第10話 予知能力
十一月になり、長曾我部商事の経理部のメンバーと一緒に社員旅行に出かけることになった。例年はハワイ、ゴールドコーストなどの海外旅行が主体だったが、日程の調整がつかず、バスで近場に行くことに決まった。しかも、丹沢湖や、洒水の滝へ出向き、数寄屋造りの「かくれ湯の里 信玄館」という温泉旅館に宿泊することに決まった。
バスの横を走る二人乗りのGSX―R750を追いかけるようにハーレーダビッドソンが走行し、ベンツが並びかけていた。
有栖は夢で見た光景にそっくりなため、二人乗りのバイクが横転しないかと気が気でなかった。彼女の動揺は、恐怖心に心の居場所を譲った。そして、夢の中の事故現場に近づいたタイミングで「キャー」っと、思わず声を上げてしまった。が、二台のバイクとベンツは何事もなかったかのように走り去っていった。
川端課長は、有栖の声を聞くと、慌てて座席のそばに来て、身体のバランスを取りながら、かがみ込むと「専務、どうかなさいましたか?」と、気遣うように尋ねた。
川端は谷崎友美の一件以来、有栖の前では心持ち身体を小さくし、恐縮したような様子を見せていた。そのため、有栖の指示には従順なばかりではなく、頼まない用事まで率先してこなしていた。
(あの夢は予知夢だったのだろうか? それとも、異次元の出来事なのだろうか?)と、有栖は思案した。
温泉旅館での宴会は、有栖にとって「何にも専務取締役」の汚名を返上する好機のように思われた。
だが、経理部のメンバーは、有栖の前では皆一様に畏まり、彼らの笑顔もどこかぎこちない。近づいてきて、お世辞を言うものもいたが、彼女は喧騒の中の孤独のようなものを感じていた。
現実の人生において彼女は、好むと好まざるとに関わらず、両親が敷いたレールを歩むしか選択肢がなかった。しかし、今ではこの世界での知識と経験を総動員し、自主独立の精神で自らの能力を試そうとしていた。
自分の前に、部下たちが入れ替わり訪ねて来て、酒を注いでいく。有栖は「選ばれたるものたることの恍惚と不安」にも似た孤独に耐えきれなくなっていた。
有栖は夕食を食べ終わり、大きなため息をついた。川端はちらっとお膳から目を上げた。そして、彼女が何かに苦しめられていることを表情から読み取った。
有栖は、酒を飲んでも、どこか冷めた意識で、考え得るあらゆる可能性について、すべて知りたくなっていた。
川端は、有栖のために自分たちが出来る限りのサポートをすることが、彼女の孤独と焦燥を癒す薬になるだろうと考えていた。
※
水曜日の夜に、六本木のバーでみさきや萌と会った。地下一階にあるバーはひとけが少なく、壁にかかった非常灯が鈍く光る以外には、暗がりの中で沈んでいるように見えた。
どうやら、人気番組の最終回で、三時間スペシャルが放映されているのが影響したらしい。正義感あふれる検事が、悪党どもを懲らしめ難事件を見事に解決するシリーズ物のドラマだ。
静かなバーの暗がりに居て、有栖はこの世界で目覚めているのが、自分たち三人だけのように思え、より信頼感で結ばれたような気がした。
テーブルに着くと、彼女は三人分のバーボンの水割りを率先して作った。彼女はグラスを配り終えると「ご苦労様」と言って、グラスをカチッと合わせ、薄暗がりの中でお互いの目を見た。
萌が調べたところでは、大友一派は必ずしも一枚岩ではないとのことだった。
大友常務は部課長時代に部下が大口先の新規開拓に成功すると、口を極めて称讃したあとで、退職したくなるように嫌がらせをして追い込む。そして、そこを自分の担当先にして、あたかも自分の功績のように偽装していたというのだ。
パワハラの原因は、(自分のポジションを守ろうという意思と、人を思うように操りたいという願望によるものではないか)と有栖は考えていた。
一方で、大友はかなり狡猾で、事実関係は立証が困難なため、こうした話も単なる風聞や、周りのやっかみのようなものだと考えるものもいた。
逆に、大友一派と言われている中田次郎副部長は、大友の謀略で追い出された社員と親しかったので、彼に不信感を抱いているというのだ。
「ひとつ、頭に入れて置いたほうがいいかもしれないわ」と萌がゆっくりと言った。みさきは目を光らせると「どういうことなの?」
「あの生意気な立山課長が周囲には、近いうちに会社を辞めると言っているらしいの」
冷ややかな美咲と違い、萌はすっかり探偵気分の様子だ。二人とも大友悪玉論を展開し、「慎重に、彼らの出方を探らなければ…」と言うのだ。
有栖は水割りのお替りのグラスをみさきから受け取ると、氷を多めに入れ、バーボンを注ぎ、マドラーで混ぜ、天然水を入れ、再びかき混ぜて、「ありがとうね」と言いながら、彼女に手渡した。
そして、肩をすくめ「大友さんのことは、もう少し調べてから判断するわ」と答えた。
三人はバーの暗がりに目が慣れてきたので、店内の様子も、お互いの表情も明確にわかった。
みさきと萌が彼氏のことを話し始めたので、有栖はその間、考え事をしていた。
自分の人生は自分の意志でコントロールできると、無意識のうちに人は考えているものだ。しかし、自分の生死やどんな試練に遭遇するか、人との出会いまで、何一つ、正確に選択し続けることは出来ないのだ。
(つまり、作家が物語の筋書きをあらかじめ決めておくような都合の良い人生など用意されてはいないのだ)と、彼女は思った。
尾関の未来予知では、大友によって有栖たち三人の創業者一族は追い出されるのだという。だが、(違法行為などの不祥事や極端な業績悪化、経営上の重大な判断ミスでもない限り長曾我部一族が追い出されることはないのではないか?)と、疑問がまた湧いてきた。
あのとき「何かのトラブルがあって、そうなるわけじゃない」と松平は言うと「あなたの父親である社長が後継者として八年後に、大友を指名する。そこが最大のターニングポイントになる」と続けた。
松平や尾関の話では、真相は、創業者の博会長の退任後に、代表取締役社長で有栖の父である誠が、あろうことか後継社長に有栖ではなく、信任の厚い大友を指名し、歯車が狂い始めることにあるようだ。
確か、尾関は有栖の方を見て「大人物かどうかは、いつも身近にいる人間にはわからない」と言っていた。
彼女には、それが自分に対する父親の評価のことなのか、自分の大友に対する見方のことなのか、ピンと来なかった。(あるいは、その両方を彼は言っていたのかもしれない)とも思っていた。
「ねえ、ちょっと、有栖、今の話のことだけど聞いているの」とみさきは口を尖らせると、彼女の目を覗き込んだ。
「ええ、まあね」と有栖が気のない返事をすると…。
萌は「ところで、翔太君とは、あのあとも会っているの」と尋ねた。
(二人でデートというよりは、翔太の場合、一方的に押しかけてくる。そういえば、最近は研究所でしか会っていない。また、一人旅でもすれば、翔太がまた突然、姿を現しそうだ)有栖はそんな気がしていた。
夜は、更けつつあった。彼女は「あなたたちには、明日も仕事があることだし、今日はお開きにして、続きはまた今度ということでね…」
※
ショッピングモールは、いつ来てもにぎやかな場所だ。三階建のモダンな建物は、商業施設設計の大家といわれる建築家がつくったものらしい。予算の許す限り、すべてが楽しく思えるような演出が施されている。
大勢の客の往来によるせわしない動きが活気をもたらし、明るい人工的な色合いで溢れていた。有栖は、待ち合わせに使う椅子に腰かけると、文庫本の小説を読んでいた。翔太のような超能力者が出てくるSFの最新作だ。
遅れてきたみさきと萌は、二人とも微笑みながら、申し訳なさそうに「ごめんなさいね」と誤った。「あなたたちは、専務の私をいつも待たせるのだから…」と有栖は口を尖らせた。
みさきはキットカットのチョコバーを手渡すと「これで勘弁してね」と言いながら、ちょこんと有栖の肩を突いた。有栖は「賄賂は受け取らない主義なのだけどね。仕方がない。今回だけ、貰っておくわ」と言い返した。萌は二人の様子を見て、声を上げて大笑いした。
三人はショッピングモールの三階にあるフードコートに向かい昼食の席に着いた。席に着いてから、何を注文しようかと迷っているところへ突然、翔太が姿を現して、有栖の顔を見ると、楽しそうに微笑んだ。
だが、みさきと萌が、気が付く前に彼は姿を消していた。
(いったい翔太は、何を考えているのだろう? 彼が超能力者でなかったとしたら、ストーカー行為規制法で訴え、当局に逮捕されても文句は言えないだろう)と思いつつも、有栖の胸の内では、翔太の突然の登場を期待し始めていた。
外の駐車場に出ると、萌が愛車のプリウスを正面出口まで回してくれたので、有栖とみさきは後部座席に乗り込んだ。
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