第5話 難敵


 出勤するたびに、みさきのデスクのそばに行って挨拶し、昼休みのランチで同席していたため、連休明けに顔を見たとたん「お久しぶり」と、ほぼ同時に二人は声を掛け合った。

 今では彼女は有栖を崇拝するようになっていた。しかし、超能力や心霊現象については疑っていた。

 そのため、有栖が研究所や翔太のことを話しても、何の興味もなさそうに見えた。何度、誘っても超能力者の集まる研究所などに来そうもなかった。

 オフィスはそれぞれの席がブースになっており、デスクの上には、デスクトップパソコンと電話機が一台設置され、簡易な書類立てとティッシュペーパーが置かれていた。

 ちょうど、みさきはデスク周りや、パソコンのキーボードを神経質そうにウェットティッシュで拭いているところだった。

「会社が抱える様々な問題を例のパワーで解決していくことにしたわ。詳細は昼休みに駅前のレストランでね」

 有栖は、それだけ言うと、いかにも楽しそうにほほ笑んだ。

   ※

 テーブルに置かれた大皿の上には、料理がいっぱいだ。レストランでは、食べ放題のランチバイキングを提供しているため、二人は欲張って盛り付け過ぎたのだ。

 料理は洋食、和食、中華の六十種類の中から選んだ美味しそうなものばかりだ。目玉料理はローストビーフで、デザートはチョコレートケーキに人気が集まっていた。

「だから、あなたはお気楽な何にも専務取締役って呼ばれるのよ」みさきは、相手が親友の有栖だと気を遣わずに、ずけずけと物を言う。

 みさきは有栖のことを心配して、「超能力」の言葉が出るたび、眉をしかめたり、首を傾げたり、口を尖らせたりする。

 そのたびに、有栖は力がこもり、超能力研究所のことや、彼らの特殊な能力、心霊現象のことまで熱弁をふるった。

「料理が冷めてしまうよ」とみさき。

 みさきは女子社員が着用しているオフィスウェア姿だが、有栖は専務らしく、上等のレディーススーツを着こなしていた。

「話すのは良いのだけど、料理が冷めてしまうのは良くない」美咲がつぶやく。「絶対に良くないと思うよ」

「あなたも、そのうちにわかると思うわ。みさき」と言って、有栖は少し冷めかけたピザを口に運んだ。

 みさきは特製ドレッシングのかかったサラダを一口試してから、ローストビーフを齧った。そして「あなたの言う通り、どちらも美味しいわ」と、機嫌を直したように言った。

 有栖は、親友のみさきの人生にわずらわしさを持ち込もうとしているような気分になった。

 レストランを後にして、みさきとともに会社に向かいながら。有栖の心は様々な想念・感情で渦巻いていた。

 五分後、会社に戻ると、自分のデスクの上には、未決裁の書類が積まれていた。

 有栖はこれまで「業務効率化のためには、ペーパーレス化を推進することが必須項だと思う。クラウドサービスを活用すれば、ローコストで実現できる」と持論を展開してきた。

 そのため、経理システムは効率的で、不正な処理に対するチェック機能は万全なものになりつつあった。

 だが、まだ「専務に見ていただいた後で、ハンコを押印していただきたいのですが…」と言われることが、いくつもあった。

 さらに「足で稼ぐ」が口癖の大友常務は、有栖の提案にことごとく対立する立場をとっていた。彼は「谷崎友美の横領の件では、専務にも責任の一端がある」と主張し、厳しい立場に追い込もうとした。

「専務はまるで現実味のない魔法のようなことを信じていらっしゃるようだ。ですが、営業の仕事は、どれだけ額に汗を流して真剣に取り組んだかで決まる。そこに疑いの余地はないのですよ」

 大友はよく「営業こそが会社の花形部門です。プレイヤーがいなければ野球は成り立たないし、観客も呼び込めません」と言った。

 取締役、執行役員、管理職を合わせると、三十名内外の社内派閥を持つ大友だが、影響力は会長、社長には遠く及ばない。

 有栖が、大友の意見を受け入れてあっさりと辞表を提出しようとしたところ、受理されず、むしろ大友の方が評判を落としていた。

 大友の意見に反対し、有栖の立場を擁護する者が多かったからだ。

 総合商社の営業は、缶詰、塩干物などの食品からジェット機まで多岐にわたる。さらに、営業活動では人脈の維持と拡大のために、取引先との飲みニケーションは必須となる。

 しかも、メーカー、他の仕入先にも、販売先にも気を使わなければならないため、激務になりがちだ。

(社内の評判が悪いとはいえ、これまでの大友常務の功績を考えると、彼と対立するのは妥当とは言えないのではないか?)有栖の心の中では、迷いが生じていた。

  ※

 一通りの事務処理を終えた後、有栖は休憩室に行き、ドアを開けた。そのとたん、誰もいないはずの部屋に人の気配を感じた。

 休憩室には、飲料水、菓子類、カップ麺の自販機が十台並んでいた。

 しばらくして、毛利取締役と、奈緒美、さらに清掃員の尾関直樹が部屋に入ってきた。毛利は「尾関さんには、今月から当社ビルの清掃を担当してもらうことになりました」と説明した。彼は作業着姿だった。

 尾関は寡黙な男だ。およそ、物事に対して執着せず、感情的になることがない。また、立身出世への関心がなかった。それでいて、いつもポジティブな考え方をする。

 一介の清掃員で、高学歴でもなく、目立った特徴のない彼だが、不思議なことに、研究所ではもっとも尊敬されていた。もっと言うと、彼の未来予知能力は信頼されていた。

 毛利はパイプに刻みタバコを入れると、火をつけ口に咥えた。彼は、パイプをくゆらせると、煙が立ち昇るのを目でとらえ「何から話したものでしょう?」と言いながら、有栖の顔を見た。

「今日は尾関さんとともに、長曾我部商事の近未来について専務にお伝えしたいことがあります」と毛利が言うと、尾関は「旅立ちの前には、その準備が必要だ」とぼそっと言った。

「さすがに、深い言葉ですな。今、彼が言ったように、備えあれば憂いなしということです」

 有栖は怪訝そうに「それは、どういうことなのかしら」と聞き直した。

「あなたは、おそらく大友常務のことを買いかぶり過ぎていらっしゃる」毛利が言い終わると、尾関は「鬼退治、鬼退治」と繰り返した。

「つまり、大友の挙動に注意を払い、彼の奸計に騙されないことが大事です」

「雨の日に傘を差さないと、頭や首筋が濡れて、風邪をひいてしまう」

「尾関さんが、今言った素晴らしい譬えの通りです」

「私に傘のような存在になれということなの?」

「その通り、あなたにしか出来ないことなのです」

「前を向いて、歩き続けないと目的地にはたどり着けない」

 尾関の抽象的なものの言い方は、有栖の心を苛立たせたが、毛利はしきりに感心しながら聞いている様子だ。

「もう少し具体的に言うと、あなたが二年後に、大友の職責を追究し、グループ会社に出向させることで、この世界は救われるのです」

「それは、少し大げさ過ぎないかしら?」

「十年後のことですがね。長曾我部商事では、産業用ロボットの輸出入を手掛けることになるのです。大友常務は、そのとき社長に就任しており、創業者一族のあなたたちは、誰も残っていないようです」

 毛利は尾関の方を見て「そうですよね。尾関さん?」

 尾関は、急に真剣な表情になり「確かに俺が見た未来はそうなっていた」尾関が言うと、「つまり、父も祖父も、私もということなの?」有栖は訝しそうに聞き返した。

 大友の部下には、お世辞がうまく世渡り上手な東村亨部長、策略家の中田次郎副部長、弁舌巧みな秋川善治課長、大株主の親戚にあたる立山正明課長の四名が大友の四天王と呼ばれ、社の内外に影響力を持っていた。

「大友常務は、自分の失点にならないように社内の不祥事をすべて四天王に命じて、巧みに隠蔽しています」と奈緒美は言った。彼女の能力では、意識を集中しさえすれば、密談の内容を正確に聞き取ることが出来る。

「そのくせ、彼は創業者一族の失脚をねらって策謀をめぐらせている…。今のうちに、大友の野望を打ち砕かなければならない」

「備えあれば、憂いなしということです」

「防波堤を築くことで、大波をかぶらずにすむ」

 有栖は、複雑な心境になった。そして、(状況を見極めた上で、慎重に判断しなければならない…)と、何度も自分に対して言って聞かせた。

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