第30話 tessara panton rhizomata(万物の四根)

ゴーレムマスター ザザ・グアルネッリの物語


 公立魔導アカデミーの教室。

窓から、初夏の日差しが教室に差し込んで、生徒たちの横顔を明るく照らしている。

 一限目、教壇に立っているのは、座学と魔法の教師、イーリス・ストリンドベルヒであった。

 ストリンドベルヒは、高等部一回生のAクラスの生徒たちに、魔法理論B課程を講義している。

 アカデミーでは、中等部で魔法理論A過程を学ぶ。

魔法理論A課程は、基礎魔法額Ⅰ~Ⅲに分類されている。

「そもそも、魔法とは何か」

「魔力の本質とは何か」

「魔法の歴史」

 高等部では、続いて魔法理論の応用であるB課程を学修する。

「属性魔法とは何か」

「魔法薬理学・魔法天文学とは何か」

「魔導回路とは何か」

「魔法で戦うとはどういうことなのか」

 アカデミーの卒業生たちは、基本的に三種類の職業に就く。


「魔導騎士(パラディン)」


「魔術師(マージ)」


「魔装戦士(メイガス)」


 「魔導騎士パラディン」は、魔法と武器で戦う戦場の花であり、行使される強力な魔法とともに、併用する武器はほとんどの場合、魔導によって大幅に強化されている。

 魔導騎士パラディンの最高峰が、アデリッサの実家であるレオンハルト伯爵家である。

現レオンハルト侯爵であるガレオン・ド・レオンハルトは「土鬼」の二つ名を持つ、強大な「地」系魔法の使い手であり、彼が手にする「月影ムーンシェィド」は、公国が誇る四つの「魔神器」のひとつであった。

 近々、月影ムーンシェイドは、ガレオンの長子、レオンハルト家の跡取りであるエグベアート・ド・レオンハルトに移譲されると言われている。

 エグベアートは、「火」属性であり、アカデミー在学中から、「炎帝」の異名を持つ、優秀な魔導騎士パラディンである。

 アデリッサの姉であるクロエ・ド・レオンハルトは、「風」属性を有し、これもアカデミーに在学中ながら、「風使い」の異名で呼ばれる優秀な斥候スカウトであった。

 「魔術師マージ」とは、基本的に魔法のみで戦う、魔導の専門職である。

自分の属性に適合した攻撃魔法で敵を撃ち、防御魔法で身を守る。

 属性にあった魔法を使う事で、より強力な攻撃魔法を行使することが出来る。

属性は、基本的にその人間にとって一つだけであり、属性と異なる魔法を用いることも可能であるが、殆どの場合、実用レベルに達しないことが多い。

 複数の攻撃魔法を使用することは、たいてい、中途半端な威力しか実現できない結果となってしまう事が多いので、アカデミーでは推奨されていない。 

 これは、魔物を借り、それを素材として持ち帰り、生活の資に代える冒険者達の世界でも同じである。

 「器用貧乏」は、実戦では使い物にならないことが普通なのだ。

 無論、例外も存在する。

魔装戦士メイガス」は、儀式魔法における魔法陣の描出や、魔道具の製作など、「魔導回路」を使った工作を担当する学課である。

 「魔導騎士パラディン」、「魔術師マージ」らが使用する魔導兵器や杖など、魔法の触媒となる機材の修理、改善なども行う。

 前者の二つが、戦闘職ならば、「魔装戦士メイガス」は、軍事における「工兵」の役割を果たすと言ってよかった。

 公式上は、「魔導騎士パラディン」、「魔術師マージ」、「魔装戦士メイガス」,三種類の兵科に上下の区別はない。

 しかしながら、現実にはこの順番で明確な序列が存在した。

魔導騎士パラディン」と「魔術師マージ」は、純粋な戦闘職であり、「魔装戦士メイガスは、支援職であり、実際に戦場に立つことは稀である。

 命の危険を冒すことのない兵科が、他の兵科より下に見られるのは、無理からぬものであったし、何よりも「魔装戦士メイガス」たちが、魔力を持たない者であることが、ほかの兵科の人間から軽んじられる一因となっていた。

「あの少女は… ラーダはどんな様子だい」

 ザザ・グアルネッリが、隣の席のヴァヌヌに小声でささやいた。

「おかげさまで、無事、従者が務まっているみたいです。僕もできるだけ、彼女のサポートをしてあげるつもりです」

 ザザは、莞爾と笑った。


 この金でスラム街から、若い女の奴隷を買って来い。


ヴァヌヌの主人、チェーザレ・ヴァンゼッティはヴァヌヌにそう命じた。

 主人であるヴァンゼッティ男爵領を出たことのない、十代の少年のヴァヌヌに、公国でも違法とされている奴隷の売買に伝手があるはずがない。

 困り果てていたヴァヌヌに、救いの手を差し伸べたのが、ザザだった。

貴族に仕えるメイドに身を扮したザザ・グアルネッリとともに、ヴァヌヌは、公都ヴァイスベルゲンの下町で密かに闇の商売をしている奴隷商の店へ赴き、そこで、ラーダという奴隷の少女を購入した。

 典型的な沙馮シャフーの民族的風貌をした美少女であった。

「あいつは… チェーザレ・ヴァンゼッテイはあの子を如何わしい目的のために

買ったのかもしれないが…」

 ザザが顔をしかめた.

「そんなことはさせないように、僕が目を光らせます。チェーザレ様だって、寄宿舎で問題を起こしたら、放校処分にされることはご承知でしょうから」

 公立魔導アカデミーの寄宿舎では、貴族は二人まで従者を置くことが出来る。

もちろん、男子生徒の寄宿舎には女性は禁忌だ。

 ザザが、苦笑した。

「あいつ、ラーダに男装させているんだって?」

 ヴァヌヌが弱々しい微笑で答えた。

「はい… そうしないと、寄宿舎に彼女を置けないので…」

 ささやくようなザザとヴァヌヌの会話。

しかしながら、その内容を耳をそばだてて聞いている者たちがいることに、二人とも気が付かなかった。


 二限目は、アカデミーの練兵場で、もう一人のA組の担当、エルンスト・スクライカーが加わっての魔法による戦闘訓練であった。

 練兵場の第三スポットには、初日の授業と同じく、魔力によって、茶・青・赤・白・金・黒の円形の目標が浮かんでいる。

 それぞれが、「地」「水」「火」「風」「光」「闇」の属性を付与された的である。

生徒一人一人が指名され、自分の属性に従って目標を選んで、攻撃魔法を発射する。

 魔杖ワンド指輪リングなど、魔法を発動させるために触媒を用いる者もいれば、ただ、片手を前に突き出す者もいる。

 生徒たちに手から放たれた攻撃魔法は、的に向かって真っすぐに飛び、命中すれば、魔素マナを巻き散らしながら四散した。

 アカデミーの高等部に入学、進学してから数か月が過ぎ、生徒たちは概ね、魔法使いとしての腕前を向上させている。

 個人差があるとはいえ、生徒たちの魔力もそれなりに増え、魔法の威力も明らかに強化されている。

 また、魔法のコントロールに関しても、生徒たちの技術は向上していた。

イーリス・ストリンドベルヒは、エルンスト・スクライカーと顔を見合わせて、鷹揚な笑みを浮かべた。


 さすが、ヴァルデス公国の未来を担う若者たちだ。


 騎士と貴族階級から選び抜かれたA組の生徒は、やはり、基本的にとても真面目で努力を怠らない勤勉な少年少女が集まっているようだった。

「次の生徒、前に…」

 ストリンドベルヒは、そう言いかけて言葉を飲み込んだ。

順番からすると、次はザザ・グアルネッリの番であった。

「あ、君か… 次の者、前に」

 その時、生徒たちの中から多分に怒気をはらんだ声が上がった。

「先生、なぜ、ザザ・グアルネッリだけが魔法の実技を免除されているんですか」

 スクライカーとストリンドベルヒが、声の主に視線を飛ばした。

チェーザレ・ヴァンゼッティであった。

「チェーザレ・ヴァンゼッティ、あなたがその理由を知る必要はありません」 

 ストリンドベルヒが冷静に答えた。

チェーザレは、前の魔法の実技で、アデリッサ・ド・レオンハルトの「アイスエッジ」をお尻に被弾して、治療のために授業を欠席していた。

 寄宿舎の自室のベッドで無聊をかこつうち、ヴァヌヌに「女の奴隷を買って来い」と命令したのだった。

 チェーザレは、口を尖らせた。

「不公平じゃないですか。そいつは… ザザ・グアルネッリは魔法の実技ばかりではなく、剣や槍などの武器を使った戦闘、ケイパーリット式旋舞拳闘でも実技を免除してもらっている。魔法も使えない、武器も素手の格闘術もダメじゃ、戦士として完全な無能力者と変わらない。そんな人間がなんで、アカデミーの単位をもらえるんですか」

 エルンスト・スクライカーはため息をついた。

「グアルネッリ伯爵家は、ゴーレムマスターの家門だ。グアルネッリ家の人間は、魔法や武器を使うのではなく、ゴーレムを使役して敵と戦うのだ。チェーザレ・ヴァンゼッティ、君だってヴァルデス公国の公民だろう。それを知らない訳ではあるまい」

「だからと言って、アカデミーで皆が学ぶべきことを自分だけ免れていいという法はないでしょう。そもそも、ゴーレムって、本当に存在するんですか。誰か、ゴーレムとかいう人造人間を見たことがあるやつがいるんですか」


 なぜ、こいつは僕に絡んでくるのか…


ザザは訝しく思った。

 ザザは、自分に向かって複数の悪意ある視線が向けられている事に気が付いた。

にやにやと薄笑いを浮かべた少年たちの眼差しを背中に感じながら、チェーザレ・ヴァンゼッティがいつの間にか、クラスに舎弟を飼っていることにザザは気が付いた。

「この世にゴーレムを目撃したことのある人間はいないのだ、チェーザレ・ヴァンゼッティ」

 エルンスト・スクライカーが、苦虫を噛み潰したような表情で言った。

「えっ」

 チェーザレ・ヴァンゼッティが怪訝そうに言った。

ザザは心の中で嗤った。


 スクライカー先生のおっしゃる通りだよ、チェーザレ・ヴァンゼッティ。


 ゴーレムを見たことがある者はこの世にはいない。


 なぜなら、ゴーレムを見た者は、その場で…


 イーリス・ストリンドベルヒが言葉を続けた。

「下がりなさい、チェーザレ・ヴァンゼッティ。あなたはとてつもなく危険な火遊びをしようとしています」

「火遊び? どういうことですか?」 

 チェーザレが首を傾げる。

ストリンドベルヒに代わって、スクライカーが答えた。

「君は自分の命を危険に晒している。もういいから、言われた通り、列に戻るのだ」

 生徒たちは、エルンスト・スクライカーとイーリス・ストリンドベルヒの顔に明らかな動揺が浮かんでいるのを目撃した。

 いつも冷静沈着なアカデミーの教官たちが、こんな不安な表情を見せるのは、生徒たちにも初めての経験だった。

「な、納得できません」

 チェーザレは引き下がろうとしなかった。

いつの間にか、チェーザレの背後に、チェーザレをバックアップするかのように、クラスメートの少年たちが数名、影のように屹立していた。

 ザザは、そのうちの一人が、自分とヴァヌヌの後ろの席に座っていた生徒であることに気が付いた。

 チェーザレは、ザザに獰猛な笑顔を向けた。

決闘デュエルだ。ヴァンゼッティ男爵家の長子、チェーザレ・ヴァンゼッティが、グアルネッリ伯爵家のザザ・グアルネッリに決闘デュエルを申し込む」


なるほど…


こいつが絡んでくるのは、あの奴隷の少女、ラーダの件が絡んでいるのか…


 ラーダが本当は女性であって、本来、淫猥な目的のために購入して、普段は男装させていることを舎監にばらされたくないから、こちらを脅して口封じをしよう…

 チェーザレ・ヴァンゼッティの狙いはそんなところだろうと、ザザは諒解した。

「条件は何だ、チェーザレ・ヴァンゼッティ」

 ザザの問いかけに、チェーザレは唇を歪めて笑った。

「負けた方が、一度だけ勝った方の命令を聞くこと、それだけだ」


 ラーダの件、口をつぐんでいろという事だな。


 ザザは、練兵場の周囲を睥睨した。

練兵場を囲んで、丁寧に剪定され樹木が立ち並んでいる。

イチョウ、ケヤキ、トウカエデ、トチノキ、プラタナス、ポプラ…

 並木や街路樹に用いられるのは、たいてい、落葉樹である。

練兵場を囲繞する木立の周りには、それらの落ち葉が薄く堆積している。


第一質量マテリア・プリマ」…


 ザザは、降り積もった落ち葉を見やって、心の中でつぶやいた。

決闘デュエルを受けよう、チェーザレ・ヴァンゼッティ」

 スクライカーとストリンドベルヒの顔から血の気が引いた。

「許可できない。許可できるはずがない。ザザ・グアルネッリ、君は自分が何を言っているか、分かってるのか」

「このような挑発に乗る必要はありません。両者、下がりなさい」

 ザザは弱々しく笑って言った。

「スクライカー先生、ストリンドベルヒ先生、お約束します。この決闘デュエル

 で、誰も傷つくことはありません。お迷惑をおかけすることは、けっしてありませんから、決闘デュエルを許可してください」

「駄目だ!!」

 そう叫んだ二人の教官の表情には、明らかな恐怖が浮かんでいた。

ストリンドベルヒはともかく、スクライカーは魔物を狩って金を稼ぐ、命知らずの現役A級冒険者でもある。

 そのスクライカーの顔は、今、底知れない恐怖にゆがんでいた。

「チェーザレ・ヴァンゼッティ、ステージに上がれ。舎弟連中も一緒でいいよ」

 チェーザレの視線が左右に泳いだ。

本当は自分一人でザザと戦う心づもりであったのだろうが、ザザの落ち着いた表情と、何よりも二人の教官の異様な態度がチェーザレを動揺させた。

「一度、口にしたことは保護にできないぞ、ザザ・グアルネッリ」

「……」

 チェーザレは後ろの子分どもどもに目配せした。

四人の少年たちが、戸惑いの表情とともにステージに上がる。

「やめんか、馬鹿どもっ」

「お願い… こんなこと、やめて頂戴」

 スクライカーの言葉は絶叫に近く、恐怖に支配されたストリンドベルヒのそれは、悲鳴そのものだった。

 ザザは、二人の教官に笑いかけた。

「大丈夫だと、もう一度、申し上げます。スクライカー先生、ストリンドベルヒ先生、誰もこの決闘デュエルで負傷することなどありませんから」

「ザザ様」

 ヴァヌヌがザザの背中に声をかけた。

ヴァヌヌもまた、この騒動が奴隷の少女ラーダに関わる問題なのだと明敏に察知していた。

「ザザ君」

 アデリッサ・ド・レオンハルトも心配そうに声を発した。

 バウムガルトナー家の双子も、ザザに声をかけた。

「ザザ」

 「審問会」に出席し、その後始末に忙殺されていたジークベルト・フォン・アインホルンと、ラスカリス・アリアトラシュ・ヴァルデスがこの場にいたなら、同じようにザザを心配して、声を上げていただろう。

 ザザ・グアルネッリは、練兵場のステージで五人の少年と相対した。

チェーザレが自らを奮い立たせるように、言葉を吐き出した。

「化けの皮を剥いでやるぜ、ザザ・グアルネッリ」

 ザザは眉根を寄せた。

「化けの皮?」

「だってそうだろ? ゴーレムなんて、だれ一人見たことがないんだぜ? そんなもの、幽霊やお化けと変わらないさ」

「……」

「どんな技を使うか、知らないが、こっちは五人だ。衆寡敵せず、ってやつだよ」

「難しい言葉を知っているね、チェーザレ・ヴァンゼッティ」

 ザザは苦笑した。

その余裕のある態度が、さらにチェーザレを苛立たせた。

「俺が勝ったら、ラーダの事、一切口出しするなよ」

 ザザは苦笑した。

「やっぱり、その件か… ゴーレムなんて、誰も見たことがないって言ったね?」

「そ、それがどうした」

 ザザは、嗤った。

「当然さ。ゴーレムを目撃して、その後、息をしている人間なんて一人もいないのだからね」

 それは、小柄な少年の柔弱な微笑でしかなかった。

だが、ザザの微笑は、チェーザレ・ヴァンゼッティとその子分たちの魂を凍らせた。

「やれっ、一斉にかかるんだっ」

 何か、とてつもなくヤバい感じがする…

チェーザレとその舎弟たちは、左右に展開した。

 ザザは、天空を仰いだ。

その口から、静かに言葉が漏れだす。

「Tessara《テッサラ》 Panton《パントーン》Rhizoma《リゾーマタ》…」

 そよ、と何かがかすかに動いた感じがした。

それは風という空気の流動ではなかった。

 魔力という魔素マナの発現でもなかった。

この世界に知られていない、何かの特別な力が発動して、練兵場のあちこちに降り積もって堆積した落ち葉が収束し始めた。

 ザザがまた、言葉を紡ぎ始める。

「クリエイト・リーフゴーレム」

 ステージに集積した落ち葉が、人型を取り始める。

落ち葉はくるくると舞いながら、大人の背丈の二倍ほどもある巨人の姿を形成した。

 チェーザレ・ヴァンゼッティとその子分たちは、絶句して立ち尽くした。

ザザは微笑した。

「君たちは本当に運がいいよ… 少なくとも、グアルネッリ伯爵家がヴァルデス選帝侯家とともにエフゲニア帝国を離脱して以来、ゴーレムを実際に目撃するのは、この三百年間で君たちが最初だ…」

「撃てっ、魔法であいつを攻撃しろっ!!」

 チェーザレの喉元から漏れ出た声は、女の悲鳴に近いものだった。

ザザ・グアルネッリは、片手で顔を覆った。

 その瞬間、ザザの存在が消失した。

ザザの身体が透明化したのではない。

 また、その身体がカメレオンの様に背後の風景と同じになって、背景に溶け込んだわけでもない。

 ただただ、その気配が完全に消え失せたのだった。

ゴーレムマスター、グアルネッリ伯爵家の家伝の技術、己の存在を完璧に隠ぺいしてのける絶技であった。

「ファイアーエッジ」

「ストーンエッジ」

 少年たちが発射した攻撃魔法が、ザザを襲う。

だが、それらの魔法は何もない空間を飛び去って行くだけだった。

 ザザ・グアルネッリの声がどこからか聞こえた。

「殲滅せよ」

 木の葉で出来た命を持たない自動人形が、ゆっくりと身を起こし、チェーザレ・ヴァンゼッティたちへ向き直った。

 リーフゴーレムは、悠然と少年たちに向かって歩を進める。

「ああ、何て事だ…」

 絶望の呻き声を漏らしたのは、エルンスト・スクライカーだった。

「ああああああっ…」

 イーリス・ストリンドベルヒは、両手で顔を覆った。

ふたりとも、これから目の前で繰り広げられるであろう惨劇を正視することが出来ないというでもいうかのように、顔を伏せた。

「フ、ファイヤーエッジ」

「アイスエッジ、アイスエッジ」

 チェーザレ・ヴァンゼッティの子飼いの少年たちは、ゴーレムに向かって、

懸命に己の属性に即した攻撃魔法を発射した。

 

 しかし…


魔法は全て、ゴーレムに命中してから、魔素となって霧散した。

 チェーザレもまた、魔法を収束する触媒となる魔杖ワンドを前に突き出し、

己の属性である「地」系の攻撃魔法である「ストーンエッジ」を発射する。

 しかし、結果は同じであった。

チェーザレが放った「地」系の初級魔法は、ゴーレムに命中し、同じく、魔力の塵と変わって虚空に飛び散った。

 チェーザレの目が丸くなった。

「な、何で… 何で、魔法が通じないんだ…?」

 それでも、チェーザレはギリギリ、精神の均衡を保つことが出来たようだった。

「魔法が駄目なら…  ぶっ叩くだけだっ!!」

 チェーザレは、魔杖ワンドを逆さに持って、ゴーレムに殴りかかった。

「こ、このやろっ!!」

 ほとんど自暴自棄の攻撃であったが、魔杖ワンドによる打撃は、あっさりとゴーレムの身体を通り抜けてしまった。

 当然である。

リーフゴーレムは、落ち葉で出来ているのだから。

 ゴーレムは、最初の獲物を攻撃してきたチェーザレに決めたらしかった。

ゴーレムは、チェーザレに向かってゆっくりと前進した。

 落ち葉同士が擦れ合って、かさかさと音と立てる。

「お、お前ら、こいつを何とかしろっ」

 チェーザレは子分たちに泣き声で命じる。

チェーザレの舎弟連中は、再び、魔法でゴーレムを攻撃し、剣を帯びていた少年は背後からゴーレムに斬りかかった。

 そして、当然のように魔法は霧消し、攻撃はゴーレムの身体を通り抜けて、ゴーレムそのものには何のダメージも与えることが出来なかった。

「な、何だよ、これ… どうなってるんだよ…

 どんな攻撃も無効にしてしまうゴーレムの脅威を前に、チェーザレは腰を抜かしたまま、後にずり下がるほかなかった。

 とうとう、チェーザレは二人の教師に助けを求めた。

「スクライカー先生、ストリンドベルヒ先生、助けてくださいっ」

 だが、スクライカーは下を向いたまま、絶望を吐き出した。

「ゴーレムには、いかなる物理攻撃も効かないのだ…」

 ストリンドベルヒもまた、顔を覆いながら、泣き声で言った。

ついでに言えば… 魔法も効かないのよ…」

 チェーザレ・ヴァンゼッティは,息を飲んだ。

「そ、それじゃ。どうやって倒せばいいんですか…」

 スクライカーとストリンドベルヒから、回答はなかった。

二人の教師の「沈黙」が、「ゴーレムを倒す方法はない」という冷酷な事実を

雄弁に語っていた。

 数か月前、ゴーレムマスター、ザザ・グアルネッリは城下でも悪名高いブルーノ組を叩き潰した。

 言葉通りの意味で、ザザはブルーノ組の破落戸ごろつき十五人を叩き潰したのだった。

 それと同じ惨劇が、アカデミーの練兵場で再現されようとしていた。

女のような悲鳴が、チェーザレの喉元から発せられた。

「お、俺が悪かった… 謝るから、ゴーレムを止めてくれ…」

 何処からか、かすかな忍び笑いが聞こえた気がした。

「無駄だよ、チェーザレ・ヴァンゼッティ… ゴーレムマスターの僕は、創造したゴーレムに、『殲滅せよ』と命令した。ゴーレムは、ゴーレムマスターに与えられた最初の命令しか理解できないのだ。僕が『殲滅せよ』という命令を与えた以上、 ゴーレムは、その命令を完結させるまで、止まることはない…」

「な、何だとっ」

「悪いね、チェーザレ・ヴァンゼッティ… 一度与えた命令は、ゴーレムマスターである僕にも、キャンセルすることが出来ないのだよ…」

「ひいっ」

 ゴーレムは、ゆっくりとチェーザレ・ヴァンゼッティに向かって歩を進める。

ゴーレムは、ゆっくりと片腕を振り上げる。

 あからさまな拳による打撃の予備動作である。

「く、来るな、来るな~っ」

 今、この場を支配しているのは、圧倒的な「恐怖」だった。

チェーザレとその舎弟連中ばかりでなく、練兵場にいる生徒たちも、彼らを指導する二人の教官たちも、もはやなすすべなく、これから目の前に展開するであろう、血の惨劇の予感に全身を打ち震わせていた。

 ゴーレムが、振り上げた拳をチェーザレに向って振り下ろした。

その瞬間、誰もが目を瞑った。

 物理攻撃無効、魔法攻撃無効、存在そのものが不条理な怪物が、今、一人の少年を文字通り、叩き潰そうとしているのだ。

 その場にいる全員が、瞑目したまま、顔をそむけた。

チェーザレが肉体が破壊される音、その際、チェーザレの喉元から発せられるであろう、断末魔の絶叫を聞かないように耳を塞ぐ者もいた。

 ゴーレムが拳を振り下ろした。

そして、その拳はチェーザレの上半身を叩いて、枯れた木の葉を撒き散らせた。

 リーフゴーレムは、落ち葉で出来ている。

落ち葉の塊に打擲されても、ダメージなどあるはずがない。

 またどこからか、くすくすという含み笑いが聞こえてきた。

「脅かして悪かったね、チェーザレ・ヴァンゼッティ… 木の葉で出来たリーフゴーレムにぶっ叩かれたって、怪我なんかしないよ… さあ、僕はここだ…」

「ストーンエッジ!! ストーンエッジ!!」

 チェーザレ・ヴァンゼッテイは、声の聞こえた方角へ、「地」系魔法を乱射した。

小さな悲鳴が上がった。

 ゴーレムマスター、ザザ・グアルネッリの「隠形」の術が解けていた。

その脚に緋色の糸が這い落ちる。

 チェーザレ・ヴァンゼッテイが乱射乱撃した攻撃魔法が、偶然、ザザ・グアルネッリに命中したのだった。

 ゴーレムが一瞬、動きを止めた。

 チェーザレは、これが勝機であることを即座に理解した。

「ストーンエッジ」

 チェーザレの魔杖ワンドから放たれた「地」系の攻撃魔法が、ザザに向かって飛ぶ。

 それは、ザザの肩を切り裂いた。

「うあっ」

 肉体を切り裂かれる苦痛に悲鳴を上げるのは、今度はザザの方だった。

先程まで、命乞いをしていたことも忘れて、チェーザレ・ヴァンゼッティは、勝ち誇って叫んだ。

「お前ら、一斉にあいつを攻撃しろ。半年は動けないようにしてやるぜ」

 チェーザレと同様、形勢逆転で勢いを取り戻した子分どもが、ザザに魔法の射線を向ける。

 いかに練兵場のステージに、オベリスクによる魔法軽減の効果があるとはいえ、多数の魔法の集中攻撃を浴びれば、重い負傷は免れないことだった。

「そこまでだ、チェーザレ・ヴァンゼッティ」

「勝負は決しました。これ以上は、許しません」

 スクライカーとストリンドベルヒが、立て続けに叫んだ。

しかし、チェーザレはそれを無視した。

 チェーザレとその舎弟たちは、ザザ・グアルネッリに向けて、それぞれ得意な攻撃魔法を発射した。

「へへっ、ざまあみろ… ビビらせやがって…」

 チェーザレの唇がゆがんだ。

背中を丸めて蹲るザザに向かって、多数の攻撃魔法が殺到する。

「ザザ!!」

 アスベル、マリベル、アデリッサらが小さな悲鳴を上げた

ザザに魔法が命中した瞬間、彼女たちは目を瞑った。

 しかし、複数の攻撃魔法は、ザザの身体に届く寸前で、見えない壁に弾かれ,爆散した。

 ザザの身体を無属性の防御魔法が覆っていた。

「プロテクション」である。

 チェーザレたちが発射した攻撃魔法は、この「プロテクション」に跳ね返され、魔素と変わって空中に四散した。

 何が起こったのか、すぐに察知したのは、アデリッサだった。

「ヴァヌヌ」

 ステージの外で、ヴァヌヌが彼だけのオリジナル魔法「リモートプロテクション」を行使していた。

 自分から離れた位置に、無属性の防御魔法「プロテクション」を展開できる、ヴァヌヌしか使う事の出来ない魔法だった。

「ちっ」

 チェーザレ・ヴァンゼッテイは、何が起こったのか、理解できていないようだった。

 それでも、ザザ・グアルネッリを仕留めそこなったことは明瞭だった。

もう一度、魔法を使うため、チェーザレは魔杖を振りかざした。

「そこまでだと言っただろう」

 スクライカーが、ケイパーリット式の技を用いて、チェーザレの腕を背中にねじ上げて、身動きできないように制圧した。

 ストリンドベルヒが、チェーザレの子分たちに鋭い視線を飛ばした。

「あなた方もよ。馬鹿騒ぎはこれでおしまいです」

 スクライカーが、ザザに視線をやった。

ザザが、チェーザレ一党の集中攻撃を受けて、かなりの深手を負ったことは、間違いがなかった。

「誰か、その子を医務室へ」

 アデリッサ、アスベル、マリベル、そして、「リモートプロテクション」を解除したヴァヌヌが、ザザの元へ走り寄った。

「ひどい…」

 チェーザレの「ストーンエッジ」は、ザザの左の膝の上に突き刺さり、右肩の筋肉を切り裂いていた。

「担架を」

 ヴァヌヌが叫んだ。

担架が運ばれ、ヴァヌヌともう一人の男子生徒が、それを担いだ。

 女子たちは、それに続いて練兵場を離れた。

「スクライカー先生、いい加減、離してくれませんか」

 怒気をはらんだ声で、チェーザレが不平を言った。

スクライカーが技を解いて、チェーザレを解き放つ。

 チェーザレは、不快な仕草で肩をぐるぐる回して、スクライカーの技でどこか痛めたところはないか、確認した。

決闘デュエルは、僕の勝ちってことでいいですよね、先生」

 その時、スクライカーの拳骨がチェーザレの頬に飛んだ。

「馬鹿者っ」

 スクライカーは、続けて呆然と突っ立っていたチェーザレの舎弟たちの顔も

力任せに張り飛ばした。

「お前たち、自分が何をやったか、分かっているのか」

「このチェーザレ・ヴァンゼッティが、ゴーレムマスター、ザザ・グアルネッリを撃破しました。ヴァンゼッティ男爵家がグアルネッリ伯爵家に勝利しました」

「だから、貴様は馬鹿者だというのだっ」

 イーリス・ストリンドベルヒが、スクライカーの言葉を引き継いだ。

「チェーザレ・ヴァンゼッティ、よく聞きなさい。ザザ・グアルネッリが落ち葉でゴーレムを創造したのは、あなた方を傷付けないためよ。これが木の葉ではなく、ほかの素材だったら? 大きな岩や、硬い金属、尖った氷だったら? 最初の一撃で、あなたは潰れたトマトになっていたことでしょう。ザザ・グアルネッリは、あなた方に怪我をさせないように、わざわざ、木の葉でゴーレムを作ってくれたのよ」

 今度は、スクライカーが言った。

「ゴーレムに対しては、打撃によっても、魔法によっても、いかなるダメージも与えることができない。まともなやり方では、ゴーレムに打ち勝つことは出来ないのだ。ただ一つ、ゴーレムを止める方法があるとすれば、その創造主、すなわち、ゴーレムマスターを殺すか、失神させるか、この二つしか手段が存在しないのだ。ザザ・グアルネッリが、勝負が決した後、お前に言葉をかけたのは、敢えて自分の位置を君に教えるためだ。つまり、お前たちに自分を攻撃させるためだよ」

 ストリンドベルヒが、言葉を続ける。

「想像してごらんなさい、チェーザレ・ヴァンゼッティ。完璧な「隠形」の技術を持ったグアルネッリ伯爵家のゴーレムマスターが、こんな練兵場の狭いステージなんかじゃなくて、その存在を完全に秘したまま、外の世界にいるのよ。その環境で、ゴーレムに殴り殺される前に、ゴーレムマスターを見付けられると思いますか?」

「……」

 スクライカーが、ため息をついた。

「チェーザレ・ヴァンゼッティ、お前は… いや、お前たちは勝った訳じゃない。ザザ・グアルネッリの慈悲によって、勝たせてもらっただけだ。そもそも、こんな決闘デュエルなど、私たちは認めていない。こんな茶番は、最初から無効だ」

「そ、そんな…」

 チェーザレ・ヴァンゼッティは何かを言いかけた。

だが、その言葉は喉元で止まり、口から発せられることはなかった。

 リーフゴーレムは、いつの間にか、消えていた。



 


 






 


 


 

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