My Funny Valentine

伊藤ダリ男

「My Funny Valentine」

桜子は壁に掛かっている時計と自分の腕時計を照らし合わせると大きなため息を吐いた。

既に夜8時を過ぎていた。

「ねぇダンスケ君、わたしそろそろ帰るけれど、君はまだ残って仕事している?」

「いいえ、先輩。ぼくも一通りの区切りがついたので今帰ろうとしていたところです」

「じゃぁ、近くで何か食べて行かない?ミスドとか、マックとか?お腹空いたでしょう」

「はい。今日はずっと外回りだったので流石にお腹がぐうぐうと鳴っちゃって・・」

「ははぁ。じゃぁラーメンとかの方がいいかな?」

「いえ、先輩にお任せします」

「お任せしますって言ったって驕りじゃないよ、割り勘よ」

「もちろんそれで結構です」

「本当は先輩の私が奢る立場でしょうけれど、今月弟に出費が重なって・・」

「弟さんいらっしゃるのですか?」

「そ、ダンスケ君と同じくらいかな?一つ年下の弟がね・・。最近彼女が出来たらしく、靴が欲しいだの、マフラーが欲しいだの、とにかくお小遣いの無心にくるのよ」


二人は、そんなことを言いながら、会社近くのマックに立ち寄り、バーガーセットとコーヒーを注文してから、テーブルに着いた。


「さすが今日は、バレンタインデーだけあって、この時間でも何となく若いカップルが多いね」

「ほんとですね・・日本中がバレンタインなんて変ですよ」

「どうして?」

「だって先輩。ついこの間は神社でお賽銭。その前はクリスマスプレゼント。行事がある度にお金がちょろちょろ出てしまう。つまりこれだってチョコを売ろうとした菓子組合の陰謀だと思うんですよね」

「と言うことは、バレンタインデー反対派なのね」

「ん~。そう言われると・・・バレンタインは自分に縁遠くてついつい非難しちゃいましたが、正直世間が羨ましいだけで、反対派ではありません」

「あはは。なぁんだ」

「ごめんなさい」


桜子は、浮かぬ顔をしながら、ハンバーガーやポテトを少し口にし、何か考えていると思ったら、いきなり顔を上げてダンスケに微笑んだ。


「ねぇ。ダンスケ君は、彼女いないの?」

「え?突然どうしたんですか?」

「だって君を見ていると女っ気が全くしないよ。それとも女には興味が無くて男の方が好きとか・・?」

「やめてくださいよ、先輩。只今彼女募集中です」

「へぇそうなの?」

「あのー、先輩は?」

「わたし?ふられちゃったみたい・・・」

「・・・」

「・・・私の一方的な憧れなのだけど、奥さんのいる人を好きになっちゃったの。それで告白できなくてさ、去年のこの日にチョコをどうぞと言ってあげたの・・」

「まさか、先輩があげたチョコを受け取らないで、突っ返されたのですか?」

「んんん。その時は、とても喜んでくれたわ。問題は、そのチョコの箱の中に私の気持ちを書いたメッセージカード入れたのよ。お付き合いできないかって・・・」

「でも奥さんいる方だったのですよね」

「そ。自分でもそれがどんなに悪いことかは知っているわ。しかも相手の奥さんは、わたしなんか敵うはずがないくらいの美人で有名な人なのよ」

「美人で有名人って・・・恐らくぼくは、知らないと方ですね」

「あのね、一応秘密になっていることだけれどね。女優の『きらら桃子』なの」

「えー」

「声が大きいよ」

「すみません・・」

「これは秘密にしていることですけれど、その旦那は、うちの会社の人なの」

「えー」

「声が大きいったら・・」

「す、すみません」

「・・・」

「部長さんですか?」

「アハハ!まさか、いくらなんでもあの脂ぎった還暦の爺さんなんか」

「・・・あのー僕、まだ皆さんのことよくわかりませんが、ひょっとして課長さん?」

「いいえ、わたしたちと同じく外回りもしている梶野さんよ」

「梶野さん?あの凄くカッコよくて常に成績ダントツの、あの」

「そ。あの梶野さんよ。飛びぬけて成績が良いのは、女優である奥さんの後ろ盾と言う噂も有るにはあるけれど、部長は、数字が全てと言う考えなので、彼には誰よりも一目を置いているの」

「でも梶野さんは、今、長期休暇を取っているのではなかったですか?」

「そ。噂では奥さんの撮影の仕事の付き添いとして海外旅行へ行っているみたい」

「会社的には長期休暇はダメですよね」

「でも彼は長期休暇を取ろうが、欠勤しようが、誰も何も言えやしないわ」

「へぇ、すごいなぁ・・」

「南国でバカンスなんて、余裕あり過ぎよ。毎日一人の顧客獲得にアタフタしているわたしたちとじゃ、やはり住む世界が違うことを認めなければね・・」

「本当にそうですね」


ダンスケは入社して8か月。いつもビリケツな一年先輩の桜子と居残り仕事をしているうちに桜子の優しさと美しさに魅了され、とても気になる存在になっていた。


「梶野さんは、予定では今日から出社のはずだったの。顔だけでも出すのかと待っていたけれど来なかったわ」

「でも先輩、それじゃふられたなどとは、まだ決まったわけじゃないじゃないですか?」

「同じことよ。最初から相手にされていないし、ずっと無視されっぱなしよ」

「でも・・」

「でも、いいの。わたしの片思いで、ここ一年待ったけれど、もう忘れることにします。わたしも君と同じ恋人募集に今日からしましょうかね。はいこれ」

「え?何?これ?」

「わたしからのチョコだけど、もらってくれる?」

「でもこれは・・」

「いいの、残業してマックすら奢らなかった先輩のお詫びだと思ってね」

「お詫びだなんて・・。有難く頂きます。本当に嬉しいです」

「じゃぁね、明日また元気に仕事。仕事」

「はい先輩、さようなら。これ一生大事にします」

「馬鹿だな。早く食べないとカビ生えるぞ」


二人はマックを出て、別々の方角へと向かった。

桜子は、寒空の下、足早に去って行った。

ダンスケは、桜子の姿を目で追いかけ、大きく礼をした。


ダンスケは、棚からボタ餅、いや、棚からチョコレートだということを重々承知しながらも、初めて大人の女性に貰ったバレンタインチョコに舞い上がってしまった自分を隠しようがなかった。

ニタニタしながら電車を乗り継ぎ、桜子からもらったばかりのチョコレートの箱を大切に抱え、約一時間してアパートに着いたのだった。

部屋に入ろうとして、ドアの鍵を回すとカーテンレールで仕切った室内から明かりが漏れているのが分かった。

ダンスケの妹で、大学生の芽衣(めい)が来ているのだと思った。

芽衣も大学に入学する為、当初ダンスケと同じアパートに住む予定であったが、生活時間帯が違うことを理由にそれぞれ別のところで暮らしていた。

芽衣は、父の後妻の子、つまり腹違いの妹あるが、ダンスケとは僅かふたつしか年が離れておらず、親たちはダンスケよりしっかりしていると評価していたのだった。

ダンスケのアパートの予備鍵(キー)を持たせ、時々様子を見る様にと芽衣に頼んだのもその両親であった。

一方ダンスケの知る限り、芽衣は、しっかりと言うより、ちゃっかり型の性格と確信していたのだった。


「ダンスケ、お帰り」

「やっぱり、芽衣か」

「はいこれ、妹からの義理チョコ」

「いつもどうも。でも板チョコひとつで冷蔵庫の中を荒らされたんじゃ、本当はたまったもんじゃないけどな」

「失礼ね。わたしは大事なお兄様の健康の為にと、わざわざ食事を作るために来てあげているのよ。つまりこれは奉仕よ」

「本当は、お前の腹がへってんだろう?」

「えへへ。当たり」

「で、何か作った?」

「冷蔵庫の余りものでチキンライス丁度完成。それにいつもの簡単味噌汁は、もう少しで出来上がるよ」

「チキンライスか、ヤッター。途中マックに寄ったけど、小腹が空いてきたところだったんだ」

「グッド・タイミング。なんでもいいけど早く食べよう」

「ああ。その前にちょっとこれ」


ダンスケは、桜子に貰ったチョコレートを包んだ奇麗な小箱を冷蔵庫に仕舞い込んだ。

芽衣は、ダンスケの隠すように仕舞い込んだその仕草に興味を持ったが、それより食い気が優先し、その後チキンライスのガツガツタイムが始まってから終わるまで二人はひと言も話さなかった。


「ごちそうさま。後片づけはダンスケがやってね。わたしは、お腹いっぱいだし、そろそろ帰るわ」

「おいおい食い逃げか。まぁいいけど。メシ作ってくれてありがとう」

「また来るね。エネルギー充電したから、電車を使わず、歩いて帰るわ」

「歩いて帰る?そんなに金に困っているのか」

「特に困っているほどでもないけれど、バイトの掛け持ちやめた分、切り詰めないとね」

「彼氏がいなそうだし、そんなに要らないだろう」

「彼氏がいないって?私に?」

「いるのか?」

「秘密」

「・・・」

「ダンスケはいるの?」

「秘密」

「その秘密って冷蔵庫の中?」

「ええぇー。どうしてわかった?」

「だって不器用なダンスケが、こそこそやっているんだもの。分らない筈はないよ」

「そうか・・・実は、俺。初めて大人の女性にマジチョコ貰ったんだよ」

「義理じゃないの」

「半分、いや70%以上、いや、やはりギリだね」

「あはは。困ったら相談に乗るよ。じゃぁ。またね」

「ああ。また来いよ」


翌日、外回りから会社に戻ってみると、梶野さんが部長と膝を交えて話していた

日焼けしていて南国に行っていたことが一目で分かった。

女優を妻にしたイケメンの梶野さんと脂ぎった中年の部長その外観は、とても釣り合わずどうしても違和感を覚える。

それにしても、何か変だな・・・?

何やら深刻なムードが漂っているからだ。

桜子さんは、デスクにいなかった。

昨日のお礼を言いたかったが、どうも会社には来ていないらしい。

後で分かったが、無断欠勤の様だ。

どうしたんだろう。


翌朝、ダンスケは朝早く出社し、昨日の仕事の整理をしていたら、一本の電話が掛かってきた。

「米村と言いますが・・・」

「はぁ。米村様ですか?いつもお世話になっております」

「いえ、米村桜子の身内のものですが」

「ああ。桜子先輩の?あ、はい」

「姉が一昨日の夜から発熱し、どうもインフルエンザにかかったみたいなのです。申し訳ございません。昨日は、本人から連絡できませんでしたが、今日もお休み頂きたいと思って連絡させて頂いきました」

「そうでしたか?昨日出社しなかったので心配していましたが、分かりました。上司に伝えておきます。わざわざご連絡ありがとうございます」

「では、失礼いたします」

「お大事にとお伝えください」


その電話を置いた後、ダンスケの胸にほんのりと嬉しさが残った。

桜子が昨日無断欠勤した理由を知ることが出来たからであった。

ダンスケは、桜子が風邪で具合が悪く、連絡できないものだから弟に頼んだのだろうと思ったが、電話の口調から、桜子の弟はとても賢く礼儀正しい人であると感じた。

自分もしっかりとしなければ、桜子先輩に笑われてしまう、そう思うのであった。


ところが昼すぎになると、大変なことが起きたらしく、会社内がざわついていた。

女優の『きらら桃子』が自殺未遂というショッキングなニュースがワイドショーで流れたのだ。当然、梶野さんが『きらら桃子』の夫であるのを知っている人にとっては、かなりショックなニュースであることは間違いがない。

ダンスケは昨日の梶野さんと部長が深刻に何か話をしていたことは、恐らくこの事だと思った。

自分は新人だから知らないのは当たり前のことだったが、殆どの人が知っていると思えば梶野さんは出社し辛く、場合によっては退職するかもしれない。

とにかくこの件に関しての自分は、黙りこくることにしたし、桜子に関しての連絡の受けた事のみを事務的に処理したのだった。


翌日も桜子は、出勤しなかった。

梶野さんも出社していないし、部長ほか誰も何も言わなくなっていた。

ワイドショーでは、『きらら桃子』が自殺未遂の原因は、本人の浮気がもとで夫婦間に亀裂が入り、口論の末、夫に対し当てつけに手首を切ったらしい。

しかも、仕事先のグアムのリゾートホテルの浴室だった・・・。

などと芸能リポーターがここぞとばかりに口をぱくぱく開いていた。

正直ダンスケは、芸能界に疎く、『きらら桃子』にも対して興味が薄かったが、今回の事件をきっかけに梶野さんのカッコよいイメージも消え、只の悲運な男に思えた。


その夜のこと。

芽衣が、腹が減ったとまたアパートに押し寄せてきた。

芽衣は、途中で買い物してきた野菜と肉を無造作に袋から取り出すと、急いで腕まくりした。

「すぐそばの三角市場で今日は特売日だったの。だから奮発して肉と野菜を買って来たわ。今夜はカレーでも作って差し上げましょうか」

「お!いいね」

「では芽衣特製本格カレーは、ご飯が炊けた頃に丁度完成するように作ってみるね」

芽衣の言う本格カレーは、その宣言通りにご飯の炊けた頃に完成した。

冷蔵庫の余り物を全部加えたので、食いきれない凄い量のカレーが出来た。

プロ顔負けと豪語するわりには、誰が作っても同じ味のするカレールーを使っての本格カレーだったが、それでも若い二人は、モノも言わないでお替りをした。

 

「もうお腹に入れない。ごちそうさま」

「ごちそうさま。十分満足したよ」

「このタッパー借りるね」

「え?カレー持って帰るの?」

「ちょっとは残しておくわよ」

「・・・ま。良いけど」

「じゃぁ全部もらおっと」

「それはいいけど、お前そろそろ俺じゃなく彼氏に何か作ってあげないと」

「分かっているわよ」

「と言うことは、彼氏はいるんだな」

「まあね。まだ社会人のペエペエだけれどね。一生懸命頑張っているみたい」

「いいじゃないか。俺だってまだペエペエみたいなもんだよ」

「今インフルエンザが流行っているでしょう。それで彼とは暫く会えないのよ」

「そうか。それは残念だな。うちの会社でもインフルで休んでいる人がいるよ」

「じゃぁ、ダンスケはその人から義理チョコもらったの?」

「ええぇー。どうして・・わかった?」

「女の勘よ」

「女の勘?」

「嘘。ダンスケがチョコ持って帰った時、まだ仕事の匂いがしたもの。と言うか仕事の疲れが飛んでニタニタしている感じでもあるね。それで途中マックに寄ったとなると、ひとりではない。自分から誘ったのではなく、女性から誘われた。つまりその女性との接点は、職場。それ以外にダンスケが器用に立ち回れないことを上乗せすると答えは、そこにあるということよ」

「すげぇ。名探偵ミス・メイプルの登場か」

「しかも、今日私がカレー作っている間、普段見もしない芸能番組なんかかけて、ぼぉ~としていているのは、仕事の心配か、女の心配しかない。更に私が彼氏とインフルで会えないことを話すと悲しい顔して下向いたね。それは、私と気持ちとレゾナンス。つまり共鳴したことなの」

「・・ま、そうなんだ。ギリでもなんでも、とにかくお礼を言いたかったのだけれど、翌日から休みを取っていてもう三日目も過ぎたしなぁ・・」

「義理なんかじゃないよ。あのチョコレート」

「見たのか?」

「うん。手作りだったよ」

「・・・」

「防腐剤入ってないから、早目に食べた方が良いよ」

「うん」

「私が、食べるのを手伝ってあげようか」

「お前にかかっちゃ、俺の居場所にぺんぺん草も生えなくなるな」

「それ、どういう意味よ?」

「根こそぎ持っていかれるということさ」

「なんだ。そんなことか」

「そんなことと言われてもこっちも裕福と言う暮らしではないのだぞ」

「分かっているわよ。わたしも社会人になったら倍に返ししてあげるわ。だから今は投資していると思ってね」

「投資?期待しないで待っているよ」

「えへへ。その方が私も気が楽だ」


芽衣は面白い妹だ。一緒にいると疲れが飛ぶ。

恐らく芽衣の彼氏も、そんなところが気に入ったのだろう。

そんなことを考えながらダンスケは、テレビのチャンネルを変えようとした画面に【女優のきらら桃子がグアムの病院で死亡が確認】とテロップが流れたのが見えた。


「ダンスケ?」

「・・・」

「ダンスケどうしたの?大丈夫?何、固まっているの?」

「・・・」

「ちょっとダンスケ」

「・・・」


翌日、朝から冷たい雨が降っていた。

会社は土日休みなので、ダンスケは桜子の家にお見舞いに行こうと決めた。

住所は、あらかじめ会社の情報ファイルから調べていた。

表向きとしては、桜子が休んでいる間の仕事の報告であったが、桜子は、きらら桃子の死亡記事を知っているかもしれないし、この事件絡みで梶野が退職などすることになれば、ひょっとしたら桜子も梶野と運命を共にし、今後会えなくなるかもしれない。

更にその思いは寂しさに変化し、その寂しさに潰されそうになっていたのである。

ダンスケは、その時に明確に自分の胸の内が分かった。

自分は、桜子に恋をしてしまっていたのだと。


ダンスケは、先ず芽衣のところへ立ち寄った。

「困ったら相談に乗るよ」

そう言われていたのを思い出したからである。


数回チャイムを鳴らしてようやくドアを開けてくれた芽衣は、ぼさぼさの髪に片目が半分閉じていた。

「どうしたの?ダンスケ」

その声は、眠りの世界からやっと目覚めた子悪党のようであった。

「お前に相談があって来たんだ」

「相談?明日だとだめなの?」

「ダメ。今じゃないと・・」

「分かった。5分待っていて。部屋片づけるから」

「部屋の汚いのは平気だ。それよりもお前、顔を洗って意識をちゃんとしてくれないと」

「それじゃ入って。驚くなかれ。これが泣く子も黙る美女の隠し部屋であるぞよ」


美女はともかく、泣く子も黙る散らかしようは凄かった。

本人の言い訳によると、毎日少しずつ片づけるより、一気に全部片づけて方が効率は良いのだそうで、それを実践しているのだとか。


「ダンスケの言いたいことは良く分かったし、したいことも良く分かったわ。でも今優先すべきは、ダンスケの気持ちを相手に伝えるのではなく、今は相手を思いやることだわ」

「・・・言われてみればその通りだ」

「私だったら、仕事の報告を奇麗にまとめてファイルし、それに小さなメッセージを付け加え、花一輪を添えて、ご家族の方から本人に渡して貰えるようにするわ」

「なるほど。でそのメッセージには、何を書くの?」

「当たり障りのない言葉よ。早く元気になってね。とか、・・・自分で考えてよ」

「ん~~。分った。ありがとう。助かった」

「じゃぁ、今回の相談料は、ステーキ・キングのステーキでいいけど」

「ハンバーグにしてくれ」

「じゃぁ、新しく駅前にできたレストランのハンバーグスペシャルを予約ね」

「オッケイ。落ち着いたらそこへ連れ行くよ」

「やったー!」


ダンスケは、芽衣の言う通り、仕事の報告をまとめてファイルし、その上にメッセージカードをクリップで挟んだ。

花屋から一輪の花を購入した。

赤いアネモネであった。

全てが揃ったのは、夕方過ぎ。

これから出かけたとして桜子の家に着くころは、大分暗くなるだろう。

そう思いながらダンスケの足は、桜子の住所へ向っていた。

桜子の家には明かりが一つも無く、真っ暗で誰もいないように見えた。

ダンスケは、チャイムを鳴らすのを思い留まり、玄関のドアの下にあるポストにファイルを入れてからそのまま帰宅したのであった。


翌日も桜子は出社しなかった。


そして更にその翌日のこと。

梶野が退職届を出し、会社で受理したことが話題になっていた。

やはり奥さんである、きらら桃子の浮気が原因で言い争いになり、その当てつけに自殺したとの報道が広まると、社内では梶野に同情する人間も出てきた。

しかし今日も桜子の姿はなかった。


その日のダンスケは、煮え切れない気持ちになっていて桜子のことをあれこれ考えていると、部長から呼ばれた。

「先ほど米村君から連絡があってね。大分良くなったらしいよ」

「そうですか、それは良かったです」

「それに君の事も言っていたよ」

「え?僕の事ですか?」

「米村君の自宅まで行き、仕事の報告をまとめて置いて来たと言うじゃないか」

「すみません。出過ぎた行為でしたでしょうか?」

「いや、そうではない。寧ろ君みたいに仕事熱心なのは有難いのだ」

「はぁ・・」

「彼女は褒めていたのだよ。今度の梶野君の件にしても、会社として辞表を受理しないわけには行かなかったからね。残念だが、次は君のような若くてやる気満々な社員に望みを託すことにするよ」

「はいありがとうございます。これから一生懸命頑張ります」


棚からボタ餅アゲイン!!と喜んで良いのやら・・・。

桜子が自分をほめてくれる、そんな思いがけない収穫があったことは事実で、ダンスケは、胸に熱いものを感じたのである。


その日会社の帰りに桜子の家に寄ることにした。

なかば公然となった桜子に対する仕事の報告をすることを表向きとして、一目でも会いたく、一言でも交わしたかったからである。

ダンスケは胸をときめかせながら、桜子の家の寸前まで行くと玄関先で桜子が梶野と向き合っているのが見えたのだ。

物陰に隠れながらでダンスケはその有様を見守ることにしたのだった。

桜子の表情や手の動きは、明らかに梶野に対して嫌悪感がいっぱいで、梶野はそれでも桜子に強く当たって行くのが分かった。

いきなり桜子は、梶野の頬をぴしゃりとぶった。すると梶野は怒りに肩を震わせダンスケが隠れている方面へと向かってきたった。

梶野はダンスケがそこにいるとは気づかず通り過ぎる際に桜子をさげすむ投げ台詞を吐いたのを聞いてしまった。

その時ダンスケは、きらら桃子が浮気したそもそもの理由が梶野の人間性に由来している気がしたのであった。

桜子は、その場でしゃがみこんでいた。

そして突然目の前に現れたダンスケを見て桜子は涙をぬぐった。

泣いていたのだった。

「あのー桜子先輩。はいこれ」

ダンスケは会社の資料を出すのが今のダンスケには精一杯のできる事であった。

「ごめんなさい。でも今はひとりになりたいの」

桜子は、やっとの思いでその一言を言ったかもしれない。

そのまま家の中に入ってしまったのであった。


ダンスケは、後戻りできないくらい場の悪さを感じながら、アパートに辿り着いた。

そしてあれこれと考えだけが堂々巡りし、解決が見いだせないまま時間だけが経過するのであった。

こういう時は、芽衣に相談すれば、それなりの答えを出してくれるのだが、今回は芽衣に一言も相談したくなかった。

自分で解決しなければならない問題だと思ったからだ。


翌日桜子は出社してきた。

横目でちょくちょく見ていたが、ダンスケの事は、眼中にないと言われているような気がした。

ダンスケは、昨日の事を謝ろうと決心し、桜子と二人になるタイミングを探っていたが見いだせずそのままアパートに帰えることになってしまったのである。


帰宅して間もなく芽衣が来たかとドアを開けるとそこに立っていたのは桜子だった。

「ダンスケ君と二人きりになる時間をずっと探していたの。けれど社内では上手く行かなくて来ちゃったけど、もしかして迷惑かな?」

「いい、いや・・・」

ダンスケは心臓が口から飛び出ると思うほど鼓動が激しく、バクンバクンとした。

「直ぐ帰るけれど・・・昨日の事を釈明させて」

「あ。はい」

「梶野さんがわたしの家に突然来て、わたしと付き合ってあげるというのよ」

「・・・」

「それを聞いてわたしは、わたしを手っ取り早い女だと誘った梶野さんの心が透けて見えて、がっかりしたの。そしてどうしてこんな男を好きになっていたかと自分の馬鹿さ加減に頭にきて、思わず殴ってしまったの」

「・・・」

「そうしたら、急に悲しくなって、どうしようもなく涙があふれて来たの・・・」

「・・・」

「憧れを抱くそんな子供っぽい自分と決別した瞬間だったかもしれない・・そう後で思ったわ・・・」

「桜子先輩・・」

「ごめんなさい。折角仕事の事で来てくれたのに・・」

「いえ、桜子先輩。僕は仕事を口実にして先輩に会いたかったのです。一目だけでも、一言だけでも・・」

「そうなの?」

「はい」

「本当に?」

「はい」

「じゃぁ、埋め合わせさせてくれないかな・・」

「はい、それは勿論・・・喜んでお受けします」


天にも昇るとはこの事か!!

ダンスケは、この経緯を芽衣に自慢したかったが、一言でも話すこと今までのすべてが壊れるみたいな気がして、この考えは直ぐに取りやめたのだった。


その日の夜、また芽衣がやってきた。

芽衣が来た目的の一つは、ダンスケの近況を犬のように鼻を利かせて探る事だった。

「ところでダンスケ。この間約束したことだけれど、今度の日曜日辺りはどう?」

「約束したこと?」

「あの一件落ち着いたら、駅前のレストランでハンバーグスペシャルを約束したでしょう?

もう忘れちゃったの?まだ片付いてないとは言わせないわ。それともわたしのこの鋭い嗅覚を誤魔化せると思っているの?」

「あ。それか?もちろんOKだよ。でもその日はダメだ」

「ええ~どうして?」

「どうしても」

「はは~ん。まずは先日の一件は既に落着した。その後のダンスケは、彼女とデートの約束を取り付けるまでに・・その決行日は、今度の日曜日・・どう図星?」

「知らん」

「ま。ダンスケにしては、短期間でデートにこぎつけたとしたら、上出来よ」

「しらん。飯作って食ったら早く帰れ」

「えへへ。ではお言葉に甘えまして冷蔵庫をチョイと拝見・・」

「・・・」

「お!このトンカツ用豚ロースを使っていい?」

「御髄意(ごずい)にどうぞ」

「今日は、細切り肉炒飯に簡単中華スープだな」

「・・・」

「冷蔵庫のいらない物をフルに活用し多めに作るぞ」

「冷蔵庫には、いらない物はないぞ」

「まあまあ。お兄様そうカリカリしないで、お楽に、お楽に・・」

「多く作ってもお前がまだ返してないから、タッパーはないからな」

「だから炒飯にしたのよ。ラップに包んでおにぎりとして持って行けるでしょ」

「お前のここに来る主たる目的は、これだな」

「えへへ。その通りで」



待ちに待ったその日曜日がやって来た。

それまでの間、芽衣が、飯を食うためにやって来るもしれないと気を揉んでいたが、ダンスケのその心の騒めきに反して、彼女は一度も姿を見せなかった。

彼女なりに気を使っているのかもしれないと思うのであった。

財布を満タンにし、洗濯したての服を着て、靴を奇麗に磨き、ダンスケの初デートは準備万端にして出かけることが出来た。


桜子との待ち合わせ場所は、Stayと言う、洒落たレストラン入り口前。

時間は、夜の7時。

その時間帯は往来が多い為、道が混んでいると思い、少し早く家を出て、桜子の来るのを待っているつもりだったが、その日に限り、電車の乗り継ぎが上手く行かず、全力で走って到着したのは約束の時間ギリだった。

「すみません。何とか間に合いました。はーはー」

人の波をかき分け、息を切らしながら、目の前に現れたダンスケを見た桜子は軽く微笑んだ。

桜子は、これからのデートを前に久々に気が晴れたのを感じたのであったのだ。

そんなふたりの光景を見て驚くように声を掛けた男女二人が突如現れた。

「ダンスケ?」

「お姉ちゃん?」

ダンスケは、振り向くと、芽衣とその隣に男が突っ立っていたのであった。

振り返り、互いの顔を見合わせながら桜子はこのようにしか言葉が出なかった。

「うちの俊一と手をつないでいるのは、ダンスケ君のどういった・・?」

「妹です。で、うちの俊一さんとは?」

「弟。で彼女は?」

「芽衣です。二歳下で今、大学生」

「兄がいつもお世話になっております。芽衣です。兄から噂は聞いています」

「え?噂?」

「いえ、悪い噂では有りません。と言うか突然でびっくりしてしまい・・私はチグハグなことを言ってしまったみたいで、すみません」

「芽衣。心臓に毛が生えているお前にしちゃ珍しいな」

「ダンスケったら変なことは言わないでよ」

「じゃぁ、私は弟の・・」

「姉ちゃん、紹介しなくていいよ」

「え?」

「ダンちゃんだろ?こんなことってあるのかな」

「え?どういう事?ダンスケ君はうちの弟の事知っていたの?」

「会社に掛かってきた電話で一度話しただけで。それ以外は・・」

「あはは、そりゃそうだろうな。こりゃ傑作だ!」

「俊一、わたしたちを揶揄(からか)っているの?わたしが誰かと付き合っていると面白くないの?」

「そういう訳じゃないよ。話は長くなりそうだから、ご飯を食べながらにしませんか?」

「賛成。わたしたちお腹が空いて・・・」

「芽衣は腹に口が生えているのか」

「変なことは言わないで、と言っているでしょ」


それからの四人の食事は、驚きあり、笑いあり、涙ありが二時間以上も途切れることなく続き、このレンストランの彼ら担当の給仕は、何度も首を捻ったことだろう。

帰り際、芽衣は、ダンスケに「お兄ちゃんありがとう」と言って涙を浮かべ、俊一と反対方向へと出て行った。

ダンスケと桜子は、下を向きながらゆっくりと歩き、先ほどまで一緒にいた芽衣と俊一の話しをぽつりぽつりと話し始めた。


「まさか、ダンスケ君があのダンちゃんだったとはね」

「僕も俊一のお姉さんが桜子先輩だったとは想像を絶することでした」

「わたしの親が離婚して、俊一は、そのまま丸池(まるいけ)の姓を残し、丸池俊一のままだけれども、わたしは婿であった父方の姓、つまり米村桜子に替わってしまったのだから、ダンスケ君は気付かないで当り前よ」

「そうですね。小学校三年生の時、俊一は突然転校になったものね」

「その時親が離婚したのだわ。俊一は母の実家へ行き、わたしは父の転勤についていろいろ行ったけれど、最終的に父があの土地に家を建てたの」

「じゃぁ先輩は今お父さんと一緒に住んでいるの?」

「ついこの間まではね。落ち着いたと思ったのにまた去年からまた転勤になったのよ」

「じゃぁ、先輩はあのお家にたった一人で住んでいるのですか」

「そ。時々腹をすかせた弟が飯食わせろとくるけれど」

「あ。それ僕のところと同じだ」

「そう言えば、芽衣ちゃんは俊一を殆ど覚えていなかったみたいね」

「芽衣はまだちっちゃかったからなぁ」

「でもあの時のことを覚えていたのは、よっぽど怖かったのね」

「あの事件か・・・」


十五年前の夏のある日のこと・・・

当時八歳の俊一は、トンボ獲りに行こうと親友ダンスケを誘ったのだった。

その日の芽衣は、昼頃からぐずって、聞き分けが無く、誰もいない家に一人置けないと思ったダンスケは、仕方なく当時六歳の妹も一緒に連れて行くことにしたのであった。

俊一とダンスケは夢中になってギンヤンマを追いかけ、気づいてみると側にいる筈の芽衣がいないことに気付き、二人は慌てて探し始めた。

結局警察沙汰になり近所の人たちと手分けして芽衣を探した結果、川の泥濘に足が挟まり動けない状態でおいおいと泣いていた子供が発見されたのは、夕暮れ時だった。


「その後は、俊一と一緒に親にこっぴどく叱られたなぁ」

「今じゃ笑い話で聞けるけど、その時の芽衣ちゃんは、怖かったでしょうね」

「その翌年だったかな?今度は芽衣を俊一の家に連れて行って、また芽衣がいなくなったのは・・」

「その時は、私もいたと思うよ。だって四人でかくれんぼやった時だよね」

「確かに僕たち四人だった・・・」

「芽衣ちゃんが鬼になった後、いつの間にか家の中にいなくなって、・・探したら・・・あはは、隣の家に入り込んでいたのだよね」

「しかも勝手に冷蔵庫を開けてご飯を食べていたのには、さすがに兄として情けないやら恥ずかしいやら」

「で、その後隣の人が帰って来て、わたしたちこっぴどく怒られたのよね」

「何度も謝ってやっと帰して貰ったけれど、本人はそこから既に逃走していてまた探すのが大変だった・・・」

「でもそんなダンスケ君の何度も怒られたり、謝ったりしていたことを芽衣ちゃんは今日思い出したのだわ。だからお兄ちゃんありがとうと言ったのだと思うの」

「あいつにそんな殊勝な気持ちがあるかなあ?きっと忘れている」

「でもダンスケ君も忘れていることがない?」

「え?忘れている事?それって大切な事ですか?」

「そ。とても大切な事よ」

「あの押し入れで・・・」

「そ。わたしとキスしたことよ」

「・・・」

「押し入れに二人同時に隠れて狭いものだから、布団の山が崩れて来て挟まれたじゃない。あの時確かにダンスケ君とキスしたと記憶しているけれど、違ったかしら?」

「・・・すみません」

「謝る事なんかないわ。わたし初めてだったの」

「僕も・・です」


いつの間にか、ダンスケは桜子の家まで一緒に来ていた。

「あのね。ダンスケ君、ひとつ聞いてもいい?」

「はい」

「私がインフルで寝込んだときに仕事の内容をファイルに納めて持って来てくれたよね」

「はい」

「私の好きなアネモネの花一輪とそしてメッセージカード」

「はい」

「二度目は、あの梶野さんが来た時に」

「はい」

「でも二つのメッセージカードには、何も書いていなかったわ。どうして?」

「先輩を思いやらなければならない事と自分の言いたいことが交差して最後までうまくまとめることが出来なかったんです」

「そ。じゃ今まとめましょう」

「え~と。そう言われても」

「簡単よ。ダンスケ君が書きたかったことを言ってくれると今の私はなんでも受け入れるわ」

「なんでもですか」

「なんでもよ」


「あの~桜子先輩、僕と付き合って戴けませんか?」

「はい。付き合います」

「え?本当ですか?」

「本当よ。それからもう一枚は、今度に取っておいて」

「はい」

「そしてこれは、私からのもう一つの返事よ」

桜子はそう言うとダンスケ君を抱きしめ、キスをした。

ダンスケも桜子を抱きしめた。


それから間もなく三月にしては、珍しい雪が降ってきた。

それは玄関先で若い二人が抱き合っているのを優しく隠すレースのようであった。


My funny Valentine 

   私のおかしな人

Sweet comic Valentine 

   ちょっと滑稽な人

You make me smile with my heart  

  心から笑顔にしてくれるね

Your looks are laughable 

  見た目は笑わせてくれるし

Unphotograghable

   写真向きじゃないけれど

Yet, you’re my favorite work of art 

 最高にお気に入りの芸術作品なのよ

Is your figureless than Greek 

  ギリシャ彫刻みたいにカッコよくはないし

Is your mouth a little weak             

それに口元だってゆるゆる 

When you open it to speak             

   あなたが話そうとすると

Are you smart?                     

  大丈夫かしらと思うの。

But don’t change a hair for me

でも私のために髪の毛1本だって変えないで

Not if you care for me       

もし私のこと大事にしてくれるのなら

Stay little Valentine, stay!  

   ずっとそのままのあなたでいて

Each day is Valentine’s day   

毎日がバレンタインデーなのよ



My funny Valentine 


終わり








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My Funny Valentine 伊藤ダリ男 @Inachis10

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