第31話 クリューソスとアルギュロス
神穹姫 アスベル・バウムガルトナーの物語
ゴーレムマスターは、夢を見ていた。
無数の光の帯が、ザザ・グアルネッリの周辺を高速で飛び過ぎて行った。
それは全て、天頂のある一点に向かって収斂し、その一点に向かって飛び、その一点にあって、光の帯は吸収されて、消滅した。
この夢を見るのは、これで何度目だろう…
ザザ・グアルネッリは、記憶のうちを探った。
ゴーレムマスターの司、グアルネッリ伯爵家の血族として、ザザがゴーレムを起動させるたびに、その夜は必ず、同じ夢を見ることになるのだ。
ザザは、無数の光の帯が吸い込まれていく、はるか上空のスポットを見上げた。
ザザ自身が、この夢の空間で虚空の中に浮揚していた。
あの光の奔流が吸い込まれていく場所、あれが…
「無限光000(ゼロゼロゼロ)… またの名を、Ain Soph Aur(アイン・ソフ・アウル)… あれこそが…」
血塗られたゴーレムマスターの魂の安息地となる光の世界への顕現…
ザザ・グアルネッリは、己を取り巻く光の帯に身を任せ、光の帯とともに、「あの場所」、無限光000、Ain Soph Aur(アイン・ソフ・アウル)へ突入しようと図った。
しかしながら、これまで何度試して実現できなかったように、今回の試みもまた、案の定、失敗に終わった。
光の帯は、ザザを置き去りにしたまま、全て、「あの場所」へ吸い込まれ、ザザの魂は、暗黒の虚数空間に残されたままであった。
「また、だめか…」
不思議に失望は感じなかった。
ザザが、失敗に慣れ切っていたわけではない。
何かが、決定的に欠落しているのだ。
「あの場所」、無限光000にダイブすることにしくじるたびに、ザザは改めて
そのことを痛感するのだった。
だが、いつか、あの「あの場所」へ…
「あの場所」にしか、僕の救いはないだから…
「う、うん…」
ザザ・グアルネッリが目を覚ました時、彼は眼前に淡い碧の色をした双眸が自分を覗き込んでいることに気が付いた。
「アスベル…?」
アスベル・バウムガルトナーが、莞爾と笑ってザザの額に手を当てた。
その白い手は、女の子らしくひんやりとしていて、ザザにはその冷たさがとても快く感じられた。
「熱は下がったみたいね。これで一安心だわ」
ザザは、天井を見上げて尋ねた。
「ここは?」
「アカデミーの保健室よ。あなた、チェーザレ・ヴァンゼッティとその仲間の集中攻撃を受けて、本当にヤバかったんだから」
「アスベル、君が僕を看病してくれたのかい」
「みんなで交代しながら、あなたを看ていたのよ。さっきまで、ヴァヌヌとアデリッサが二人で、あなたを見守っていたわ。ヴァヌヌが、彼のオリジナル魔法、『リモート・プロテクション』であなたを守ってくれなかったら、大怪我をしていたかもしれないのよ。もう、あんな無茶はしないで」
ザザは、弱々しく笑った。
「ちなみに、あなたに『光』系の回復魔法をかけたのは、マリベル。もう一度、言うけど、もう二度とこんな危ないことをしないで頂戴」
「…みんなにお礼を言わないとね」
ザザは、アスベルに笑いかけた。
「…ほとんど痛みを感じない。マリベルの回復魔法、本当に凄いね」
「マリベルは… あの子は天才だものね。私と違ってね…」
アスベルの双子の妹、マリベル・バウムガルトナーは、「地」「水」「火」「風」「光」「闇」、この世界に存在する全ての属性魔法を行使することが出来る。
マリベルが、
実際には、魔法だけでなく、剣術、槍術、杖術、そして本来は男性の戦技であるケイパーリット式旋舞拳闘さえも、その習熟度はマスタークラスだ。
そして、ジークベルト・フォン・アインホルンと、ラスカリス・アリアトラシュ・ヴァルデス、この二人のとびぬけた俊才がいなければ、座学においても学年でトップをとれるだけの学力を有していた。
マリベル・バウムガルトナーが、バウムガルトナー伯爵家がこの三百年で生んだ、最高の逸材であるという評価は、全く大袈裟ではなかった。
ザザ・グアルネッリは、アスベルが表情が悄然としていることに気が付いた。
「どうしたの、アスベル。気分が沈んでいるみたいだけど」
「う、うん… ちょっとね…」
ザザは、貴族間のネットワークで仄聞した情報を思い出した。
「聞いたよ、アスベル。バウムガルトナー家のパティオでトレーニング中に、二柱の女神さまが顕現したって話。凄いじゃないか」
「え、えェ、まあね」
「金の魔導弓クリューソスを授けて下さる繊麗の女神アルシノエ様… 銀の魔導弓アルギュロスを授けて下さる雄渾の女神ネグベド様… バウムガルトナー家ばかりでなく、ヴァルデス公国は今、その噂で持ち切りだ。三百年ぶりに、金銀二張りの魔導弓が、地上に顕現するかもしれないって」
「ザザ」
「君たちは、双子だ。アスベルとマリベル、双子がそれぞれ、金と銀の魔導弓を女神様たちから授かるに違いないって、みんな、言ってるよ。アスベル、もう君も自分を卑下する必要なんかないんだよ」
「ザザ、私…」
「アスベル?」
アスベルは、ペールブルーの目で、窓の外に広がる、同じく青い色をした空をぼんやりと眺めながら、遠い目をして言った。
「私さ、とっくに覚悟がついていたんだ… 私がアカデミーの高等部に進学したのだって、自分をできるだけ高く売り込むために箔を付けたかっただけだし…」
「……」
「覚悟というか、諦めというか… アカデミーを卒業したら、お金持ちの後妻とかになって、バウムガルトナー家の財政改善に寄与しようって… ヴァルデス公国の公立魔導アカデミー出身で、元伯爵の令嬢、そのステータスをできるだけ、高く売り込んでやろうってさ… 相手はお金持ちなら、七十歳のお年寄りでも誰でもよかった。私がそうすることで、バウムガルトナー家が少しでも経済的に潤って、それでマリベルの助けになるのならって…」
「アスベル」
「あの『シャンプールの惨劇』で、私たちの父上、グイン・バウムガルトナーは公国を出奔して、そのまま行方知れず。大公家は、『シャンプールの惨劇』の責任を父上に押し付けて、バウムガルトナー家を爵位を奪い、騎士爵家へ
ザザはうなずいた。
「シャンプールの惨劇」は、ヴァルデス公国の人間ならば、誰でも知っている大事件である。
今からちょうど十年前、帝政エフゲニアと
外務卿として、ヴァルデス大公家から全権を委任されたグイン・バウムガルトナー伯爵は、両国の大使が同席する会談の場で、それぞれの大使を殺害し、そのまま蓄電したのだった。
逃亡の際、グイン・バウムガルトナー伯爵が「会談は決裂に終わった。大使は、相手国の刺客によって暗殺された」と吹聴したため、シャンプール平原に陣取るエフゲニア・
そして、この事件は、エフゲニア・
こういう経緯もあって、表向き、「シャンプールの惨劇」の首謀者であるとして指弾されたグイン・バウムガルトナー伯爵は、一連の事件のすべての責任を押し付けられたまま、闇の中に消え失せたのだった。
ヴァルデス公国では、表立ってグイン・バウムガルトナー伯爵を支持することは出来ないが、内実は公国最大の危機を救った英雄として密かに崇拝されていた。
それが、バウムガルトナー家が十年後の現在まで、存続できた理由でもあった。
「でも、騎士爵への
「お金持ちのお年寄りに身売りしても、バウムガルトナー家の役に立ちたいと?」
「出涸らし姫にできる事なんて、その位だもの」
アスベルは、苦笑いして、うつむいてしまった。
「マリベルは本当に凄い子… ヴァルデス公国の地下ダンジョンから
「でも、アスベル…」
ザザは頸を傾げた。
「バウムガルトナー家のパティオに、繊麗の女神アルシノエ様と、その妹、雄渾の女神ネグベド様、二柱の女神様が顕現したのだろう? 二人の女神様が、バウムガルトナー家の双子、アスベルとマリベル、二人の人間に、それぞれ、金の魔導弓クリューソス、銀の魔導弓アルギュロスを授けて下さる… そう考えるが自然じゃないか?」
「繊麗の女神アルシノエ様が、バウムガルトナー家の子女に金の魔導弓クリューソスを伝授してくださったのは、この三百年で、たったの二回… 一方、雄渾の女神ネグベド様が、銀の魔導弓アルギュロスを伝授して下さったのは、十回以上に達している… そして、二柱の女神様が、金と銀、二張りの魔導弓をわが家の人間に同時に授けて下さったのは、独立戦争の時の一回だけなの」
「金銀の魔導弓は、バウムガルトナー家の女性にのみ、伝授されるのだったね」
ザザの問いかけに、アスベルは小さくうなずいた。
「この三百年間、バウムガルトナー家に双子の女の事が生まれたことは、以前もあったのかい」
ザザの言葉に、アスベルは小さくかぶりを振った。
「だったら、これが最初の事例になるんじゃないのか。女神様同士も双子の関係にあるんだろう? だったら、アスベルとマリベル、双子のバウムガルトナー家の子女に歴史上、二回目の二張りの魔導弓が同時に与えられることだってあり得るのでは」
「……」
「アスベル、なぜ、そんなに不安そうな顔をしているの?」
「私、もうとっくに諦めがついていた… 私はマリベルを支えて、バウムガルトナー家の爵位回復の礎となるだけでいいって… でも、なまじ私まで魔導弓を授けていただける可能性が出てきたことで、かえって不安で胸がつぶれそうになって…」
「……」
「私だけ、魔導弓を授かるのに失敗したら、どうしよう。たとえ、魔導弓を授かったとしても、私の能力では使えなかったら、どうしよう。バウムガルトナー家では、家中を挙げて私たちが金銀、二張りの魔導弓を伝授されるかもしれないって喜んでくれている… そんな騒動の中で、私が魔導弓を授からなかったら? 魔導弓を扱えなかったら? 私はまた、大勢の人たちを失望させてしまう。もう、十五年間、私は周りの人間たちを失望させ続けてきたのに… そんなことばかり考えちゃって、いっそこのまま消えてしまいたい気分…」
「そうだね… 我が家では、『魔神器』であるエメスの指輪は、ギデオン兄様が所持している。『魔神器』を与えられる者の苦悩なんて、僕には理解できないのかもしれないけど…」
今から三百年前、ヴァルデス公国の地下ダンジョンから発掘された神々の兵器、「魔神器」は四つ。
金の魔導弓クリューソスと、銀の魔導弓アルギュロスは、バウムガルトナー伯爵家へ。
「エメスの指輪」は。グアルネッリ伯爵家へ。
「
これら、四つの「魔神器」は、ヴァルデス大公家が、まだ、エフゲニア帝国にあって、ヴァルデス選帝侯家を名乗っていた頃からの有力な「寄り子」の貴族たちに、独立戦争の功績に対する褒賞として提供された。
クリューソスとアルギュロス、二張りの魔導弓は、それぞれ、繊麗の女神アルシノエとその妹、雄渾の女神ネグベドによって、まるで気まぐれの様にバウムガルトナー家の子女のみに伝授されてきた。
エメスの指輪は、歴代のグアルネッリ伯爵家当主の指を離れたことはなく、「
現在は、グアルネッリ伯爵家の当主、ザザの腹違いの兄であるギデオン・グアルネッリ伯爵の指に嵌っている。
これは、「
現在は、アデリッサの父である現軍務卿、ガレオン・ド・レオンハルト伯爵が保有しているが、ガレオンの長子にしてレオンハルト家の次期当主であるエグベアート・ド・レオンハルトに近々、移譲されるであろうと噂されている。
「神授式は、一か月後だったね」
ザザの問いかけに、アスベルはこっくりとうなずいた。
「公国の大神殿において、大公家の方々が列席される中、大神官が執行する。
そして、その場に女神様が顕現して、バウムガルトナー家の子女に魔導弓を授けて下さるの。その式次第はこの三百年間、全く変わっていないわ」
「もし、繊麗の女神アルシノエ様と雄渾の女神ネグベド様、二柱の女神さまたちが同時に降臨したら、バウムガルトナー家の双子の姉妹は、どちらがどの魔弓を授かることになるの?」
「はっきりと決まってるわけではないけど… まず、間違いなく、妹のマリベルが同じ妹の女神、ネグベド様から、銀の魔導弓アルギュロスを授かることになると思う」
「なぜ、そう思うの」
「マリベルは、魔法の六属性が全て使えるし、剣術、槍術、杖術など武器を使った戦闘にも長けている。ついでに、ケイパーリット式旋舞拳闘にもね。『強いのは、アルギュロス』と謳われる銀の魔導弓は、あらゆる局面に対応できる万能の武器であると言われている。実際、銀の魔導弓アルギュロスを授かった、バウムガルトナー家の娘は、マリベルみたいに、様々な方面に秀でた万能タイプの子たちだったらしいから」
「じゃ、アスベルに授けられる可能性のある魔導弓は、姉である繊麗の女神アルシノエ様の…」
ザザの言葉に、アスベルは小さくうなずいた。
「金の魔導弓クリューソス… どんな能力を持っているのだろう」
「分からないわ、私にも」
アスベルの回答に、ザザは苦笑した。
「答えられないのは、当然だね。ヴァルデス公国の国家機密だもの」
口元に弱々しい微苦笑を浮かべるのは、次はアスベルの番だった。
「そうじゃなくて、本当に分からないの。だって、金の魔導弓クリューソスは、この三百年間で、二回しか、地上に出現したことがないのよ。戦場における最強の武器として、その性能が秘匿されてきたこともあって、他ならぬバウムガルトナー家の人間にも、金の魔導弓クリューソスの実態が、分かっていないのが本当のところ」
「『恐ろしいのは、クリューソス』か…」
「何が、どう恐ろしいのか、他ならぬ私たちにも分らないって言うんだから、おかしな話よね」
「アスベル、金の魔導弓クリューソスがたった二回だけ、この世に出現した時、それを与えられるバウムガルトナー家の子女たちは、どんな人だったの?」」
ザザの質問に、アスベルは小首を傾げた。
まだ、幼さを残す少女のそんな仕草は、子猫の毛づくろいの様に愛らしかった。
「バウムガルトナー家の子女が、最初にアルシノエ様からクリューソスを授かったのは、三百年前の独立戦争の時ね。この女の子はとても病弱で、一日の半分をベッドで過ごすような体も心も弱い人物だったって…」
意外な回答に、ザザの視線が空中を泳いだ。
「魔導弓の使い手っぽくないね…」
アスベルはうなずいてから、言葉を続けた。
「この女の子は、帝政エフゲニアの大軍が、アイヴォリーキャッスルの城壁の外まで押しかけて来た時、自分のベッドを胸間城壁に運ばせて、ベッドから半身を起こした状態で、金の魔導弓クリューソスを使ったんだって」
「へェ」
「その子は、敵陣に向かって、何回か、魔導弓を使って矢を放った。わずか、数回、そうしただけで、敵兵は慌てて退却して、陣を引き払って撤退して行ったって…」
「それだけ、すごい威力を持った魔法の矢を撃てるのかな、クリューソスは」
「分からないわ。その女の子が金の魔導弓クリューソスを用いた時、その場にはなんの変化もなく、音もせず、光を発することもなく、敵陣には何の動揺もなかったって伝えられているわ」
「でも、その後、エフゲニア兵は、撤退して行ったんだよね」
ザザの言葉にうなずいて、アスベルは言葉を続けた。
「二回目、アルシノエ様がクリューソスを授けて下さったのは、それから百年ほど経った頃のこと。その頃は、この一帯は魔物たちが大暴れしていたんだって…」
魔物たちは、かつて地上を支配した「巨人族」の末裔である。
妖精ラスティエッジによって駆逐され、世界の果て果てまで逃げ回るうちに、「巨人族」は堕落して、モンスターになってしまった。
「二回目にクリューソスを授かったのは、その時代の女の子… この人は、病気がちではなかったけれど、とても内気で引っ込み思案な女の子で、ずっと家の中で本を読んでいるような子だったそうよ。アルシノエ様は、この女の子に金の魔導弓クリューソスを与え、その子は、クリューソスを使って領内のモンスターたちを瞬く間に駆逐していった。小山のようなドラゴンも、巨大な戦斧を振り回すミノタウロスも、炎や吹雪、猛毒のブレスを吐くキメラも、全て一撃で斃したって言われている…」
「そんな大型モンスターを一撃で…? ちょっと信じらないな…」
「その時も、戦いの場では、何の音もせず、光は発せられず、ただただ、
ザザとアスベルは、顔を見合わせた。
金の魔導弓クリューソスを授けられたのは、どこから見ても戦場に立つには不向きな少女たちだった。
その戦いぶりも異様で、その場には何の変化もなく、終わってみれば、全ての敵が撃破されていたのだ。
「繊麗の女神アルシノエ様が、バウムガルトナー家の子女に金の魔導弓クリューソスを授けて下さる… でも、そのための条件が全く分からない。これまで、クリューソスの使い手であった二人の少女は、どこから見ても戦士には程遠い人となりだし、とても頭のいい子たちだったらしいけど、強靭な肉体を持っていたわけじゃないしさ。
私、超絶健康優良児だけど、頭ドッカンだし、彼女たちとは真逆な人間だものね」
アスベルが健康そうな白い歯を見せて笑った。
その笑顔に釣られて、ザザも微笑した。
「いずれにしても,神授式まであと一か月… 大丈夫だよ、アスベル。君はこんないい子なんだから、きっとアルシノエ様がクリューソスを伝授して下さるよ。だから、絶対に自分の運命から逃げないで」
「うん…」
アスベルは、ザザの首を抱いて優しく少年を抱擁した。
「アスベル…?」
「ありがとう、ザザ。あなたと話せて、少しだけ気持ちが楽になったわ。あなたをお世話するはずだったのに、私の方がお世話されちゃったわ…」
「それは、何よりだね。アスベル、練兵場で約束した言葉を覚えているかい?」
「もちろんよ」
「もう一度、同じ言葉で二人で誓い合おう、『人生をあきらめないで』と」
「そうね… そうね、ザザ…」
ゴーレムマスター、ザザ・グアルネッリと神穹姫アスベル・バウムガルトナーはお互いを見つめ合って、小さな声で誓いの言葉を口にした。
「人生をあきらめないで」
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