第33話 軍務卿ガレオン・ド・レオンハルト

愛し子 ラスカリス・アリアトラシュ・ヴァルデスの物語


「何はともあれ… そなたが無事でよかった…」

 ペンドラゴン・ヴァルデス三世は、弱々しく笑って小さき咳き込んだ。

げっそりと頬がこけ、眼窩が落ち窪んでいても、その顔貌には決して損なわれることのない凛然たる気品が漂っていた。

 灰色がかった蒼色の双眸は、このヴァルデス公国の最高権力者である大公が、遥かなる北方、エフゲニア帝国に出自を持つことを控えめに主張していた。

 ペンドラゴン・ヴァルデス三世はかつて、エフゲニア帝国にあって、その内政を壟断し、帝室を除けば、帝国において支配的・特権的地位をほしいままにしたヴァルデス選帝侯家の正当なる末裔である。

 元々、病弱であったペンドラゴンは、エフゲニア、沙馮シャフーの二大勢力に浜まれた小国の主として、長い間、心痛を重ねてきたこともあり、病を得て後は、一日の大半をベッドで過ごすことが多くなっていた。

 ラスカリス・アリアトラシュは、唇に微笑を浮かべ、大公に言葉を投げかけた。

「これも、父上の御威光の賜物です」


 父上は、どこまで知っているのだろう。


ラスカリスは、訝しく思った。

 ペンドラゴンの台詞を聞けば、父大公が、ラスカリス暗殺計画の一件を耳にしていることは確実だ。

 だが、エドラー・ヴォルフ・フォン・ゼークトの事はどこまでご存じなのだろう。

フォン・ゼークト伯爵家が、どうやら、公国転覆の陰謀に加担していること。

 エドラーヴォルフが、アインホルン侯爵家本邸を襲撃し、失敗して退却する際、暗殺者の毒矢を受けて絶命したこと。

 そして、エドラー・ヴォルフが埋葬された墓が暴かれ、エドラー・ヴォルフの遺体が忽然として消え去ったこと。

 ラスカリス・アリアトラシュは、ペンドラゴンとの対話を通じて、父がどれだけ事情に通じているのか、推し量ってみた。

 そして、側近の者たちが、ペンドラゴン・ヴァルデス三世の宸襟を悩ませることがないよう、必要な事だけを必要な分だけ、伝達していることを確認した。

 ラスカリスは、心の中で胸を撫で下ろしていた。

「父上、今はお身体を回復させることだけに専念してください。お身体の具合が戻られましたら、父上には国政に復帰して頂き、また一線で活躍して頂かなければなりませんゆえ」

 ラスカリスの言葉に、ペンドラゴンは唇に微笑を浮かべた。

「情けないことだ… 私の身に何かあれば、この国は恐るべき動乱に巻き込まれることになる… 私が亡き後、一体誰がヴァルデス公国大公位を襲うのだろう… それを考えれば、そなたの将来が心配だ… せめて、そなたが成人するまでは…」

 ペンドラゴンは、また小さく咳き込んだ。

ペンドラゴンが逝去することになれば、当然、ヴァルデス公国の次期大公位を巡って、北方の大国、帝政エフゲニアと南方遊牧民族、沙馮シャフーの間で、諍いとなるのは明白だ。

 次期大公の最有力候補は、ペンドラゴンの兄である前大公の実兄であるミハイロフ・ヴァルデス二世の遺児であるウラジーミル・ゲルトベルグ・ヴァルデスである。

 ウラジーミルは、ミハイロフの正室にしてエフゲニア帝国の皇帝インペラートルの娘、ダーリアの息子であり、エフゲニア帝室の全面的な支援を受けている。

 次の候補は、アブド・アルラスール・ヴァルデス。

同じくミハイロフの側室にして、「沙馮シャフー部族国家連合群」の首長である天王可汗テングルカガンの娘、シャルーシャの息子である。

 帝政エフゲニアの支援を受けるウラジーミルと同様、アブド・アルラスールもまた、沙馮シャフーの援護を受けていた。

 どちらも、前大公ミハイロフ・ヴァルデス二世の血統を繋ぐ者として、正当なる大公位の継承権を有しており、それぞれを後押しする南北の勢力もまた、その力が拮抗していた。

 現大公、ペンドラゴン・ヴァルデス三世がこの世を去る時が来れば、その後に待ち受けているのは、大公の地位を奪い合う、血で血を洗う戦いであることは誰の目にも明らかだった。

 ラスカリスは、氷を浮かべた水盤から絹布を取り上げて、父の額に浮かぶ汗をそっと拭った。

「後、数か月で、このラスカリス・アリアトラシュも十五歳です。もう、一人前の男です。しかしながら、若輩の身、まだまだ、父上にお教え頂かなければならないことが、いくらでもございます。さァ、父上。もう、お休みください」

「ラスカリス… すまない…」

 ペンドラゴンは瞑目した。

そのまま、小さな寝息を立てながら、ペンドラゴンは浅い眠りについたようだった。

 その時、ペンドラゴンの寝室が遠慮がちにノックされた。

「大公様、レオンハルト侯爵家の方々が拝謁を賜りたいと…」

 聞き慣れたその声は、アイヴォリーキャッスルの侍従長のものだ。

ラスカリスは、振り向いて扉の向こう側へことばを送った。

「父上は、今、お休みになられたところだ。このラスカリス・アリアトラシュが父上に代わって、ご挨拶しよう」

 わずかな沈黙の後、応答が返ってきた。

「心得ました。ラスカリス・アリアトラシュ殿下」


 ベッドで眠るペンドラゴンに一礼して、ラスカリスは寝室の扉を自分で開けて、回廊へ歩み出た。

 ラスカリスの姿を認めて、三人の人物が片手を胸に充てて一礼した。

これは、ヴァルデス公国の騎士団の正式な法であった。

 三人の人物の先頭に立つのは、四十がらみの長身の男性である。

その人物は、二十歳くらいの若い騎士とまだ十代の見目麗しい少女を従えていた。

 三人ともよく整った顔立ちをしていて、幼い頃から鍛錬を続けてきた事を表わす筋肉が、制服を内側から力強く盛り上げている。

 その表情にも、肉体と同様に、厳しい修練を重ねて獲得した明敏な知性と強烈な意志の力が如実に表れていた。

「将軍」

 ラスカリスは、にこやかに笑いかけた。

ヴァルデス公国最強の騎士団、エルデリッターの騎士団長にして、ヴァルデス公国の軍務卿であるガレオン・ド・レオンハルトその人を、「将軍」と呼ぶことが正しいのかどうか、分からないが、ラスカリスはいかにも軍人といった風貌をしたこの人物を幼い頃からこう呼んでいた。

 ガレオン・ド・レオンハルト伯爵が相好を崩した。

「暫く見ぬ間にまた、背が伸びましたな、ラスカリス・アリアトラシュ殿下」

 軍務卿ガレオン・ド・レオンハルト、ヴァルデス公国が誇る四つの「魔神器」のひとつ、デスサイズ「月影ムーンシェイド」の所有者である。

 ラスカリスは、「月影ムーンシェイド」がどのような武器であるのか、詳細は知らなかったし、もちろん、それを見たこともなかった。

 ガレオンは後ろを振り返って、背中に従える二人の人物を紹介した。

「これなるは、我が息子…」

 父親の紹介を待つまでもなく無論、ラスカリスはその青年を知っていた。

軍務卿ガレオン・ド・レオンハルトの第一子、エグベアート・ド・レオンハルトである。

 エグベアートは、健康そうな白い歯を見せて笑った。

その笑顔は、優美なる外見の内側に獰猛さを隠し持った、若い肉食獣のようだった。

 

 これが、「炎帝」エグベアート・ド・レオンハルトか…


軍務卿ガレオン・ド・レオンハルト伯爵の第一子、エグベアート・ド・レオンハルト、「火」の属性の持ち主であり、強力な火炎魔法の使い手として、「炎帝」の二つ名で呼ばれている。

 その双眸に宿す光は、まるで鋭い刃物のようだ。

エグベアートはまるで、華美な軍服に身を包んだ猛獣であるかのようだった。

「初めまして、ラスカリス・アリアトラシュ殿下。エグベアート・ド・レオンハルトと申します。以後、お見知りおきを」

 完璧な作法であった。

そのしなやかで洗練された仕草は、この青年が紛れもなく、この国の高位貴族の一員であることを示していた。

 もう一人、ガレオンの背後に控えていた少女がラスカリスに微笑みかけた。

こちらも、その美しい肢体の内側に鋼の強さと意思を蔵している様にみえた。

 ラスカリスはこの少女ににこやかに笑いかけた。

こちらは、ラスカリスにとって、知己の人物であったからだ。

 少女はもまた、ラスカリスに対して改まって自己紹介をしようとはしなかった。

「ご無沙汰をしております、先輩」

「こちらこそ、殿下」

 ラスカリス・アリアトラシュにとって、彼女は公立魔導アカデミー中等部時代の一年先輩であった。


 そしてこちらが、「風使い」クロエ・ド・レオンハルトという訳だ。


 「風」の属性を持ち、高位貴族としては珍しく、「斥候スカウト」のジョブに就いている。

 数々の強力な「風」魔法を駆使し、アカデミー在学中ながら、兄と同じように、「風使い」の異名で呼ばれている。

 ラスカリス・アリアトラシュは、ガレオンに微笑みかけた。

「申し訳ありません、将軍。父は眠りに入ったばかりですので。せっかく、シャンプール砦への帰還のご挨拶に来ていただきましたのに」

 ラスカリス・アリアトラシュは、椅子に座ったまま、軍務卿ガレオン・ド・レオンハルトに一礼した。

 歴戦の猛将は、破顔一笑した。

「なんの。儂とペンドラゴンは過分な気遣いなど無用の仲じゃ。ペンドラゴンの顔を見られなかったのは残念だが、今は何よりも彼の健康状態こそが最優先されるべきものであろうよ」

「ご理解を賜り、息子として感謝の念でいっぱいです」

 ここは、ペンドラゴンの居室にほど近いサロンの一角である。

純白のラウンドテーブルを囲んで、ラスカリス・アリアトラシュは、レオンハルト伯爵家のファミリーと対峙していた。

 ガレオン・ド・レオンハルト伯爵は、ヴァルデス公国の最高権力者であるペンドラゴン・ヴァルデス三世をファーストネームで呼ぶ。

 それは、大公と近しい存在であることを強調するためのいたずらな政治的行為ではなく、親しい友人にそうするような、ごく自然な態度と物言いであった。

 ガレオン・ド・レオンハルト伯爵は、公立魔導アカデミー時代、ペンドラゴン・ヴァルデスと同級生であった。

 また、ジークベルトとメーアの父であるユルゲン・フォン・アインホルン侯爵、そして、アスベル・マリベルのバウムガルトナー伯爵家の当主、グイン・バウムガルトナーとも、学ぶ教室を同じくしていた。

 「シャンプールの惨劇」以来、公国を出奔した外務卿グイン・バウムガルトナーを除けば、大公ペンドラゴン・ヴァルデス三世、軍務卿ガレオン・ド・レオンハルト伯爵、宰相兼内務卿ユルゲン・フォン・アインホルンの三人は、未だに地位や立場を超えた親友同士であり続けている。

 ガレオンは、自分を「将軍」と呼ぶ少年を、我が子のような自愛のこもった視線で見詰めた。

「ラスカリス・アリアトラシュ殿下、あなたもあと少しで成人です。あの小さかった少年が、立派になられたものだ」

「まだまだ、未熟者です。父上にも、あなたにも、ご教示いただかねばならないことが山ほどあります」

 ヴァルデス公国には、四つの騎士団が存在する。

それぞれの騎士団には、魔力の源となる四大元素の名前が与えられている。

 すなわち、「地」の名称を持つ第一騎士団「エルデリッター」。

「水」の名称を持つ第二騎士団「ヴァッサーリッター」。

 「火」の名称を持つ第三騎士団「フラムリッター」。

「風」の名称を持つ第四騎士団「ヴィントリッター」である。

 ガレオン・ド・レオンハルト伯爵は、ヴァルデス公国の軍事の最高責任者である軍務卿であるとともに、「地」「水」「火」「風」の四つの騎士団の総司令官であり、また、シャンプール砦を守る「エルデリッター」の騎士団長でもあった。

「大変な事件があったと聞いております。ご無事で何よりです、殿下」

 エグベアート・ド・レオンハルトが、ラスカリスの目を見詰めながら言った。

「エグベアート殿、どうぞ、ラスカリスとお呼びください。私はあなたより年下ですし、アカデミーの後輩でもありますから」

 ラスカリスの応答に、エグベアートは微笑で答えた。

「そうは参りません。あなたは我々が命を懸けてお仕えすべき、ヴァルデス大公家の血脈に連なるお方なのですから」

 ラスカリス・アリアトラシュは、エグベアート・ド・レオンハルトという青年に対して、宝石の象嵌で装飾された鞘に収められた、鋭利な刀剣のような印象を持った。

 名門貴族の家に生まれ、幼い頃から貴族の矜持と気構えを教え込まれ、その責任に耐え得るよう、自らを鍛え上げて来た若者、エグベアートは、まるでこの世に生まれたばかりの美しい凶器のような青年であった。

 鈴を転がすような笑い声が上がった。

「過剰な謙遜は、やんごとなき身分のお方が成すものではありませんわ。これからは、他人に命令する自然な尊大さを身に着けていただかねば」

「クロエ先輩」

 クロエはくすくすと笑い、それに連れて柔らかな栗色の髪が揺れた。

その目は、淡い蒼。


 アデリッサと同じ、髪の色と瞳の色だ。


ラスカリス・アリアトラシュは、そう思った。

「妹のアデリッサは、組み分けでラスカリス殿下と同じクラスに入ったそうですが、どうぞ、眼をかけてやってくださいませ」

「アデリッサにお世話になっているのは、こちらの方ですよ。それに彼女には、ヴァヌヌという親しい友人が出来て、いつも彼と一緒にいます」

「ヴァヌヌ? 変わった名前ですね。家名は何と仰るのですか」

「ヴァヌヌは、一本線、つまり、平民なのですが、とても好感の持てる若者で…」

「平民?」

 クロエは、兄のエグベアートと顔を見合わせた。

その困惑したかのような微妙な表情は、ラスカリスを慌てさせた。

「いや、平民と言っても、ヴァヌヌは本当に穏やかな性格をした好人物で、アデリッサもまた、彼と心から親しんでいる様子で…」

 エグベアートとクロエが、ヴァルデス公国の高位貴族であるレオンハルト家の令嬢が、一平民と仲良くしていることを快く思っていないのだろうかと、ラスカリスは、一瞬、訝った。

「あ、いや… それはいいのですが…」

 それきり、エグベアートとクロエは何事か、考え込んでしまったようだった。

ラスカリスは、話題を変える必要性を感じた。

「将軍、シャンプール周辺はどういう状況となっておりましょうか。最近は、沙馮シャフー騎兵と小競り合いがあったという話も聞きませんが」

 ラスカリスは、ガレオンに問いかけた。

「されば」

 と、前置きしてから、公国における軍事の最高責任者は、言葉を選んでぽつぽつと語り始めた。

「殿下のお言葉通り、この所、シャンプール砦を預かるわがエルデリッター、沙馮シャフー騎馬軍団との直接な衝突は、発生しておりません。少数の騎兵による定期的な強行偵察は、これまでと変わりませんが、こちらを挑発する様子もなく、敵との最前線は不思議な位、平和な空気が漂っております」

 ガレオンの言葉をエグベアートが引き継いだ。

「無論、シャンプールを預かる第一騎士団エルデリッターの騎士たちには、心の緩みなどございません。わが父とこのエグベアートが厳しく目を光らせておりますので」

 ラスカリスは、微苦笑を浮かべた。

名門貴族に生まれ、青い血を享けた者に求められる気高い精神と強靭な肉体、明敏な頭脳を極限まで磨き抜いてきたような若者であっても、エグベアートは、春の風の様に暖かく、穏やかな性格をしているようだった。

「ご苦労をおかけします、エグベアート先輩」

 シャンプール砦は、ヴァルデス公国が国外に唯一、所有している城塞である。

カルスダーゲン亜大陸を南北に分断するアポリネール大河の水源である湖を後背地として、前面に湖から引き込んだ濠と城壁に囲まれて、絶大な防御力を有している。

 そして、シャンプール砦は、ヴァルデス公国の最強の戦力である第一騎士団、「エルデリッター」が常駐して、この地を守護していた。

 シャンプール砦は、南方の沙馮シャフーばかりでなく、北方エフゲニアの勢力圏の南端とも接触していた。

 南北の軍事的脅威にさらされているからこそ、シャンプール砦には、ヴァルデス公国最強の戦力が配備されているのだった。

「将軍」

 ラスカリス・アリアトラシュは、真剣な眼差してガレオンを見詰めた。

「最前線の指揮官として、沙馮シャフーの動向をどう判断されておられますか」

 ガレオンの灰色がかった蒼い目が、光を帯びた。

「何、いまのところ、実に平和なものです」

「将軍」

 咎めるようなラスカリスの視線を受けて、ガレオンは小さくため息をついた。

「嵐の前の静けさ、と申しますか… 言い古された表現ですが、そのように感じております。沙馮シャフーばかりではなく、エフゲニアの手先である北の部族どもの動きも最近は奇妙に緩慢で、重要な軍事作戦を隠蔽している気配を感じます」

 ラスカリスは、小さく頷いた。

ガレオンが言葉を続ける。

「ラスカリス殿下に対する暗殺未遂事件… 国家の転覆を目論んで暗躍する勢力の存在… わがヴァルデス公国は、三百年前の建国以来、最大の危機を迎えているのではないか、正直に申し上げて、そのような危惧を抱かざるを得ません。ラスカリス殿下、万が一のことあらば、殿下は、アポリネール大河を下って、自由都市クリスタロスまで亡命され、かの地にて再起を期されるよう、そのお覚悟をお持ち下さい」

 だが、ラスカリスはがえんじることはなかった。

「将軍、申し訳ないが、ヴァルデス公国の公民たちを残して、一人だけ、安全な場所に逃げ出すことなど、このラスカリス・アリアトラシュ、この身を切り刻まれても、できる事ではありません」

「ラスカリス殿下」

 ラスカリスの言葉に、クロエが口を挟んだ。

「そのお覚悟は、見事。しかしながら、ラスカリス殿下に万が一のことがあれば、

ヴァルデス公国の正統な後継者の血が絶えてしまいます。何があろうとも絶対に生き残り、未来に公国再興の種を残すことが為政者の責務であるかと」

「クロエ先輩」

 クロエは、ころころと笑った。

「柄にもなく、年長者面をいたしました。どうぞ、ご寛恕下さい」

 ラスカリスも笑顔を浮かべた。

ガレオンが真剣な表情で言葉を紡ぎ出した。

「ラスカリス殿下、わがヴァルデス公国の戦力は、四大騎士団とわずかな予備役を含めて、一万人強しかおりません。これに対して、エフゲニア帝国は、三十万もの常備軍を持っております。それに加えて、帝国が従える小国、部族などを投入すれば、その二倍もの戦力となりましょう。これは、沙馮シャフーの者どもも同じです。そもそも、公国とは人口が桁違いです。十三の部族からなる「沙馮シャフー国家連合群」は、いざとなれば、三十万から四十万もの騎馬軍団を組織できます。沙馮シャフーの男たちは、生まれながらの草原の戦士です。巧みに騎竜を操り、草の海を、砂の海を疾駆します。その弓の腕前は、千歩先の鳥の目を射抜くほど。奴らが使う半月刀は重く、湾曲していて、やすやすと我々の鎧を切り裂きます。ラスカリス殿下、エフゲニア帝国と沙馮シャフーがその気になれば、ヴァルデス公国のような小国など、いつても一飲みにできるのです。これまで、ヴァルデス公国が存在を許されてきたのは、両方の皿にエフゲニア帝国、沙馮シャフーという重い錘を載せた天秤ばかりが、偶然にも釣り合って、奇跡的に平衡を保っている状態であると言えましょう。十年前の『シャンプールの惨劇』で、公国がぎりぎり難を逃れたのは、ひとえに運が良かったこと、そして、我が旧友、グイン・バウムガルトナー伯爵による、わが身を顧みない行動のおかげであると言えましょう。我々がこうやってちっぽけな命を保ち、紅茶を嗜みながら、親しく語らっていられること自体が、奇跡と呼んでいいのです」

 ラスカリスは、こっくりとうなずいた。

「はい、将軍。不肖ラスカリス・アリアトラシュ・ヴァルデス、あなたの言葉を心に刻んで決して忘れません」

 ラスカリスの言葉を聞いて、ガレオンは莞爾と笑った。

「本当に… 良い若者に成長されましたな…」

「将軍には、ご苦労をおかけします。エグベアート殿、クロエ先輩、どうか、ガレオン様を助けてあげてください。この通りです」

 ラスカリスは、レオンハルト伯爵家の家族に頭を垂れた。

「お任せを」

「微力を尽くします」

 エグベアートとクロエがそう言った。

その時、侍従長がラスカリスらのテーブルに近寄ってきて、囁くように言った。

「ガレオン様、ペンドラゴン大公がお目ざめになられました。伯爵とそのご家族がお見舞いに来られていることをお伝えいたしましたら、是非、会いたいと申されております」

「おお、左様か」

 ガレオンは椅子から立ち上がった。

直ぐに、エグベアートとクロエがそれに続く。

「さて、わしも旧友の挨拶をしてから、戦地へ戻ることといたしましょう」

 ラスカリスは、ガレオンの眼を真っ直ぐに見詰めながら、言った。

「将軍、ヴァルデス公国を頼みます」

 ガレオン・ド・レオンハルトは力強い笑顔を見せて笑った。

「ラスカリス・アリアトラシュ殿下、ヴァルデス公国を頼みますと、お願いしなければならないのは、こちらの方です。どうぞ、強く、賢くあられてください」

「はい、将軍」

 ガレオン・ド・レオンハルトは、軽くラスカリスの肩を叩いてから、彼に背を向けた。

 エグベアートとクロエが、ラスカリスに一礼する。

三人の背中を見送って、ラスカリスは心の中で彼らにお礼を言っていた。


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