濯だ。幸い洗濯板があり、石鹸もある。ドワーフの技術で作られたそれはエルフの物より高性能だ。

 みるみるうちに汚れは落ち、水は黒く濁る。


「うわぁ。真っ黒だ」

「いつから洗濯してないんだよ」

「……たぶん、パパが死んでからかな。使用人はその時みんないなくなったし」


 サフランは思い出す様に、寂しそうにそう言う。


「それから、一人暮らしか?」

「うん。しょうがないけど。誰も、ボクなんか受け入れてくれないし」

「……誰も?」

「うん。でもね、メルがいるから大丈夫。メルはボクと同じだから。メルならボクを……」


 サフランはそこで言葉を切った。

 メル様ならサフランを受け入れるだろうか。いや、無理だ。メル様は戦いが嫌いで、サフランは戦いが好き。そこにある溝は到底埋められるものではない。


「メル様は……優しい人だ」

「そうだよね! メルならボクと一緒にいてくれるかな。メルなら、ボクの力を受け止めてくれるよね」


 かなしい話だ。サフランが争いを望まず、メル様を愛する事ができればメル様は受け入れてくれるだろう。だがそれは無理そうだ。


「また、メルと愛し合いたいな殺し合いたいな


 どこかで歪んだサフランの愛は、メル様に届く事はないだろう。

 メル様は優しい。優しいから、サフランの事情を知れば手が鈍るかもしれない。敵が、ただ孤独で歪んでしまった少女だと知ればメル様はまた苦しむだろう。そんな想像を、俺はすぐに打ち切る。


「……メル様と会うためにも、風呂に入らないとな」

「うん。メルに会うために頑張る!」

「俺は洗濯もの干してくるから、入ってろ」

「ん? お前も一緒に入ろうよ」


 サフランは何んとなしにそういう。あまりに普通に言われたため、俺の手は止まってしまった。


「えっ?」

「一緒に入るよ。一人じゃ体洗うの大変だしー」


 幼い少女とはいえ、女性である事に変わりはない。俺はサフランの顔を見ながら固まってしまった。

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