第二話 その暖かな胸に感じる感情は
メルティア・フルール・エルメルという少女は、この時代に産まれてきてはいけなかった人だと俺は思う。
間違いなくエルフ族最強の実力者だが、その精神は一般の少女と相違なかった。
彼女は、敵を殺す事に心を痛める少女だ。
エルフ族を背負うという重圧に、苦しめられる少女でもある。
戦いに向いた性格ではなかった。一人殺すたびに、罪悪感に泣いているほどだ。
エルフ族を背負える器でもないし、英雄を貫ける心もない。ただ才能だけはあった。
敵を殺す才能だけはピカイチで、英雄となれる能力を産まれ持ってしまった。
メル様は、この時代に産まれてくるべきではなかった。
あの日、メル様と出会った日。戦場の外れで泣いて、吐いて、苦しんでいたメル様を見て、俺は誓った。
必ず――
◇
「この、害虫がっ!!」
拳が俺の顔面に迫った。それを頬を貫き、俺を吹き飛ばす威力を誇る。
人間たる俺にそれを防ぐ手段などない。最弱種は大人しく吹き飛ぶだけだ。
「ぐっ――」
地面に倒れ伏す俺。しかし彼らはそれで許してはくれない様だ。
「きたねえ面をみせんなっ!」
「薄汚い害虫がっ」
「俺たちと同じ大地を歩いていいと思うなよ」
さんざんな言われよう。そして、足蹴りにしてくる。
俺はそれに対して特に抵抗する事なく、無言でされるがままにしていた。
痛みは感じない。そういう体質だ。
俺を足蹴りにするのはエルフの兵達。別に俺が何かをしたというわけではなく、ただ通りかかっただけだ。
フードを深く被って顔を見られない様にしていたが、逆にそれが仇となった。怪しい奴だとフードを剥かれ、人間だとバレた。それだけだ。
「なんとか言えやっ!」
「エルフ様と同じ大地を歩いてすいませんだろっ!!」
そう言われても俺は何も言わない。ただその光景を眺めていればいつかは終わる事だ。俺が殺されて終わるかもしれない。それも良いかもしれない。
だがそうはならなかった。
「このっ、ゴミ野郎がっ――」
「なにを、している」
戦場には似つかわしくない可愛らしい声だ。その声と共に、全ての動きが止まった様だった。
「あ、……あなたは……」
「バルトが、私のものだと知っての……行いですか?」
「いや、それは……その」
突如現れたメル様に、彼らはタジタジだ。まあ知っての事だろう。
じゃなかったら殺してる。生かして痛めつけるという事は、殺す事はマズイと知っているからだ。
「答えなさい」
「あ、あ……こ、この人間が。悪くて」
言葉が詰まっている。メルティアメル様から放たれる威圧感の前では、立ってるのも難しいだろう。
「バルトが悪い?」
「そ、そうです! この人間が俺たちに襲い掛かってきて、それを帰り討ちにしたのです! 正当防衛だ!」
「…………」
無茶苦茶な言い分である。だが良く舌が回るもので、汗を垂らしながら必死に言い訳を重ねていた。
「バルト……ほんと?」
「なわけないですよ。実力差ぐらいわかっています」
俺がエルフ族に殴りかかったとしてなんになる。勝てるわけがないというのは百も承知だ。
「う、嘘だ! こいつは嘘をついているのです」
「……そう。じゃあ『私の前で全ての嘘を禁じる』」
言い訳を重ねるエルフの男達。それに対して、メル様は呪文の様に囁いた。
「もう一度聞く。バルトは、この者達に殴りかかった?」
「いいえ。そんな事ないです」
「こいつは嘘をついているっ! こいつは俺たちに殴りかかって――」
エルフの男は、急に言葉を失った。口をパクパクと動かし、だが言葉がでてこない。
「嘘を禁じると言ったはず。それなのに、嘘をついた」
メル様は嘘が嫌いだ。そんなメル様の前で嘘をつくとは、このエルフも豪胆というかなんというか。
「処分は追って伝えます」
「あ、あ――」
「バルト、行こ」
「はい。すいません」
口をパクパクさせ、体が金縛りにあったかの様に動かないエルフの男達を後に、俺達はその場を去る事にした。
「ごめんね。バルトが、傷ついた」
「いえしょうがないです。それに、これぐらいすぐ治ります」
「そんなわけないっ! すぐ天幕に戻って、治療するから」
俺がそういえば、メル様は凄い剣幕で叫ぶ。
痛みを感じないというのは不便なもので、自分の怪我がどの程度なのか検討がつかない。今回は結構な重症らしい。
だが不安はない。メル様が助けてくれるから。
俺はメル様に連れられ、天幕へと放り込まれた。
「あんま、治癒魔法はうまくない。ごめんね」
「いえ。メッチャ元気になりました」
天幕にて、俺はメル様から治療を受けていた。
魔法と呼ばれるエルフ独自の不思議な力により、俺は完全復活だ。
「無理しないで。激しく動くと、悪化する」
「はい、すいません」
見た目上は大分治ったのだが、メル様に言わせればそうでもないらしい。痛みを感じないというのは不便な面もある。
「バルト……ごめんね」
「謝る事はないですよ。俺が不用意に動いたからです」
「ううん。私が、目を離したから」
「いや、俺のせいです。それに死んでないし、大丈夫です」
俺の命は、メル様のおかげで守られている。それなのに、出歩くというのは俺が悪いに決まっている。大人しくメル様が帰るまで待っていればよかったのだ。
やるべき事があったなど言い訳にすぎない。
「……ん~、もう! 目を離さない、から」
「しかし」
「しかしもない! もう、離さないから」
そう言ってメル様は俺を抱きしめる。
俺はベッドに腰かけていているため、抱きしめられると丁度メル様の胸に顔を埋める事になった。
「むぐぐ……」
「勝手にどっか行く、悪い子にはお仕置き」
お仕置きにはなっていないだろう。メル様の柔らかな触感と、花の様に甘い香り。 ご褒美だろうか。
動悸が激しくなる。鼻先をくすぐるその香りに脳がクラクラする。そんな俺を知らずか、メル様はさらに抱きしめてきた。
「……よしよし」
「メル様……」
愛のこもった手のひらが俺の頭にのせられ、メル様はそっと頭を撫でてくれる。
家族も仲間も失った俺に、唯一優しくしてくれるメル様。もう俺の中にはメル様しか残っていなかった。
「暖かいです」
その温もりを、俺は感じる。
痛みだけではなくさまざまな感覚が鈍い俺だが、唯一メル様と接している時だけ敏感に反応する。メル様の体温はゆたんぽよりも暖かい。
そうして、じわじわと先ほど負った痛みが湧いてきた。
「『癒しを彼の身に』」
だがその痛みすらメル様は癒してくれる。光が俺を包み、スーっと痛みが引いてゆく。
俺はメル様の体温を感じて、メル様も俺を見ている。広い天幕の中で二人きりで、二人だけで世界は完結していた。
「メル様……ありがとうございます」
「ううん。私の、せいだから」
メル様の温もりと癒し。それは俺の心に灯をともしてくれる。
燃え上がるほどに熱い心。無感情だった俺に、メル様だけが感情をくれるのだ。
「……ここは雑音が多い。バルト、外、いこっか」
「はい。良いと思います」
外の喧騒は雑音だ。戦勝にわく喜びの声だとしても、メル様にとっては害でしかない。
そっと、俺達は陣地を抜ける。誰にも気づかれない様に、二人だけの世界である様に。
◇
「森。この世界で、緑を保つ場所」
「綺麗な場所ですね」
「うん。綺麗で、静かな場所。……でも昔は森で世界は埋め尽くされ、自然が溢れてた」
メル様と俺がやって来たのは、戦地の外れにある木々が生い茂った森の中。
静かで美しいこの空間は、この世界では希少なものだ。昔は自然で溢れていたと言うが、戦火で全て消えた。
この空間も、いずれは消えてしまうだろう。
「異種族を殺して、世界を殺して、それでも止まらない。いつまで、こんな事。するんだろ……」
「そうですね。それは多分……全ての種族を滅ぼすまで」
俺達人間も三年前に滅んだ。十の種族のうち七つが滅んでなお止まらず、より苛烈になる戦。
「もうすぐ、“夜”が来る。それがあけたら……また始まる」
「はい」
「今度は、ドワーフも。戦力を投入してくる」
「…………」
この戦の大勝はメル様一人作り出したと言っても過言ではない。なれば後がないドワーフも、休んでいた同等の戦力を投入してくるだろう。
また一杯死ぬ。一杯殺し、世界もまた悲鳴を上げる。それをメル様は耐えられない。
「怖いよ……バルト」
メル様は俺の胸に飛び込んで泣いた。体を震わせて、声は絶望に染まっていた。それでもメル様は立ち向かわないといけない。
「メル様……」
「でも……バルトがいれば、頑張れる。バルトが背中を、押してくれたら」
俺がここでかけるべき言葉はなんだろう。多分、もう戦わなくて良いと優しく言う事だ。そしてここから逃げればメル様は解放されるだろう。
でも俺は、それを言えなかった。
「大丈夫です。きっと、明日を乗り越えれば……争いは終わります」
そうやって耳障りのいい言葉を並べるのだ。
多分明日で一旦争いは止まるだろう。しかし準備期間をへてまた始まる。どちらかが滅ぶまで。
「そうだよね。……ありがとうバルト」
メル様は、この時代に産まれてはいけなかった人だ。
俺は強くそう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます