第3話 謎・謎・謎

 電話の鳴動する音が有栖を夢の世界から覚醒した現実の世界へと呼び戻した。目を覚ました彼女は五度目のコールが鳴る前に受話器をとり応答した。

「はい、長曾我部です」

「あっ、俺、翔太…。この間は、すまなかったね」

 有栖は、パジャマ姿のまま椅子に腰かけた。「朝早くからどうしたの?」

 翔太はためらいながら口を開いた。

「そんなの、わかるだろ。連絡しろというから、朝からかけてやったのだよ。それとも、昼過ぎまで待った方がよかったか?」

「いいえ、今でもいいよ」有栖は眠気を消し去ろうと目をこすった。「それで、結果の方は?」

「首尾は上々といったところかな…。実は次の日曜日に、エスパーたちと会う予定になっている」

「何人、来てくれそうなの?」

「予定では三人ともその日は、都合がつきそうなのだって…」

 武市翔太は都内の中堅クラスの大学の物理学科に在籍していた。有栖とは、小学校の同級生だ。

 小学生時代の翔太は、テレビに出演してスプーン曲げを披露して有名になった超能力少年だ。実は、彼の能力はそんな程度のものではなかった。単にものを操れるだけではなく、瞬間移動することができるのだ。

 そして、翔太にとって、尾関直樹は特別な存在だ。彼は周囲からIQが低く、相手にするほどの価値のない人間だと思われていた。だが、尾関ほど純真無垢な人間は珍しい。

 尾関は翔太の通う大学に出入りする清掃員だ。彼は周囲から特別に注目されることもなく、一日の仕事を終えると大学に背を向けて自宅に帰っていく。

 しかし、人は見かけによらない。尾関も翔太と同様に能力者だからだ。そして、周囲が思うように低能でもなかった。

 全日本超能力研究所のオフィスはビルの五階にあった。翔太が中に足を踏み入れると、有栖も後に続いた。ずらりと並んだデスクにはコンピューターが置かれていた。

 間仕切のない広い部屋の奥には、オフィス用のコーヒーサーバーが設置されているようだ。そのすぐ近くには、飲料水の自販機が二台あった。

 すでにオフィスには、尾関と研究所所長の松平茂、もう一人の能力者、小松奈緒美の姿があった。

 松平は自販機のそばにある背の低いグレーのソファーのところまで、二人を誘導した。「さてと…」翔太は思案深げに口を開き、全員に、自己紹介するように促した。

 松平所長は、人の本質を見抜く能力と、テレパシー使う能力があった。

 尾関は、煩悩とは無縁の存在のように仲間から見られていた。ものごとを達観してみることができるからだ。さらに、彼は未来を予知することもできた。

 奈緒美は、普通なら聞き取ることができない遠くの声を聴くことや透視能力があった。

 そして最後に、有栖は自分の驚くべき能力に対する悩みを打ち明けた。

「あなたたちは、幽霊の存在が信じられるかしら」

 翔太は「夏になると、テレビで心霊現象特集が放送されているけど、あれを見るとかえって信じられなくなるね」

「どうしてなの?」奈緒美は首を傾げながら尋ねた。

「人が夢を見ているとき、脳が想像した景色を見ているのにも関わらず、激しく眼球が動くのを知っているかな?」

 それに答えて、松平は「いわゆるレム睡眠時の眼球運動のことだよね」と頷いた。

 奈緒美は「それと、何の関係があるのかしら?」と言いながら、不思議そうに翔太の顔を見つめなおした。

「つまり、心霊スポットでレポートしている霊能力者の目は一点を見つめているだけで動かない」

 尾関は黙ったまま会話に参加しようとしなかった。

「以前、有名な霊能力者が古戦場をレポートしたとき、彼女は『落ち武者の霊が恐ろしい表情でこちらに近づいてきます』と言いながら、目は一点を見つめ、顔も動かさず、表情にも特段の変化はなかった。それで、怪しいなあと思ったのだよ」と、翔太は自説を展開した。

「それで、有栖さんの悩みは、幽霊とどう関係があるのだろう?」と、尾関はやっと口を開いた。

「実は、私には見えるのよ」

「何が?」

「ホテルに一人で宿泊していたとき、目の前にいる誰か知らない女の子が、腹話術師のように、口を閉ざしたまま語りかけてきたの」

「それが、幽霊だったのか?」と翔太が言うと、続けて奈緒美は「怖かったでしょう?」と気遣うように尋ねた。

「それがね、不思議なことにその時は怖れを感じなかったのよ」

「それで、その幽霊は何か君に話しかけたのか?」からかうような表情で翔太は尋ねた。

「『私が見えるの? 怖くないの?』と聞かれたので、最初は『どういう意味なの』と咄嗟に尋ねてみたわ」

「……」

「最初は部屋を間違えて入ってきた少女だと思ったのよ。鍵がかかっているはずなのに妙だなと思って…」

「妙だよな」と、翔太の表情は神妙なものに変化していた。

「それで、何かのいたずらだと思って、私も彼女みたいに、口を閉ざしたまま腹話術師みたいに話しかけてみた。でも、うまく出来なかったわ」

「今の君の目の動きは、確かに目の前のものを見るようなものだった。レム睡眠時のものと同じだ」と松平は言った。

「それで、そのあとインターネットで検索して、ホテルのその部屋が、今ここで言葉では言えないような残酷な事件の現場だったことがわかったの」

「ぞっとしたでしょう?」奈緒美の質問を受けて有栖は「そのときは、さすがにね。でも、彼女はいったい私に何が言いたかったのだろう?」

「心霊体験は、その一回だけなの?」

「親戚や知り合いが、死の直前に私のところを尋ねてきたことなら何度もあるわ」

「何故、そしていつから、それが始まったのだろう?」

 松平の問いかけに、有栖は気難しそうな表情で「五~六年前からだと思う。でも、原因はわからないわ」と答えた。

「何故なのだろうね」

「それと、不思議なことに、私には死の直前に訪ねてくる生霊たちは実物を拡大コピーしたように、いくらか大きく見えるの」

 言い終わると、有栖は「オン、アビラウンケン、バザラ、ダトバン」と唱えた。

「まだ、霊魂の存在なんて科学的に証明されていない」

 翔太の言葉を聞いて、尾関は「俺たちの能力だって、証明されていない」と反論した。

 松平は、尾関の意見に頷くと「クマバチは航空力学的には飛ぶことができないはずだ。同様に、流体力学では、イルカがあんなに早く泳げる理由が説明できない。まだ、証明できていないことは無数にある。もっというと、人間の存在こそが最大の神秘だよ」と言った。

 翔太は帰っていき、最初の顔合わせはうまく行ったにも関わらず、有栖は少し疲れを感じていた。

  ※

 降り注ぐ日差しが肌に心地よく、そよ風が頬をくすぐると、潮の香りを運んできた。

 有栖は温かい砂の上を歩き、浜辺に立ち止まると、翔太やみさきがいる波打ち際の方に手を振った。頭上を飛び交うウミネコが太陽光を遮った。無数のウミネコが「ミャーミャー」と耳障りな鳴き声で、自分の方に近づくのを見て恐怖心を感じた。

 彼女はぎょっとして目を開くと、そこは自宅の書斎で、コンピューターの前に腰かけていたことに気づいた。夢を見ていたのだ。あの海岸は、ついさっきまで見ていた動画の景色にそっくりだ。彼女は、現実の世界も夢の中のものと大きな違いがないのではないかと思った。

 能力者には、様々なタイプが存在する。有栖の心霊能力、翔太の念動力や瞬間移動の力、松平の他心通やテレパシーの力、尾関の未来予知力、奈緒美の天耳通や透視力などもそうだ。だが、有栖にとっては、そんなものは大きなことではなく、願望実現力こそが最大にして最強の能力のように思えていた。つまり、夢を現実にする力だ。

 冷蔵庫の製氷皿には、氷がたくさん入っていた。あらかじめ冷やしておいたグラスに、氷を投入し、ディスティレリ・ド・パリを注ぎ込む。そこに、炭酸水を注ぎ足し、スライスしたライムを入れると、ジントニックの完成だ。

 有栖は、ジンを飲むときはチーズやナッツを用意しておいた。専務に就任してからは、ひとりでいる時間は彼女にとっては貴重なものとなっていた。

 大学の講義に出席、ピアノのレッスン、会議、昼食会、社交的な集まりに出席するだけではなく、全日本超能力研究所の会合にも出るため、息つく暇もない。

 経営者たちは、自分の利得を拡大するだけではなく、良きにつけ悪しきにつけ、社員に影響を与えることに酔いしれる。彼らは、ただピザを頬張りながら、予算案を通したいだけではないのだ。

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