第16話 未来予知力

 尾関の未来予知によると、島津は有栖が社長に就任したあと、副社長として辣腕を発揮する。そのころには、人員整理よりも、もっと建設的な意見を出して、有栖をサポートしている。

 さらに、立山は長曾我部商事を退社後、父親がオーナーを務める芦原銀行に入社し、十年後には経営幹部になり、有栖の心強いビジネスパートナーになる。

 有栖は「私の結婚相手はどんな人で、子どもは何人で、どんな暮らしをしているのかしら?」と尋ねた。彼女の胸の内では、翔太と所帯を持つことを夢見ていた。

 だが、尾関は「先に結果を知ると、違うものになることがある。人の心は、明日の天気よりも読みにくい」とだけ言った。

 彼女は密かに翔太との結婚をイメージし、尾関の言葉の中に、そのことを予見させるようなものがないかどうかを探ろうとしている自分に気づいた。

(もし、翔太からプロポーズされたとしても、両親は結婚に猛反対するだろうな)と、彼女は頬を赤らめながら思った。

   ※

 有栖は社内の主要な資料に目を通し、夜遅くまでデスクに腰かけていた。長曾我部商事のビルを出ると、ハイヤーを飛ばし、自宅マンションに戻った。

 彼女の部屋は、彼女自身のように知的で魅力的だ。インテリアにも彼女のセンスの良さが反映されており、家具やカーテンなどのすべてに、様式や趣味のこだわりがあった。

 ベッドの上の寝具はきちんと折りたたんで、いつもきれいに整えてある。トイレは汚れ一つない。台所用品や調理器具も同じだった。床は掃除機をかけてあり、埃一つ落ちてはいなかった。

 尾関の予言では、自分が世界を大きく変えることになる。その気負いのせいなのか、彼女は頭が冴え、なかなか寝付けなかった。翌日は土曜日だ。

(仕方がない。このまま起きて居よう)と決断し、マンションの窓から外を見た。夜景が目にしみるように思えた。上を見ると、空が白み始めていた。(これから、自分は壮大なビジネスを手掛けることになる)そう思いながら、玄関を出て階下にエレベーターで降りた。彼女は寝不足からくる極度の疲労で頭がぼうっとしていた。

 尾関の予言は、シェイクスピアの「マクベス」に出てくる三人の魔女の予言とは異質なものだ。物語の中のマクベスは、森の中で会った三人の魔女に「あなたは国王になるだろう」と予言される。だが、邪悪な手段で国王になった彼は、その後も無残な犯行を重ねてしまう。そして、マクベスの末路も最悪のものとなる。

 有栖は、大友に引導を渡すことが、物語の「マクベス」のような別の不都合や不善につながらないかと思案し続けていた。

 翌日の日曜日は、彼女は昼近くまで眠った。軽い運動をして、マンションの三十六階までエレベーターで降りて、イタリアンレストランでたっぷりのブランチをとった。

 現実は、勧善懲悪の芝居のようには出来ていない。やはり、尾関の意見を聞いてみるべきなのだ。

 社員の処遇の違いが、彼らの人生を大きく変えてしまうことがある。(公正妥当な人事的判断は難しい)と有栖は感じていた。が、その反面(そんな甘い考えでは、役員は務まらない)と思う面もあった。

 月曜日の夕方。尾関が会社の清掃作業を終えるのを待ち、誰もいない会議室に呼び出した。

 アルバイトで出社していた翔太は、珍しく瞬間移動ではなく、会議室のドアをノックして入室した。そして、尾関を見ると軽く会釈した。

 有栖が自分の迷いを打ち明けると「雨が降るときは傘を差さなければならない」と尾関は言った。

 さらに、彼は当たり前だと言わんばかりに「犬が西むきゃ尾は東」と断言した。いつの間にか現れた翔太は、おどけた感じで「犬が頭だけ西を向いても、尾は南だけどね。ナマコの胴体みたいに真っすぐじゃないからな」と言うと大笑いした。

「過去は変えることができない。変えることが出来るのは未来だけだ」

  ※

 大友は有栖から子会社の専務執行役員としての出向を告げられた時、驚いたような表情をした。まだ、五十代前半の彼にしてみれば、あと十年以上はやっていけると考えていたはずだ。

 彼は甘言や脅しが通用する相手ではないが、会社としての今後の方針を説明した後で、有栖は「長曾我部商事よりも、子会社の長曾我部不動産であなたの力量を発揮してもらうことに決定した」と伝えた。

 いつもは強気な大友だが、彼は「粉骨砕身して会社の利益に貢献するために、力を尽くしてきました」と言うと青ざめて見えた。

 しばらく、憔悴した様子を見せたが、彼は有栖に向き直り「長い間、お世話になりました」と恭順の姿勢を示した。

 彼の後任として、東村亨部長が取締役に就任することが決定していた。大友は渋々だが出向することを承諾した。

 島津に言わせると「普段は強気な役員や管理職でも、解雇を告げられると弱気になり、たいていは受け入れてしまうものだ」とのことだ。そして、「例外が存在するとしたら、私ぐらいだと思うよ」と言うことを忘れなかった。

  ※

 有栖が、毛利取締役や営業部の直美とのことを話すと、みさきは驚きのあまり「毛利さんも、奈緒美さんも三年前の火事で死んだはず…」と言うなり、口ごもってしまった。有栖の話があまりにもリアルだったからだ。

「冗談はやめてね」

「あなたこそ、どうかしているわ。人事部の社員で知らないのは新入社員ぐらいよ」

「そんなはずはない。何かの間違いなのでは…」

 有栖の頭の中は混乱状態だった。まるで、「お前の存在は、夢幻のようなもので実態はない」と言われたかのような気分に陥っていた。仏教哲学の問答ではなく、彼らとの記憶のすべてが誤りだというのだ。

 有栖は身体をこわばらせ、金縛りにあったように固まり、みさきの顔をじっと見つめ続けた。

「有栖、気を確かにして…。真相は後で調べてみれば分かるわ」

  ※

 町は夜の闇の中で輝く月光を浴びて、寝静まりつつあった。部屋からは、クルマが行き来するのが見えたものの、施錠した防音サッシの内側まで音は届かなかった。そのため、有栖の眠りを妨げるものは何もなかった。

 頭の中の混乱と寝不足の影響で、ベッドに仰向けになり、目を閉じるとすぐに彼女は眠りに落ちていた。

 翌朝、彼女は混乱と疲労から完全に回復していなかったものの、食欲は旺盛で、血の巡りも良くなってきた。思考回路が安定し、目的もはっきりと定まると、あとは行動を起こすのみだ。

 有栖は起床するとジーンズとTシャツに着替え、目抜き通りから数えて二つ奥の通りにある研究所を訪ねた。ビルの五階にあるはずの全日本超能力研究所は、空室になっていた。

 有栖が一階の守衛室で聞いたところでは「電気系統のトラブルで三年前に出火し、消防署が来て消火したときには、黒焦げになり、中から男女数名の遺体がみつかった」という。男は深く息を吸うと顔をしかめた。

 守衛室の男は「どうぞ」と言うと、研究所のあったところまで案内した。何度も訪ねた事務所の様子が有栖の目にはまるで別物のように見えていた。

 三年間、無人だった部屋はブラインドが下ろされていて暗く、不気味に静まり返っていた。部屋の中には、段ボール箱がそこかしこに転がっていた。(事故物件扱いになり、入居者がいないまま、倉庫代わりに使われているのではないか)と、有栖は見当をつけた。

 彼女にとって、存在の時間は本来の意味を失い、昨日と今日の境目など意味のないもののように思えた。ただ、昼と夜の間を行き来し、メリハリのない生活が繰り返されて行くのだ。

 そのことにどんな意味があるというのだろう? この世界の出来事が、まるで遠く離れた見知らぬ惑星で起きているかのように感じられた。

 数日後、有栖は当時の新聞記事を図書館の資料室で見つけた。そして、亡くなったのが研究所会員の四人と毛利であることが判明した。毛利は、大学時代の同級生である松平を訪ねていたようだ。

 当時の研究所の様子が書かれた週刊誌の記事では、エドガー・ケイシーやエレナ・ブラバツキー、長南年恵などの事績を研究することを目的としたもので、超能力者たちが会合する様子は何一つとして書かれてはいなかった。

 同研究所の会員数は全国に約五千人。主な活動は、年に数回の外部講師による講演会開催と、隔月刊行で会報を発送していた。研究所で松平とともに働いていた事務員の三人は、たまたま火災が発生したときに外出していたようだ。

 翔太たちは、この研究所の会員で常連でもあった。それぞれが、自分たちの特別な力に関心を持ち、足しげく通っていたのだ。そういえば、尾関の未来予知が働かなかったケースの原因について、彼は「変えられない現実なら、潔く受け入れなければならない」と語っていた。

 物理学者の説では、この世界は多次元構造で出来ているという。それなら、翔太たちの住む世界とこの世界が重なり合っていても不思議なことではないと、有栖は思った。

 しかも、闇のような亡霊たちが地獄への招待状を持参して登場したわけではなく、死装束の怨霊が自分の無念を晴らしてくれと求めてきたわけでもない。

 不思議な言葉をささやきながら、いつの間にか姿を消している彼らは、有栖にとっての明るい未来を告げに来ていたのだ。

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