第29話 半身

神の盾 ヴァヌヌの物語


 ヴァルデス公国の公立魔導アカデミーの教師は、そのほとんどが騎士階級か、貴族とはいえ、その末席を汚す程度の低位の家門の出身者であることがほとんとである。

 ヴァンゼッティ男爵家の従者であり、特別に主人であるチェーザレとともに学舎で学ぶことを許されているヴァヌヌのような一部の例外を除いては、生徒たちもまた青い血を持つ貴族たちか、公国を守る武力の担い手である騎士階級の子弟たちで占められている。

 ともに、公国の上流階級、支配階級であり、彼らを教育する責務を負うアカデミーの教師たちも、勢い、公国のアッパー層から選出されるのが自然であった。

 アカデミーの最高責任者であるヴァラカ・シャヒーン理事長は、その前身が平民出身のS級冒険者であり、まさに異端というも言うべき、例外中の例外であった。

 そして、もう一人、アカデミーの教師で、理事長と同じく、「異端者」と呼ぶべき人物が存在した。

 ヴァヌヌやアデリッサをはじめ、ラスカリス・アリアトラシュ、ジークベルト・フォン・アインホルン、アスベル・バウムガルトナー、マリベル・バウムガルトナー、ザザ・グアルネッリ、本編の主人公たちが所属するA組の担当の一人である、エルンスト・スクライカーである。

 スクライカーもまた、平民出身の現役A級冒険者であり、その実戦における経験を買われて、特別にアカデミーの教師として採用されている。

 当初は、貴族と騎士出身の同僚たちから白い目で見られもしたが、スクライカーは実力で、彼らを黙らせてきたのだった。

「君たちは、ヴァラカ・シャヒーン理事長にも直談判したらしいが…」

 スクライカーの前には、ヴァヌヌとアデリッサ・ド・レオンハルトの二人が緊張の面持ちで屹立している。

 ここは、アカデミー高等部の職員室である。

ヴァヌヌとアデリッサの二人は、本日の授業が終了した後、揃って職員室へ赴き、

再び、教師たちに対して交渉に及んだのだった。

「私の立場も理事長と変わりない。魔法の実習で、二対二の練習試合を採用してほしいと、そう言いたいのだろう」

 ヴァヌヌとアデリッサは、気弱そうにうなずいた。

エルンスト・スクライカーは、大きなため息をついた。

 スクライカーは、魔法も使うが、本職は剣士であり、授業では、剣術、槍術、楯術、ケイパーリット式旋舞拳闘など、戦技全般の指導を任されている。

 魔法と座学は、貴族である男爵家出身のもう一人の担任教師、イーリス・ストリンドベルヒが担当していた。

「理事長にも同じことを言われただろうが、魔術師マージとは、攻撃魔法と防御魔法、その両方を行使できる術者の事だ。優れた魔術師マージは、強力な攻撃魔法を放ち、同時に堅牢な防御魔法で身を守る。そして、攻撃魔法と防御魔法を素早くスイッチングさせて、わが身を安全に保ちつつ、確実に敵を殲滅する… これが魔術師マージの戦い方だ」

 ヴァヌヌが不満そうな表情を見せた。

「改めてご指摘いただかなくても、分かっています」

 アデリッサが続く。

「それでも、あえて申し上げているんです、スクライカー先生」

 スクライカーは頭を掻いた。

「君たちの境遇については、十分、理解しているつもりだ。ヴァヌヌ、君は攻撃魔法を司る魔核『ボアズ』を失っている。アデリッサ・ドレオンハルト、君はあべこべに防御魔法を司る魔核『ヤキン』を損なっている。ヴァヌヌは防御魔法だけで、攻撃魔法を使えない。逆にアデリッサは、攻撃魔法だけで防御魔法を使えない。そのような逆境にある君たちだが二人で協力し合えば、一人前の働きが出来るはずだ… 君たちはそう言いたいのだろう?」

 ヴァヌヌが一歩前に進み出た。

「そうです、スクライカー先生。僕が防御魔法でアデリッサ様を守り、アデリッサ様が攻撃魔法で敵を倒せば、僕たちは二人で一人前の戦いが出来ます」


 この子は、俺と同じ目をしている。


スクライカーは、小さな胸の痛みとともにそう実感した。

 スクライカーは、スラム出身者ではないが、冒険者を目指す子供が大抵、そうであるように貧しい家庭の子供だった。

 子供の頃の思い出と言ったら、何よりも空腹だ。


好きなものを好きなだけ、食えるようになりたい。


それが幼いスクライカーのひりつくような渇望であった。

 スクライカーは、A組の担当として、ヴァヌヌの経歴を知悉していた。

ヴァヌヌという名前からして、この少年はヴァルデス公国の出身者ではない。

 帝政エフゲニアが支配する北方系でもない。

また、沙馮シャフーの名前でもない。

 この少年は、恐らく独立都市クリスタロスを経由して、カルスダーゲン亜大陸の外から流れ込んできた流人の子供だ。

 ヴァヌヌが、この大陸に、このヴァルデス公国に根を下ろすため、どれだけの苦労をしてきたか、彼の履歴を閲覧するだけで容易に推測できた。

 ヴァンゼッティ男爵家に下人として使え、主家の嗣子であるチェーザレに面白半分に、攻撃魔法を司る魔核「ボアズ」を潰されてしまった。

 さすがに後ろめたく思ったのか、チェーザレの父であるヴォルドー・ヴァンゼッティ男爵から、チェーザレの従者としてともに公立魔導アカデミーで学ぶことを許されたヴァヌヌにとって、アカデミーは自分の未来を輝かせるための最後の命綱であることは間違いなかった。

 それだけに、スクライカーは心ひそかに、ヴァヌヌを応援してやりたいと願ってはいたのだが…

「お願いです、スクライカー先生。私たちから未来を奪わないでください」

 アデリッサが、ペールブルーの双眸にうっすらと涙を浮かべてスクライカーに懇願した。

 アデリッサの言葉は、彼女が初めて練兵場のアリーナに立った時、スクライカーとストリンドベルヒに言ったことと同じだ。

 レオンハルト伯爵家は、公国の軍務卿を任されている大貴族だ。

アデリッサが、どうして防御魔法を司る魔核「ヤキン」を喪失したのか、その経緯は履歴には書かれてはいなかった。

 誇り高き門閥貴族には、世間に明かすことのできない秘密があるのだろうと、スクライカーとストリンドベルヒは黙って了承したものだ。

 ヴァヌヌが傍らのアデリッサに視線をやった。


この少年はもしや…


 スクライカーの心に動揺が生まれた。


同じ境遇のアデリッサに恋心を抱いているのではないか…


 もし、そうなら、これ程の悲劇はなかった。

平民の、それも最下層の流れ者の少年が、公国を代表する名門貴族、レオンハルト伯爵家のご令嬢に心を寄せるなどと… 

 無論、スクライカーは知らなかったが、ヴァラカ・シャヒーンもまた、二人にこう告げたのだった。


 君たちの人生は、ほんの一瞬の間だけ、このアカデミーで交差しただけだ。


 君たちは、ずっと一緒にいられるわけではないのだぞ。


 スクライカーは、伯爵家の息女であるアデリッサもまた、ヴァヌヌに深い信頼を寄せていることに気が付いた。

 お互いに魔核のひとつを失い、世間から半人前と呼ばれ、伺え知れないほどの悔しさと惨めさを味わい続けてきた少年たちだ。

 ヴァヌヌとアデリッサは、思春期の淡い恋心などという甘いものではなく、お互いに相手の境遇に己の身の上を投影させているのかもしれなかった。

 胸の中に小さな疼きと痛みを感じながら、スクライカーが次の言葉を選んでいた時、背後から声がした。

「スクライカー先生、生徒たちがこうまで言うのです。私たち二人で、相手をしてあげましょう」

 声の主は、A組のもう一人の担任、魔法と座学を担当するイーリス・ストリンドベルヒであった。

「ストリンドベルヒ先生、ですが…」

 だが、イーリス・ストリンドベルヒはヴァヌヌとアデリッサにまっすぐに視線を注いで、彼らに言った。

「二人とも準備をして、三十分後に練兵場へ集合しなさい。私とスクライカー先生が、直接、お相手しましょう」

 ヴァヌヌとアデリッサの顔が、太陽のように輝いた。

「ほ、本当ですか、ストリンドベルヒ先生」

「あ、有難うございます」

 少年と少女は、弾けるようにそう答えて、頭を下げた。

ヴァヌヌとアデリッサは顔を見合わせて笑った。

 二人を見送って、スクライカーはため息をついた。

「イーリス、どういうつもりですか」

「エルンスト、あなたは心根がとても優しい方です。ですが、それは時には相手を傷つける無慈悲な刃となるのですよ」

「…あの気の毒な子供たちに、未来をあきらめろと?」

「あの子たちに、実現不可能な夢を見続けさせることの方が、ずっと残酷であると私は思いますよ、エルンスト」

「……」

 イーリス・ストリンドベルヒは、深い哀しみをたたえた目で、ヴァヌヌとアデリッサが一礼して退出した職員室の扉を見やった。

「私たちが、引導を渡してあげましょう。魔核を損傷した人間が、魔術師マージを目指すなど不可能であることを。それがアカデミーの教師である私たちの責務であると思います」

 スクライカーは、もう一度、深い嘆息をついた。


 公立魔導アカデミーの練兵場は、四か所、存在する。

ヴァヌヌとアデリッサは、皮革製の練習用のサーコートに身を包み、緊張した表情でエルンスト・スクライカーとイーリス・ストリンドベルヒを待っている。

 すぐに二人の教師は、この場に現れた。

スクライカーもストリンドベルヒも、実戦用のサーコートを着用して練兵場に姿を現した。

 それは、相手が生徒であるとはいえ、本気で戦うという二人の教師の強い意志を感じさせた。

 スクライカーが口火を切った。

「高等部の最初の授業で説明したとおり、練兵場の各スポットは、これを囲むオベリスクの働きによって、魔法の威力が大きく減殺される。しかし、それでを負傷を負わないではないし、苦痛も軽減されるとはいえ、ゼロになるわけではない」

 ヴァヌヌとアデリッサは、緊張した面持ちでうなずいた。

武器を使わなくても、エルンスト・スクライカーはA級冒険者であり、徒手の戦いにおいても、ケイパーリット式旋舞拳闘の名手である。

 平民のヴァヌヌ、貴族であっても女性であるアデリッサは、この素手の近接戦闘の技術を持っていない。

 そして、イーリス・ストリンドベルヒは、十代で公立魔導アカデミーの魔法と座学に関する教職を任された実力者であった。

 イーリス・ストリンドベルヒが言葉を続ける。

「今回は、魔術師マージ同士の、二対二の模擬戦闘ですから、得物は使いません。ですが、オベリスクは徒手格闘におけるダメージを軽くしてはくれません。そのあたり、十分に心得ておくように」

 再び、ヴァヌヌとアデリッサは重々しく首肯した。

「ストリンドベルヒ先生は、本職の魔術師マージだ。この私は、本業は剣や槍、乗馬術、体術などの戦技だが、多少は、魔法も使える。君たちと違って、私たちは、攻撃魔法も防御魔法も行使できる。まさかとは思うが、これが不公平な戦いだなどとは言うまいな?」

「言いません」

 ヴァヌヌとアデリッサは同時にそう言った。

イーリス・ストリンドベルヒが、言葉を続ける。

「ヴァヌヌ、アデリッサ・ド・レオンハルト、あなた方が二人で一人前であると主張するなら、正々堂々、真正面から私たちを撃破して見せなさい。いいわね?」

「はい」

 また、少年と少女は同時に答えた。。

「では、戦闘開始だ。遠慮はしないぞ」

 言い終わるより早く、スクライカーは左に跳躍した。

同時に、ストリンドベルヒが右に跳ぶ。

 生徒側に攻撃手がアデリッサしかいない以上、お互いに離れた位置に身を置くことは、とても有効な戦い方であったろう。

 アデリッサは、ヴァヌヌの背後に身を隠した。

これも当然である。

 アデリッサは、魔核「ヤキン」を失っており、防御魔法が使えないのだから。

「ファイヤーエッジ」

「ウィンドエッジ」

 左右に別れたスクライカーとストリンドベルヒが、異なる方向からそれぞれ除く制魔法を放つ。

「プロテクション」

 ヴァヌヌが防御魔法を展開する。

「プロテクション」は、もっとも基本的な無属性の防御魔法である。

 ヴァヌヌは、最初にスクライカーが放った火炎魔法を「プロテクション」で弾き返し、すぐにそれを消して、反対側の咆哮へもう一度、「プロテクション」を展開して、今度はストリンドベルヒが放った風属性の攻撃魔法を防いだ。

「お見事」

 図らずも、二人の教師から同時に賞賛の言葉が漏れた。

ヴァヌヌは、連続して「プロテクション」を行使することで、異なる方向から飛来した二つの攻撃魔法を防いでのけたのだった。

 ヴァヌヌが、さっと身を屈めた。

アデリッサが、両手を前方に伸ばす。

「アイスエッジ」

 アデリッサの右手から、わずかに遅れて左手から、「水」系の氷魔法を放たれる。

その素早い連続技は、まるで、左右の手から同時に「アイスエッジ」が放たれたように見て取れた。

 スクライカーとストリンドベルヒは、前面に「プロテクション」を展開して身を守る。

 二人の教師は、自分の防御魔法を打ち砕くかのごとき、予想外のパワーを備えた攻撃魔法に戸惑ったようだった。

「うぬっ」

「やるわね」

 アカデミーの高等部一回生が使用する攻撃魔法としては、破格の威力であった。

スクライカーとストリンドベルヒの胸に、まだ十五歳の少年と少女に対する畏敬の思いが浮かんだ。

 ヴァヌヌもアデリッサも、自分に残された武器を精一杯、磨き続けてきたのだという事が、教職にある二人には容易に見て取れるからだった。

 スクライカーは、同僚の女性教師に目配せをした。

その意味するところを、ストリンドベルヒは機敏に察知した。

「見事、耐えて見せろ、ヴァヌヌ」

 スクライカーとストリンドベルヒは、アデリッサを守って前面に立つヴァヌヌに向けて突き出した。

「ファイヤーランス」

「ウィンドランス」

 ともに、「ファイヤーエッジ」「ウィンドエッジ」の上級魔法である。

その威力は、下級魔法より数段、大きくなり、その名の通り、収斂された魔力が鋭い槍となって、相手を襲う。

「うわっ」

 ヴァヌヌにしたら、生まれて初めて目撃する中級の攻撃魔法であった。

それを二方面から、同時に照射され、ヴァヌヌは「プロテクション」でぎりぎり耐えて見せた。

「ヴァヌヌっ⁉」

 ヴァヌヌの背中でアデリッサが悲鳴を上げる。

「ア、アデリッサ様、防御魔法が保ちませんっ。は、離れてください」

 ヴァヌヌは前を見詰めたまま、後方のアデリッサにそう言った。

ヴァヌヌの言葉に従い、アデリッサはヴァヌヌの後方から走り出て、二人の教師が放つ攻撃魔法の射線上から離脱した。

「うわっ」

 直後、ヴァヌヌの「プロテクション」が砕け散って、魔素が周辺に四散した。

 ヴァヌヌは、後に転がった。

スクライカーとストリンドベルヒの視線が、アデリッサを追う。

「良く、頑張ったな、二人とも」

「でも、これで終わりよ」

 スクライカーとストリンドベルヒは、アデリッサの動きを目で追いながら、片手を突き出した。

 魔核「ヤキン」を失い、防御魔法を行使できないアデリッサには、二人の攻撃魔法を防ぐすべがなかった。

「ファイヤーエッジ」

「ウィンドエッジ」

 二人の教師は、アデリッサに向かってそれぞれの属性魔法を発射した。

「きゃあっ」

 アデリッサが悲鳴を上げた。


これで終わりだ。


 エルンスト・スクライカーは、瞑目した。

魔核「ヤキン」を失って、防御魔法を行使できないアデリッサには、二方向から殺到する属性の異なる、二つの攻撃魔法を防ぐすべを持っていなかった。


これが現実…

 

 唇を噛み締めながら、自分たちの行為が、この気の毒な二人の少年と少女に、大きな心の傷跡を残したりしないよう、ストリンドベルヒは心の中で祈った。


しかし…


 アカデミーの優秀な教師、エルンスト・スクライカーとイーリス・ストリンドベルヒが放った魔法は、アデリッサの前で弾かれてしまった。

「な、なにっ⁉」

「どういうこと?」

 アデリッサの前に、淡い光を放つ魔力の防壁が展開していた。

無属性の防御魔法である。

「防御魔法だとっ⁉」

「魔核『ヤキン』を失っている人間がどうしてっ⁉」

 スクライカーとストリンドベルヒは、ヴァヌヌに視線を飛ばした。

ヴァヌヌは、片手を前に伸ばし、魔力を放射していた。

 魔法の専門家であるストリンドベルヒは、直ちに何が起こったのか、察知したようだった。

「あれは、あの防御魔法は… ヴァヌヌ、あなたが作り出したものなの?」

 ヴァヌヌは、唇を加味してながら、息を吐き出した。

「『リモート・プロテクション』… 離れた位置に防御魔法を展開する… 僕だけのオリジナル魔法です…」

「何と」

 公立魔導アカデミーに入学するため、公都ヴァイスベルゲンに向かう馬車の旅で、ヴァヌヌは、主人チェーザレ・ヴァンゼッテイとともに盗賊の襲撃を受けた。

 その際、チェーザレを盗賊たちの魔法攻撃から守ったのが、ヴァヌヌが密かに開発していたオリジナル魔法、「リモート・プロテクション」であった。

 チェーザレの讒言によって、攻撃魔法を司る魔核「ヤキン」を失ったヴァヌヌは、残された魔核「ボアズ」を極限まで鍛え上げることによって、この奇跡のような新魔法を創出したのだった。

 それは、アカデミーの二人の教師たちに、深い感銘を与えた。


この少年は、何度、自分の運命を呪っただろう。


何度、人生を放り出してしまいたいと、自暴自棄になったろう。


その度に気を取り直して、自分に残されたものを必死に磨き上げてきたのだ。


 アデリッサを守る防御魔法が消滅した。

直ちに、アデリッサが両手を前に伸ばす。

「アイスエッジ」

 少女のほっそりとした左右の手指から、「氷」系魔法が放たれる。

魔法の連撃である。

 それは、続けざまに連続で発射され、まるで左右の手から同時に魔法が放たれたかのように見えた。

 アデリッサもまた、ヴァヌヌと同じく、わが身に残された魔核「ボアズ」を、魔法による連続攻撃が可能となるまで鍛え上げてきたのだった。

 スクライカーとストリンドベルヒは、「プロテクション」を展開して、アデリッサの「氷」系魔法から身を守った。

 アデリッサの「アイスエッジ」は、熟練した魔導の戦士である二人の教師たちの防御魔法を撃砕するほどの威力があった。

 辛うじて、アデリッサの攻撃魔法をしのいで、スクライカーとストリンドベルヒは、攻撃に転じた。

 二人の教師が、アデリッサに向けて片手を伸ばす。


待ちに待った瞬間だ。


 ヴァヌヌは、心の中で叫んだ。

スクライカーとストリンドベルヒが、魔法を詠唱する。

「ファイヤーエッジ」

「ウィンドエッジ」

 ヴァヌヌは、両手を二人の教師に向けてまっすぐに伸ばした。

「リモート・プロテクション」

 ヴァヌヌの遠隔防御魔法は、アデリッサの前面に展開された――訳ではなかった。

何と、「リモート・プロテクション」は、エルンスト・スクライカーとイーリス・ストリンドベルヒの前に出現したのだ。

 スクライカーが発射した「ファイヤーエッジ」は、「リモート・プロテクション」に弾き返され、高熱を帯びた魔素となって爆散した。

「うわっ」

 同じく、ストリンドベルヒが発射した「ウィンドエッジ」もまた、ヴァヌヌの「リモート・プロテクション」に弾き返され、渦巻く風となって術者自身に立ち返った。

「きゃあっ」

 スクライカーとストリンドベルヒが、自ら放った攻撃魔法によって自爆する形となった後、彼らを制圧するため、ヴァヌヌとアデリッサは二人の元へ殺到した。

「失礼」

 ヴァヌヌがそう言って、スクライカーの背中を押さえ付けようとした時、スクライカーの手が伸びてヴァヌヌの手首をつかみ、その勢いを利用して、スクライカーはヴァヌヌを投げ飛ばした。

 ヴァヌヌの身体が虚空に舞う。

ケイパーリット式旋舞拳闘の華麗なる投げ技であった。

「ぐはっ」

 したたかに背中を打ち付け、ヴァヌヌは肺から空気を吐き出した。

すかさず、スクライカーが身を起こし、ヴァヌヌの腕を後ろへ回して、ヴァヌヌが身動きできないように、関節を決めた。

「ウィンドランス」

 ストリンドベルヒが、アデリッサに「風」系魔法を飛ばす。

直接、アデリッサを狙ったものではない。

 「ウィンドランス」は、アデリッサの前で地面に命中し、小さな爆発とともに砂埃を巻き上げた。

「きゃっ」

 爆発に巻き込まれ、アデリッサは、後ろへ飛ばされ、尻もちをついた。

防御魔法を持たないものの悲哀と言ってよかった。

「ここまでだ」

 スクライカーが、模擬戦闘の終了を宣言した。

ヴァヌヌはアデリッサは、力なく立ち上がった。 

 途中経過はどうであれ、模擬戦闘そのものはスクライカーとストリンドベルヒ、アカデミーの教師たちの勝利と言ってよかった。

 完膚なきまでの勝利でなければ、ふたりの教師を納得させることは出来ないだろうと覚悟していたヴァヌヌとアデリッサにとって、これは事実上の「敗北」であると言ってよかった。

 スクライカーが、唇を噛み締めながらうつむく少年たちに向かって言った。

「下を向く必要はない。二人とも胸を張りなさい」

 ストリンドベルヒが、言葉を続ける。

「スクライカー先生のおっしゃる通り、あなた方は勝てなかったかもしれないけど、けっして負けもしなかった。素晴らしい戦いを見せてもらったわ」

 スクライカーが、ヴァヌヌに言った。

「君のオリジナル魔法、『リモート・プロテクション」… あれさえ、囮だったのか… 全く見事な陽動作戦だな」

「あなた方の本当の狙いは、私たちの前に『リモート・プロテクション」を展開して、私たちが、私たち自身の魔法で自爆するように仕向ける事だったわけね…」

 スクライカーとストリンドベルヒは、顔を見合わせて笑った。

「恐れ入ったわ」

 ヴァヌヌとアデリッサは、顔を上げて二人の教師を見やった。

「スクライカー先生、ストリンドベルヒ先生」

 スクライカーは、獰猛な微笑を浮かべた。

「約束だからな。私たちからも、アカデミーの実習で二対二の戦いを採用するよう、理事長先生はじめ、ほかの教師連中にも働きかけてみよう」

 少年と少女の顔が、太陽のように輝いた。

「ほ、本当ですか、スクライカー先生」

 ヴァヌヌの問いかけに対して、ストリンドベルヒが答えた。

「あなた方が、これまでどんな苦痛を経験して、それに腐らずに、残された武器を必死に鍛え上げて、ここまで来たこと… 私たちと戦うために懸命に知恵を絞って作戦を考えたこと… これを評価できなかったら、もう、アカデミーの教師なんかやている資格はないわ」

「ストリンドベルヒ先生のおっしゃる通りだ。しかしながら、私たちがアカデミー側に働きかけたとしても、それで君たちの願い通りになるとは限らない。これからも精一杯の努力を続けることを期待するが、もし、願いがかなわなったとしても、その苦い結果を受け入れる勇気を持ってほしい。今、私たちから言えることはそれだけだ」

「はい、先生」

「よし、今日はこれで解散だ。二人とも怪我はしていないか?」

 少年と少女は、自分の身体を確認して、かぶりを振った。

「ならば、シャワーを浴びて、着替えなさい。今夜は早めに眠るように」

「分かりました、先生」

 ヴァヌヌとアデリッサは、飛び上がるように教師たちに礼をした。

エルンスト・スクライカーとイーリス・ストリンドベルヒは、練兵場を去っていく少年たちの背中を目で追った。

 時折、視線を交わす少年たちの顔は、充足感で高揚していた。

「あの二人は…」

 スクライカーが、ぽつんと呟いた。

「思春期の少年たちの恋心とか、そんな安っぽいものではなく、もっとずっと深い処で繋がっている… そんな関係なのかもしれないな」

「あなたの口から、そんなセリフが聞けるなんてね、エルンスト」

 ストリンドベルヒが苦笑した。

「でも、あなたのおっしゃる通り、あの二人は、同じ運命を背負って、それと戦う戦友とか、同志とか… いいえ、彼らはお互いがお互いにとっての…」

「二人で一人… まさに半身と呼ぶべき存在なのかもしれないな…」

 それだけに、平民の少年と大貴族の少女、絶望的に境遇が違い過ぎる二人の将来が、大いなる悲劇で終わらないようにと、スクライカーとストリンドベルヒは、西に傾いた太陽の残照を背中に浴びながら、心から願った。


 

 

 

 

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