第六話 “英雄”

 メル様は凄い人だ。サフラン達が破壊していった結界をあっという間に修復した。俺の治療を終えた後も、すぐさま死者アンデットを全滅させた。

 最後に俺がかき回さなければ、ドワーフ達が起こした被害だけですんだだろう。


 だが俺がいた。俺が死者アンデットを誘導し、エルフ達を襲わせたせいで地獄が生まれた。

 1000人いた兵士のうち半分が死に、それ以外も重症を負う大惨事。戦勝は一転して敗戦と言って良いレベルまで転落した。

 俺が最後にやらなければまだ軽傷ですんだであろうが、俺のせいで致命傷までになった。それが顛末だ。


「なぜだっ! メルティア、お前がいてなぜこの様な事になったっ!!」


 エルフの王は、王座から立ち上がり大声で喚き散らす。

 近年まれにみる敗戦に、責任のありかを探してメル様を責める。それに対してメル様は何も言わず、全ての責任を被っていた。


 謁見の間の空気は最悪だ。都もそう。凱旋は死者の行列となり、国民の士気を完全に落とした。

 メル様が現れてから全ての戦況で勝ってきたエルフにとってそれは我慢ならない事だろう。


「よりにもよってドワーフ共に良いようにやられおってっ! エルフの誇りは地に落ちたぞ!」


 しかしドワーフの方の損害も馬鹿にできない。奇襲される前は、宴を開くほどの大勝だった。結果は痛み分けといったところだが、王にとっては完膚なきまでに負けた様に見えたのだろう。


 王はさらなる罵詈雑言を重ねる。それほど今回の損害は大きかった。

 しかしこれは親子のやり取りだ。メル様はやれることを全てやったのだ、父親ならもう少し優しくしても良いだろう。いや、痴呆と噂される王にはもう無理な事か。


「もうしわけ、ございません……」

「謝罪すればすむ問題ではないのだぞっ!!」


 メル様は口答えせず、ただただ謝罪を重ねる。その態度のせいで周りの大臣達もメル様を責める様な視線を向けた。

 この謁見の間の全てがメル様の敵だった。一番幼い少女が一番前で戦い、一番責任を負う。俺はこの状況が……嫌いだ。


「もうよいっ! 下がれ! 顔も見たくない!」

「はい……失礼します」


 メル様は様々な侮蔑的な視線を背に、謁見の間を退室する。隅に控えていた俺もその背を追って静かに退室した。

 扉が閉まればメル様への罵詈雑言がかすかに聞こえてくる。この大敗には悪者が必要で、それを引き受けたのがメル様だ。


 たとえどんな扱いをされたとて、メル様は……エルフの英雄で居続けるのだろう。それすらも英雄の役目だと言って。


「メル様……」

「部屋……もどろっか」


 何かを堪える様にメル様は言う。しかし人前では決してそれを見せず、英雄の様に堂々と歩いていた。

 俺はそれが痛々しくて、見ていられない――。




 メル様の部屋は広く殺風景だ。しかし部屋としての機能は高性能で、窓を閉めれば外に声が漏れる事はない。


「うぅ……バル、トっ」

「辛かったですね、メル様」

「っ……うあっ、ひっく……バルト、バルトっ」


 メル様は部屋に入ってすぐ俺の胸に飛び込んできた。そして年相応の少女の様に泣いていた。

 メル様は英雄になれる少女ではない。虚勢を張って英雄で居続け、その偶像に背負わされる重圧に苦しみ、戦いに恐怖する、そんな英雄とは呼べない少女だ。


「いくらでも泣いてください。俺が全部受け止めます」


 メル様は今までため込んできた全てを吐き出すように泣いた。


「ひぐっ……もう、やっ。怖い。辛いし、……戦いたくない」

「はい……」

「なんで、こんな戦争、してるのっ。もうやだぁ……バルト、助けて」

「大丈夫です、俺がいます」


 メル様の事を考えれば逃げてしまえば良いのに。メル様と一緒にどこか遠くへ。そうすればもう傷つくこともない。だが俺はその提案はしない。できない。


「よしよし。辛いですね」

「んっ……もっと撫でて」

「はい。俺はメル様の味方ですよ」

「うん……バルトっ、バルト。もう、バルトしかいない。ずっと側にいて」

「もちろんです」


 ずっとメル様を抱きしめて、その頭を撫で続けた。メル様を癒す様に苦しみから解放される様に。

 メル様は英雄たる器じゃない。しかし、とても強い人だ。泣いて泣いて、涙が枯れるまで泣いた後にまた立ち上がれる少女だ。


 泣き疲れて眠りについても、また明日になれば英雄として全エルフの命を背負って戦い続ける。


「……メル様は優しすぎます」


 俺は涙が枯れ、安心した様に眠るメル様をベッドに寝かす。

 メル様のたどる運命を思えば、その寝顔を見るだけで苦しかった。その優しさ故に全てに苦しむ少女の運命。


「俺も結局は……その優しさ故にここにいるんだな」


 タオルでメル様の目元を拭う。風邪をひかないように上に布団をかけて、俺も眠りにつく事にした。

 部屋の隅にある俺の寝床。メル様が用意してくれた、ふかふかな寝床だ。


 軽く着替えて明りを消す。王宮の喧騒も聞こえないほど静かな部屋で、俺達は眠りについた。



 ◇



「……朝か」


 朝日が俺を起こしてくれた。長く続いた戦場に思った以上に体は疲弊していたのか、気づけばぐっすりと眠りについていた。

 何時間寝たのだろうかと思い返していると、俺の腕が動かない事に気づく。


「ん? ……メル様何してるんですか」


 ふと見れば俺の右腕にしがみつきながら眠るメル様の姿が。メル様のベッドとは結構離れているため、寝相が悪いという線はない。

 メル様が自分の意思でここまで来たということだろう。


「心細かったのかな」


 そっとメル様の頭を撫でる。サラサラとした髪は撫で心地が良い。ゆっくりと撫でるたびに、メル様は幸せそうに身じろぎした。


「ん、ぅ……バル、ト?」

「おはようございます。メル様」

「ん、……おはよ」


 頭を撫でた事で起こしてしまったのか、メル様は眠気眼で俺を見る。いつ見ても美しい人だ。


「もう、朝?」

「はい。ぐっすり寝てましたね」

「うん……久しぶりに……バルトの側は良く、眠れる」


 うとうとと、そう言いながらメル様は俺の胸に顔を預けた。

 そうなると俺の動悸も激しくなる。メル様の柔らかな体が俺に預けられ、朝ゆえに起こる男の生理現象がより顕著になった。


「もっと、撫でて」

「甘えん坊ですね」


 メル様の髪は撫で心地が良い。サラサラとした長い髪を撫でて心を落ち着けようと思うが、むろん不可能だ。もっとドキドキする。

 特にメル様の香りが俺を狂わせる。いつも良い匂いがするが、今日は特に良い。エルフ故のなにかがあるのかもしれない。


「んー……。きもちい」

「そろそろ起きてください。メル様」

「やだ」

「そう言わずに」


 これ以上やるとメル様を押し倒してしまうかもしれない。人間族は性欲が強いのである。

 メル様を起こして、ベッドのふちに座らせる。そうすると眠気眼だったメル様も少しは覚醒した様子だった。


「……おはよ。バルト」

「おはようございます」

「朝、なに食べたい?」

「なんでも良いですよ」


 あまり食にこだわりはない。メル様と一緒じゃないと味も感じないし、食を楽しめる様な人生でもなかった。


「何か持ってきてもらうのも良いけど……都に、いこっか」

「都でご飯ですか良いですね」

「決まり。さっそくいこ」

「はい」


 そう決まれば空腹感が沸いてくる。昨日は結局何も食べずに寝てしまったし、思えばかなりお腹が空いている状態だ。


「私。着替えるから」

「はい、部屋出てますね」

「だめ」

「へっ?」

「後ろ、向いてて」

「いや。部屋でてますよ」

「それはだめ」

「…………」


 どういう事だろうか。前までは部屋を出て対応していたというのに。戦争から帰ってきてから俺を離したがらない。

 まあ俺に拒否権などないから、素直に従うだけだが。


 シュルシュルと、衣擦れの音が響く。パサっと服が地面に落ちる音がする。メル様が同じ部屋で着替えているというのは初めての経験で、胸の高鳴りは止まらない。

 今振り向けばどうなるだろう。殴られるだろうか。いやメル様なら恥ずかしがるだけで許してくれそうだ。


「もう良いよ」


 そんな事をもんもんと考えていたら、メル様の着替えは終わった。

 振り向けば、淡い緑色のワンピースを纏ったメル様がいる。何着ても可愛いのがメル様だが、今日も相変わらず可愛かった。


「どう、かな」

「とても可愛いと思います」

「んっ……そう。良かった」


 メル様は頬を染めて、俺から視線を外す。そしてにやけを抑える様に頬に手を当てた。何をしても可愛い人である。


「じゃあ行きますか?」

「うん。手、つなご」

「手ですか?」

「手つながないと、魔法がバルトにもかからない」


 おそらく認識阻害の魔法だろう。しかしあれは手をつながなくても発動した気がするが……。まあ良いか。

 俺はそっとメル様の手を握る。小さくて綺麗な手だ。メル様と触れ合えば俺の感覚は敏感になる。今まで感じなかった事も感じる様になる。


「……うん?」

「バルト、どうかした?」

「いえ。なんか変な気配が」

「気配? なにも感じないよ」

「じゃあ気のせいですね」


 メル様とつながる事で俺は感覚を取り戻す。それによるとなんか変な気配を感じた気がするが、メル様が何も感じてないならば気のせいだろう。


「それより、いこ」

「はい楽しみですね」


 俺達は手を取り合って都へ歩く。認識阻害の魔法は俺達の姿を隠し、誰にも気取られる事なく王城を抜ける事ができた。

 ただ一人を除いて。

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