第八話 サフラン・エルルーク

 ドワーフの英雄サフランについて、俺が知っている事は少ない。


 たとえば、メル様と同じ英雄と呼ばれる者でありとてつもない怪力を誇る戦闘狂である。

 あるいは俺よりも幼く、可愛らしい少女である。

 その程度だ。

 俺が知る限り、サフランの中には二つの大切な物がある。それは“戦い”ともう一つ――


「これがメルのお気に入りかぁ」


 ――メル様だ。

 サフランはメル様のストーカーと言っても良い。戦場で必要に付け回し戦いを挑んでくる戦闘狂であり、それが転じていつの日かメル様を愛する様になったらしい。


「ねえ聞いてる?」


 青い瞳が俺を覗き込んでくる。

 見れば見るほど幼い。ドワーフという種族の特性上幼く見えるのはしかたないが、それでも俺より年齢は下だろう。

 褐色の肌や短く切りそろえられたその銀髪も、ドワーフの特徴だったか。


「ねえってばっ!」

「ん……ああ。もちろんだ」

「ふんっ。人間にはきょーみないけど、無視されると不愉快だから!」


 サフランはそう言って怒り出す。年相応の可愛らしい怒り顔だが、拳一つで俺が死ぬから騙されてはいけない。


「ここは?」

「ボクの部屋さ。お前は今からボクの奴隷だから」

「あー。そうなのか」

「そう。ど、れ、い。ボクには逆らっちゃだめなんだ。逆らったら殺しちゃうから」

「なるほど」


 メル様のペットになったと思ったら次はサフランの奴隷か。俺をなんだと思っているのだろう。


「お前はねー。メルの怒りを誘って、メルを壊すために生かしてるんだよ」

「メル様の……?」

「うん! メルはね、とっても強いのに本気を出してくれないんだ。ボクは本気のメルと戦いたいのにさ」


 メル様は戦うのが嫌いだ。戦争ではいつも必要以上に力を出さない。手加減してなるべく殺さない様に立ち回っているほどだ。

 確かに戦い大好きなサフランにとって我慢ならない事だろう。


「だからさ、メルを壊すんだ。お前を使ってね」

「俺をね」

「うん。大事なものを傷つけたらメルはどうなっちゃうかな? 怒り狂ってボクを本気で殺しに来るかな? 楽しみだよね」

「……分からないな」


 サフランの言葉など一生理解できないのだろう。この世界にしか産まれてはいけなかった少女とはそういうものだ。


「どうすれば良いかなー? お前の指を一本一本送り付ければ、壊れちゃうかも」

「そうかもしれない」

「だよねー。あー、楽しみだぁ」


 サフランは妄想の世界にトリップした様に恍惚とした笑みを浮かべる。

 本気のメル様と殺し合う妄想でもしているのだろうか。まったくサフランの事は理解ができない。

 だがメル様が本気になればサフランでも勝てないだろう。あれはそういうものだ。


「よーし。ボクは出かけるけど、お前は逃げるなよ。逃げたらとっても怖い事するから」

「ああ。どうせ逃げられない」


 ここはドワーフの帝都だろう。メル様の元まで徒歩でどれだけかかるやら。逃げる事など不可能だ。


「分かれば良い。ボク物分かりのいい奴隷好きだからな」

「はーい」

「うん。そーゆーの!」


 そう言って、サフランは部屋を出る。

 俺は鎖でグルグル巻きにされたまま、ポツンと部屋に放置された。



 ◇



「俺は……俺だ――」


 たまに自分が分からなくなる。

 メル様から離れるほどに、希釈になっていく俺の心。このまま消えてしまうのではないかと錯覚するほど消えていく感情。


「大丈夫、メル様がいなくても俺は俺のままだ。目的を果たすその時まで・・・・・・・・・・・、俺は俺のままだ」


 そう確認する。そうすれば俺は俺のままでいられる。

 俺が消えてしまわないために必要な儀式だった。


「ふぅ……さて、鎖ほどくか」


 俺が俺である事を確認し終えて、動き出す事にした。

 逃げる事はしないが、大人しくするとも言ってない。

 鎖でグルグル巻きとはいえ、脱出は用意だ。丁寧に体を動かしながら解いていけば数十分で拘束は解ける。

 そうして解放されれば、俺はキョロキョロと辺りを見渡した。


「ふむ。大きなベッドに、たくさんの武器か」


 元は豪奢な部屋だったのだろうが、辺りには大量の武器が散らばり、無造作に巨大ベッドがポツンと置かれている。

 整頓されている気配はなく、適当に置いたらこうなったという感じか。


「鍵は……掛かってない」


 不用心というかなんというか。部屋の唯一の扉を開ければ、広がるのは廊下だ。

 赤い絨毯が引かれていたり、高そうなツボが飾ってあったり、貴族の屋敷の様だがただ一つ。


「ごほっ、ごほっ。……凄い埃だな」


 絨毯は埃塗れ、いたる所にクモの巣が張っていたりとても人が住んでいる感じではない。窓から外を見れば草が青々と生えた庭も見える。

 誰も手入れをする人がいないのだろか。


「サフラン、一人で住んでんのかな」


 人が住んでいる気配はない。まるで廃墟の様だ。

 他の部屋も見てみるが同様に埃塗れ。廊下以上に利用してないのか人が住む様な場所じゃなかった。


 いくらか歩き回ればここが二階建ての豪邸だと分かる。しかし利用されているのは自室とトイレ、風呂場ぐらい。あとは酷く汚れていて人が住む様な場所じゃなかった。


「なるほどね。まあだいたい分かった」


 この屋敷の大まかな仕組みは理解した。庭には行ってないが、草があんなに生えていたら特になにもないのだろう。

 四方の塀をみるに脱出はできそうだがそれ以降に続かない。荒野を彷徨って野垂れ死にがせいぜいだろう。


「ねえ、そこで何してんの?」


 たとえばキッチンなど利用しそうなものだが、その形跡はない。となるとサフランがどう生きてきたかと用意に想像が――。


「無視されるのは嫌いって言わなかったっけ?」

「ん? ああ、感覚が鈍くてね。気づかなかった」

「そうなんだ。それより、なに逃げてんの?」


 サフランはそう言って、俺にナイフを突きつけてくる。

 鋭い綺麗なナイフだ。よく手入れをしているのだろう。


「逃げてはない。俺はこの屋敷を歩き回っていただけだ」

「それを逃げてるっていうの知らないの? ボクそーゆう屁理屈大っ嫌い」

「サフランの元から逃げるつもりはない。たっぷり時間があったのに、この屋敷から出てないのがその証拠だ」

「ふんっ。ペナルティだから。腕一本で許してあげる」


 サフランは俺の腕を掴む。少女とは思えぬ力であり、俺では脱出不可能だろう。

 腕一本。まあ別にどうでも良いが、俺の目的を果たすためには手は必要だろう。


「だとしたら、俺は死んじまうな」

「はぁ? 何言ってんのさ」

「人間は弱いんだ。腕をきったら血がいっぱい出て死ぬ」

「嘘つくな! そんな弱いわけないだろ!」

「嘘じゃない」


 人間は弱い。他種族であればすぐ塞がったり、なんなら新しく生えてきたりするが人間はそのまま死んでしまうだろう。だから最弱の種族と呼ばれているわけだが。


「……死ぬのか。まだ殺すなって言われてるし、今回だけ許す。もう二度と出歩くな」

「ああ。分かった」


 サフランは俺を解放して武器をしまう。

 不機嫌そうに鼻を鳴らして、自室へと歩む。俺もその背についていった。


 埃塗れの廊下を歩く。サフランはそれを特に気にした様子はない。


「ここで一人暮らしか?」

「……そーだけど」

「親は?」

「パパは死んだ。母は殺した。ボクは一人」


 それはサフランにとっての地雷だったのか、手短に言って切り上げる。これ以上追及すれば無事じゃすまない気配がしたので俺も口を閉じる。

 やはり一人なのだろう。まだ幼いのに、保護者の代わりすらいないとは。

 それに母は殺したか。そこがサフランにとっての隠したい過去なのかもしれない。


「変なこと聞くな。お前なんか、ボクがすぐ殺しちゃうんだからな」

「今は殺さないのか?」

「ふんっ。お前にはりよー価値がある。らしい」


 そう言ったがサフラン自信もあまり理解していない様だ。

 ならば俺をさらったのはサフランの独断ではなく、他のドワーフ族の意思も関わっているのかもしれない。


 そんな事を考えていると、サフランの自室にたどり着く。

 端の方にあった机と椅子を乱雑に運び出すと、サフランはそこに座って一息ついた。


「それ、お前の餌だから」


 サフラン自身は机の上にパンと缶詰を出す。しかし俺には床に置かれた家畜の餌の様なご飯だった。


「これは?」

「畜産部からもらってきたんだぞ。ありがたく食べろ」

「……豚の餌だろ」

「人間も豚も変わんないだろー」


 サフランは大真面目にそういった。なんというクソガキだろうか。

 いやサフランだけじゃない。メル様以外、俺にはこんな態度だ。人間は家畜と変わらないと思っている。


 まあ別に味なんて感じないし栄養補給ができればいいのだが、これは人間としての誇りの問題だ。

 俺がこれに口をつければ、人間は家畜と変わらないと知らしめる事になる。それは最後の人間として許される事ではない。


「……メル様は、いつも美味しいものを用意してくれたな。同じものを食べさせてくれた」

「なにが言いたいんだよ」

「お前にはできないんだな」

「は……?」

「メル様は簡単に用意してくれた食事を、お前は用意できないんだなサフラン」

「っ――!!!」


 サフランはメル様に対して並々ならぬ感情を持っている。こうして煽れば何か反応をくれるだろうと思ったが、案の定だった。


「よ、よくも言ったな! ボクを侮辱するなんて許さない」

「でもそうだろ。奴隷のご飯もまともに用意できない貧乏人が」

「っぅ!!!! ふんっ、ならボクはもっと凄いの用意してやる!!」


 そう言ってサフランは部屋から飛び出る。

 これがサフランの扱い方か、と俺はほくそ笑んだ。

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