花が咲くまで初見月。

増田朋美

花が咲くまで初見月。

今日もまた、風が冷たくてとても寒い日であった。そんな日は、なかなか外出はしないものである。するとしたら、仕事で出るか、どうしても出なければならない用事があって出る程度だろう。そんな状況で製鉄所にやってくるのであれば、よほど辛いことがある人物に間違いなかった。

その相談者は、午後一時に製鉄所にやってきた。本人は運転ができないというので、浜島咲がバスに一緒に乗って連れてきた。

「こんにちは。杉ちゃんいる?ちょっと相談したいことがあるのよ。よろしく頼むわ。」

そう言いながら、咲は、一人の女性を連れて、製鉄所の建物に入ってきた。

「初めまして、わたし、佐藤美樹です。」

一緒にやってきた女性はそう言いながら、杉ちゃんに頭をさげた。ピンク色に、小さな鶴を散りばめた小紋がよく似合う、かわいい感じというより、地味であまり目立たないというタイプの女性だった。

「佐藤美樹さんね。それで、相談ってなんだよ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「こんなこと話して良いのかわからないのですが。」

と、美樹さんは言った。水穂さんが布団から起きて座り、美樹さんと、咲に座るように言った。二人はその通りにした。

「とにかく、はじめから話しちまえ。それで、終わりまで聞かせてもらうぜ。」

杉ちゃんに言われて、美樹さんはこう切り出した。

「私は着物が好きなんです。着物を着ているときはウジウジした、湿っぽい自分はいないですし、明るくなれるような気がするんです。」

「はあ、そうなんだね。それは嬉しいな。着物の作り手としては、そういってくれるとやる気が出るぜ。」

杉ちゃんがそう応答する。

「着物のなかでも、私は、小紋が好きで、こういう細かい柄の小紋は何よりも好きなんです。それに、着物の格は、びっしりと柄がある方が、格が高いと聞いたので。あんまり格が低いと、外出着とかにはならないと聞いたので。」

「うんまあそうだ。格の低い着物だと国立能楽堂とかで、そんなもの着るなと呼び止められる可能性はあるよね。」

杉ちゃんの言うとおりでもあった。若い人が着物を着ていると、着物ポリスというのだろうか、老婦人のおばさんに、何を変なものを着ているの?とか、その帯はおかしいとか、口出しをされることもないわけではない。中には、帯締めを結び直したりするなど、余計なことをするおばさんもいる。

「それで、格の高い低いについて、少し本を読むなりして勉強したのですが、こういうびっしり入っているのが、わりと格のたかい小紋だと書いてありましたので、それを買うようにしています。ところが。」

美樹さんは、ちょっと涙をこぼして言った。

「うちの母が、なんでそんな地味なものを買うのと言うようになりまして。私は、ちゃんと格があって、そのとおりにしたいと言いましたが、着物はもう着ているだけで、礼装なのだから、格も何も関係ないとか、訳のわからないことを言ってくるんです。着物警察のことをはなしても、そんなの必要ない、可愛ければ良いと言われるだけで、なにもならなくて。どうしたら、自分らしい着物姿が得られるのか、教えていただきたく、相談に来ました。おねがいします。」

美樹さんは杉ちゃんたちに頭をさげた。

「この間は、小紋をもういらないからと、勝手に処分させられてしまいました。私は、格によって着る場所が違うんだと言いましたが、伝わりませんでした。」

「はあ、なるほどね。」

杉ちゃんは、美樹さんに言った。

「そういうことはよくある相談だけど、 とにかく人のものを勝手に捨てるのは、親子であってもいけないことだと思うよ。それは嫌ならはっきり嫌だといったほうが良いぜ。」

「そうよ。それはやっぱり、自分の意見を大事にしたほうが良いと思うのよ。あたしは、そう思うけどな。そんなに気にすることでも無いと思うわ。言ってみれば、着物は民族衣装でもあるわけだし、TPOさえ間違ってなければ、自分の感性で着ちゃえばそれで良いと思うのよね。別に親にどうのこうのというわけではなくて、自分の人生なわけだから、、、ねえ。」

咲は、杉ちゃんたちに目配せした。

「僕もそれで良いと思うよ。自分の着るものなんて、自分で選べばそれで良いと思う。着物はいつどこで誰が何をどの様にどうしたかが大事だっていうけれど、逆にそれを守れば、面白いものだと思うぞ。それに、これだけ決まり事がたくさんある衣服も珍しいしね。大事なことは、それを煩わしいと思うことではなくて、楽しめることでは無いのかな。それができるやつは、天才だと思うぞ。」

咲の話に杉ちゃんも話を続けるが、

「そうですね。それができるということも確かにすごいものだと思います。ですが、それができる人ばかりではないですよね。」

と、水穂さんが小さな声で言った。

「でも右城くん。今の時代はそれだけじゃないわよ。もう、身分制度とか、そういうものは撤廃されて、好きなものをなんでも着ていいって、憲法でも保証されているじゃないの。それに従えばそれで良いってことじゃないの?」

咲がすぐに水穂さんにいうが、

「本当にそうでしょうか。身分制度が撤廃されたと言いますが、本当にそうだと僕は思いませんね。」

水穂さんは、そう話を続けた。

「ま、まあ、そうだけど、右城くん。右城くんの話を聞くのではなくて、今日は美樹さんの話をしにきたのよ。右城くんが、そういうところの出身だからと言って、美樹さんがお母さんとうまく行かないことの、理由にはならないわ。」

咲が急いで水穂さんを慰めるが、美樹さんが、

「この人、そういう人なんですか?」

と思わず言ったので、皆一瞬白けてしまった。

「あ、ああ、ごめん、ごめんなさい。私が言ったのは、そういう意味じゃありません。私はちゃんとわかってます。この世には、障害のある人もいるし、その、ちゃんと受け入れるべきだって。だから、私は大丈夫です。」

「いえ、美樹さん、無理しなくていいですから、ちゃんと、気持ちを言ってくださいね。ちゃんと言う方が、僕達のことを差別しないでも済みますから。そのほうがずっと良い。かえってそのほうが、僕も気楽ですよ。」

水穂さんがすぐにそう訂正した。そして、なにかホコリでもはいってしまったのだろうか、えらく咳き込んでしまった。

「もう、右城くん。早くなんとかしようと思ってよ。右城くんだって、こうして相談に乗ったりとか、必要になるときだってあるのよ。右城くんも考えを改めて。」

咲は呆れた顔で、水穂さんを見た。

「まあそういうわけでさ。美樹さんの着物は、自分の感性で選ぶのが大切なんだ。すぐに、親御さんのことをどうのこうのではなくて、TPOさえちゃんと掴んでいれば、自分の感性で大丈夫なの。もうそういう時代なんだし。とにかく結論は、それで良いんだ。そういうことだ。」

杉ちゃんがそう結論を出した。まだ咳き込んでいた水穂さんが、杉ちゃんを疑わしそうな目で見たが、杉ちゃんは、それで良いんだよなんて言って、口笛を吹いていた。

「わかりました。ありがとうございます。杉ちゃんさんでしたっけ、浜島さんから聞いたんですけど、和裁の先生をされているそうですね。私、着物を着てみて、和裁ってすごいなと思ったんです。そういう人から、自分の感性を大事にしてと言われたら、従わずにはいられないですよ。」

「そうそう。それで親御さんと対立するってことは、もしかしたら、着物を通して、自分が変わるチャンスかもしれないからね。それで、怯んでは行けないよ。まあ、感情的にならずに、ちゃんと自分の好きなもんを、好きだって言えることも必要だし。それをときには横車を押して、貫き通さなければならないことだってあるよ。それに、親御さんにはかっこ悪いと言われても、他人には、かっこよく見えることだってあるからな。そういうことは、ほんの些細なことに見えるかもしれないけどさ、それはおっきなことでもあるんだよ。もし、お母ちゃんと喧嘩するようなことがあれば、ゆっくり話して見ることも必要だぜ。そういうときほど、ゆっくり話すことが必要なんだ。それは、忘れないで、持っておいてね。」

美樹さんがそういうと、杉ちゃんはでかい声で言った。

「すごいですね。杉ちゃんさんはまるで哲学者みたい。」

美樹さんが憧れの目でそう言うと、

「いや、みんなバカのひとつ覚えだ。僕が持っている知識なんて、バカのひとつ覚えばっかりだよ。そう思って置く方が、おごることもなく、有効活用できるってもんよ。」

杉ちゃんは、カラカラと笑った。

「そうか。やっぱり自分を大事にしていいんだ。ありがとうございました。杉ちゃんさん。」

美樹さんは杉ちゃんに頭を下げて、じゃあ、寒いですのでこれで失礼します、と言って、咲と一緒に帰っていった。製鉄所の玄関先まで杉ちゃんが送っていこうかと言ったが、水穂さんがまだ咳が出ていたので、お見送りはできなかった。咲と、美樹さんは、ありがとうございますと言って、杉ちゃんたちの製鉄所を出ていった。

「本当にありがとうございました。着物を作る人って意外に気さくなんですね。和裁の先生って言うから、もっと、怖い人かと思ってましたよ。よくあるじゃないですか。テレビドラマとかでもあったけど、筋金入りの職人気質で何を言っても人の言うことに耳を貸さないで、自分の意思で動いているような人。」

美樹さんがそう言うと、咲はバス乗り場に向かってあるきながら、

「まあそうよねえ。確かに、伝統を守ろうと言う人は、いつもすごい顔をしているもんね。」

と、だけ言った。

「まあでも良かったわ。気さくに相談乗ってくれて。あたし、着物はこうしなきゃだめだとか、そういうことを言われるんじゃないかと思って、怖いと思ってました。あたし、初めて着物を買ったときに、言われたことがあるんですよ。着物を着るときは、日の丸を背負っていくのと同じようなことだって。その言い方が、とてもきつかったので、やっぱり着物を着るのは、私には無理かなと思ったんです。」

美樹さんはそういうことを言い始めた。

「はあ、美樹さんが着物を着るのは、うちのお教室に来てくれたからじゃなかったの?」

咲がそうきくと、

「ええ。それももちろんあるんですけどね。でも私の家族は、私以外誰も着物に興味がある人はいません。私が興味持ったのは、着物を着るときに、惨めな私はいないんだと言うことを知ったからです。」

と、美樹さんは答えた。

「それはどういうことですか?」

咲が聞くと、

「ええ。私、学生時代にいじめがあって、とても自分に自信なんか持てなかったんです。そりゃそうですよね。こんなブスな女、誰が好きになってくれるでしょうか。だから、私は、誰からも愛されないと思ってたんですよ。だけど、着物を着ると、全然違う髪型になって、きもの着て足袋も履いて、鏡の中には、もうそんな惨めな私はいません。だから、着物って良いなと思い始めたんです。それで私は、着物にまつわる習い事をしたいと思って、お琴教室に通いたいと思いました。」

美樹さんは、にこやかに笑ってそういうことを言った。彼女のご家族がそのあたり理解してくれたら、もっと楽になれるのではないかと思うのである。

「その気持ちを、ご家族に話してみればいかがですか?それを話せば、お母様もわかってくれるのではないかと思います。そういう効果が着物にはあるから、着物を着たいとちゃんと話せば、着物がそれほど好きなんだってわかってくれるかもしれないですよ。」

咲は、美樹さんに言った。なんとなくひらめいたことであるが、美樹さんは、真剣にそれを聞いている。

二人は、バス乗り場についた。バスは、数分でやってくる事になっていた。富士山エコトピアから富士駅へ向かうバスは本数が多い。というのは、最近、かぐやの湯という温泉施設ができて、温泉目当てにやってくる観光客が多いためである。二人が、数分待っていると、バスがやってきた。中には、観光客が何人か乗っている。咲と、美樹さんは、後ろの方にある座席に座った。富士駅までは、30分ほどで着いた。その中で、周りの風景が、極端な田舎から、駅前の大都市に移動してきたのを、美樹さんは、なんだか時代の移り変わりと同じようだと言った。

「まあ、そんな事言って。それなら、美樹さんの家庭は、どういう時代なのよ。」

咲が思わずそう言うと、

「はい。うちは、おそらく、心の中では、昭和のはじめと同じなんじゃないでしょうか。周りのものや色んなものが、時代が代わって行くのについていけなくて、それでなんだか、苦しんでいるように見える。だから先程の着物のことだって、ついていけないから変な理屈をこね回しているだけなのかもしれない。私は、そういうところに育って、果たして良かったのかな。何もできない、中途半端な人間で終わっちゃうような気がするわ。」

と、美樹さんは、苦笑いして言った。

「そういう家って、何なんでしょうね。なんか揉め事が多くて、時代についていくのに、すごい労力を必要として、それなのに周りの人達からは何も評価もされない。そんな家が、果たして何になるのかしら。ほんと、私は、どうなるのやら。よくわからないわよ。」

美樹さんの言うとおりかもしれなかった。

「でも、そういう援助をするのを商売にすることもあるわ。」

咲は、美樹さんに小さな声で言った。

「そういう人を援助したり、なにかできないことがあったら手伝ったり。今の時代は、身内が頼れない時代でもあるし、そういう商売をする人に頼るしか無い人もいるのよ。それをなんとかしてあげるには、やっぱり同じ経験をしていることにまさるものは無いわよ。経験ない人がそういう仕事に就いてしまうと、必ず奢ってしまって、誰かに罰を受けることになるわ。どんなに偉い人だってそれは同じだった。でも、同じ経験している人は、そうならない。」

「咲さん、そんな言葉をよく言えますね。私はとても思いつかなかった。」

美樹さんがそう言うと、咲は照れ笑いをして、

「実は今のこと、右城くんに教えてもらったのよ。あたしは。」

と種明かしをした。

それから数分経って、バスは富士駅前に到着した。二人は、現金で運賃を支払ってバスを降り、駅で別れた。美樹さんは駅からタクシーを捕まえて、自宅へ帰った。自宅は、それほど遠いところでは無いが、歩いていくのにはちょっと、大変な距離だった。

「ただいま。」

美樹さんが自宅に入ると、お母さんがおかえりと出迎えてくれた。

「美樹、宅急便が来ているわよ。また買ったの?」

お母さんは、テーブルの上にあった段ボール箱を指さした。そういえば、通販サイトで、着物と帯締めを買ったことを、美樹さんは思い出した。急いで、カッターナイフでダンボールを開けてみた。ダンボールはすぐ切ることができた。箱を開けると、一枚の着物と、一本の帯締めがはいっている。リサイクル品なので、畳紙もなく、ビニール袋にはいっているだけであるが、ちゃんと着物であり、きちんと着用できるものだった。美樹さんが取り出した着物は、赤い色で全体に御所車と松と竹を入れて、小さな点を円盤状においた、鮫小紋という柄をベースにしていた。鮫小紋というのは、かなり高度な技術を必要とする染め物で、それは魔除けの力があると信じられているという。松と竹、御所車など、縁起のいい柄をたくさん入れてある、御所解文様というものに該当する着物である。素晴らしい着物だ。そこだけ判断すれば。でも、たしかに、あまり、華やかではなくて、可愛らしいことも無い。

「まあ、またそういうものを買って。なんであなたはそういうものを買うのかしら?もっと可愛らしくて、きれいな着物を着られないものかしらね。なんで、そうなってしまうのかな。」

お母さんは、そういうことを言っている。でも、美樹さんは、それを嫌なこととは感じなかった。そう言われてしまうのは致しか無いが、杉ちゃんに言われた通りのことを思い出して、美樹さんはこうお母さんに返した。

「そうね。確かにお母さんからみたら地味なこともあるかもしれない。でも私は、この着物が好きなの。こういう日本的な御所解文様とか、七宝とか麻の葉とか、青海波とか、そういう日本に古くからある、可愛い柄が好きなのよ。だから、これからも、着物を着続けるし、こういう柄の着物を買うわよ。」

お母さんは、ちょっと呆れたというか、そういう顔で、彼女を見た。

「それに、着物が地味でも、帯を派手にするなりすれば、華やかになることだってあるわ。」

美樹さんがそう言うと、

「でも、美樹が持っている帯で華やかなものも、何も無いじゃないの。」

とお母さんはそういう。

「それなら、それで良いわ。そういう着物や帯もこれからまた買うから、安心してちょうだいね。あたしは、大丈夫だから。自分のすきながらで、ずっと通していくわ。着物ってそういうもんだから。きるのはやっぱり自分だものね。それを外れては行けないわよね。さあ、ご飯にしなくちゃ。お母さん今日のメニューは何?」

そういう美樹さんに、お母さんは、なにか、感じ取ってくれたようだ。というか、そう言って反抗してくれるのを待っていたような感じでもあった。

「今日は、あんたの好きな、鍋焼きうどんよ。寒いから、早く入りなさいね。」

それだけとりあえず言ってくれた。

「ありがとう。」

うまくいえないけど、それだけ美樹さんは言っておく。

まあおそらく、このあとどう変わるかなんて誰もわからないだろう。でも、一応、自分の言いたいことはちゃんと言わなければならないと、美樹さんは思ったのだ。だから、恐る恐るだけど、そう言ってみた。結果はどうであれ、ベストを尽くすのだ。

「自分の感性か。」

美樹さんは、小さな声でそういうことを言って、自分の部屋へ戻っていった。多分、このままずっと耐えていくだけの生活なのかもしれないけれど、一瞬だけ、一瞬だけ花が咲くのかもしれなかった。



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花が咲くまで初見月。 増田朋美 @masubuchi4996

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